必要な知識、無駄な知識

 

最近の発言

[0] 発言者:清水文化  投稿日:2004.5.27(木) 18:00:00
私の作品は、無駄な知識のオンパレードと言われますが、はたして世の中に無駄な知識はあるのでしょうか?
 
そこでお題です。
必要な知識、無駄な知識とは何でしょう。そう言うものは『ある』のでしょうか。そして、『ある』とすれば、その間の境界線は、どこにあるのでしょう?
 
ハウツー物の知識は時間とともに陳腐化するもの。社会のマニュアル化は、マニュアルに従う人から臨機応変さや考える力を奪い、マニュアルの陳腐化とともにトラブルを引き寄せる元凶となります。
だけど目先の損得だけで、こういうハウツー知識ばかりを求める人は多いんですよね。

[1] 発言者:春鬼  投稿日:2004.5.28(金) 15:27:26
知識というのは難しいですね。
私が思うのは、
 
「無駄な知識」はこの世に無い。ただその「知識」を扱える「知恵」が無いだけだ。
 
どこかで聞いたことのある言葉です。
一時しか役に立たないと思いそうな知識でも、それを蓄える事で人は知恵を付けていくと思います。
知識はやがて知恵になり、その知恵が新たな知識の探求心へと繋がるのでは無いでしょうか?

[2] 発言者:上條 透夜  投稿日:2004.5.28(金) 18:06:52
難しい題目ですね・・・。
 
知識は所詮道具で、必要か無駄かはその人が決めているのだと思います。
二人の人が同じ知識を持っていたとして、
一人はその知識で危険なものを作り、もう一人はその危険なものを封じるものを作ったとします。
この場合は同じ知識が極論すると悪と正義になります。
他にも一人は無駄だと知識を使わずに放置し、もう一人はその知識を使って何かを見つけるかもしれません。
ナンカ脱線してますが・・・
とにかく、万人にとって無駄な知識というものは無くまた万人にとって必要な知識も無いと思います。
 
必要な知識と無駄な知識の境界は、その分野へのその人の興味と重要度・・・かな?
 
知識は全てそのときに必要とされて生まれてきたのもまた事実ですが・・・。
 
長々と失礼しました。

[3] 発言者:ミラフォーン  投稿日:2004.5.28(金) 18:39:23
極論すれば、使う機会の有無によるかと思います。
なのではっきりとした線引きは不可能に近い気がします(なんか矛盾した文章が・・・)。
後は、それが経験や知恵につながるか、だと思います。
後は知識を得る事で自己満足に浸るとか。

[4] 発言者:清水文化  投稿日:2004.5.28(金) 19:03:33
>>2 上條透夜さん
>万人にとって無駄な知識というものは無くまた万人にとって必要な知識も無いと思います。
万人にとっての無駄な知識がないことには同意ですが、必要な知識はどうでしょう?
道徳の知識が必要ない人はいるのでしょうか?
極論すれば戦場での道徳は無意味でしょうが、戦場から1歩出たら……。
 
>>1 春鬼さん
「世の中から無駄な知識がなくなった時、あなたの頭の中は真っ白に……」(笑)

[5] 発言者:ファリオン  投稿日:2004.5.30(日) 15:03:16
 何を持って無駄というのかが難しいテーマであると思います。しかし、知識に関していえば無駄はないんじゃないかなと考えています。なぜなら、どこかでその知識が役立つこともあるからです。役立たないから無駄は無いと思います。私は知識はその人の思考力や想像力などの「脳力」を高めるための道具であり、その道具をいかにうまく使いこなしていくかが知恵ではないかと考えています。知識が豊かになればその人の人生をも豊かにしてくれるのではないでしょうか?(昔元NHKアナウンサーの鈴木健一氏が番組で言っていた) 私はこのことをよく考え、人に伝えていきたいと思っています。(何せ職業が人に物を教えることですから)

[6] 発言者:魔闇  投稿日:2004.6.1(火) 22:30:42
無駄な知識に関してですが、知識って自分の今までに覚えた事(経験した事、学んだ事)だと思います。
それでは、今までにの人生で集まった知識が無駄だったのかと言うと、決してそうとは限らないと思います。
 
気を張って、その知識を活かそうと生きていなくても、なんとなく読んだ本の理解を早めたり、
暇つぶしにやったゲームの解き方が判ったり、と割と気が付かないうちに活用されて、精神的負担の軽減になったりします。
 
ですから、知識を必要とする事や、知識が邪魔になることはあっても、無駄になることはないと思います。
(支離滅裂かもしれない)

[7] 発言者:ブラケット  投稿日:2004.6.2(水) 14:40:01
もし真に世の中に必要のない知識があったなら、それはそもそも知識として成立しない。
なぜなら、「知識」とは、「それを使って、問題を片付ける」ことができるものだから。
そういう意味では、アインシュタインの「相対性理論」にも、三流ゲームの攻略法にも、
同じ考え方ができると思う。
 
あるひとが「無駄だ」といっても、それは「誰か」の好奇心と探求によって生まれたものだから、存在価値がないとは思えない。
存在価値がないなら、「誰か」はわざわざそれを探したりしない。
 
その知識を「知りたい」と思う人が1人でもいたなら、それらすべてに平等に存在価値が与えられると思います。
(意味不明な文面ですみません)

[8] 発言者:忍者  投稿日:2004.6.3(木) 00:00:23
 時と場合によると思います。
 極端な例ですが、例えば明日出さなければならない、切羽詰った古文の宿題があったとしましょう。そんな時に『台風は、コリオリの力によって左巻きなんだよ〜』とかいう知識があったとします。確かに古文に台風は出てくるかもしれません。が、だからといって、その宿題が“係り結びの問題”であったなら、どうやってその知識を使えというのでしょうか?。それにはきっと、“ノストラダムスの預言”のような解釈が必要なことでしょう。その時点でその知識は、“無駄”になりますよね。
 でも一方で、それまで無駄だった知識が役に立ったということも事実です。エジソンは、溶岩が輝く様に、物質を熱すれば光を発することから、電球を発明したわけです。ただ単に、溶岩は高温で輝いているのは大多数の人が知っていますよね。でもそれを電球に応用しなければ、それは単なる無駄な知識でとどまっていたはずです。
 結局の所、その知識の必要であるかどうかは、その状況と、どれだけ関連させて物事を見る事が出来るかにかかっていると、私は思いました。

[9] 発言者:数歴  投稿日:2004.6.3(木) 21:19:17
無駄か、無駄でないかなんて、その人その人で価値観が違うので、線引きなんて出来ませんし、知識という物はいつ役に立つ物か分かりませんからね。どんな事でも、知って損はないと思います。それに、どんな事でも知っていると面白いじゃないですか。その時点で既にその知識は有益だとも言えます。
 
そんなわけで、知識には無駄がありません!
まあ、必要も無駄(=不必要)も表裏一体なんだと思います。時と場合でどちらにも転がると思います。

[10] 発言者:このみのお味  投稿日:2004.6.6(日) 01:13:05
人類の持つ知識に無駄な物は無いと思います。
きっと、誰かにとっては必要な知識でしょうから。
個人においても、まるで無駄な知識などそもそも成立しないのではないでしょうか。
人の脳は以外と優秀で、使わない記憶はどんどん消していきます。
自分では無駄と思っている知識も、脳の中では何かの記憶と連結されて、柔軟な思考の元になります。
また、将来忘れてしまう物でも、脳の成長や維持には新しい知識は効果的です。
学校の勉強もこういう側面が強いんじゃないかと思っています。
 
知識を求めるのが好きな人は、スポーツが好きな人と似てるんじゃないでしょうか?
体と脳の違いはありますが…。

[11] 発言者:  投稿日:2004.6.6(日) 01:20:07
無駄な知識とは、
その知識を持つ人が無駄だと思っている知識
ただし本人限定で無駄
そのうち無駄ではなくなることもアリ
 
無駄な知識は一般化できませんが、
必要な知識は一般化できるものもあるでしょう。多分。

[12] 発言者:侯爵Z  投稿日:2004.6.7(月) 22:51:33
実は今、行書をめざしているんですが
やっかいなのは、民法で法改正の部分です
今までの知識が返って邪魔になる場合があります
もちろん合格し、資格の仕事をしたら
案外いるかもしれませんが

[13] 発言者:清水文化  投稿日:2004.6.7(月) 23:23:32
>>6 魔闇さん
知識が邪魔になることがありますね。
日本人が英語を覚えられない理由の中に、カタカナ言葉の氾濫があります。その意味と英語の意味が異なるため、学習の妨げになるんですね。
同じように、中国語や韓国語も同じ漢字文化であることが助けになって中級までの習得は早いそうですが、そこから先はむしろ日本で使っている言葉の知識が邪魔になって、欧米人に負けるそうですね。
 
>>12 侯爵Zさん
法律も市民感覚と少しズレている部分があるために、意外と知識が学習の邪魔になりますね。
数学と物理学にも似た面があります。高校までの受験数学、受験物理の知識が邪魔になって、大学1年生の時には多くの大学で赤点が続出するそうですね。
 
ただ、それらは学習の邪魔になる『先入観』であって、けして無駄な知識ではないのですが……。
 
>>9 数歴さん >>11 松さん
無駄な知識は、まさに各自の価値観ですね。ただ、その価値観を他人に押し付けたり、その価値観で人の功績を批判したりして欲しくないだけで……。

[14] 発言者:siki  投稿日:2004.6.17(木) 21:53:27
私は世の中に必要な知識と、無駄な知識というものは存在しないと思います。
ただし、個人単位では存在するでしょう。
 
例えば、今の私にとって微分・積分は試験での頭痛の種になっただけで、必要な知識ではありません。
しかし、世の中ではそれがなければ、現在の便利な機械・乗り物は存在していないでしょう。
そもそも知識とは、「何かが存在しているからこそ、存在するもの」だと私は思います。
つまり、世の中に無駄な知識があるとすれば、「何かの存在を否定すること」ではないでしょうか。
 
最後に、私は頭痛の種にならない無駄な知識は大好きです。
だって、面白いから(笑)

[15] 発言者:エリアル  投稿日:2004.6.20(日) 20:33:16
世の中で必要な知識を挙げるなら、俺は「道徳」もしくは「一般常識」を挙げるでしょう。
例えば、お世話になってる人に挨拶をするのは常識といえるでしょうし、電車でお年寄りに席を譲るのは道徳ですよね。
つまり、人間として生きてゆくうえでの最低限の知識が必要といえると思います。
まあトリガーハッピーな方々や、余りにも道から外れている人には大して関係ないと思いますが…
 
対して、無駄な知識はこの世にはありえないのではと思います。
確かに社会で生きていく上で無駄な知識はありますが、それを不要と見るか必要と見るかは本人や職業次第です。
それに今はムダ知識を楽しいことに使う番組も出てきましたし(タモ爆
 
素人ですから変なところもあるでしょうが、俺の意見はこんなところです。

[16] 発言者:双眞  投稿日:2004.6.27(日) 13:36:28
私の意見としては無駄な知識などほとんどないと思います。
普段使わない知識でも一度その知識で得をした、もしくはいい気分になれたらそれは自分にとって必要なものだったと思っていいと思います。
清水さんの小説に出てくる知識はもっているだけで得した気分になります。少なくとも私はそう思います。
 
しかし、必要のない知識も皆無とは言い切れないと思います。常識と言われるものの中にも、例をあげれば偏見など不必要な知識があります。
これらの知識は闇に葬ってやりたいです。
 
私の意見としては小説などは比較的偏見の少ない書物だと思うので無駄な知識はないと思います。
清水さんにはこれからも無駄と言われる無駄ではない知識を含んだ小説書いて欲しいです。
 
子供っぽい意見ですがこれが私の意見になります。

[17] 発言者:フィン  投稿日:2004.7.3(土) 12:38:06
別の角度から考えて見ましょうか。
 
仮定として、「知識」を蓄える場所に(脳でしょうかね、やっぱり)一応限界がある、とします(容量の問題)。
まぁ、脳の機能の何割が完全に解明されているか、といった話は置いておいて(私も専門家じゃないし)。
そしてヒトに限らず動物は(多かれ少なかれ)学習する能力があります。
それは何のためにあるかといったら、他の体の機能と同じく「生存する(していく)ため」が第一でしょう(ヒトの場合は少し違うか)。
よって、「生存する(していく)ため」の知識が「必要な知識」であり、
そうでない、もしくはそうでなくなった知識を、容量を圧迫する「不必要(無駄)な知識」と言えるのではないでしょうか。
 
……言いたいことが伝わったでしょうか。
私としてはこういった見る角度によって人の考え方が変わってくる話題は、他の人の意見を見ている方が好きなのですが、
ちょっと卑怯かな、と思って書き込んでみました。
上記の話からも、別の角度で見るとまた違った見方、結論が出てきそうで面白いですよね。
ヒトの知識の検索の仕方、とか。

[18] 発言者:湖西故  投稿日:2004.7.7(水) 18:26:21
私の考えとしては、必要な知識、無駄な知識と二分化するためには、
「何を行うか」、
という目的が必要だと思います。必要・無駄という表現は単独では成立しないと考えているからです。
 
・・・とまあ、大学の頃にテストでこんなお題がでたら、上記のような理屈を捏ねて、用紙を埋めたでしょうね(笑)
 
知識というものを、一概に必要・不必要(無駄)、有益・無益に分けるのは難しいと感じます。
ただ、あえて分けるということで、「人が生きる」ことを目的として考えてみようかと思います。
 
・肉体的側面
フィンさんが前述しているように
「「生存する(していく)ため」の知識が「必要な知識」」
という認識でほぼ同じです。
この分類ですと、当然「無駄な知識」は存在します。
 
・精神的・社会的側面
こちらに「無駄な知識」は無いと考えています。
もちろん、役に立たない知識と言うものは存在しますが、
知識を得ることによって、
視野の広がりや、柔軟な思考の材料が増えることを考えると、
それだけで「無駄」の定義から外れると思うからです。
 
例えば前述されている「偏見」という、一見不必要な知識・常識であっても、
それに気づくことにより「なぜそのような偏見を持つに至ったか」という考えの材料になるため、
その人の精神的な成長の肥しになるのではないかと思います。
(プラクティカ2巻のユメミが修行場を破門になった話などは、その手のネタかと。)

[19] 発言者:葉加瀬 柚伽  投稿日:2004.7.22(木) 02:09:34
TPOによって、必要なものとそうでないものはハッキリ分かれますよね。
だから、TPOを設定しない限り、無駄かどうかの判断はできないと思います。
 
ただ、会話やその他の表現に際し、分類されていたほうがやりやすい。
だから、日常起こりうるTPOにおいて必要の無い知識を、
俗称として無駄知識というのではないでしょうか。
 
ちなみに、無駄知識とはいえ、それを吸収しないのはいただけないと思います。
頭の片隅にアイロンを掛けてパッキングして積んでおけばいいと思います。
人間の脳は便利です。覚える必要のあることがたくさん出てきたら、
無駄と思ってるものが消えますから。
 
以上、一高校生の意見でした。

[20] 発言者:nap  投稿日:2004.8.1(日) 00:33:58
無駄な知識は無いと思います。
ただ知りたい!という欲求は意味がないのでしょうか。
私はそうは思いません。
この世は知らない事だらけで、それを理解する知るからこそ楽しい。
その経験のひとつひとつが知識として蓄積されます。
必ずしも実用性のある知識ばかりとは限りませんが、
知識は情報である以上、伝達する事が出来ます。
最初の知識の経験者が不要の知識であっても、
次の知識の共有者は必要かも知れません。
だから書物や伝承が残っているのだと思います。

[21] 発言者:nobody  投稿日:2004.8.4(水) 02:46:45
無駄な知識とは:「体系化されていないデータの塊」。
 
 どの様なデータであっても、一定の思想で整理しない限り、その価値は低いです。
 
百科事典と、理工系の専門書に同一の文章が記載されているケースを考えてみましょう。
 百科事典の文章を暗記した場合、利用価値の低い「無駄な知識」となるでしょう。
 専門書の文章を暗記した場合、「必要な知識」となるでしょう。
 これは、専門書の配列ルール(思想/思考手順)が百科事典の思想より高度なためです。
(前後関係を無視して丸暗記したら意味ないです...)
 
必要な知識とは:「体系化されたデータの、要となるデータ」。
 体系化の規則(思考手順)が身についていれば(理解していれば)要以外は忘れても構わない(たいていの場合「要」から演繹することができるため)
 
蛇足:
 演算結果を記憶しておくことが無意味だと言っている訳ではありません。
 知識が多ければ、労力の節約になる可能性が大きいです。(九九の暗記ってそれなりに有用でしょう?)
 
>>無駄な知識のオンパレード
 無粋なコメントをつける人ですね...
 小説とか文学とか芸術とかから無駄を除去したとき、そこに何が残るのでしょうか?