人生に失敗するコツ

COLUMN

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新規:2006年7月17日
 
この世に成功する秘訣はない
 成功した人生を送りたい。これは誰もが考えることです。
 でも、成功する秘訣はあるでしょうか。残念ながら、そのような法則はありません。
 本屋に行けば「成功の鍵」を謳(うた)った本があふれるように存在してます。でも、それで本当に成功できる人は滅多に出てきません。もしも本に書かれた通りになったら、世の中には成功者だらけの輝かしい世界になっているはずです。
 対照的に確実に失敗する秘訣ならあります。プロ野球の野村克也監督のよく語る言葉に「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」という格言があります。不思議な勝ち方はあっても、負けには必ず理由が見付かるというものです。
 それならば失敗する秘訣を徹底的に研究してみましょう。
 今回は、そんな話題です。
 
旧来の方法が一番良いと信じている
 世の中には使い古された方法があります。方法自体には何も問題はありません。むしろ多くの人たちの手垢が付いている分、洗練されて無駄がなくなってますし、安全で確実な方法となっています。
 とはいえ、社会は刻々と変化しています。新しい技術も生み出されています。そのため、これまでの方法がいつの間にか陳腐化することがあります。洗練されたせいで無駄や余裕がなくなり、いつの間にか肝心の部分まで削られてしまうこともあります。水泳の時、唾(つば)で湿らせた指を耳に入れると耳に水が入らないという迷信が良い例です。あれは本当は耳栓(草を丸めた物など)を湿らせて耳に押し込みやすくする行動だったのですが、いつの間にか肝心の耳栓がなくなってしまいました。
 また過去の成功体験が美化されて、肝心の部分を見落としている場合もあります。
 どうしてその方法を選ぶのか。それは時々でも振り返ってみる方が良さそうです。
 
 極端な例としては、日本のスポーツ界にはびこる根性論があります。かつては予算が少ないから、必死に練習方法や戦法を工夫しました。ところが、それで成功した人が出てきたことで、選手の育成方法を精神論が最優先と勘違いする人が増殖たのが現代日本のスポーツ界です。というより低予算で済ませようとする人たちが、そう思い込もうとしてるのが原因でしょうか。そのために低予算でがむしゃらに練習するだけの根性論が独り歩きし、それが時代を逆行するように悪化してきてます。
 長引く不況のために予算を削る口実と思ったのですけど、これは昭和30年代後半から40年代以降、年々悪化の一途を辿ってるそうですから、意外と根の深い問題です。
 
専門家だとうぬぼれている
 専門家に限らず、自分がそのことに詳しいと慢心するのは危険です。
 自分が詳しいという思い込みから、情報の見落としを招くことがあります。物事を慎重に進める必要のある場面で、自分が専門家という慢心から、軽率な失敗をする場合もあります。
「この世で起こったすべての大失敗には、必ず専門家が関わっている」という耳の痛い言葉があるほどです。
 隕石孔(クレーター)がどうやって作られるか。意外かもしれませんが1990年代前半(正確にはシューメーカー・レビー第9彗星が木星に落ちる事件が観測される1994年7月)まで、多くの天文学者たちは火山説を説いてました。むしろ隕石によって作られると主張していたのは、地質学者や火山学者たちの方でした。
 気象精霊記の2巻に宇宙に向かう雷──スプライトを扱いましたが、それは1940年代には航空関係者の間で知られていた現象です。私が知ったのは、1990年代半ばの地球物理学者の論文(日経サイエンスの翻訳記事)と、スペースシャトルが録った宇宙からの映像です。ところが、肝心の気象学者がスプライトの存在を認めたのは、21世紀に入ってからです。
 
 それとネットや当サイトへの投稿で時々見掛けるのが、自分の担当している部署のうわべの事情だけですべてを語ろうとする人です。
 たとえばある種の樹木は、自然の中では土砂崩れの災害があった直後でないと根付かない特異な性質を持ってます。その樹木を人工的に育てようとしたら、周りの木を根こそぎ伐り倒した上に下草まで刈り取って表土を露出させ、見掛け上は山を荒らしたようにする必要があります。それをもって自然破壊と言えるでしょうか。
 治水が進んだために土砂崩れが減り、その樹木が天然には育たなくなっています。それが木材として有用な種類であれば何とか育てようとるのも当然でしょう。
 
 現場にいると専門家だと思い込みがちですが、意外と仕事の意味を勘違いしてる人が多いと思います。
 
良い物は黙っていても選ばれると思ってる
 家電業界の経験則によると、普及するのはもっとも質の悪い規格です。おかしな話ですが、それなりに説得力のある説が二つあります。一つは質の悪い規格を採用したメーカーが危機感を持つために必死に営業活動し、逆に良い規格を採用したメーカーは慢心して営業努力を怠るという説です。それともう一つは質の悪い規格は後発企業にとって採用しやすい簡単な仕組みである場合が多いので、自然と世の中に普及するという説です。
 
 実際、ビデオのVHSとβ、映像のVHDとLD、パソコンのNECと富士通/SHARPなど、どれも比較すると悪い方の規格を採用した製品や陣営が生き残ってます。
 
 芸術の分野でも、まったく同じです。今でこそ大作曲家と言われる大バッハですが、死後200年近くは歴史に埋もれていた作曲家でした。良い作品でも演奏が難しくて誰も演奏しなければ残らない典型的な例です。
 
 余談ですが、生物の進化を見ると、似たような状況があります。
 その時代に繁栄するのは、もっとも進化した生き物でも、もっとも強い生き物でもありません。知能の頂点なら人間、進化の頂点なら鳥類(哺乳類ならネコ科、ヒト科は霊長類の中では古い方です。心理的に認めたくないような人が多いのですが……)。でも、もっとも繁栄してる生き物は昆虫類ですよね。総重量はアリ類だけで人類に匹敵しますから。
 
何か問題が起きても、何とかなると思ってる
 問題の先送りや軽視。これがどんなに危険なことか、特に説明することはないでしょう。
 それなのに問題の渦中にいる当事者が根拠もなく大丈夫と思い込もうとして、必要な行動を何も起こさない例は珍しくありません。この心理が致命的な失敗を招く原因となります。
 
 問題を病気として考えると、誰にでも心当たりはあると思います。
 体調が思わしくなくても、何か理由を付けて大丈夫と思い込もうとする人は多いのではないでしょうか。
 実際、身体には免疫機能などの回復能力があるため、そのうち自然と治ることがほとんです。そのため病院へは行かず、少し寝てれば大丈夫と考えがちです。
 でも、知識を持った人(医師など)が見れば、明らかに大変な病気と気付く例は少なくありません。医学知識のない人であっても、他人の目からは明らかにおかしいという場合もあります。本人だけが病気と認めないこともあります。
 そして本人がようやく大変と気付いた時には手遅れで、手の施しようもないまま亡くなってしまう人は、どんなに医学が進んでも後を絶ちません。
 
ヒマが無いから本を読まない
 世の中には情報収集はテレビや新聞で十分と思ってる人が多いようです。中でもテレビには情報が氾濫しています。でも、そこに流れるのはイメージだけの情報です。つい映像に騙されますが、それは視聴者に興味を惹かせるように、そして放送局にとって都合良く加工された、いわば極端に偏った情報です。新聞も同じです。しかも受け手に考えさせる余裕を与えないまま結論まで述べて、情報を理解させたように錯覚させる仕掛けがあります。具体的には納得させるよりも感情に訴えることで煽り、むりやり納得させてしまうやり方です。
 人は考える間もなく結論まで与えられてしまうと、まったく自分の頭では考えなくなります。その結果が、安っぽい受け売りです。しかも感情に訴えるイメージだけの報道にさらされているので、感情論と理性的な議論の区別ができない人もいます。
 テレビで話題になる「BSE」「地球温暖化」「環境ホルモン」「オゾンホール」「フェアトレード」のことを、どの程度理解されてるでしょうか?
 
 具体的で面白い例では、刑務所にいる受刑者の生活費や教育費として、一人一日千数百円の予算が組まれているという報道があります。それは事実ですが、この種類の報道では「税金が使われている」とは言ってないのに、多くの人が「予算が組まれた=税金を使った」と錯覚し、思い込んでしまいます。これが感情に訴える報道です。
 少し考えてみましょう。受刑者たちは刑務所の中で、一日中ゴロゴロしてるのでしょうか。そんなことはありません。労働の義務があります。労働すれば、当然付加価値が生まれ賃金が発生します。その賃金はどこへ行くのでしょうか。もちろん受刑者が出所する時に渡される当座の生活費となりますが、一部は予算にも組み込まれます。
 感情に訴える報道を真に受けてると、ちょっと考えれば気付きそうな事柄にすら関心が向かわなくなります。
 ちなみにろくに事実を知らないゲストに「税金が使われている」と言わせ、「局としては言ってない」という逃げ道を使ったテレビ局もありますねぇ。ここまでくるとかなり悪質ですが……。
 
 それに対して本には情報が詰まっています。知識を深く掘り下げ、かつ間違いを正してくれます。
 まあ、そこまで立派な本でなくても、本は読む時に考えることを要求します。と言うより、考える時間を与えてくれていると言うべきでしょうか。どんな本であっても、読書は自然と考える訓練になります。
 いざと言う時に自分の頭で考えられる人と、他人の受け売りしかできない人。この差は大きいと思います。
 もっとも、自分の程度に見合った本でないと読む意味がありません。思いっ切り背伸びをして難解な本を読んだり、またまったく興味のない本を読んだりしても身に付かないのは、多くの人が経験してると思います。
 本は読むべき物。でも、似たような本ばかり読むのは知識が偏って問題。背伸びをし過ぎるのも問題。まったく興味のない本を読んで流すだけなのも問題。
 読書の骨折り損というのも、注意しなくてはいけませんね。
 
行動を先延ばしする
 何かと理由を付けて、先延ばしにしていることはありませんか?
 その理由は、実はやりたくないだけの言い訳なのが大半を占めると思います。
「時期尚早と言う人は、10年経っても時期尚早と言う」。これはなかなか行動に移さない人を揶揄する言葉です。
 ようやく重い腰を上げた時には手遅れ。失敗の原因としては分かりやすい理由ですが、当事者としては意外と気付いてない困った部分です。
 
 また慎重に動くために詳しい情報を集める人は多いでしょう。
 でも、実はこれが決断を下す責任を先延ばししてるだけと言われたらどう思いますか?
 企業のトップや戦時中の将軍は、情報が2割集まった時点で決断を下さなくてはなりません。これは競争相手より先に行動を起こさないと、後手に回って不利な立場に立たされるからです。
 さて、あなたは2割だけの情報で結論を出せるでしょうか?
 一般には3割の情報で動けば早い方、普通の人には6割はないと結論を下せないと言いますから、2割の情報で決断を下すことが、どれほど大変かは理解できると思います。しかも、それが企業や国の命運がかかる決断となると責任は重大です。
 それに対して万が一を考えて、99%の情報が集まっても決断しない人はいますねぇ。残りの1%は「前例がない」だったりしますけど……。
 
付き合いにお金を使わない(または安く済ます)
 人と付き合うには、何かとお金がかかるものです。出掛ける時の交通費。立ち話で済ませるわけもいかないので、飲食店に入るでしょうから食費もかかります。出掛ける時に着ていく服も、状況に合わせて用意しなくてはなりません。電話やインターネットで済ませ、直接合わない場合でも通信費がかかります。こちらから伺う時は手ぶらでも構わないでしょうけど、何か手土産は用意したいところです。相手がこちらに来る時には、いろいろ持て成したいものです。
 とにかく、人と付き合うには何かとお金が出ていくものです。
 そこで、こういう時のお金を安く済ませられないか。いっそのこと使わずに済ませられないか。そういうことを考える人が出てくるのは当然だろうと思います。
 
 とは言え、世の中は人脈によって成り立つもの。それをおろそかにすると、いざという時に困る事態になります。
 それに今の仕事や趣味とは関係のない人たちとの交流を絶ってしまったら、今は良くてもその後の広がりを失うかもしれません。人の縁が元で新しい事業が生まれるというのは、よく聞く話です。
 金の切れ目が縁の切れ目。これはお金を出す出さないではなく、付き合いの善し悪しを意味するとも解釈できますね。
 
倹約は美徳と思ってる
 個人の消費活動であれば、これは正しい認識です。「(お金が)ない時の辛抱、ある時の倹約」とは、古くからあるお金に困らないための格言です。
 でも、これが仕事となると話はまったく別になります。
 
 収入より出費が少なければ黒字になり、多ければ赤字になる。それは誰にでも分かります。
 ところが多くの人は目先の出費ばかりを見て、収入に関心が向かいません。そのため経費を削った結果、収入まで減らす悪循環に陥る場合も少なくありません。
 私が経験した愚かな倹約の実例ですが、事業所単位で行なう社内取引きよりも社外取引きの方が安上がりで済むと言って、それぞれの事業所が社外取引きに切り替えた結果、会社全体としての収入(売り上げ)はそのままなのに支出だけが激増して大赤字になったという話があります。
 一時期流行った……というか、また最近復活しつつある独立採算の誤った考えですね。
 
 それに対して私は会社を辞めて専業作家となったため、出費を増やしても、それ以上に収入が増えれば問題ないという発想に変わりました。喫茶店で飲み物代を払いつつも書いた時の方が、家で書く時より集中できて倍は進みます。それで1年に1冊でも多く本を出せれば、1年間毎日喫茶店に通っても支払った飲食代を上回るという理屈です。
 まあ、こういう発想は会社勤めの頃にも知識としてはあったのですが、給与は早々変わることがないために、知らず知らずのうちに発想できなくなってたのでしょう。専業作家となったことで、収入を増やすための出費というものを実感するようになりました。
 この発想ができない人による闇雲な倹約(コストカットやリストラ)は、俗に言う「サラリーマン社長」による弊害ですね。
 
他人を利用することを考える
 世の中は持ちつ持たれつの「Give & Take」です。
 ですが、世の中には相手に不利益を押し付けて、利用することばかり考えてる人がいます。誰かが先にやってくれたら自分もやるという「Take & Give」の人が多いようです。
 この「Take & Give」も他人を利用する行為と同じです。相手に先に行なわせると言うことは、場合によっては相手に対して一方的に不利益を押し付けることになります。これでは相手も堪りませんから、次第に離れていきます。
 相手の気持ちを考えれば、相手にばかり求めないで、自分からも不利益を受け止めなくてはなりません。
 
 これに似たところでは暗黙のルールがあります。
 暗黙のルールと言うと悪いイメージがありますけど、道義的な理由から自然発生したものが少なくありません。
 行列に割り込んではいけないとか、公共の乗り物に乗る時は下りる人が先とか、エスカレーターのどちらに並ぶかとか、社会性のある人であれば誰に教えられるでもなく守っているルールです。
 スポーツにもルールに明記されてない暗黙のルールがあります。曲線コースでは内側から追い抜いてはいけないという暗黙の了解事項は、危険を回避する上で重要な約束事ですね。どういうわけかF1レースでは無視されてるように思えますけど……。
 こういう約束事を破って自分だけ利益を得ようという行為も、約束事を守っている他人を利用するようなものです。
 また暗黙のルールが明文化されてないのを良いことに、自分に都合の良いルールを「業界の慣習」と偽って押し付けてくる行為も、他人を利用しようとする行為と同類と見做せるでしょう。
 
 ここを見る人の中には「大人買い」をする人もいると思うので、その件にも触れておきましょう。
 大人買いは最低限の礼儀として、発売日の当日に行なってはなりません。みんなが発売を楽しみにしていた物を買い占めるということが、どれほど社会性を欠いた迷惑行為か。これは誰に言われなくても理解できると思います。
 ただ、いつからなら「大人買い」して良いのかとなると、これは意見が分かれるでしょう。翌日なら良いと言う人もいるでしょうし、最初の週末までは控えた方が良いという人もいるでしょう。
 まあ、あくまで暗黙のルールですから、こういう考えの違いがややこしいんですけどね。
 
稼ぐに追い付く貧乏なしと無駄な骨を折る
 どんなに努力しても、それが間違った努力や苦労であっては意味がありません。
 
 アイドル歌手を目指して、歌の練習ではなくサインの練習をしてる人。小説家を目指して、作品を書かずに授賞式でのスピーチを考えてる人。プロ野球選手を目指して、鏡の前でカッコイイ投球フォームや打撃フォームを研究してる人。プロサッカー選手を目指して、ゴールを決めた時の踊りを練習する人。
 明らかに間違った努力ですけど、実際にかなりの数の人がいるのではないでしょうか。
 少なくともサインの練習でノートを埋め尽くしてる人は、私自身の経験で中学高校の6年間で3人遭遇してますので、日本全国ではいったい何人いるのでしょうね。これが間違った努力の代表です。
 
 そこまでの勘違いでなくとも、薄利多売の営業に手を染める経営者は世の中にゴマンといます。この時にちゃんと経営戦略を立ててないと、忙しいし売り上げは伸びるけど、同時に赤字も膨らむという本末転倒な事態に陥ります。
 練習のしすぎで身体を壊し、選手生命を絶たれるスポーツ選手や音楽家生命を絶たれる演奏家もいます。
 小説家などのクリエーター業だと、仕事を取り過ぎて忙しさから作品の質を落とし、ファンが離れてしまう状況でしょうか。
 忙しさから健康管理ができなくて、命を落とす人もいます。
 
 その努力や苦労は正しいのか。一度立ち止まって、見直してみることも大切でしょう。
 
仕事には人情を持ち込まない
 仕事に私情を挟まないことを、美徳と思い込んでる人は多そうです。
 まあ、自分個人だけが仕事に私情を持ち込まないのでしたら、それは立派な心掛けとも言えるでしょう。しかし、それを他人に強要すると、問題は簡単ではなくなります。
 
 何よりもまず、仕事は一人では成り立ちません。大勢の人たちとの関わりで成り立ちます。当然、仕事には人間関係も影響しますから、そこから各自の私情をなくすことは不可能です。
 部下が何か月も前から楽しみにしていたコンサートの日に、急な残業仕事が発生したとします。あなたが上司であれば、この時にどういう裁量を働かせるでしょうか。
 仕事だから諦めろと言う人。そういう人は当然のことながら、部下からの信頼を失います。当座の仕事は乗り切れますが、先々、あなたへの反発心から部下たちの働きが悪くなるでしょう。
 私自身、クラシックコンサートの日に急な残業予定があるからと全員に待機命令をくだされ、チケットを無駄にされた経験があります。もちろんこの日の予定は事前に伝えておき、定時で退社できるようにお願いしていたのですが……。
 ところが結局その日は夜9時になっても肝心の仕事が回って来なくて、帰宅することになりました。しかも、作業が発生してないという理由で残業代を払うかどうかが問題となったため(これは最終的に支払われましたが)、その後、全員で結託して上司を無視する(悪く言えば社内いじめ)へと発展しました。
 大人げないと言ってしまえばそれまでですが、世の中はちょっとしたことで人間関係は変わるものです。
 逆に機転を利かせて、大切な用事や予定のある部下だけを帰したら……。帰った人は恩義を感じて、その後も一生懸命働くでしょう。それで残って仕事をする人たちは大変ですけど、むしろ自分に用事ができた時は帰れるという気持ちが生まれますので安心して働けます。
 
 仕事から人情を切り離すことばかり考えるのは、実は面倒事に巻き込まれたくないという、自分の度量の低さを映す鏡です。こういう人は放っておいても失敗するでしょう。
 
他人の欠点ばかりを指摘する
 意外かもしれませんが、これも失敗する人に見られる共通の行動です。そこには他人を見下す心理が働くからではないでしょうか。それにより周囲から何かを学び、成長する姿勢が薄れるのが原因ではないかと思います。
 当たり前の話ですが、何にでも長所と短所があります。
 
 まず、私は基本的に欠点は直せないと考えています。例外は欠点が努力の足りない部分である場合だけです。
「見方を変えれば、欠点が長所(持ち味)になり、長所であった部分が弱点(それだけ)になる」という安っぽい物言いも好きではありません。
 ハッキリ言います。欠点はいつまで経っても欠点です。
 
 そこで考えてみましょう。世の中で成功する人は欠点を持ち合わせない人だけで、欠点のある人はあきらめなくてはならないのでしょうか?
 それは大間違いです。成功する人たちは欠点を克服するよりも、長所を伸ばして欠点を補ってきたと断言できます。
 考えてください。欠点は地面にできた穴のようなもので、努力して塞いでもせいぜい人並みにしかなりません。それに対して長所は初めから他人より抜きん出ています。それを磨いてもっと高くすれば大きな武器になります。
 
 具体例として生き物としての人間を考えてみましょう。人の視力は、けして良くありません。色も可視光線の範囲内だけでしか識別できません。可聴範囲も広くありません。嗅覚もダメです。また人の肺は効率が悪く、激しい運動や薄い空気の中での活動に適してません。筋肉も体重の割に少な過ぎ、ほとんどの人は身長の半分も跳べません。空も飛べません。長く泳げません。潜るとなると数分が限界です。
 肉体改造すれば、これらの欠点は直せるでしょうか?
 はっきり言って根本的な部分に欠陥を持っているため、直すことはできません。
 でも、人間は知恵を使って、道具を使うことで欠点を補ってきました。人間が他の生き物より優れている唯一の部分が知能です。というか、これ以外の長所がないのが人間です。
 
 このように考えると、欠点を指摘することの虚(むな)しさを感じていただけたでしょうか。
 成功する人は長所を見て、そこを伸ばそうと努力する。失敗する人は欠点を見て、それを埋めようと努力する。
 自分も成功するために、他人の欠点よりも長所を見て真似た方が得策とは思いませんか?
 
世の中には無能が多いと思ってる
 これには三つのパターンが考えられます。
 まず幼児万能感覚でいて、物事を頭の中でしか考えてない人です。それも自分に都合良くしか考えてません。
 こういう人は実務を知りませんから、物事を常識では有り得ないスーパーマンで捉えています。たとえば料理を食べる時は一瞬です。そのための下ごしらえなどの手順を理解してないので、すぐに料理が出てこないと料理人をのろまと感じてしまいます。自分の都合通りにできない人は、すべて無能になります。
 小説であれば読む時は1冊数時間ですから、1週間もあれば書いて出版できるだろうと考えてしまいます。
 まあ、これが子供なら仕方ないのですが、成人してる人の中にも、この感覚でいる人を見掛けます。こういう実体験ないし現場を知らない人は成功にはほど遠い位置にいますので、必然的に失敗します。
 
 二つめは相手に常に完璧を求めるあまり、いつの間にか無能が多いと思い込んでしまう人です。
 こういう人は常にチャンピオンデータ(記録的な成果)を当たり前と思い込み、それができない人は無能と考える傾向があるようです。何故そうなるのかというと、実はこれも無知が原因です。チャンピオンデータには必ず理由があるのですが、それを理解してないために、一方的に相手を無能と決め付けるわけです。
 こういう人はチャンピオンデータ(傍から見れば希望的観測)で計画を立てる傾向があるわけですから、失敗するのも当然でしょう。
 
 上の二つとは違い、自分を優秀だと勘違いしたために、世の中には無能が多いと感じる人もいます。
 要するに謙虚さを失って、天狗になってしまう人ですね。でも、これはお山の大将ですから、自分からもっと高みを目指す気持ちは失われるでしょう。あとは失敗する人生へまっしぐらです。
 こういう勘違いする人で意外と多いのが、教える立場にいる人です。
 当然のことながら、学びに来る人はまだほとんど能力が磨かれてない状態ですから、表向きは自分よりも能力は劣ります。そのため、いつの間にか天狗になって相手を見下すのではないかと思います。
 どうでも良い話ですけど、こういう種類の人が多いと聞かされるのが、自動車教習所の先生なのは何故でしょうね?
 
世の中には身勝手な人が多いと思ってる
 これには二つのケースが考えられます。
 まず問題が大きいのは、相手が自分の都合に合わせないことを一方的に「身勝手」と決め付ける人です。要するに自分が一番の身勝手とは気付いてない人ですね。こういう人はやがて周りが離れていきますので、人間関係で失敗するのは目に見えます。
 
 もう一つのケースは、何かに対して自分だけが我慢してると錯覚している人です。これは生真面目な人にありがちな、本人にとって不幸な思い込みです。
 不満や問題点は相手や周囲の人に伝えた方が、気持ちは楽になります。逆に事情を説明され、納得できるかもしれません。
 単に思い込みだけで我慢してるのかもしれません。こうあるべきという気持ちが強過ぎて、本当は必要ないことを頑固に守ってるだけかもしれません。
 こういう人にとっては、身近で我慢してない人を見掛けると許せなくなるものです。
 そして自分で気付かないうちにチャンスも我慢の一言で見逃しますから、失敗する可能性も大きくなります。
 
改善は初めから不可能と思って何もしない
 これは説明不要ですね。
 このままでは行き詰まると分かっていながらも何もしない。どう転んでも失敗へまっしぐらです。
 
 
最後に
 失敗する秘訣は、いかがでしたでしょうか?
 どうすれば失敗するのか、その秘訣を知ったら、今度は徹底的にはずす人生を送ってみましょう。
 成功する保証はありませんし、周りからトラブルの火の粉が飛んでくることは誰にも避けられません。でも、少なくとも大きな失敗をして惨めな人生を送ることぐらいなら回避できるのではないかと思います。
 あとは地道に続けて、果報を寝て待ちましょう。