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公開:2018年3月14日 更新:2018年3月14日

ブーム

再評価曲線
ブーム
 モノが多くの人に認知され、どんどん消費される現象です。
 一人一人の中にもマイブームがありますが、それが多くの人の中でいっせいに起こる社会現象です。
 一度このブームに火がつくと一気に広まって大勢の人に知られることになり、ますますブームが大きくなっていきます。
 このあたりのことは詳しく説明するまでもないでしょう。
埋もれた名作
 創作者にはあまり好ましくありませんが、うまくブームの波に乗れなかった作品は世の中にゴマンとあります。
 最初のブームは出版社の経営方針に大きく左右されます。ノーベル賞作家ですら、新作が出版社編集の偉い人の好みに合わなかったという理由だけで出版すらさせてもらえなかったという話もあります。
 今は有名でも、作者が生きていた時代には無名で、死後何十年も()ってから有名になることは珍しくありません。
 日本の作家では、宮沢賢(みやざわけん)()()口一葉(ぐちいちよう)、小説ではありませんが(かね)()みすゞあたりが代表でしょうか。
 出版社のイヤガラセで干され、むりやり埋もれた名作にさせられた例も珍しくありません。(注1)(注2)

 

注1
 文学界ではありませんが、誰もが名前を知っている人で業界から干された有名人といえば、クラシック音楽のシューベルトでしょう。
 19世紀前半のウィーンはクラシック音楽界の中心地となり、音楽の都と呼ばれていました。それでクラシック音楽に(たずさ)わる音楽出版社(楽譜出版社)が(てん)()になっていたのでしょう。多くの作曲家にイヤガラセをする風潮が出てきます。
 シューベルトは、その一番の被害者です。そのシューベルトが、生前、仲間の音楽家たちと集まってお酒が入った時に「俺とベートヴェン、どっちが先にくたばるか」と言ったというような逸話が残されてます。その時のシューベルトはある音楽出版社からのイヤガラセを受けて、音楽界から干されていました。言動に出てくるベートーヴェンも、少し前の音楽史ではスランプとされていた時代ですが、この話からベートーヴェンも同じ出版社からのイヤガラセに遭って干されていたのだろうと予測してました。
 この時代の音楽史ですが、最近の10年で研究が進んだのか、日本語への翻訳が進んでwikipedia等に詳しい事件が載るようになってきました。
 問題の音楽出版社で名前が判明したのがハスリンガー社。同社に干された作曲家で判明してるのは、シューベルト、ベートーヴェン、ショパンの3人。なんと、ショパンも被害者だったんですね。それで激怒したベートーヴェンはウィーンを離れてドイツへ、ショパンは祖国ポーランドへ逃げています。
 他にもそういう作曲家は多かったのでしょう。その結果、クラシック音楽の中心はウィーンからドイツへ移ってしまいました。
 
 もっとも、それですぐにウィーンの音楽界は衰退していません。クラシック音楽からワルツやポルカなどの短く収益性の高い楽曲にシフトして、我が世の春を謳歌し続けます。
 ただし、その終わりは突然でした。1873年5月1日。ウィーン万博開催でオープニングのワルツを演奏していた頃、バブル経済が崩壊して音楽出版界は壊滅的な影響を受けます。作曲家たちから信用を失っているハスリンガー社はクラシック音楽出版事業へは戻れず、製図図書の出版社となり、20世紀に入った頃に廃業へと追い込まれたそうです。
 そしてウィーンのオペラハウスはシューベルトがスケッチや断片を含めて11曲もオペラを書いていたとは知らず、「シューベルトがあと10年長く生きていたら、きっと素晴らしいオペラを作曲してくれただろう」という嘆きを込めて、有名なオペラ作曲家の胸像と並べて、シューベルトの胸像も飾ったという……。
注2
 イヤガラセは、なにも出版社からだけとは限りません。同業者から執拗(しつよう)な攻撃を受ける場合もあります。
 日本で有名なところでは松本清張の「SF作家に直木賞は与えない」でしょうか。この時代は長く続きました。
 注1同様クラシック音楽界での話ですが、スウェーデン音楽界の(じゅう)(ちん)たちから才能を(ねた)まれて、作曲しても発表できなかったベルワルドという作曲家がいます。
 彼の死後、シューベルトの時と同じように仲間の音楽家たちが彼の復権のために動きます。その中に未発表の作品を偽名で作曲コンクールに出すという行為がありました。結果、応募した中からピアノ協奏曲が見事特賞を得るのですが、そこで彼の作品とわかった途端、(じゅう)(ちん)たちが難癖をつけて受賞取り消し騒ぎを起こしました。
 こうやって才能を潰される人もいるという話です。