忍び寄る足跡

清水文化

 

 私の身に起こった実話を書きます。
 とある年の初夏、恐怖の事件が始まりました。
 私の住むアパートに、泥の付いた足跡が入ってきたことから始まります。
 初めはそれに違和感を覚えず、住人の誰かの足跡かと思っていました。
 ところが、その足跡は毎日、数歩ずつ伸びていきます。
 初日は入り口から三歩ほど。翌日は階段の一番下の段まで。そこから少しずつ階段を登り、やがて足跡は二階までやってきます。
 この足跡に不審を感じなかったのは、ここまで。それは二階には土木業をしてる人が暮らしていて、よく汚れた作業着で出入りしている姿を見ていたからです。
 ところが、その足跡はその人のものではありませんでした。
 足跡は二階では止まらず、更に三階へと登ってきます。
 そこでようやく、この事態に異常を感じました。
 この足跡は何だろう。そもそも毎晩雨も降ってないのに、どうして泥の付いた足跡が毎日伸びるのだろう。と……。
 とはいえ、まだ常識的に考えようとしました。
 三階の階段に一番近い部屋には、新しい住人が入ったばかりです。夜の帰りが遅いのか、一度もお会いしたことがありません。その人の足跡かもしれません。
 しかし、その考えはすぐに砕かれました。三階に達した足跡は廊下へ向かい、最初の部屋を越えて奥の部屋へ向かいます。
 その後も足跡は少しずつ伸びてきます。
 そして、ある日、とうとう私の部屋の前まで来ました。
 この足跡は、このまま奥へ向かうのだろうか?
 そんな淡い期待を打ち破り、翌日、足跡は私の部屋の前で向きを変えていました。私の部屋に向かって……。
 毎晩、夜のうちに伸びる足跡。それが私の部屋の前まで来て、なぜこちらを向くのか。
 理由がまったくわかりません。
 この足跡の正体は何なのか。まったく納得できる正体を思いつかず、恐怖ばかりがつのります。
 というか、頭の中で『悪霊の足跡』という単語ばかりがめぐり、他の理由が浮かんできません。
 悪い予感では、今日あたりドアを破って入ってくるのではないか。そういう悪い方へ考えてしまいます。このまま今晩は外に泊まろうかとも考えます。
 とはいえ、さすがにオカルトで家から逃げ出すというのは、学生時代に物理学を学んだ者の名折れです。正体を突き止めたいという気持ちもあります。
 で、悩んでいるうちに、容赦なく時間は夜になってしまいました。
 その日は怖くて眠れないというのもありますが、布団に入っても寝つけず、ずっと時計を見ていました。やがて夜の二時、丑三つ時を過ぎます。何も起きません。部屋に怪しい人の気配を感じることもありません。
 そして二時半。ようやく眠気が襲ってきました。
 そろそろ寝ようと思い、枕元に置いた電気スタンドの電気を消したまさにその直後、
 ──ガチャガチャッ!
 部屋のドアから音がしました。悪霊が入ろうとした音でしょうか。でも、ドアに鍵をしていたので開けられなかったのか……。
 すぐに電気スタンドをつけ、起き上がって次の事態を警戒します。
 今の音は何だったのか。悪い理由ばかりが頭をよぎります。
 次は何が起こるのか。緊張したまま、寝床でドアの方をジッと見続けます。
 しかし、何も起こらないまま一〇分以上が過ぎました。
 意を決して起き上がり、まずインターホンのモニターで外の様子を見ます。
 ドアの前には誰もいません。夜の廊下と真っ暗な外の様子が映っているだけです。
 それをしばらく見たあと、ゆっくりと玄関に向かいました。
 ドアにたどり着き、まずは扉に触れてみます。ドアの向こうに人の気配はしません。
 次にドアスコープを覗いてみますが、廊下には誰もいません。
 そこで鍵を開け、そうっと廊下を覗き見ました。
 そこは夜のひっそりした世界でした。もう夜中の三時に近いため、アパート前のバイパスを通る車も少なく、近くの信号機が青く輝いているだけです。
 そしてドアから出て、恐る恐る裏側も見てみました。まさか悪霊が立っていたらと心配しつつ。
 しかし、そこで私が見たのは、ドアに刺さっている新聞でした。
 それがすべての謎が解けた瞬間でした。