▲top
考察メモ/古代日本神話

はじめに
 日本の神話や歴史書は、奈良時代に古事記、日本書紀、風土記を編纂(へんさん)する際に大きく改竄(かいざん)があったとされている。
 近年、古事記よりも前からあった書物が、次々と表に出てきている。現在はそのすべてが偽書扱いされているが、それら古代文献から、本来の神話や歴史をそれっぽく復元してみる。日月神示にある神話と比べるのも興味深いかもしれない。
 
 なお、竹内文書は16世紀には存在しない地名が多く出てくる(中には現地名ではなく19世紀に名づけられたギリシャ語の地名が出てくる)など内容に著しく疑問があるため、ここでは参考とはしていない。

 

第1章 神世の物語
天地創造・神世7代
 初めは天地別れず、果てもない。
 初めに陰と陽が別れ、陽は天となり太陽となり、陰は大地となり、月となった。
 そこに神──国常立の尊が現れ、8人の御子にそれぞれの地を治めるように任せた。これら8王子をクニサツチと呼ぶ。
 8王子の子をトヨクンヌ(豊国)と呼び、それぞれを君・臣・民に分けて務めを与えた。
 4代目で男女が別れる。男神はウビチニ、女神はスビチニ、成人後酒を酌み交わし、床酒(宴会)が始まった。
     初めて宴会した3月3日の記念日が、のちに形を変えてひな祭りとなる。
 5代目はヲヲトノチ、ヲヲトマエ。
 6代目はヲモタル、カシコネ。この男女神には世継ぎが生まれず、世が乱れた。
 そこにイザナギ、イザナミが現れ、7代目として国を継ぐことになる。
 
 イザナギの曽祖父はウビチニ。ウビチニの子のアメヨロツは筑紫を治めるアメカガミの娘と結婚して四国を治め、アワナギとサクナギを生む。このうちアワナギの子タカヒトが、タカミムスビの流れをくむイサコ姫と結婚してイザナギを産んだ。
国産み
   *古事記、日本書紀にはあるが、古代文献では国作りで語られる。
神産み
 イザナギとイザナミが婚姻し、最初にヒルコ姫が筑波の宮で生まれる。この時、イザナギは40歳、イザナミは31歳だった。
 この年は2人とも汚穢(おえ)の歳に当たったため、ヒルコ姫は(けが)れを(はら)うために儀式として海に流された。そして、そのあとはソアサの国(四国)のカナサキ夫妻に託されて、そこで養女として育てられる。
 イザナギとイザナミの2人目は、淡路島にある宮で生まれたが、残念ながら死産だった。そこで葦の舟に乗せて流して(とむら)った。
   *古事記ではこの2人の話が一つになっている。またこの時の儀式が、天の沼矛による国産みに変わっている。
 3人目はハラミ山(富士山)で生まれ、ウヒルギ(大日霊男の意味)と名づけられた。のちのアマテラスである。
   *いくつかの神社ではウヒルギを大日霊貴と書いてオホヒルメムチと読ませているが、これは奈良時代に行われた歴史改竄の影響と思われる。
    また現在ではアマテラスは女だが、古事記以前の神話では男になっている。
 ウヒルギはすぐ親元を離れて日高見の国にあるヤマテの宮にいる豊受神に預けられ、そこで国を治めるために教育を受けることになる。
 筑紫に戻ったところで、4人目のモチキネが生まれた。のちのツクヨミである。
 その後、ソサ(紀州)へ向かうが、その途中、ソアサの国(四国)に渡ってカナサキ夫妻に預けていたヒルコ姫を引き取る。ヒルコ姫はカナサキ夫妻から歌を教えられ、のちに両親からも歌の手ほどきを受けて名をワカ姫に変え、のちに歌の神様になった。
 そしてソサ(紀州)で5人目のハナキネ(のちのスサノオ)が生まれる。このハナキネは幼い頃からワガママな乱暴者で、母イザナミを大変に心配させた。
 イザナミはその性格を穢れのせいと考えてお祓いをするが、その時に祀った火に巻かれる事故で亡くなってしまった。
   *古事記ではイザナミの死は火の神ヒノカグツチを産む時に陰部が焼かれたためとし、スサノオとは無関係としている。
黄泉の国訪問
 イザナミの亡き骸は、花の(いわや)神社(現三重県熊野市有馬)に祀られた。
 イザナギは妻の死を悲しんで、足しげく花の窟神社に通った。だが、ある日、亡き骸にウジが湧いていた。それを見られたくないのか、イザナミの霊が現れて「見ないで!」とイザナギを神社から追い出した。
 このことでイザナギは現実を受け入れ、紀伊の音無川で身を清めてあの世断ちを行った(イザナミへの未練を断ち切った)。
   *これが古事記ではイザナギがあの世へ行く黄泉坂(ヨモツヒラサカ)の話になっている。
   *また古事記では、イザナギが黄泉から戻ったあとにアマテラス、ツキヨミ、スサノオが産まれたことになっている。
天岩戸伝説
 21鈴126枝サナトの年の3月1日。日高見から戻ったアマテラスが王位を継いで国を治めた。
   *日付が具体的に記されているが、21鈴126枝サナトの年が西暦何年に相当するのか不明。一説ではサナトはキアヱ暦で十干の辛酉に対応してるという。
    皇紀元年(紀元前661年)も辛酉だが、紀元前181年の説もあり。
   *()鈴暦(すずれき)(スズ暦とも)
    1鈴=1000枝、1枝=60年、21鈴126枝サナトは120万7557年。
    サナトは干支に相当するキアヱ暦(ホツマ干支)。「キツヲサネ」「アミヤシナウ」「ヱト」が循環。
キアヱ暦一覧表
キアヱ(甲子=1)キアト(乙丑=2)ツミヱ(丙寅=3)ツミト(丁卯=4) ヲヤヱ(戊辰=5) ヲヤト(己巳=6)
サシヱ(庚午=7) サシト(辛未=8) ネナヱ(壬申=9) ネナト(癸酉=10) キウヱ(甲戌=11) キウト(乙亥=12)
ツアヱ(丙子=13) ツアト(丁丑=14) ヲミヱ(戊寅=15) ヲミト(己卯=16) サヤヱ(庚辰=17) サヤト(辛巳=18)
ネシヱ(壬午=19) ネシト(癸未=20) キナヱ(甲申=21) キナト(乙酉=22) ツウヱ(丙戌=23) ツウト(丁亥=24)
ヲアヱ(戊子=25) ヲアト(己丑=26) サミヱ(庚寅=27) サミト(辛卯=28) ネヤヱ(壬辰=29) ネヤト(癸巳=30)
キシヱ(甲午=31) キシト(乙未=32) ツナヱ(丙申=33) ツナト(丁酉=34) ヲウヱ(戊戌=35) ヲウト(己亥=36)
サアヱ(庚子=37) サアト(辛丑=38) ネミヱ(壬寅=39) ネミト(癸卯=40) キヤヱ(甲辰=41) キヤト(乙巳=42)
ツシヱ(丙午=43) ツシト(丁未=44) ヲナヱ(戊申=45) ヲナト(己酉=46) サウヱ(庚戌=47) サウト(辛亥=48)
ネアヱ(壬子=49) ネアト(癸丑=50) キミヱ(甲寅=51) キミト(乙卯=52) ツヤヱ(丙辰=53) ツヤト(丁巳=54)
ヲシヱ(戊午=55) ヲシト(己未=56) サナヱ(庚申=57) サナト(辛酉=58) ネウヱ(壬戌=59) ネウト(癸亥=60)
 
 そのアマテラスの治世、ネの国(北陸地方)は地方長官として任じられたイザナギの弟クラキネに治められていた。そのクラキネに取り入って副長官となったコクミという男がいる。コクミはクラキネが亡くなったら、次の長官は自分だと勝手に思い込んでいた。
 だが、クラキネが亡くなると、次の長官に選ばれたのは娘クラコ姫を妻としていたシラヒトだった。それに激怒したコクミは、クラコ姫と母サシを殺してしまった。シラヒト・コクミ事件である。
 ところが、この事件を直轄するカンサヒ(豊受神の子)が調査も糾弾もしないため、アマテラスは直接尋問するためにコクミを高天原に連行させる。その時、アマテラスの弟スサノオが、一緒に来たネの国の典侍モチコ・ハヤコ姉妹を気に入り、筑紫に宮を建てて無理やり2人を妻に迎えた。さすがに、そんなことをされれば2人がスサノオを恨むのは当然。恨みが募ってヲロチになった。アマテラスも、その悪行をやめるように弟を諭す。
   *オロチは後世では大蛇だが、古代語では「心を閉ざす」「すねる」の意味。
 ところが、それに逆上したスサノオが荒れ狂った。それも尋常でない荒れ方だったため、ここから8年にわたって世が乱れた。命の危険を感じたアマテラスは岩屋に籠城することになった。
   *古代語の「暗い」は「乱れる」「状態が悪くなる」「力が衰える」の意味だが、古事記では文字通り太陽が隠れて暗くなったことにしてしまった。
 その間に神々はスサノオやハタレ(暴徒・反乱分子)を取り押さえ、岩屋の前で舞いや歌を見せることで、アマテラスに平和が戻ったことを報せる。これが神楽の始まりになった。
 
 この事件でスサノオは死罪に問われた。それほどの暴れ方だったらしい。だが、罪を一つ減じられて流刑とされ、ネの国への追放処分になった。これは無理やり妻にされたモチコ・ハヤコ姉妹を国に還す意味もあった。
 ただし、妹のハヤコは都に残り、アマテラスの子を3人(沖津島姫、江ノ島姫、厳島姫)を産んでいる。
 
 ネの国へ向かうスサノオは、道中、安河(現滋賀県野洲町)に立ち寄って姉のワカ姫(ヒルコ姫)に会って別れのあいさつをしようとする。その際、追放処分を不服に思っているスサノオは、姉に「ネの国に行って子供を作る。生まれてきたのが女の子だったら自分は汚れているが、男の子だったら私は潔白な証拠だ」と言った。これを聞いたワカ姫はスサノオに反省の気持ちはなく、乱暴者のままなので何をするかわからないと会うのを拒んだ。
   *このあとに出雲のヤマタノオロチ伝説がくるのを考えるとスサノオが安河まで行って引き返したとは考えられず、使いを送ってやり取りした話だろうと思われる。
五穀の誕生
 ある日、養父豊受神の死が近いと急使が来た。アマテラスは取るものも取りあえず、大急ぎで日高見の国へ向かった。死の淵にある豊受神は最後にアマテラスに「天成る道」の奥義を教え、最後に集まった神々にもいろいろ諭したところで神上がりされる。
 アマテラスはしばらくこの地から国を治めたが、都を志摩伊(しまい)(さわ)(うつ)し、そこで晩年近くまで国を治めた。
 この時に生まれたオシホミミは、姉のワカ姫(ヒルコ姫)に預けられ、淡海の安の宮で育てられた。そのワカ姫の夫はアチヒコ(思兼命)で、その子にタヂカラオがいる。
   *このエピソードは古事記にも日本神話にもない。だが、豊受は食物の神様であるので、五穀誕生神話にすり替えられたのではないかと考える。
    古事記ではオオゲツヒメとしてスサノオに、日本書紀ではウケモチの神としてツキヨミに殺され、その死体から五穀などが生まれたとされる。
ヤマタノオロチ伝説
 ネの国へ向かう途中、スサノオは細矛の国(出雲)を通る。
 そこではヤマタノオロチが、村長(むらおさ)の8人の娘を人身御供として供するように求めていた。すでに7人が失われ、最後に稲田姫が残った状態だった。
 このヤマタノオロチの正体は、スサノオが起こした混乱で生じたハタレ(暴徒・反乱分子)だった。スサノオはそのハタレたちを征伐して稲田姫を救い、妻とした。この稲田姫のとの間に男の子が生まれると、「やはり潔白だった」と姉ワカ姫に見せに行った。しかし、ワカ姫はスサノオの心根が直ってないこと、ハタレを生み出した世の乱れがスサノオにあることなどを説教し、追い返した。
 スサノオはそこまで言われて、ようやく自分のやったことの大きさに気づいた。激しく恥じ、それからは隠れるように暮らした。
 
 その間もハタレたちの騒乱は続いていた。ツクヨミの御子──伊吹戸主の命が騒乱を治めるために各地を巡回。出雲へ来た時、スサノオが隠遁(いんとん)していることを知る。そこでスサノオに会い、乱を治めて功を上げるように勧めた。その言葉に忠節に従ったスサノオによって8年続いた乱世が終わり、その功によって名誉を回復したスサノオは再び高天原に戻ることを許された。
 この時、スサノオは「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠めに、八重垣つくる、その八重垣を」の和歌を作って、姉ワカ姫に捧げた。
 その後、スサノオは出雲に奇稲(くしいな)()(みや)を築き、そこで稲田姫と5男3女をもうけて、死ぬまで幸せに暮らした。
 3男のクシキネは出雲の国の初代王──大物主となり、アマテラスの娘タケコを正妻に迎える。その長男クシヒコは後に大きな功績を残し、ニニギの尊から大国主の称号をもらう。またアマテラスからも大国魂の称号をもらった。

 

第2章 国作りの物語
大黒の国譲り
 出雲の国を治めるクシキネには、父スサノオの血を継いで傲慢なところがあった。よく働いて功績を残したが、国を治めず驕り高ぶっていた。
 この頃の国の政治は、アマテラスの皇太子(おし)()耳尊(みみのみこと)が行っていた。天朝では出雲の有様を知り、第7代タカミムスビ・タカキネが対策を任される。タカキネは何人もの皇子を遣わして、きちんと国を治めさせようとする。だが、その皇子たちはクシキネの口車に乗って、そのまま出雲に居着いてしまった。業を煮やしたタカキネは武力制裁してでも状況を正そうとする。この出撃が「鹿島立ち」。それで遣わされたタケミカヅチに、クシキネは出雲の国を明け渡した。
   *クシキネは古事記では大黒。
国産み
 よく晴れた日、アマテラスは皇孫のニニギの尊を伊勢の白石の原という川原へ連れていった。
 そこでニニギはオノコロ島に似た岩を見つけ、アマテラスに見せた。
 そこでアマテラスは、次のような話をニニギに聞かせる。
 最初にイザナギとイサナミが天の浮橋に立ち、天の沼矛を持って国を形作ったと語り始める。
 川の泥で山を作り、そこに道や茶畑などを作って国ができていく様子をニニギに聞かせる。
 そこに最初の人として天之御中主が現れる。次に国常立が現れて国の道を説いてまわる。
 そのあと多くの人が生まれ、人が増えると国としての秩序がなくなる。だから、ちゃんとした政治をして農業や牧畜のやり方を教えてまわる。
 こうして国が固まって一つになった。「オノコロ」は国を治めるまじないの言葉であるため、これで生まれた国を「オノコロ島」と名付けた。
   *古事記、日本書紀ではイザナミ・イザナミが天の沼矛で国を作った話を神々の力としているが、古代文献では川原で祖父が孫に語った例え話としている。
   *天之御中主は、古事記では人間の祖ではなく、この世に生まれでた最初の神に変わっている。