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モノの超古代史
- (項目別五十音順)
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- あ:稲作/宇宙船(外宇宙型)/
- か:
- さ:
- た:
- な:
- は:風呂/
- ま:
- や:
- ら:
- わ:
稲作
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- 稲作は中国で始まったか
- 回答:レムリア文明(2024.1.28)
- 原産地は東南アジア。それをレムリア文明が持ち込み、栽培を始める。
- 日本は中国からではなく、レムリア文化から学んだ。
- 縄文文明で稲作が始まったのはいつか
- 回答:紀元前2万3千年頃(2024.1.28)
- 超古代文明時代は北海道、シベリアのアムール川流域で稲作が行われていた。
- ただし紀元前10,800年頃の地軸移動で寒冷化し、稲作はできなくなった。
- 日本の里山文化は北海道から来たか
- 回答:その後に生まれた(2024.1.28)
- 地軸移動による寒冷化で、稲作の中心地は東シナ海にあった平地へ移った。
- 当時の日本列島には平地が少なかったため、超古代文明滅亡後の縄文文明ではしばらく稲作が行われていない。
- ただ荷船による物流が発達していたので米作りは穀倉地帯に任せ、それぞれの土地の特産物と交換していた。
- 紀元前8000年頃、荷船によって米を運び込めない南中国の内陸部で、米の自給栽培が始まる。
- その後、縄文大海進によって当時の水田がすべて海に沈んでしまった。それと同時に港の整備が間に合わず荷船による物流が難しくなった。
- そのため各地で自給自足のために棚田が作られるようになった。紀元前3000年頃になると内陸部でも棚田が作られるようになる。
宇宙船(外宇宙型)
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- 縄文文明では宇宙船を自主開発できたか
- 回答:縄文文明内ですべての部品を調達できた(2021.4.30)
- 先進文明からの輸入組み立てではなく、原料加工からすべてが可能だった。
- 縄文文明の作った宇宙船は星間飛行できたか
- 回答:30光年ぐらい飛んでた(2021.4.30)
- おもな飛行距離は30光年以内。10光年を5日で飛べるぐらいの速度を出せた。
- 最後に星間飛行できる宇宙船を作ったのはいつ頃か
- 回答:紀元前10,850年台(2021.4.30)
- クローヴィス隕石で地軸がずれた影響で起こされた大津波で工場が破壊された。
- 文明はある程度復興したが、星間飛行できる宇宙船までは再開発できなかった。→クローヴィス隕石
- なお、年代は下一桁は確定できず。紀元前10,857年〜前10,853年の間らしい。
風呂
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- 縄文時代にお湯を沸かして入る風呂はあったか
- 回答:紀元前2700年頃まではあった(2024.1.28)
- 今から2万6千年前には、沸かした湯に浸かる文化が始まっていた。
- どんなに裕福な人でも自分専用の風呂を作ることはなく、集落ごとに作られた共同浴場に通って社交の場としていた。
- 毎日入ることは可能だが2〜3日に1回の利用が標準的。夏場の汗や泥汚れは水で流し、布で拭く程度。
- この文化風習は古代文明が滅びたあとも続き、巨大噴火や大地震の被害を受けても取り戻された。
- だが、紀元前2900年頃から共同浴場を持たない集落が増え、温泉の湧く地域を除くと紀元前2700年を過ぎたあたりで文化が廃れた。
- 古代のお風呂は神道の衛生観念によるものか
- 回答:娯楽のためのもの(2024.1.28)
- 衛生観念という意味では、文明がなくても生き物の本能として川で洗濯したり、身を清めたりすることはしている。
- 逆に迷信から体を洗わなくなった、中世ヨーロッパの方が異常。
- お湯を沸かすには大量のエネルギーが要るため、初期の頃は蒸し風呂で汗をかき、そのあとで水風呂というか池や川に飛び込んで汗や汚れを落とすのが一般的。やがて人口が増えると共同浴場へと発展していく。
- 風呂文化の衰退は社会の貧困が原因か
- 回答:貧困ではなく稲作の普及(2024.1.28)
- 稲作の広がりによって人手の多くが農作業に割かれ、森の管理が行き届かなくなる。その影響でハゲ山が増え、薪の値段が高騰するようになった。
- この背景には土地の気候に合わない品種を植えていたために、生産性があまり高くなかった影響もある。収穫は蒔いた種の5倍程度。
- そのために風呂を沸かすような贅沢が減らされ、自然消滅的に風呂文化が廃れていった。
- ローマの風呂は超古代から続いたものか
- 回答:復活したもの(2024.1.28)
- 地中海地方では縄文よりも早く、紀元前6000年頃には風呂の文化が廃れていた。昔の小麦は蒔いた種の3倍程度の収穫しかないため。
- 紀元前5000年にもなると温泉に入ることもなくなった。
- ローマ時代は小麦の生産性こそ上がってないが、社会の安定と奴隷労働による生産の大規模化によって社会が潤い、再び風呂を沸かすだけの余裕が生まれたため。