最終更新日 2012年12月21日
歴代大統領/主要政治家と日本の歴史
注:この設定は、あくまで仮のものです。
初代大統領(大将軍) 織田信長 (1589〜1594)
大統領制始まる。ただし、この当時の呼び方は大将軍制。
第2代大統領(大将軍) 豊臣秀吉 (1595〜1598)
任期途中で病没。
第3代大統領(大将軍) 織田信長 (1598〜1600/2期目)
豊臣秀吉の病死に伴い、前任の織田信長が大将軍の任に戻る。
この時の代行順位は前任者、前々任者、……、副大将軍の順。
第4代大統領(大将軍) 徳川家康 (1601〜1612/2期)
太陽暦(グレゴリオ暦)の採用などを行ない、国際貿易の基盤を整える。
首都安土に近い尾張の治水事業などを行ない、首都への人口集中を避ける策を講じる。
第5代大統領(大将軍) 伊達政宗 (1613〜1618)
法度(憲法)の整備などが行なわれ、この治世で日本は完全な法治国家となる。
第6代大統領(大将軍) 本多正純 (1619〜1624)
役人の腐敗がひどくなり、それに加担したとして非難を受ける。
第7代大統領(大将軍) 徳川秀忠 (1625〜1630)
初の親子就任。
腐敗の始まった官僚体制を立て直すため、多くの役職を入れ替える。以降、大統領交替に伴って役人も入れ替える習慣が生まれる。
第8代大統領(大将軍) 稲葉正勝 (1631〜1634)
任期途中、大将軍の激務による過労で病死。
第9代大統領(大将軍) 伊達政宗 (1634〜1636/2期目)
稲葉正勝の死亡により、前任をたどって2期目の就任。しかし任期をまっとうできずに病没。
第10代大統領(大将軍) 内藤忠重 (1636)
前任者不在のため副大将軍からの繰り上がり。わずか半年の任期ながら教育制度の整備に尽力する。
第11代大統領(大将軍) 大河内信綱 (1637〜1642)
島原の乱に悩まされる。
第12代大統領(大将軍) 堀田正盛 (1643〜1654/2期)
キリシタン問題が大きくなり、貿易の取り締まりが厳しくなる。
キリシタン3万人が弾圧を逃れ、加州(カリフォルニア/北米西海岸)へ移住する。
第13代大統領(大将軍) 保科正之 (1655〜1660)
各地の上水道や公共衛生を整備する。
第14代大統領(大将軍) 水戸光圀 (1661〜1666)
解任後、日本史の編纂を始める。
第15代大統領(大将軍) 酒井忠清 (1667〜1672)
切腹、殉死禁止令を出すが、あまり意味はなかった。
第16代大統領(大将軍) 池田光政 (1673〜1678)
就任の前年、息子に藩主を譲って大将軍選に出る。寺請け制度、寺子屋制度などを充実させる。
第17代大統領(大将軍) 戸田忠昌 (1679〜1684)
北米へ移住したキリシタンたちとの交易を公式に認める。加州は独立自治州として扱われる。
この頃までにオーストラリア、アボリジニとの間で交易が始まり、オーストラリア北岸に日本人街が作られる。
第18代大統領(大将軍) 大久保忠朝 (1685〜1698/2期)
中国で産業革命が始まったため、大勢の技術者を国費留学生として送る。
任期後半、北米大陸で英仏戦争が起こり、邦人保護のために守備軍を常駐させる。
第19代大統領(大将軍) 小笠原長重 (1699〜1702)
中国から蒸気機関を学ばせるが、各地が足を引っ張り合う影響で国内での産業革命が起きないことに悩まされる。
第20代大統領(大将軍) 新井白石 (1703〜1708)
先に産業革命の始まった中国からの越境汚染に悩まされる。任期中、いよいよ日本でも蒸気機関による工業化が始まる。
第21代大統領(大頭領) 徳川家宣 (1709〜1712)
1711年、正徳の改革〜大規模な政治改革。
大将軍制は大頭領制へ変わり、大頭領が任期中に亡くなった場合は前任者ではなく副大頭領が就任するように見直される。
行政も奉行制から省庁制へと移行し、公式文書も漢文からすべて和文表記へ切り替えられる。
第22代大統領(大頭領) 新井白石 (1712〜1714/2期目)
正徳の改革は前年に行なわれたが、公布から施行までの半年の間に徳川家宣が亡くなったため、前任の新井白石が大統領職に就いた。
以降は任期中に大統領が亡くなった場合は、副大統領が就任するようになる。
第23代大統領(大頭領) 松平吉宗 (1715〜1744/5期)
大統領(大頭領)制初の長期政権。前半は産業革命による空前の好景気に支えられ、高い支持率を維持する。
産業革命に触発されて農業改革にも着手するが、失敗して大頭領選最中の1732年に享保の大飢饉を招く。
これを米相場を釣り上げる商人を糾弾して当選した。
後半は米政策の失敗と商人糾弾の反動で、一転して商人優遇政策を取る。おかげで都市経済は発展したが、農村部は住みづらくなった。
第24代大統領(大頭領) 徳川宗春 (1745〜1750)
商人優遇政策を採り、多くの農民が日本を捨てて中国や新大陸へ渡る原因を作った。
第25代大統領(大頭領) 西尾忠尚 (1751〜1756)
農業政策のやり直しを行ない、生産高の立て直しに尽力する。
第26代大統領(大頭領) 松平武元 (1757〜1768)
英仏の北米戦争が激化し、邦人保護のために守備隊を増援。北米戦争に日本も巻き込まれ、遠征による軍事支出により財政が悪化する。
第27代大統領(大頭領) 田沼意次 (1769〜1786/3期)
軍事支出で悪化した財政を立て直すため、重商政策を行なう。
1期目の1770年に日英オーストラリア戦争が勃発。更に1773年には天明の大飢饉が起こり、財政が大きく悪化することになる。
しかし重商主義を強めて財政を立て直した功績から3期連続して大頭領に就任する。
2期目には中国で開発された鉄道を走らせるための錬鉄の量産に成功。公共事業として鉄道敷設を始める。
が、3期目には鉄道敷設を急ぎすぎたために財政を悪化させ、同時に重商主義の弊害を起こしてしまう。
第28代大統領(大頭領) 久松定信 (1787〜1792)
わずか27歳と11か月で大統領になった、最少年齢記録。
重商主義を改める寛政の改革を行なう。あまりにも経済の自由を奪いすぎたために反感を買い、2期目を狙った大統領選では予備選で早々に敗退した。
第29代大統領(大頭領) 戸田氏教 (1793〜1804)
アメリカの西部侵略とロシアの南下政策に悩まされる。
1800年、西部征服を公約に掲げて当選したジェファーソン大統領と協議するが、物別れに終わる。
第30代大統領(大頭領) 牧野忠精 (1805〜1816/2期)
日米戦争を指揮。北米先住民国家支援のため、ロッキー山脈越えの鉄道路線建設を中国資本との合弁で実現する。
戦時中、武士のみでは兵力が足りないと考えて徴兵制を導入しようとするが、それに奮起した武士たちの働きで戦争に勝ってしまった。
第31代大統領(大頭領) 土井利厚 (1817〜1822)
大繁栄時代の前半を統治。任期を4か月残したところで病没する。
第32代大統領(大頭領) 青山忠裕 (1822)
大統領(大頭領)選半ばで大頭領に就任するが選挙には敗れてしまう。短いながらも産業振興策を進めた。
第33代大統領(大頭領) 水野忠成 (1823〜1828)
大繁栄時代の中、更なる経済繁栄を目指して重商政策を採るが、むしろ労働条件の悪化を招いて田沼時代の再来と揶揄される。
労使問題は日本だけに留まらず、海外へ進出した企業によって国際問題へと膨らんでいく。
第34代大統領(大頭領) 二宮尊徳 (1829〜1834)
教育制度改革を中心に進める。
第35代大統領(大頭領) 水野忠邦 (1835〜1846/2期)
好景気で税収は多いが、そのせいで放漫財政になっていることを憂い、天保の改革を断行する。それが不興を買い、3期目はならなかった。
国際化した労働問題に取り組み、労働問題の国際基準を模索する。
第33代の水野忠成とは5代前に別れた遠い親戚。
第36代大統領(大頭領) 真田幸貫 (1847〜1852)
労働に関する国際条約が結ばれ、労働基本法が整備される。それによって景気が冷え込み、約半世紀近く続いた大繁栄時代を終わらせてしまった。
第37代大統領(大頭領) 間部詮勝 (1853〜1858)
任期後半、第一次世界恐慌が起こり、2期目を目指すが果たせなかった。
第38代大統領(大頭領) 井伊直弼 (1859〜1860)
関東地方を遊説中、世界不況にイラ立って暴走した水戸、薩摩藩士によって暗殺される。(千代田事件/×桜田門外の変)
第39代大統領(大頭領) 内藤信親 (1860〜1864)
保守的な政策を採ったため、ヨーロッパで始まった電気技術の爆発的な普及に乗り遅れる原因を作ってしまった。
この頃に始まったアメリカ南北戦争で、アメリカ経済が爆発的に成長。これにより経済力が一気に追いつかれることになる。
第40代大統領 酒井忠績 (1865〜1870)
急速な社会変化にあわせて、大胆な行政改革を行なう。その際に大頭領の呼称を「大統領」に改める。
400近くあった藩の大合併(銘治の大合併)をして約260まで減らし、更に日本を9つの州と2つの自治州のブロックに分ける。
なお公家の自治領である荘園は、この時の大合併では手付かずのまま残された。
この時に人口が1000万を超えたら州を分割する「1000万人ルール」が生まれる。(のちに2000万人に改められる)
第41代大統領 岩倉具視 (1871〜1876)
初の公家出身の大統領。中国で始まったモータリゼーションを日本へも持ち込もうとする。
第42代大統領 大久保利通 (1877〜1878)
各国が徴兵制度を導入する流れに乗り、日本も武士制度を廃止して皆徴兵制を敷こうとするが、武士たちの強い反発に遭って暗殺された。
第43代大統領 井上馨 (1878〜1882)
インフラの整備を進めるために大掛かりな税制改革を行なう。
第44代大統領 一ツ橋慶喜 (1883〜1888)
武士制度を温存しつつも兵力を増やす仕組みとして兵学校制度を導入。平民でも武士になれる制度が生まれる。
第45代大統領 大隈重信 (1889〜1894)
アジアの覇権争いと尖閣諸島で見付かった大規模油田をめぐり、南部中国諸国連合との間で日中戦争が起こる。原因は国防大臣山縣有朋の暴走。
この戦いで日本は大陸にあった同盟国を失う。
第46代大統領 伊藤博文 (1895〜1900)
悪化した中国諸国との関係修復に尽力する。
第47代大統領 桂太郎 (1901〜1906)
外交音痴から日露戦争と日印戦争を招く。戦争には勝利するが、支持率を大きく落とした。
第48代大統領 西園寺公望 (1907〜1912)
ムガール帝国との戦争終結に尽力する。しかし露印の2帝国の滅亡から世界的な軍事バランスが崩れ、激しい軍拡競争を招いた。
第49代大統領 山本権兵衛 (1913〜1918)
第一次世界大戦の流れに乗って生まれた軍人出身の大統領。2期目を狙った大統領選の最中に大戦が終わり、散々な負け方をする。
第50代大統領 原敬 (1919〜1921)
初の平民出身大統領。
大戦後の国際秩序回復に尽力するが暗殺される。犯人は死刑判決後3度の恩赦で10年後に釈放。首謀者は現在もミステリーのまま。
第51代大統領 高橋是清 (1921〜1924)
戦後経済の立て直しに尽力する。
第52代大統領 濱口雄幸 (1925〜1930)
アメリカ経済の急成長を見て、日本も負けてはならないと産業活性化を目指すが、産業間の足の引っ張り合いでうまくいかなかった。
そのアメリカ経済もバブル崩壊で世界不況を招くことになる。
第53代大統領 犬養毅 (1931〜1932)
不況対策で行なった軍事費抑制、軍備縮小による経済優先政策が軍部の反感を招き、暴走した陸軍青年将校らに暗殺される。(五一五事件)
第54代大統領 高橋是清 (1932〜1936)
暗殺された犬養のあとを継いで世界不況からの経済政策を優先させるが、またも暴走した陸軍青年将校らに暗殺される。(二二六事件)
第55代大統領 広田弘毅 (1936)
ソ連の南下政策を警戒し、経済政策から軍備縮小を除外する。暴走した軍部(主に陸軍)に尻尾を振ったと揶揄される。
第56代大統領 近衛文麿 (1937〜1942)
就任直後、中国で南北戦争が勃発。日本は北部連合と同盟を結んでいたため、戦乱へ巻き込まれていく。
更に第二次欧州大戦が勃発すると指導力不足で軍の言いなりとなり、軍備拡張を加速させてしまう。
第57代大統領 米内光政 (1943〜1948)
世界大戦の混乱期に、外交手腕を発揮する。
1948年、肺炎で急死。表向きでは病死だが、戦時中のあまりにも突然の死であったために暗殺説が跡を絶たない。
第58代大統領 吉田茂 (1948〜1954/2期)
すぐれた政治指導力と外交手腕で、戦後の国際的な枠組みを決める。
第59代大統領 岸信介 (1955〜1960)
冷戦下、宇宙開発を国家目標に掲げる。
第60代大統領 池田勇人 (1961〜1966)
冷戦下の軍拡競争時代を招いた。
第61代大統領 佐藤栄作 (1967〜1972)
冷戦下の代理戦争であるクルド戦争が長期化。派遣していた治安維持部隊の被害が拡大し、任期末期に支持率を急速に落としていく。
第62代大統領 田中角栄 (1973〜1984/2期)
列島改造として大規模な農地改革を行ない、食料自給率を110%まで向上させる。
第63代大統領 中曽根康弘 (1985〜1990)
冷戦末期の軍拡政策を推し進めた。
第64代大統領 宮澤喜一 (1991〜1996)
冷戦が終わり、経済優先の政策を進める。
第65代大統領 小泉純一郎 (1997〜2002)
経済政策が重商主義に偏っていた結果、むしろ景気を冷え込ませてしまった。
第66代大統領 ????? (2003〜2008)
だれ?
第67代大統領 ????? (2009〜 )
だれ?