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 ここでは夢に関する歴史上の有名なエピソードを紹介します。
 
  ・ルビコン川(ユリウス・カエサル)
  ・平家滅亡(平重盛、瀬尾兼康)
  ・悪魔のトリル(ジュゼッペ・タルティーニ)
  ・ミシン(アイザック・メリット・シンガー)
  ・ベンゼン環(アウグスト・ケクレ)
  ・元素周期律表(ドミトリ・メンデレーエフ)
  ・第一次世界大戦(カール・グスタフ・ユング)

ルビコン川

 ユリウス・カエサル(前102?-前44)がガリア戦争からローマへ戻る途中の、紀元前49年1月9日の朝に見た夢です。


 母アウレリアと交わる夢を見た。カエサルは母に乗っていた。


 この夢を見た時、カエサルは夢占い師を同行させていました。その夢占い師の「母は大地。これは大地を征服する夢です」という助言を受けて、この翌日、ルビコン川を渡って元老院派と戦うことになります。
 この結果は夢占い師の解釈した通り、ローマ帝国の征服に成功します。
 もしもこの時の夢が女性上位で交わる夢であったら、カエサルは大地の下、つまり戦いに負けて死ぬことを暗示していたのかもしれません。

 ところで、気になることが一つ。この夢を見た時、カエサルは49歳〜52歳の間であったそうです。
 夢の中に出てきた母アウレリアは、いったい何歳の姿であらわれたのでしょうね?

平家滅亡

 平重盛(1138-1179)が見たと伝えられる夢です。


 見知らぬ浜辺にいる。そこを歩いていくと春日大明神の鳥居があった。
 鳥居の先で群衆が集まっている。何事かと思って見ると、平清盛の首が高く掲げられていた。
 驚いて近くにいた法師に尋ねると、彼から「清盛は悪事が過ぎたので、春日大明神に首を打ち取られた」と答えた。


 重盛がこの夢を見た時、外はまだ夜でした。しかし夜明け前に臣下の瀬尾兼康(1123-1183)が訪ねてきて、不思議な夢を見たと報告してきます。それは重盛が見た夢と同じものでした。
 なお、この夢は平家物語第3巻「無文(むもん)」に書かれているもので、夢そのものが創作の可能性があります。
 仮に夢が事実であったとしても夢を見た時は平家の絶頂期で、とても終わりが来るとは思えないほど栄華を誇っていました。平家物語にあるように重盛が不吉な夢を見ただけで平家の終わりを予感して涙するとか、兼康が夜のうちに見た夢のことを報告しに来るとは思えません。
 まあ、何かの宴のついでに夢の話が出て、同じ夢を見たという話題になった可能性はありそうですけど……。

悪魔のトリル

 ヴァイオリニストで作曲家のジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)が、1740年代のある日に見た夢です。


 悪魔がヴァイオリンを弾いている。その曲は驚くほど美しいトリルを奏でていた。


 この夢を見たタルティーニは、目覚めるとすぐに夢で聞いた曲を楽譜に書き留めました。
 それが無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」です。ちなみにトリルとは2つの音(正しくは楽譜に示された音と2度上の音)を繰り返し素早く鳴らすトレモロのことです。
 なお、タルティーニは夢で聞いた旋律を完全に再現できなかったのか、この曲の出来には満足できなかったそうです。

ミシン(自動縫製機)

 発明家アイザック・メリット・シンガー(1811-1875)が、1850年頃に見た夢です。


 蛮族に捕まって、柱に縛りつけられた。
 そこへ槍を持った戦士たちがやって来て、取り囲んでくる。自分を処刑するためだ。
 その戦士たちの持つ槍には、丸い穴が空いていた。


 この夢を見て、シンガーはミシンを発明しました。
 正確にはミシンは、最初に1810年頃にドイツで発明され、すでに特許も切れていました。
 その特許が切れた1830年代にフランスで再発明され、また特許を取られています。ちなみに同じ頃、アメリカでも現在のミシンと同じ構造のものが独立して発明されています。
 しかし、そのいずれもが失職を恐れた仕立て屋たちの激しい抵抗にあって、ほとんど生産されなかったそうです。
 シンガーは再々々発明ということになりますが、このシンガーの発明したミシンの構造が、そのまま現在に引き継がれています。

ベンゼン環

 化学者アウグスト・ケクレ(1829-1896)が、ロンドンに滞在中だった1854年に乗り合い馬車での移動中に見たという有名な夢です。


 夢の中に蛇が出てきて、自分のシッポをくわえて回転を始めた。
 そこへ球が飛んできて跳ねまわり始めた。最初は大きい球に小さい球が1つずつくっつく。
 やがて大きな球は小さい球を複数くっつけ、もっとも多い球は4つになった。
 それが回転する蛇と一緒に回り出し、つながって鎖を作っていく。
 すると蛇は運動をやめて消えた。


 ケクレがベンゼン環(亀の甲羅型)の構造を着想した時の有名な夢エピソードです。
 大きい球は炭素原子、小さい球は水素などの原子を意味しているのでしょう。
 この夢を見た時、ケクレは化学講師としてロンドンに滞在していました。遅くまで仕事をして、最終の乗り合い馬車で逗留先へ戻る途中だったそうです。

元素周期律表

 ドミトリ・メンデレーエフ(1834-1907)も夢で大きな科学的発見をしています。
 1869年2月17日(ユリウス暦、グレゴリオ暦では3月1日)の朝、連日の研究に疲れて、つい寝落ちした時に見た夢です。


 何かの表が浮かんでいる。見たことのない不思議な表だ。
 その映像がだんだんハッキリしてくる。そこには元素の記号が並んでいた。


 目覚めたメンデレーエフは、すぐさま夢で見た表を紙に書き写しました。これが元素周期律表の発見です。
 この夢のエピソードがケクレのベンゼン環の夢ほど有名ではないのは、夢らしい何かの暗示ではなく、初めから完成した形で周期律表が示されていたからかもしません。
 日頃から模索していたことが夢の中で完成したという意味で、タルティーニの夢に相通じるものがあります。

第一次世界大戦

 カール・グスタフ・ユング(1875-1961)が夢を本格的に研究するきっかけになった夢の一つです。
 ユングはこの夢を1913年の秋ごろから見始め、翌年の4月、5月、6月にはまったく同じ夢を見たそうです。


 おそるべき洪水が襲ってきた。あたりは血の海となって無数の溺死体が浮かび、文明は残骸へと変わっていく。


 初め、ユングは自分が精神病になったと思ったそうです。そのあと革命の予知夢ではないかと考えたそうです。
 それとユングは洪水と書き残してますが、たぶん津波のことだと思われます。この頃の西洋社会には、津波に相当する概念がありませんので。
 で、最後にこの夢を見た年の8月、第一次世界大戦が勃発します。