実力、才能、素質…って、何?

 

最近の発言

[0] 発言者:清水文化  投稿日:2004.5.27(木) 18:00:00
作家をしていると、イヤでも『実力』『才能』『素質』という言葉を耳にします。
ところで、この3つの単語の真意は、いったいどんな物なのでしょうね?
 
私は《他人が評価》する、その人の『個性』だと思います。その中でも『実力』は『個性の総合力』かな。
 
 
よく「自分には実力も才能もある」と自信過剰に言い張る人がいますけど、その人の言う「実力」や「才能」は、いったい何を差しているのでしょうね。言いたいことの意味はわかりますけど……。

[1] 発言者:ファリオン  投稿日:2004.5.30(日) 15:17:31
 実力、才能、素質これらはやってみないとあるかどうかわからない代物だと思います。ただスポーツの場合、これらの物は非常にはっきりと目に見えてくる物です。まあ、運という物もかなり関わってきますけど…。
 よく他人がやっていることを見て、実力や才能うんぬんを言う人がいますが、そういう人たちに限って口先だけが多いんですよねぇ〜。人が何かを始めようと思って、始めたことこそが称賛に値するし、それを他人がどうこういうことが何かおかしいんじゃないかな?
 
 実力って言うのは物事をやっていく上での必要な力を指した物であり、才能はその力をどれだけ生かせるかを言っているのではないかと思います。すなわちこの2つとも練習など精進しだいでのばしていける物だと思います。しかし、どれだけやっても突破できない壁が生まれたとき、このとき初めて素質というのがでてくるのではないでしょうか?
 
なにか本題の主旨に合ってないような気もしますが、私の正直な思いです。

[2] 発言者:杏朱  投稿日:2004.5.30(日) 23:01:47
<素質>は『可能性』の高さ。
<才能>は『習得率』の大きさ。
<実力>は平均的『成績』ですかにゃ?
 
牛乳1リットル飲んで増加する《背の高さ》が<才能> ⇒ 背が伸びる<才能>がある。
仮にその人が「毎日牛乳を飲み続けたなら」、背が185cmまで延びるとすれば、それが<素質> ⇒ 背が185cmになる<素質>を持っている。
そして現在の背の高さが<実力> ⇒ 175cmの<実力>だ。
 
「自分には実力も才能もある」 ⇒ 自分の背は175cmで牛乳を飲むとさらに背が高くなる。
 
問題なのは、自分の『背の丈』は 自分ではわからないと云う事ですね(苦笑)
他人が計ってくれて はじめて正確な値を知る事ができるし、そばできちんと記録をとってくれる人がいる事で、増加の幅を知る事が出来る。
自分の判断では多分に誤差を含んだ値になるのでしょうね。

[3] 発言者:忍者  投稿日:2004.6.3(木) 00:06:41
 才能……どれだけ体力的、気力的に続ける事が出来るか。これをXとする。
 素質……んなものよっぽど突出した特殊な特技でない限り、皆同じ。これをYとする。
以上より、
 実力=X×Y
という式が導き出せると思います。但し、これは性格によって作用されます。あしからず。
 そもそも、勉強すれば、やった分だけそれは結果が出ますよね。それが出ないのは、その人の性格的なものであったり(あがり性とか)、たまたま風邪を引いたとかですよね。はっきり言って体調管理ごときで、病気がどうこうなるとは私は思いません。風邪引く時は引きます。
 話がずれましたが、実力がなぜ掛けるかというと、一つの事が分かる、又は、覚えると共に、それまでに分からなかったことや気付かなかった事が、芋づる式に色々見えてくるからです。
 以上が、私の個人的な考えです。

[4] 発言者:数歴  投稿日:2004.6.3(木) 21:10:14
実力:己の努力による物。自分次第でいくらでも伸ばせる物。
素質:才能に目覚める可能性。
才能:一部の人が持つ突出した特別な技能。でも才能があっても、結果は普通に努力してきた人と似た通ったかだと思います。現に物事の新発見とかをする人は、結構普通な人で、下手をすると昔は勉強がまったくできなかったと言う人もいます。
 それに、中学受験の時に通っていた塾の先生曰く「普通並みのお記憶力があればいい」とよく言っていました。
 だから、才能があろうと無かろうと、結局は努力が物を言うんだと思います。

[5] 発言者:  投稿日:2004.6.5(土) 02:18:48
実力:結果
才能:必要時間の長短
素質:初期値

[6] 発言者:武山  投稿日:2004.6.9(水) 12:31:50
実力・才能・素質・・・・・
実力とはその人が出せる力で、努力によって生み出されるものだと思います
才能とは努力の中に見つけた可能性、それを伸ばすのにも努力が必要
素質とは、その人がやることによって才能や実力をつけることの出来る可能性
とにかく、どんなことでも『努力』をおこたれば、才能も実力も素質も無意味になってしまう、ミリィやユメミは努力をして『希代の風使い』や薬学博士になれたのです。
歴史上の人物は誰もが努力をして天下を取りました、我々も努力をすれば大体のことは出来るものです。
『努力とは 蛍がごとき 儚さか』
今は努力をする人がいない・・・・・

[7] 発言者:魔闇  投稿日:2004.6.10(木) 23:05:35
本日、つらつら考えていた時に思いついた答えです。
 
素質:初期パラメーター&各パラメーターの上がり易さ
才能:後天的に習得不可能なタレント
実力:現パラメーター&現所有タレント&スキル
 
すみません。ゲームのやり過ぎで、頭悪いです。

[8] 発言者:湖西故  投稿日:2004.6.24(木) 17:33:52
書き込みは久しぶりですが・・・
 
才能がある = ある分野について、習熟効率、応用力のどちらか、または両方が高いこと。
素質がある = ある分野について、有利な身体的・精神的特徴を有していること。
実力がある = ある分野について、ある事柄を達成した実績があること。
        もしくはある事柄を達成するだけの能力があると他人が評価すること。
        (自分の評価は実力とは見なさないと考えています)
 
と、認識してますね。
陸上の長距離走を例にあげると、以下のようになります。
 
才能がある = 正しいフォームを身に付けるのが早い。
        身に付けたフォームを自分に最適な形に調整することが出来る。
        走る距離に対して適切なペース配分を割り出すことが出来る
素質がある = 持久力に優れた赤色筋肉が多い。
        走るのが、ただそれだけで楽しい。
実力がある = 〜大会で10kmを16分で走った記録がある。
        (10kmを16分で走れる実力がある)
        練習で10kmを15分30秒で走れたことがある。
        (大会でも16分くらいで走れる実力があると判断される)
 
まあ、才能・素質については、やり方次第である程度何とかなりますから、
結局は本人次第だと思いますけどね。
(陸上なら才能ある人の倍練習して、倍フォームの研究すればいいし、
 白色筋肉が多いなら短距離に転向するか、スタートダッシュ、ラストスパートに
 力を入れるタイプのランナーを目指せばいい)

[9] 発言者:TAKE  投稿日:2004.6.27(日) 14:56:36
実力、才能、素質をそれぞれ定義することって難しいことだと思うので
相対的に見て僕が思うのは
  
 実力、才能、素質なんて見る人によって変わると思うし、人が本当に努力すれば実力なんてすぐにとはいかないにしろ、必ずあがるとおもう。
 才能や素質なんて努力しなっかった先人の成功を修めたものたちに対しての皮肉みたいなものでしょう。
 数々の発明をし、天才と呼ばれた(?)アインシュタインは次のことをいいっています。
「わたしはいたことはだれかもおもいついていることある。
 しかし、そのものたちと私との違いは、それを行動にしたかどうかである。」と。

[10] 発言者:華流  投稿日:2004.6.29(火) 23:56:31
随分お久しぶりです。
 
<素質> その人が、これまで生きてきた(育ってきた)環境で生じた可能性。その分野との相性の良さ。
<才能> ある分野に対しての吸収力と応用力の高さ。及び、その分野の物事を使用するに当たっての感覚の良さ。
<実力> その人が、これまで積み重ねてきた実績。あるいは、その実績から判断される、現在所有する力の大きさ。
 
この中で実力は、努力によってある程度の遥か高みまで到達する事ができる。しかし、それ以上は、才能や素質が必要。
素質は、これまでにどのようなものに出会ってきた(触れ合ってきた)か、成長してきた(暮してきた)環境でどのような考え方をしてきたか、で決まる。
 
と、このように私は考えました。

[11] 発言者:nobody  投稿日:2004.8.1(日) 14:55:42
実力≒実績
 実績 又は 実績に基づいて期待される成果
 ・自己評価と他人の評価が異なるのは不幸です。
 
才能,素質
 無意味な格付け
 「同じ成果を得るために必要な労力の逆数」という定義を考えましたが....
 よく言われる「才能のある人」「素質のある人」って、労力の投入量が並みじゃない。
 
 傍から見て労力の投入量が少ない(少なく見える)人に対して「才能・素質」があると言っているのではないでしょうか?

[12] 発言者:上條 透夜  投稿日:2004.8.30(月) 20:32:58
軽く出遅れてますが・・・
個人的な意見ですと、
 
素質:産まれた時から持っている可能性。親や先祖から受け継ぐと思われていて、それが周囲の勝手な期待となり本人の枷となる事もある。
 
才能:その人の性格や身体的機能など産まれた後に発現する可能性。突然現れて一代で消えうるもの。
 
実力:その人の才能、素質も関係あるが本人の努力や嗜好によって周囲とは関係無しにつくもの。
 
といった感じです。
しかし、才能や素質があっても努力なしでは実力とはなりえないのです。
実力に嗜好と入れたのは、まさに好きこそものの上手なれ(り?)の言葉の通りです。好きなものにうちこめばその分野ではかなりの実力を持つことができると思います。
自分の好きなことを仕事にできれば最高ですよね?しかしそれは概ねとても大変なことだと思います。
 
偉そうなこと言っておきながら自分のやりたいことを見つけていない夏も終わりの夜・・・。