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    地震の巻(超訳)

 

地震の巻〜第1帖  →原文

存在するものに一定不変はなく、永遠に続くものはない。
神も宇宙も、その他森羅万象も、絶えずこの世に生まれ続けている。
そこには過去も現在も未来もなく、生も死もない。
ただし、存在するものの本体は無であるがゆえに、永遠に存在する。

 

地震の巻〜第2帖  →原文

天界にも地界にも無限の段階があ。
属する段階とは一部で交流があっても全面的な交流は有り得ない。

偽善は人のみでなく霊にも許している。
動いていれば初めのうちは偽善でも、浄化されて本物になることもある。
むしろ動かない善や真こそ偽善である。

人は死後、生前の姿のまま最初の霊界へ入っていく。
ここには長く居られないが、先に亡き別れた肉親と再開し、しばらく一緒に暮らすこともできる。
しかし、やがて魂の段階に応じて別れ、本来の自分の世界へと戻っていく。
地獄的暗黒へ向かう者もいるが、それぞれの人にとっては歓喜である。

 

地震の巻〜第3帖  →原文

地上人は後ろにいる霊人(守護霊)によって存在し、霊人は地上人によって呼吸できる。
地上人は社会生活の中で弥栄することで、神とともに歓喜できるようになる。
天国へ至るために、世を捨て、物を捨て、欲を捨てるのは大きな間違いだ。
それでは守護霊が呼吸できなくなる。(原理主義の否定)
善は悪があって成り立つ。愛も憎があって成り立つ。光も闇があって成り立つ。
片方だけを極めようとしても、必ず対立するものも同じ分だけ強くなっていく。
そもそも本来、悪も憎も闇も地獄も存在しない相対的なものだ。

 

地震の巻〜第4帖  →原文

地上の物質の世界では悪は必要悪であるから許されている。
悪を殺したら、善も殺され、神も殺され、すべてが殺されることになるからだ。
ゆえに地上人は善と悪の両面に通じ、両面に触れて生活することになる。
だが、地上人の後ろにいる霊人(守護霊)は善と悪の両方で呼吸することは許されてない。
そして地上人も、本質的には善と悪の両面を持つことは許されない。
悪は抱き参らせることが地上に課せられた大使命であり、魂を育てる悪の御用であると自覚せよ。

 

地震の巻〜第5帖  →原文

あの世に天国も地獄もない。地上人は死後、各自のレベルに応じた世界へ行くだけである。
生前の行為が死後、審判されることもない。悪因縁も存在しない。
死後もしばらくは幻想であるが、生前と同じ暮らしが続くだけである。
詳しくは三界の真実を知って理解せよ。

 

地震の巻〜第6帖  →原文

地上人も霊人も歓喜することは同じであるが、何を歓喜と感じるかは人によって違う。
地上人が光と感じるものを、闇と感じて背を向ける霊人もいる。それを邪霊と呼ぶが悪ではない。

映像で見せられる思念は第二義的なものであって、真実とは保証されない。
自分には真実に見えるものが、他人にはウソに見えることは存在する。そこは理解せよ。
地上界では異なる思念が交叉混交するが、霊界では決して重なることはない。
これは霊人には与えられてない、地上人だけが得られる自由である。

 

地震の巻〜第7帖  →原文

地上には地上の、霊界には霊界の秩序や順序、法則がある。
互いに影響し合ってはいるが、その時には世界の法則は移る世界のものに形を変えている。

昇華した世界から下の世界を見ると、まるで汚れた泥海の中のように見える。
下の世界で悪に見えたことも、上の世界からはただの結果か、理由のある善とわかることもある。
むしろ物事を悪と決めつけ、憎む想念を生む『我』こそが悪と知るべきである。
悪と感じる理由を知る努力をしなければならない。

 

地震の巻〜第8帖  →原文

死後もしばらくは生前と変わらぬ生活をし、急に異質な世界へ飛び込むことはない。
死後の世界にある山も川も家も衣服も食べ物も、初めは地上界と同じものが用意されている。
だが、死後は自分の霊格に合った世界に住み、その人にとって生きづらい世界には居られない。
ゆえに誰にとっても死後の世界は天国的な新天地である。
死とはすべての終わりではなく、地上人にとっては物質の体を脱ぎ捨てただけ。
根本的なものは何一つ変わることはない。

 

地震の巻〜第9帖  →原文

善悪の働きを人間の価値観で決めつけてはならない。
悪とは変化や動きである。物事が動き変わる時には抵抗が生まれる。それが人の感じる悪である。
だが、善だけでは変化どころか動きすらない。それでは世の中は停滞して進展しなくなる。
ゆえに上から見れば悪は世の中を動かす善であり、悪は停滞や必ず生じる摩擦抵抗にすぎない。
道理を知り、悪が悪でないと知って受け入れることこそ愛である。そこに歓喜、弥栄が生まれる。

 

地震の巻〜第10帖  →原文

生前は物質世界、死後は霊的世界と違いはあるが、同一の時間軸の上に存在している。
互いに別の世界ではあるが、内にある共通の霊人を通じて相互に知得することは可能である。

平面思考では共通点を持つがゆえに差別し、通じるところがないと平等にできる。
だが、立体思考では差別は平等になり、平等は差別になる。
これを理解した者は、未来に生成発展をもたらすことができる。

 

地震の巻〜第11帖  →原文

霊人は霊格が高くなるほど想念(テレパシー)で語り合うため、言葉は少なくなっていく。
言葉ではないから距離も時間も関係なく、受け取る準備さえ整えば瞬時に交わされる。

人もこの世とあの世の間で想念(テレパシー)で語り合うことは可能だ。
ただ原則として互いに接触しないため、容易に感応できないだけである。

一方で神とは対話できる。神の言葉は生命の歓喜であり、音楽と同じでもある。

 

地震の巻〜第12帖  →原文

地上人と霊人の対話は和合により可能で、外からは自分と自分の対談のように見える。
人は神の器であるから、和合できる霊は自分の霊格に見合った神である。下級霊や動物霊は憑依できない。
しかし外部からの感応で、あたかも憑依したようになる場合がある。

和合、感応は霊との波調が合うことで、相手を信じない者との対話は不可能である。
それに相手の知識や思い込みで、言葉は正しく伝わらないことも知っておくべきである。

 

地震の巻〜第13帖  →原文

魂が低い段階では正しいことも、高くなると必ずしも正しくないことは多くある。
下級霊と感応した地上人は空想家であり、狭いカラに閉じこもったニセ霊能者になる。
彼らは奇跡を見せるが、奇跡は霊の成長にとっては向上とは逆行するものである。

月の霊人は直線的な文字を使い、太陽の霊人は曲線的な文字を使う。
霊人は高度になるほど数字のみを使う。数字には多くの情報が詰まっている。

 

地震の巻〜第14帖  →原文

霊人には時間の概念はなく、状態の変化でのみ地上人の感じる時間を知覚する。
物質的な距離や空間の概念もなく、離れてるか、内分か外分かでのみ知覚する。
それゆえに地上人は霊人が不完全なもののように思うが、実際には霊人の方が精巧に作られている。
この霊人の姿が本体であり、地上人の姿は写しである。地上人にとってこの事実は理解しづらいだろう。

 

地震の巻〜第15帖  →原文

現実世界は霊界の写しであるから、大自然も大都市も現実世界そっくりのものが霊界にもある。
公共のものは都会や集落の中央にあり、周りに住宅や商店がほどよく囲んでいる。

霊人は霊格が高いほど、自分より遠い性のものを美味しいと感じるようになる。
人も同じ。霊格が高まるほど近い種の肉を美味しいと感じなくなり、自然と食べないようになる。

 

地震の巻〜第16帖  →原文

人間は死んだあとも生きてる時と変わりない感覚を持っている。肉体が霊体に変わるだけだ。
呼吸と脈拍は別物に見えて、霊界における情動の現れである。
電磁気力が電力、磁力、摩擦力、固さなど、状態によって見た目が違うのと同じである。
人間は霊界の写しであり、また宇宙の写しである。ゆえに大宇宙にも心臓や肺に相当するものがある。
死ぬとは状態が変わること。新しい状態へは一気ではなく、段階を逐って変わっていくものだ。

 

地震の巻〜第17帖  →原文

絶対的な地獄は存在しない。ただ自分とは相容れない世界が地獄と感じるのである。
ゆえに霊魂は天国へは昇りやすいが、地獄には堕ちづらいものである。
しかし、今の地球は暗黒に満たされ、楽天地ではなく地獄的な暗黒世界にされている。

死後、魂は物質的な肉体を脱ぎ捨てるが、物質的な感覚はそのまま残る。
物質界と霊界は裏表であって別物ではないから、生前も生後も相通じ関連している。

 

地震の巻〜第18帖  →原文

霊の世界に「権利」はなく、ただ「義務」があるだけである。
「権利」とは身勝手な人が無視しようとしてる「義務」にすぎない。
我を出すと力を失い、仕事を失い、苦悩する。

 

地震の巻〜第19帖  →原文

天国の政治は歓喜の政治、与える政治、愛の政治であるから戒律はない。
指令も戒律であるから、これも神の意志に反している。
統治者は歓喜が最大になるように努力するのみである。
人々は情動によって愛を重んじる太陽か、智を重んじる月を仰ぐ。
それぞれの内質によって愛の形は千変万化するが、歓喜によって統一されるものと知らねばならぬ。