最終更新日 2012年12月21日
このページは歴史的並行世界を構築するにあたって、考察したヒントや歴史的仮定、思考実験、設定案等を列挙したメモ書きを流用したものです。
将来の公開に備えて、このページの姿のまま編集していました。他の設定ページも同じですが、公開時に不要な部分を削除する方針で……。
作中に描かれない項目も数多くありますが、こういうことを考えて世界観を構築したということで、架空年表とあわせて参考までに。
(項目は五十音順)
アメリカの経済成長
- 独立戦争以来、アメリカは1回の戦争ごとに爆発的な技術革新をおこして経済力が倍に膨らんでいる。特に独立戦争、南北戦争、第二次世界大戦の3回が顕著。
- ただしベトナム戦争では世論の反対が起きたために経済成長が止まり、以降は以前のような爆発力がない。それでも技術革新の戦争マジックは起きている。
- アメリカ経済の急成長は1890年ごろ、テキサスで大規模な油田が見つかったところから始まる。
- 第二次世界大戦直後、アメリカの1人あたりの所得はヨーロッパ西側諸国の10倍近い規模になっていた。
- アメリカが東海岸だけの国であっても、第二次世界大戦後には十分に超大国になる力を持っていたと思われる。
アメリカの人種差別
- 独立戦争前、アフリカから奴隷として黒人を連れ込んだ。
- ただし当時は今の奴隷イメージとは違い、現在の日本社会における派遣労働者のような、安くて都合よく使える労働力という意味合いが強い。
- 独立戦争では白人も黒人も一緒に戦ったため、独立前からアメリカにいる白人たちには黒人に対する人種差別意識は弱く、むしろ同胞という意識が強くなる。
- 独立直後、黒人の学歴は高くなり、大卒者も数多く出している。ただし奴隷制度がなくなったわけではないので、奴隷の身分のままの黒人は多い。
- 独立後にヨーロッパからの白人移民が増え、その人たちには有色人種を見下す意識が強い。
- 南部で綿繰り機が発明されて綿花生産が増えると、一部の農場主が黒人を狙った奴隷狩りを始める。(独立戦争から、わずか1世代後)
- 奴隷の裏取引きが始まると、黒人であれば学歴無関係に捕まえて売り飛ばす人買いがあらわれる。
- ここから黒人差別がふたたび強まり、奴隷のイメージが安く都合の良い労働力(下層民)から、家畜(人の姿をした獣)へと変化する。
- 独立戦争から4世代後、奴隷をめぐる人権問題で南北戦争が勃発する。ただし奴隷制に反対する北軍では黒人が必死に戦うことを恐れて、緒戦段階では徴兵制を避けた。
- 南軍優位の状況を打開するため、北軍は徴兵制を導入。これで一気に形勢は逆転して北軍の勝利で終わり、名目では黒人奴隷は解放される。この直後、再び黒人の学歴が高くなる。
- 南北戦争から2世代後の1900〜1910年代にはまた白人移民が増えて人種差別が悪化する。そしてまた4世代後になる1950〜1960年代の差別が激しい。
- このサイクルだと、2040年頃にどうなるか。すでに不況の影響ではあるが、黒人を人ではなく獣とするキリスト教原理主義一派やKKKが勢力を盛り返してきている。
アメリカの建国初期の大統領
- 世界各地に創世神話があるように、アメリカでは初期の大統領を聖人君主とした建国神話が作られている。
- 現在は圧倒的な軍事力と経済的影響力を背景にしてその建国神話を歴史として世界に流布させているが、アメリカの影響力の強くない世界では内外での評価が大きく変わると考えられる。
- 第1代大統領ジョージ・ワシントン
- アメリカ独立・建国の父。独立戦争の司令官。
- 名目ではイギリスの圧制への反発から独立したとされるが、実はイギリス議会が先住民保護のために西部開拓を禁じられたことへの反発の意味合いが強い。
- 独立宣言のすぐあとに西部への侵略戦争(焦土作戦)を初め、「先住民を根絶やしにしろ」と命令した発言が記録に残っている。
- そこから悪の帝国の創設者として、歴史に名を残す可能性は高い。
- 第3代大統領トマス・ジェファーソン
- アメリカ民主主義の父とされる一方で先住民に対して侵略戦争を仕掛けた大統領であるため、内外での評価は真逆になると思われる。
- 1800年の大統領選で西部征服を選挙公約に掲げ、就任後は公約通りに侵略戦争を始めている。
- 8年間の任期中に数多くの紛争を起こしている。だが公式に宣戦布告したのは、オスマントルコに戦争を仕掛けた1回のみ。
- 大西洋ではフランスや周辺国に対して数多くの海賊行為を仕掛け、先住民に対しても陸軍に山賊行為を仕掛けさせている。
- この時代のアメリカは、明らかに国際的なならず者国家になっていた。
- 歴史が違った場合、太平洋側でも日本や中国に対して海賊行為や北米西海岸で山賊行為を仕掛けてくる可能性は考えられる。
- その時はワシントンとならぶ極悪人として、歴史に名前を残す可能性は高い。
インド
- 史実ではイギリスの植民地となり、第二次世界大戦後、独立を勝ち取る過程で宗教的な争いからインド、パキスタン、バングラデシュに分裂した。
- イギリスに植民地化される前に日中との交易が始まった場合、ムガール帝国は経済力をつけるため独立を保つだけでなくインド亜大陸の統一にも成功する可能性は高い。
- 植民地化されずムガール帝国が延命した場合でも、第一次世界大戦による世界的な帝国消滅の流れには乗り越えられないと考えられる。
- その後は宗教対立などで6つ以上の国家へ分裂する公算は高い。しかし今の3国ではなく、もっと多くの国に分かれていた場合、国家間の宗教対立圧力は弱まり、ムガール帝国時代の地域が文化的にゆるい国家連合としてまとまる可能性は高い。
- インドが宗教対立を越えて国家連合となった場合、連合内の経済活動が今以上に活発化して現在以上の経済力をつけることが十分に考えられる。
- カースト制度はイギリスが植民地支配を容易にするため、内部分裂を起こす材料として利用されてきた。そのイギリス支配がなかった場合、カースト制度は他国にある身分差別と同程度の意味合いしか持たなかっただろう。
大阪
- 15世紀末に「小坂」と呼ばれたのが始まりだが、「お」を伸ばして発音する人が多かったため、すぐに「大坂」に変わったのだとか。
- 現在の「大阪」の表記は、「坂」では「土に返る」とか「士族の反乱」とも読めるため縁起が悪いとして、武士たちが書いていた影響。
- 古くから瀬戸内海交易の東の要衝として栄え、日本を代表する経済都市の地位を保ち続けている。
- ただし面積的に大都市としての限界が見えている。大阪平野は名古屋圏で都市化できる面積の3割ほどしかない。
オーストラリア
- 一般的な歴史では1606年にオランダ人冒険家が発見したとされるが、あくまで白人としての初到達である。
- それよりも先に日本人か中国人の商人が到達し、アボリジニとの間で交易を行なっていた。ただし新大陸とは気づいてなかったらしい。
- 1770年にイギリスが一方的に植民地宣言をするが、その頃には北部海岸に華僑による中華街が作られていた。
女言葉
- 一般に言われる女言葉は、大正時代半ばに女学校で生まれた。それが流行のように全国へ広まっていく。
- その女言葉は昭和40年代を境に急速に衰えていく。余談ながら入れ替わるように、丸文字が静岡発で全国へ広まったらしい。
女の子の名前
- 昔から基本は2音節か、優しい響きのある3文字以上の自然名詞、形容名詞である。
- 2音節の名前の場合、そのままか語尾に1音節加える。この語尾の1音節には時代による流行がある。
- 語尾の「子」は古くから上流階級で使われていた。庶民の間で流行したのは大正時代に入ってから。昭和30年代まで多くの女の子の名前に使われた。
- 江戸時代の庶民は2音節が多い。
- 明治時代前半の流行は「〜め」「〜ね」。「〜女」という意味だが、語尾に「女」を使うのは少数派? ただし、全国的な流行ではない。
- 明治後半の流行は「〜え」。「〜め」「〜ね」が訛ったものらしい。「江」「恵」「絵」「枝」など、様々な漢字が当てられた。
- ただし明治時代はまだ多くの役人が偏見から「女に漢字の名前を使うのは生意気だ」と、勝手に頭の2文字のみをカタカナにして戸籍に載せていたことがわかっている。(公文書と日常で使われた名前の違いから)
- 多くの人が女の子の名前と考える「子」は、大正時代に入ってから増え初め、昭和50年まで常識のように使われる。
- 昭和40年頃は「美」がやや「子」を上まわる。「未」「巳」などの変形バージョンもあるが数は少ない。
- 昭和50年代の後半になると「奈」「菜」が増える。だが、これ以降は決まった流行はない。
- 平成に入ってからは江戸時代と同じ2音節か3文字の自然名詞、形容名詞の名前が主流になっている。語尾については「香」が流行ったが、それほど大きな流れにはなっていない。
- なお親が高学歴であるほど、流行に10年、20年単位で乗り遅れる傾向がある。
会計年度
- 日本では米の作付けが会計年度の始まりである。なお、農業に合わせた会計年度であるため、かつては地域によって年度の開始時期には差があった。
- 現在の4月〜翌3月の会計年度は、明治19年に採用された。これにより全国の会計年度が統一される。
- 4月開始の会計年度は、イギリスから導入したという説もある。
- 一般に欧米では冬小麦の作付けに合わせるため、会計年度の始まりは9月になる。ただしイギリスは耕作期間が米に近い春小麦を基準としている。
開国〜明治維新
- 1853年のペリーの来航時、GDPの国際比較では日本が世界第6位、アメリカは第10位。1人当たりのGDPでは日本はアメリカの倍以上ある経済大国だった。
- 日本は工業化が遅れていただけで、明治維新の時点でも、まだアメリカのGDPを上回っていた。
- 明治維新後の日本の工業化成功は、元々高い経済力を持っていたからこそ成功したものである。
華僑
- 16世紀の南蛮貿易〜朱印船貿易時代、海外へ進出した日本人商人が各地に日本人街を作り、先に交易を行なっていた華僑たちは一気に駆逐されていった。
- 華僑は中華街を作って周辺を一種の植民地のようにするため、現地人から嫌われていた。一方で日本は日本人街を作るものの、現地に溶け込もうとするために周囲からの反発がなかった。このあたりは海外へ行くと日本語を忘れる日本人が多いという日本人の性格にもあらわれている。
- 日本の交易があと半世紀も続いていたら、海外に出た華僑はほとんど駆逐されていた可能性が大きい。
- しかし日本は鎖国を始め、多くの日本人商人が町を捨てて帰国したため、華僑たちはふたたびアジア各地へ進出することができ、現在に至っている。
歌舞伎
- 1603年(慶長8年)。出雲の阿国(巫女説あり)によって始まる。演劇に歌と踊りを加えた、今でいうミュージカルである。
- しかも演者は女のみの、現在の宝塚歌劇団そのものであった。
- 人気が出るとすぐに模倣者があらわれる。中でも売色目的で行なわれた遊女による女歌舞伎や少年による若衆歌舞伎が風俗問題となり、1652年(慶安5年)に幕府によって歌舞伎そのものが禁じられる。
- しかし、規制の抜け道として男だけで演じられる野郎歌舞伎が生まれ、現在に至っている。女人禁制も元は規制逃れのため。
- 江戸幕府が成立せず、役人的発想でまっとうな歌舞伎まで禁止にしなかったら、現在の男だけの歌舞伎は生まれず、女だけの歌舞伎が続いていた可能性が高い。
- 同じ頃、1607年にイタリアのモンテヴェルディが、演劇に歌と踊りを加えた歌劇(オペラ)を始めている。
- 日本が西洋に対して門戸を閉じなかった場合、歌舞伎とオペラは草創期に何らかの交流が始まる可能性が高い。
- この場合、のちの宝塚歌劇団は生まれるのだろうか?
技術に関する各国のクセ
- 技術には必ず国民性ともいうべき傾向が見られる。これは絶対ではないが、武器などでは顕著にあらわれる。
- 日本
- 人型、汎用、多機能、全自動、軽量、小型、最先端を好む傾向がある。
- 特に軽量小型の機械に多機能を詰め込む傾向があるが、そのために安全性やパワーを犠牲にする悪癖がある。
- 太平洋戦争ではエンジンの大きさが同じなら、欧米のものと出力的に見劣りはしない技術はあった。だが飛行機に積むエンジンは小型軽量であるべきという思い込みから小型のエンジンを選んで失敗した実例がある。
- 機械操作の失敗を不具合ではなく、使用者の未熟さと考える傾向が強い。そのため欠陥品への対応が遅れたり、開発者が良いと思った技術は影響や弊害をろくに検討せずに載せる悪癖がある。
- 無人機の場合、できるだけ機械に自己判断させようとする傾向も強い。
- 中国
- チャンピオン志向で、速度、パワー、大きさなど、何か1点の性能のみに特化して物を作る一点豪華主義の傾向がある。
- 最新技術よりも完成された枯れた技術を好む傾向がある。
- 技術的に足りない部分を人海戦術で済ませようとする傾向もある。
- 無人機や自動化に関しては時代の影響が大きい。また一点豪華主義か量産か人海戦術かも時代の雰囲気に流される傾向があるため、ここは一概に言えない。
- アメリカ
- 実用本位で用途ごとに特化した専用機を作る傾向がある。また大型で力のある機械を好む傾向がある。
- 採算や運用コストを考慮しない傾向もあり、初期の機械はたいてい経済性が悪い。
- 機械の自動化は要望が出るまでやらない傾向が目立つ。第二次大戦初期、飛行機の主脚が『ゼロ戦が自動出し入れ』と知るまで手動で出し入れしてた例があるほど。
- 無人機の場合、遠隔操作が基本。機械に自己判断させるのは最後の手段で、遠隔操作が難しい場合は事前プログラムを好む。
- ドイツ
- 機械の形は実用本位だが、技巧を凝らす傾向がある。そのため保守性を悪くする悪癖がある。
- 無人機の場合、遠隔操作が基本。遠隔操作が難しい場合は、事前に技巧を凝らした下準備を好む傾向がある。
- フランス、イタリア
- 技術よりもデザイン重視。技術がデザインを壊す場合、その技術を搭載しないこともある。
計算力
- 日本と西洋では、計算に関する概念が大きく異なる。
- 日本は十進法小数の文化で、西洋は分数の文化。
- 日本には古くから桁合わせの概念があるが、西洋では十進法、十二進法、二十進法、六十進法などが混在するために桁合わせの概念が希薄だった。
- 日本人の計算力
- 小数の文化。正確さよりも素早く近似値を得る計算方法をもとめる傾向がある。
- ソロバンを使うためと、度量衡や貨幣など多くの単位が十進法であったため、古くから桁合わせの概念があった。
- 大きな数字を扱うために「ひとつ、ふたつ、みっつ」と数えていた言葉を「ひと、ふた、みつ」と歯切れの良いものに変え、更に「いち、にい、さん」へと変遷させている。
- 平安時代より村邑小学(のちの寺子屋)で貴族に限らず庶民にも読み書きソロバンを教えている。
- 16世紀末に数学書「塵劫記」が完成し、数の単位、九九、方程式、面積の計算法などが体系的に網羅される。
- 数の単位は上は72桁、小数点以下は26桁まで存在する。
- 西欧人の計算力
- 分数の文化。正確さを求める傾向があるが、そのための手間は二の次にされやすい。
- 慣れの問題ではあるが、多くの言語で12を超える数字の表現が複雑なまま現在に至っている。
- 桁合わせの概念は15世紀頃のイタリアで秘術として生まれたが、19世紀まで普及しなかった。
- 貨幣単位も度量衡単位も十進法ではなくバラバラだったため、桁合わせの概念が一般化しなかった。
- 桁合わせの概念が希薄なため、ニュートンの時代、日本では子どもでも暗算で済ませるような計算が、西洋の学者は数日がかりで解いていた。
- そのため計算を専門に行なう職業が成り立ち、フランス革命のあとには財産を失った多くの貴族が、この仕事で収入を得ていた。
- 「日本人を1人雇うと、計算職人が数百人単位で仕事を失う」と言われるほどの能力差があった。
- 現在でも学校で教えるかけ算は五五止まりである。
- インド人の計算力(オマケ)
- 古くから桁合わせの概念があったため、世界に先駆けて0が発明された。
- 学校教育では19×19まで教えているが、小学校によっては99×99まで教えている。
- マスコミはこれをインド人の計算力の高さと報じているが、実態は教育予算が足りないため、計算に多くの時間を割いているだけ。
こいのぼり
- 作中では端午の節句は男の子の祭りにならないので、男の子の立身出世を願うこいのぼりも生まれないと思われる。
- ただし吹き流しは昔からある風習なので、端午の節句で上げる風習は変わらないと考える。
- 女の子のお祭りのままなので、こいのぼりならぬ着物流しという着物を模した派手なのぼりが生まれる可能性が高い。
- 吹き流しの赤、青、緑、黄、白の5色だけでなく、ピンクや金色など、華やかなものになるかもしれない。
国際語
- 国際交易では超大国の言語が共通語となりやすい。
- 国際英語
- イギリス帝国が世界支配のために、イングランド地方の方言を元に作った半人工言語。日本の中学までの英語教育で教えられるもの。
- 古英語は人称、数、時制などで語形の変わる屈折型であったが、それを語形変化の少ない孤立型へと簡素化する。(完全ではないが)
- これにより西欧人には学びやすい言語となったため、イギリス植民地での共通言語となった。
- ただし作中ではイギリス帝国による植民地経営は小規模に留まるため、現在のような強い英語支配は起きない。
- グロービッシュ(Global Englishの略)
- 英語を簡素化し、国際言語化したもの。固有名詞以外は850語の使用語数制限(ただし許容を含めると1500語)のあるベーシック英語に近い。
- 屈折型の名残はすべて排除し、複数形はすべて-s、-es、過去形はすべて-edにするなど簡素化している。manの複数形はmenではなくmansなど。
- am、are、isはisに統一。過去形はwas。
- 発音はローマ字読みに近いラテン語読みで、英語のネイティヴ発音は禁止。「Good morning」は「ゴード・モルニング」
。
- 国際英語が超大国アメリカの公用語であるため、特定の国の言語がそのまま国際語として通用することを避けるために整備される。
- なお、アラビア語圏で共通語として使われる英語もグロービッシュと呼ばれているが、それとは別物である。
- 国際日本語
- 文法的な自由度が高いため、人によって学びやすく感じたり、自由すぎてかえって学習に戸惑う言語。
- 基本的にSOV型であるが、助詞によって語順を自由に並び替えられるため、学び始めの人たちは母語の語順で話すことが多い。
- 元々名詞の語形変化がなく、更に動詞や形容詞の活用を見直すことで、覚えやすい孤立型の半人工言語となっている。(国際英語と同じ)
- 動詞は活用を廃して終止形+拡張詞で教えるが、評判が悪い。「行け=行く・せよ」「見えない=見る・ない」など。
- スペイン語
- イギリス帝国が植民地を得る以前に世界に普及。
- 作中ではイギリスの支配力が実際の歴史ほど強くならないため、英語に置き換わらず強い支配が残ると思われる。
- なお他言語のように普及させるための仕掛けを持たない。
- 国際中国語
- てにをはのような助詞をまったく持たない言語なので、文法さえ理解できれば比較的学びやすい言語。(発音は別)
- ただし語順を間違えると意味がまったく変わることがあるため、そこでつまずく人は多い。
- 中国語自体が国際語として古くから使われてきた言語で、発音には頓着せず、共通の漢字を使うことで筆談を可能にしたものである。
- 言語=文字の発想は東アジアでしか通用せず、国際語とするためには発音も共通化する必要がある。
- 難しい発音を廃して平板読みにしたため、同音異義語の多さが問題になっている。
- マレー語
- 中国語に次いで話者の多い言語。使われている地域の面積では世界でもっとも広い。
- もともと語彙が少ないためと接する地域の多さから、国際語レースではそれなりの地位を持っている。
- ただし軍事力や経済力などの国際影響力がないため、先進地域ではほとんど利用されない弱みを持つ。
鎖国の影響
- 鎖国は明治政府によるネガティヴ・キャンペーンである。
- 西洋との門戸は閉ざしてはいるが、アジアの独立国との交易は以前と変わりなく行なっている。
- 西洋とはオランダとだけ交易したとされるが、正しくはオランダ東インド会社との独占交易であって、同じオランダでも別の商社は排除されている。
- 鎖国中でも日本には西洋の情報は伝わっている。識字率の高さも手伝って江戸の市民ですらギリシャ神話や世界の七不思議などの話題を知っていた。
- 別方面からの情報で、江戸幕府は出島のオランダ商館が実は1商社にすぎないことも、オランダがフランスに占領されていることも知っていた。
- 西洋の最先端科学も詳しく伝えられている。そのため知識ベースだけはほとんどヨーロッパと同じ早さで蓄積されていく。
- ただしニュートン力学だけは理解できなかったのか、天文学以外の部分では幕末までほとんど発展は見られない。
4月入学制
- 明治時代初期、日本の学校制度は欧米を真似て9月入学で始まった。ただし特に決まりではないため、入学時期は学校ごとに独自に決められていた。
- 明治20年、前年省庁の会計年度が4月開始に統一されたのに合わせて全国の師範学校がいっせいに4月入学制を採用する。
- 大正10年7月の臨時教育会議で入学時期が学校によってバラバラなことが問題とされ、その答申を受けて4月入学制度が法律で定められる。
- 敗戦直後、バブル期など、一部の学校が9月入学を実験採用しているが、いずれも失敗に終わっている。
- よって歴史は変わっても日本の入学時期は変わらないと考えられる。
信濃川都市圏
- かつて東洋のライン川の異名があったように、日本海から30m級の大型船が現在の長野県飯山市まで、10m級の小型船が長野市手前の小布施町まで上っていた。
- そこで荷物を小舟へ載せ替え、更に上田のあたりまで川を上っている。
- 工業化に有利な条件がそろっているため、内陸の工業都市(現在の長野県諏訪市)のような発展が考えられる。
- 特に善光寺地震(1847年)で流域に大きな被害が出たが、それが工業化〜工場用地確保に有利に働くと考えられる。
- すでに鉄道化が始まっているが、河川用の喫水の浅い蒸気貨物船ならば小布施まで1300トン級が上ってこられると考えられる。となると豪雪地帯と険しい山岳地帯を走る鉄道よりも安く確実に運べると予想される。
- ただし現実の歴史では経済的に豊かで長野県の県庁所在地になるはずだった飯山の市民が「よそ者を入れたくない」という閉鎖性を表に出して鉄道も経済的な発展も拒んでしまった。
- そのため江戸時代までは豊かだった地域が、明治以降はこれという産業を持たない経済発展の遅れた地域へと成り下がっている。
- もしも幕藩体制による地域の分断が起こらなければ、当時の飯山市民は実際の歴史でやってしまったような閉鎖的を示すことはなかったと思われる。
銃刀法関連
- 社会が成熟してくると、多くの国では市民の生命がたやすく奪われないように銃刀規制が行なわれる。
- 近代国家では支配層を除く市民が武器を持つことを禁じられ、先進国ともなると特権階級でも所持には許可を必要とする傾向がある。
- 日本の場合
- 天正16年(1588年)に豊臣秀吉が刀狩り令を行ない、武士階級を除く市民の武器所持を禁じた。近代社会の始まりに相当する。
- 明治維新の明治9年(1876年)には廃刀令を行ない、現代社会の基礎を作る。しかし軍人など、一部の特権階級は銃刀の所持携行を認められる。
- 敗戦にともなう昭和21年(1946年)に銃刀法が施行され、以降は携行も原則禁止、所持に関しても許可が求められるようになる。
- しかし作中では武士階級に限り、そして日本刀に限って携行を認めるものとする。
- アメリカの場合
- アメリカでは憲法修正第2条(1791年)で、市民の銃刀所持が認められている。だからと言って、すぐに銃社会は生まれていない。
- 南北戦争後に起きた本格的な西部開拓とカウボーイの時代(1870年代からの20年間)が、アメリカ市民に銃を持たせる風潮を作った。
- 銃の所持は自己防衛のためであるが、アメリカ市民にとって収入の2か月分の銃を買い、1つで収入半日分の銃弾を持つことが強いステータスとなっていった。
- その当時に生まれたステータスは今も続き、およそ3人に1人が銃を持つ銃社会となっている。これは労働年齢の男子全員が持つに等しい数である。
- しかし作中ではカウボーイの活躍した中西部はアメリカに併合されないため、ステータスは生まれず今よりも弱い銃社会になると考えられる。
- カナダの場合
- アメリカ以上の銃社会であり、アメリカよりも容易に銃を入手できる。また銃を所持する人の数もアメリカ人よりもはるかに高い。
- しかしアメリカのような銃による殺人事件は起きていない。
- 治安が悪いと言われたケベック州でも、州内で起きた銃犯罪はすべて国境を越えてきたアメリカ人によるものだったといわれる。(集計期間詳細不明、1960〜2010年?)
- 銃刀犯罪は武器の所持ではなく、マスコミのイエロージャーナリズムが発生を助長するとされる典型例である。
親日国家
- 世界には熱烈な親日国家がある。ところが日本は外交音痴なためか、まったく気づいてないことが多い。鈍感にも程がある。
- 渤海国〜東丹国〜満州国
- 現在の中国東北地方〜北朝鮮北部。記録上、4世紀の昔から日本に対して一方的かつ熱烈にラブコールを送っている地域である。
- 日本の歴史的空白期間である古墳時代の記録が、なぜか渤海国の歴史資料から出てくるほど。
- 日本の歴史観では渤海国とは対新羅の軍事同盟とされるが、日本に頻繁に使節を送って、大陸の最新の文化や技術を教えてくれるほどの熱の入れようだった。
- 渤海国が契丹に滅ぼされたあとも、地方政府(東丹国)が独自に日本に使節を送り続けているほどである。
- 中国、朝鮮半島に対抗するために日本を味方に付けようとしてただけという解釈もあるが、はてさて……。
- メキシコ
- 1609年9月のサンフランシスコ号漂着事件で、千葉に400人を超える船員が海に投げ出され、うち370人が日本側の援助で生還できた。
- 翌1610年、三浦按針の設計でサン・ブエナベントゥーラ号を建造。それに22名の日本人が同乗し、船員たちをメキシコへ帰している。
- これを機に通商を始めるが、残念ながら日本側が鎖国したために交易は途絶えてしまう。
- しかし1888年。日本が開国して各国と不平等条約を結ぶ中、メキシコだけは最初から平等条約で日本との交易を再開している。しかもメキシコ側からの提案。
- 似たパターンは明治時代にエトゥールル号の難破で親日国家になったトルコがある。
- 日墨修好通商条約締結と同時に日本からの移民を積極的に受け入れ、3年後の1891年に最初の移民団が海を渡っている。
- 日本が鎖国しなければ、日本がカリフォルニアへ出る大きな足がかりとして機能する可能性は大きい。
- トルコ
- 1890年(明治23年)9月の軍艦エルトゥールル号が紀伊半島近くで台風に遭って座礁し爆発炎上、乗員の9割を失う遭難事故を起こす。
- 生存者たちは事故を知った近くの村民たちに助けられ、翌日には神戸の病院へ搬送する手続きが迅速に取られている。
- 事故の半月後には日本海軍が2隻の軍艦を出し、生存者をトルコまで送り届けている。
- この一件がなくともトルコは、元々日本に対して「古くからある国」「大国ロシアという共通の敵をもつ同志」「宗教に寛容な文化」など、数多くの共通点を感じている。
- 現在、アメリカ政府が国際問題を考える上で日中の軍事同盟に次いで警戒しているのが日本トルコ同盟である。
- 国際関係としては外交交渉力のあるトルコと技術・経済力のある日本が組んだら、アメリカ並みの情報発信力を持つ同盟になると考えられている。
スペイン
- スペインでは8世紀〜15世紀までの間イスラム教徒に征服され、それをキリスト教徒の手に戻そうとするレコンキスタを続けてきた。
- 1492年にようやくイスラム教徒を駆逐した時、スペインは経験、実力ともに世界最強の軍隊を持つ国になっていた。
- それに気づいてすぐ、スペインは世界支配へと乗り出していく。
- しかし連戦連勝したために油断したのと戦争のしすぎで財政が悪化したため、1世紀後にはイギリスにやぶれている。
セーラー服
- 欧米では子供用の運動服として普及。日本も初めは女子用の運動服として入ってくる。
- 制服としてのセーラー服は、大正8年(1919年)から翌年までの間に、福岡、京都、神戸、愛知(岐阜?)の4か所で独立してデザインされ登場している。
- よって歴史は変わっても、間違いなく生まれると思われる。
世界標準時
- 現在の世界標準時は、1884年の国際会議でイギリスのグリニッジ天文台を基準にする。
- これは世界にある海図の約7割がグリニッジ天文台の場所を基準にしていたため。
- イギリス帝国誕生の前は、世界の西の果てとされていたカナリア諸島が地図の基準(旧大陸の西端)になっていた。
- よってイギリス帝国の成立が遅れ、かつ影響力が広がる前に決まるとしたら、そのままカナリア諸島(グラン・カナリア島)が基準になると考えられる。
- よって歴史が変わった場合、カナリア諸島を基準とした標準時が生まれ、地図の基準点は西へ約15度ずれると考えられる。
- なお、日付変更線は便宜的に太平洋上、現在と同じ場所に置かれると思われる。また時差はほぼ今と変わりないと見做せる。
節句
- 1月1日 元日。
- 1月7日 七草。(元日の代わり)
- 2月3日 節分。
- 3月3日 桃の節句。〜ひな祭り
- 5月5日 端午の節句。〜あやめ祭り
- 7月7日 七夕の節句。〜星祭り
- 9月9日 菊の節句。重陽。〜収穫祭
- 11月11日 ?
端午の節句
- 端午の節句が女の子の祭りから男の子の祭りになるのは、江戸城で将軍の世継ぎが生まれたのを祝った17世紀後半から。
- 作中では江戸幕府が生まれないので、昔ながらの厄除けと女の子のお祭りのまま続くと考える。
- こいのぼりは存在しない。詳細はこいのぼりの項を参照。
中国の新姓
- 人口の増加で同姓同名が増えたため、時代とともに子供に2文字の名前を付ける親が増えてきた。
- それでも同姓同名が多いため、両親の姓を合成して新しい姓を生み出すことが法的に認められている。(2010年現在ある法律)
- 子供に新姓を付けるものの、今のところは両親は伝統的な夫婦別姓を通している家庭が多い。
- 一方で、妻か夫のいずれかを養子化することで、わざわざ夫婦同姓にする夫婦もある。
- 今後は合成した新姓で夫婦同姓となり、新しい家庭を築く傾向が生まれるかもしれない。
中国の分裂と統一
- 現在の中華人民共和国は、大きく5つの地域に分けられる。
- 漢
- 漢民族の住む地域。明代までの中国。この範囲内で分裂と統一を繰り返している。
- 中国諸国は、この部分のみを差す。
- 満州
- 現在の中国東北地方〜北朝鮮北部。記録上、4世紀の昔から一方的かつ熱烈に日本にラブコールを送っている不思議な地域である。
- 現在のウラジオストクは満州にとって重要な交易港だったが、日本の鎖国により清朝時代はただの漁村になっていた。そのため1860年にロシアへ譲ってしまう。
- 日本が交易港を長崎の出島に限定しなかったら、ウラジオストク=海参威(かいさんい/ハイシャンウェイ)は日本海の交易都市になっていた。
- 薩摩藩に琉球貿易を許可したように、日本海側の藩に満州貿易を認めなかったのは何故だろう?
- チベット
- 内モンゴル
- 本来、モンゴルであったはずだが、日本の敗戦のドサクサで中国に占領された土地。
- モンゴル族の人数だけで、モンゴル国の倍近い人口がいる。
- モンゴル国にとっては、豊かな土地を奪われた形になっている。
- ウィグル
朝鮮出兵(文禄の役/慶長の役)
- 1590年代、1世紀以上続いた戦国時代のため、日本は間違いなく軍事力、工業生産力共に世界一だった。
- 工業力の高さは、次の2点で説明される。
- 鉄砲。種子島に2挺の火縄銃が着いてから半世紀の間に2万挺を超える銃が生産された。同時期のヨーロッパではすべて合わせても6千挺ほど。
- 造船。45m級西洋型帆船で比較。ヨーロッパ最強のスペインは着工から進水まで15か月。対して日本の船大工は生産指示から完成まで最短45日(伊達藩)。
- 秀吉は出兵前の1588年に海賊法度を出して、貴重な海軍力を解散させている。これにより水上戦能力だけでなく海運能力も失ってしまった。
- 同年に刀狩りを行ない、多くの兵力を失っている。これで出兵に成功するはずはない。
- それでも実際の戦いでは陸戦では連戦連勝、海戦でも1度やぶれたものの最終的に李舜臣の亀甲船艦隊を全滅させている。
- 2度とも最終的に撤退したのは、いずれも海運能力不足で補給が届かず、戦いを続けられなかったためである。
- また海戦で1度やぶれた件も、海戦のプロがいなかったための経験不足と指摘する意見もある。
- なお、信長が計画した朝鮮出兵は、スペインがかなり警戒するほどであり、その当時の無敵艦隊はイギリスではなく日本との衝突を考えていた。
- 文禄の役(1592年〜1593年:文禄元年〜2年)
- これは明らかな侵略戦争であり、1590年より侵略の準備を始めている。
- 日本が侵略に来る報せは朝鮮にも届いていたが、王朝内では派閥争いに忙しくて準備する機会を失ってしまった。
- 圧倒的な戦力差に物を言わせて開戦から2か月で半島の半分以上を制圧している。
- 朝鮮王朝は腐敗していたため、民衆は秀吉軍に加勢した。またこの戦いでは、秀吉軍は朝鮮で破壊活動を行なっていない。
- 朝鮮側の記録では日本軍は朝鮮の亀甲船団に苦戦し、2万人もの戦死者を出したことになっている。(Wikipediaでは何度書き直しても、この記述に書き換えられる事件が続いている)
- 実際は海賊法度で日本は正規の水軍を失ったため、水上の戦いに不慣れな兵1500人を水軍として戦わせている。この水軍が、しっかりと装備訓練された3600人の朝鮮水軍に勝てるはずがない。
- 当然、海戦では大敗して船は全滅させられたが、翌日には生き残ったうちの600人が陸戦で戦い、のちに水軍を立て直して朝鮮亀甲船艦隊を全滅させている。
- なお、半年後にはほぼ朝鮮半島を制圧し終えるが、そこに明軍が介入し、更に冬の厳しさと食料不足から完全撤退することになる。
- 慶長の役(1597年〜1598年:慶長2年〜3年)
- 日本を属国扱いする明の冊封体制からの、文化的な独立戦争の意味合いが強い。
- 朝鮮が明の側についたため、この戦いでは一般市民に対しても残虐的な殺戮や破壊活動を行なっている。
- 朝鮮での破壊活動は、いまだ朝鮮王朝が日本の統治者を足利家と考え、秀吉を反乱軍の親玉としか見ていなかった認識への懲罰も兼ねている。
- この戦いは秀吉の死によって終わりを迎える。
- この戦い以降、中国、朝鮮からの日本の統治者の呼称は『日本国王』から『日本国大君』に変わっている。その意味で冊封体制からの独立に成功したとも言える。
- この戦いのあと、明では武官の間で日本刀を持つことがステータスとなる。これは日本の軍事力に憧れを持つほど圧倒された証拠である。
- なお、明はこの戦いによって生じた財政危機を立て直せず、滅亡に至っている。ただし国民に対して財政難をうまく隠したため、40年間も生き延びたが……。
東京(江戸)
- 江戸は豊臣時代に、家康が領地替えでやって来たことにより開発された。
- 開発前の江戸は荒川の氾濫原で、住むには適さないが大地は肥沃で、気候的にも安定した穀倉地帯であった。
- 家康による江戸開府前の人口は、わずか6万人といわれる。
- 家康の移封がない場合、大掛かりな開発は行なわれず、江戸は日本の穀倉地帯のままであった可能性は高い。
- 利根川も東遷事業は行なわれず、銚子ではなく江戸湾へ流れ出るままになる。
- 江戸が都市化せずに穀倉地帯となった場合、日本はアジアの食料輸出国になるだけの肥沃な耕地を手にする。
- その代わり現在の東京23区の人口は、最大でも40万人を超えないと思われる。また大都市にはならないため、東京という名称は江戸には使われない。
名古屋(名護屋/尾張)
- 名古屋は地形的に大都市に適した土地の広さを持ち、地理的にも国際的な港湾都市として最適な条件に恵まれている。
- 中心となる濃尾平野そのものは大阪平野とほぼ同じ面積だが、平野を囲む丘陵地帯は低く、隣接する岡崎平野なども広めのため、大阪の3倍以上の平地が確保可能である。
- 作中では関東で利根川の東遷事業が行なわれない代わりに、史実より1世紀半早く木曽三川分流事業が行なわれる。完成も3世紀早い。
- 小型船の時代は内海である瀬戸内海側〜大阪が有利だが、大型貨物船の時代になると外洋に開けた名古屋の方がはるかに有利になる。
- 現実世界でもすでに経済力では大阪圏を抜き、東京圏に対しても本社の集まる首都という底上げ分を別とすると、純粋な経済力では上をいっている。
- 以上のことから、首都が東京に置かれなかった場合、名古屋が日本で最大の都市になる可能性は高い。
日本の経済成長
- 日本は大震災ごとに復興で急成長を起こしている。アメリカは戦争で経済成長しているが、それと同じ原理が働いている。
- しかし東日本大震災では、東電と民主党のせいで……。
忍者
- 戦国時代には上級武士や足軽などの身分とは関係なく、技能集団として独自の身分を確立していた。
- しかし江戸時代に、社会を安定させるために発明を禁じる政策が採られたため、技能集団としての忍者は危険視されて百姓扱いされるようになった。またそれを正当化するため、記録の改変も行われた。
- 江戸時代が来なければ技術者を卑しい身分と見做す風潮もなくなり、かつ近代の発明時代においては大きな役割を担うことは確実。
- 高い技術力を元に上級武士と同等の地位を獲得している可能性は高い。
- 同様に日本が文系上位の国になることもなかったと思われる。
バレンタインデー
- 由来は諸説あるが、ヨーロッパではカトリック教の聖人ヴァレンティアヌスの祝日として、14世紀に始まっていたことは確認される。ただし、この頃は新婚同士が花を贈り合う風習であった。
- 16世紀、シェイクスピアの戯曲によってヨーロッパ全体へ広がっていく。
- 各国の風習
- 欧米
- 男女関係なく、親しい異性にカードを贈り合う。相手に応じて花やケーキが加わる。
- 1868年以来、製菓業界が何度もキャンディ(欧米ではチョコレートもキャンディの扱い)を送り合う風習を作ろうと仕掛けるが、いまだ定着していない。
- キリスト教正教会圏
- カトリック教の風習であるため、あまり普及していない。
- イスラム圏
- 異教の風習であるため法律で禁じている国が多い。しかし食品会社が何度も仕掛けようとしている。
- 日本
- アメリカの影響で1958年に入ってくる。この時は欧米と同様、男女関係ないイベントとして入ってくる。
- チョコレートを送るイベントは戦前から何度も製菓業界が仕掛け、1970年代後半にようやく定着させることに成功する。この時に女性が一方的に贈る日になった。
- ホワイトデー(3月14日):男性からお返しをする日。金額的に3倍返しなどの異常な要求圧力が発生したため、最近はイベントのボイコットやバレンタイン時点での受け取り拒否が起きているらしい。
- メイストームデー(5月2日頃:八十八夜の日):バレンタインで生まれたカップルが、このまま付き合い続けるか別れるかを話し合う日。九州熊本発で始まったらしい。
- 日本が鎖国しなかった場合、シェイクスピアの戯曲とともに17世紀には入ってくると思われる。ただし最終的には今と変わりない形で定着する可能性が高い。
- 韓国
- バレンタインデー、ホワイトデーは日本から入ってきたため、内容は日本と同じ。
- ブラックデー(4月14日):カップルになれなかった人たちが黒い服を着て集まり、黒いものを飲食して慰め合う日。
- 他にも食品会社がいろいろ仕掛けているが、あまりに多すぎるために情報が飽和し、ブラックデー以外は浸透していない。
- ベトナム
飛行機
- 現在は1903年12月17日にアメリカのライト兄弟が初飛行に成功したことが公式の歴史とされている。
- 1890年10月9日。フランスのクレマン・アデールが動力飛行機による初飛行に成功。ただし追試飛行の失敗で軍から援助を打ち切られた。
- 1891年4月29日。日本の二宮忠八が模型飛行機での初飛行に成功。しかし軍が協力を渋り、資金難で有人飛行はできなかった。
- アデール、二宮ともに公開試験飛行の1回目で成功しているが、資金難で開発できなかった。
- ライト兄弟が初飛行に成功したのは45回目の挑戦。資金難ではあったが本職が自転車屋(正しくはオートバイ屋)なので材料と技術には困らなかった。
- よって資金の問題(特にエンジンの入手)さえ解決されれば、日本、フランスで先に生まれた可能性が高いと思われる。
標準語
- 江戸時代前と同様、東山方言が標準語となる。
- 現在の日本語は江戸、山の手言葉を標準としたが、これは東山方言の流れを汲んでいるため、偶然ではあるが今と変わりない。
ペンギン
- ペンギンは江戸時代から日本人に好まれてきた生き物で、大正時代以降は生息地以外の土地としては世界最大の保有国であり続けている。
- 鎖国政策がなかった場合、もっと早い時代から国内に大量のペンギンが持ち込まれたと考えられる。
- 品種改良の時間的余裕もあるため、日本の気候に合い、雑食性で飼いやすいペンギンがペット化されて普及する可能性が考えられる。
方言
- 徳川幕府による幕藩体制の強化が行なわれなければ、移動を制限する関所も江戸時代ほど多くはならないと思われる。
- 方言は300年近い地域隔離のために生まれた形跡があるので、幕藩体制の強化がなければ今ほどの大きな違いは生まれないと思われる。
- なお、標準語は今と同じ東山方言(山の手言葉)になるはず。
盆踊り
- 中央にやぐらを建て、その上で和太鼓を叩くスタイルは戦後、レコード会社のプロモーションで作られた東京音頭スタイル。
- 地方分権したままの世界でもレコード会社がプロモーションを仕掛ける可能性があるため、今と同じになると思われる。
明治維新→開国
横浜
- かつての首都鎌倉と大穀倉地帯江戸に近いところから、蒸気船時代が始まるとともに急速に発展する。
- 広い平地を確保できる平塚と関東地方における中核都市競争になるだろうが、現実の歴史と同じように港に有利な地形から太平洋側の交易都市となると思われる。
- 最終的に東日本で最大の都市になると思われる。