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             下つ巻(全文)〜「世百つ巻」とも

 

下つ巻〜第1帖 →超訳

富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に(まつ)りてくれた、御苦労ぞ、
いよいよ神も(うれ)しいぞ。
鳥居は()らぬぞ、
鳥居とは水のことぞ、
海の水ある それ鳥居ぞ。
皆の者 御苦労ぞ。
(じゃ)が岳は昔から神が隠しておった大切の山だから、
人の登らぬようにして、竜神となって護ってくれた神々様にも御礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、
()けるぞ、
山晴れ、(くに)晴れ、海晴れて、始めて(てん)晴れるぞ。
(てん)晴れて神の働き いよいよ(はげ)しくなったら、
臣民(しんみん)いよいよわからなくなるから、
早う(かみ)(こころ)になっておりて下されよ。
次々に書かせておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この(おしえ)宗教(をしえ)ではないぞ、
教会ではないぞ、
道だから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民(しんみん)に神が満ちることぞ、
神の国の中に神が満ち満つることぞ。
金儲けさせんぞ、
欲すてて下されよ。

記:1944年7月12日

道:おしえ/お=次の発展の元
宗教:をしへ/を=完成系・終わり

 

下つ巻〜第2帖 →超訳

今度岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。
岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ。
大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、
それぞれ()(たま)相当の岩戸開いてくれよ。
慾が出るとわからんことに、(めくら)になるから、神、気つけるぞ、
神の御用と申して自分の仕事休む様な心では神の御用にならんぞ、
どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。
神は見通しだから、次々によき様にしてやるから、
慾出さず、素直に今の仕事致しておってくれよ、
その上で神の御用してくれよ。
役員と申しても、それで食ったり飲んだり暮らしてはならん、
それぞれに臣民(しんみん)としての役目あるぞ、
役員(づら)したら、その日から代わりの身魂(もの)出すぞ、
鼻ポキンと折れるぞ、
神で食って行くことならんから、
くれぐれも気を付けておくぞ。

記:1944年7月13日

 

下つ巻〜第3帖 →超訳

この神のまことの姿見せてやるつもりであったが、
人に見せると、びっくりして気を失うかも知れんから、
石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、
それが神の或る活動の時の姿であるぞ、
神を見せ物にしてはならんぞ、
お山の骨もその通りぞよ、
これまで見せてもまだわからんか、
何もかも神がさせてあるのぞ。
心配いらんから慾出さずに、素直に御用聞いて下されよ、
今度のお山開き まことに結構であるぞ、
神が(はげ)しくなると、神の話よりできんことになるぞ、
神の話 結構ぞ。

記:1944年7月13日

 

下つ巻〜第4帖 →超訳

早く皆の者に知らせてくれよ、
()けるぞ。
お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気づかんか、
それを見ても神が使ってさせておること、よくわかるであろうが、
それで素直に神の申すこと聞いてくれて()を出すなと申しているのぞ、
何事も神に任せて取り越し苦労するなよ、
我が無くてもならず、我があってもならず、
今度の御用なかなか難しいぞ。
五十九の石の宮できたから、五十九のイシ()(たま)いよいよ神が引き寄せるから、
しっかりしておって下されよ。
今度の五十九の()(たま)は御苦労の()(たま)ぞ。
人のようせん辛抱(しんぼう)させて、
生き変わり死に変わり修行させておいた昔からの因縁(いんねん)()(たま)のみだから、
みごと御用つとめ上げてくれよ。
教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引っ張るでないぞ。
この仕組み知らさなならず、知らしてならんし神も中々に苦しいぞ、
世の元からの仕組みだから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。

記:1944年7月13日

 

下つ巻〜第5帖 →超訳

江戸に神と人との集まる宮建てよ、
建てると申しても家は型でよいぞ、
仮のものだから人の住んでいる家で良いぞ。
 ゝ◯(神)の石(まつ)りて、神人祭りてくれよ。
それができたら、そこでお告げ書かすぞ。
(さみ)しくなった人は集まって その神示(ふで)見てよ、
神示(ふで)見れば誰でも(よみがえ)るぞ。
この神示(ふで)うつす(やく)()るぞ、
この神示(ふで) 印刷してはならんぞ。
神の民の言葉は神(たた)えるものと思え、
てんし様(たた)えるものと思え、
()めるものと思え、
それで言霊(ことだま)幸わうぞ、
それが臣民(しんみん)の言葉ぞ。
(わる)き言葉は言ってはならんぞ。
言葉は良きことのために神が与えているのだから忘れんようにな。

記:1944年7月15日

 

下つ巻〜第6帖 →超訳

今までの神示(ふで) (えん)ある臣民(しんみん)に早う示してくれよ、
神々さま臣民(しんみん)まつろいて言答(いわと)開く(もと)できるから、
早う知らせてくれよ。
誰でも見て読めるように写して神前に置いて、
誰でも読めるようにして置いてくれよ、
役員よく考えて、
見せる(とき)間違えぬようにしてくれよ。

記:1944年7月15日

 

下つ巻〜第7帖 →超訳

この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らせてやれよ、
しかし無理には引っ張ってくれるなよ。
この神は信者集めて喜ぶような神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、
それで教会のようなことするなと申すのぞ、
世界中大洗濯する神だから、小さいこと思っていると見当取れんことになるぞ。
一二三(ひふみ)祝詞(のりと)する時は、神の息に合わせて()れよ、
神の息に合わすのは三五七、三五七に切って()れよ。
(しま)いだけ(ふし)長く読めよ、
それを()(たび)読みて()りあげよ。
(あま)()祝詞(のりと)の神ともこの方申すぞ。

記:1944年7月15日

 

下つ巻〜第8帖 →超訳

この神示(ふで) 皆に読み聞かせてくれよ。
一人も臣民(しんみん)おらぬ時でも声出して読んでくれよ、
()(ごころ)の声で読んでくれよ、
臣民(しんみん)ばかりに聞かすのでないぞ、
神々さまにも聞かすのだから、
そのつもりで(ちから)ある(まこと)の声で読んでくれよ。

記:1944年7月17日

 

下つ巻〜第9帖 →超訳

 今度の(いくさ)はゝ◯と◯の大戦ぞ。
神様にもわからん仕組みが世の元の神がなされているのだから、
(しも)の神々様にもわからんぞ。
何が何だか誰もわからんようになって、
どちらも丸(つぶ)れというところになったおり、
大神のみことによって この方らが神徳出して、
九分九厘というところで、神の力がどんなにえらいものかということ知らせて、
悪の神も改心せなならんように仕組みてあるから、
神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。
 ゝ◯と◯は心の中に「ゝ」があるか「ゝ」がないかの違いであるぞ。
この方は三四五(みよいづ)の神とも現れるぞ。
江戸の()(やしろ)は誰でも気楽に来て拝めるようにしておいてくれよ、
この方の神示(ふで)書く役員、神示(ふで)うつす役員、神示(ふで)説いて聞かす役員()るぞ、
役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛けないと(つと)まらんぞ、
役員(づら)したらすぐ替え()(たま)使うぞ。

記:1944年7月17日

 

下つ巻〜第10帖 →超訳

八月の十日には江戸に祭りてくれよ。
アイウは縦ぞ、
アヤワは横ぞ、
縦横(たてよこ)そろって十となるぞ、
十は火と水ぞ、
縦横(たてよこ)結びて(ちから)出るぞ。
何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめてくれよ。
臣民(しんみん)は静かに、神は(はげ)しき時の世 近づいたぞ。

記:1944年7月17日

 

下つ巻〜第11帖 →超訳

(けもの)さえ神の()(むね)に息せるを神を(ののし)る民の(さわ)なる。
草木さえ神の心に従っているではないか、
神の(むね)にそれぞれに生きているでないか、
あの姿に早う返ってくれよ、
青人草(あおひとぐさ)と申すのは草木の民のことぞ。
道は自分で歩めよ、
御用は自分でつとめよ、
人がさせてくれるのでないぞ、
自分で御用するのぞ、
道は自分で開くのぞ、
人頼ってはならんぞ。

記:1944年7月18日

 

下つ巻〜第12帖 →超訳

  このゝ◯(神)は日本人のみのゝ◯(神)でないぞ。
自分で岩戸開いておれば、
どんな世になっても楽に行けるように神がしてあるのに、
臣民(しんみん)というものは慾が深いから、
自分で岩戸閉めて、それでお(かげ)ないと申しているが困ったものぞ。
早う気づかんと気の毒できるぞ。
初めの役員十柱集めるぞ。
早うこの神示(ふで)写しておいてくれよ。
 ゝ◯(神)()けるぞ。

記:1944年7月18日

 

下つ巻〜第13帖 →超訳

逆立ちして歩くこと、なかなか(じょう)()になりたれど、
そんなこと長く続かんぞ。
(あたま)下で手で歩くのは苦しかろうがな。
上にいては足も苦しかろうがな。
上下(うえした)逆様(さかさま)と申してあるが、
これで良くわかるであろう、
足はやはり下の方が気楽ぞ、
(あたま)上でないと逆さに見えて苦しくて逆様(さかさま)ばかり映るぞ、
この道理わかったか。
岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、
神の姿に返すことぞ。
(みち)(道)の役員は別として、
あとの役員の御役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。
人の姿見て役員よく神の心悟れよ、
もの動かすのは人のような組織でないとできぬぞ。
この道の役員はおのれが自分でおのずからなるのぞ、
それが神の心ぞ。
人の心と行いと神の心に()けたら、
それが神の国のまことの御用の役員ぞ、
この道理わかったか。
この道は神の道だから、神心になるとすぐわかるぞ、
金銀要らぬ世となるぞ。
御用うれしくなったら神の心に近づいたぞ、
手は手の役、うれしかろうがな、
足は足の役、うれしかろうがな、
足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、
それがまことの姿ぞ、
逆立ちして手が足の代わりしていたから、
良くわかりたであろうがな。
いよいよ世の終わりが来たから役員気つけてくれよ。
神代近づいてうれしいぞよ。
日本は別として世界七つに分けるぞ、
今にわかって来るから、静かに神の申すこと聞いておいて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組みぞ、
わかった臣民(しんみん)から御用作ってくれよ、
御用はいくらでも、どんな臣民(しんみん)にでも、
それぞれの御用あるから、心配なくつとめてくれよ。

記:1944年7月18日

 

下つ巻〜第14帖 →超訳

臣民(しんみん)ばかりでないぞ、
神々様にも知らせねばならんから、なかなか大層(たいそう)と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組みとは、永遠(とわ)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組みとは、御代出づの仕組みぞ、
御代出づとは神の御代になることぞ、
この世を神の国に練り上げることぞ、
(まつ)りたら三四五(みよいづ)の御用にかかるから、
そのつもりで用意しておいてくれよ。
この神は世界中の神と臣民(しんみん)と、
(けだもの)も草木もかまわねばならんのだから、
御役いくらでもあるぞ。
神様と臣民(しんみん) 同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う()(たま)磨いてくれよ、
磨けただけの神をつけて、天晴れ(のち)の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神に聞いてくれよ、
一人ひとり、何でも聞きたいことは、(やまい)直すことも、
それぞれの神がするから、審神者(さにわ)でお告げ受けてくれよ、
この方の家来が知らせるから何でも聞けよ。
(やまい)も直してやるぞ、
この神頼ったなら、()(たま)磨けただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きだから、これからがいよいよぞ。
とんだところにとんだことできるぞ。
それはみな神がさせてあるのだから、
よく気つけておれば、先のこともよくわかるようになるぞ。
元の神代に返すと申すのはたとえでないぞ。
七から八から九から十から神(はげ)しくなるぞ、
臣民(しんみん)の思う通りにはなるまいがな、
それは逆立ちしているからぞ。
世界一度にキの国にかかって来るから、
一時は(つぶ)れたように、もう(かな)わんと言うところまでになるから、
神はこの世におらんと臣民(しんみん)申すところまで、むごいことになるから、
外国が勝ったように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなって来ねばわからんようでは御用できんぞ。

記:1944年7月20日

 

下つ巻〜第15帖 →超訳

この方(まつ)りて神示(ふで)書かすのは一所(ひとところ)なれど、
いくらでも分け(みたま)するから、
一人一人(まつ)りて審神者(さにわ)作ってもよいぞ。
(まつ)る時は先ず鎮守様によくお願いしてから(まつ)れよ、
鎮守(ちんじゅ)様は御苦労な神様ぞ、
忘れてはならんぞ、
この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。
追い追いわかって来るぞ、
一二七七七七七忘れてはならんぞ、
次の世の仕組みであるぞ。
()(たま)磨けば何事もわかって来ると申してあろうがな、
黙っていてもわかるように早うなって下されよ、
神の国近づいたぞ。

記:1944年7月21日

一二七七七七七=一二(実:霊の力)、七(自知:自分を知る)、七(実:真実)、七(質:本質)、七(至知:すぐれた知恵)、七(四智:4つの智)?

 

下つ巻〜第16帖 →超訳

知恵でも学問でも、今度は金積んでも どうにもならんことになるから、
そうなったら神を頼るより他に手はなくなるから、
そうなってから助けてくれと申しても間に合わんぞ、
イシヤの仕組みにかかって、まだ目覚めん臣民(しんみん)ばかり。
日本精神と申して仏教の精神やキリスト教の精神ばかりぞ。
今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力(しんりき)見せてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、
悪の神渡って来ているから、いつか悪の鬼ども上がるかも知れんぞ。
神の国だと口先ばかりで申しているが、心のうちは幽界人(外国人)たくさんあるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれの名前の付いている石置いてあるから
縁ある人は一つづつ拾って来いよ、
お山まで行けぬ人は、その川で拾って来い、
みたま入れて守りの石と致してやるぞ。
これまでに申しても疑う臣民(しんみん)あるが、
うそのことなら、こんなに、くどくは申さんぞ。
因縁(いんねん)()(たま)には神から石与えて守護神の名づけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。
てん四様を都に移さねばならん時来たぞ。
江戸には人住めんような時が一度は来るのぞ。
前の様な世が来ると思っていたら大間違いぞ。
江戸の仕組みすみたらカイの御用あるぞ。
今に寂しくなって来るぞ。
この道栄えて世界の臣民(しんみん)みな訪ねて来るようになるぞ。

記:1944年7月21日

 

下つ巻〜第17帖 →超訳

学や知恵では外国に(かな)うまいがな、
神頼れば神の力出るぞ、
善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わからんか。
今の臣民(しんみん) 口先ばかり、
こんなことでは神の民とは申されんぞ。
天明(岡本天明)は神示(ふで)書かす役ぞ。
神の心取り次ぐ役だが、慢心すると誰れ彼の別なく、代え()(たま)使うぞ。
因縁のある()(たま)はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。
一人で七人づつ道伝えてくれよ、
この御用が先ず初めの御用ぞ。
この神示(ふで)通り伝えてくれればよいのぞ、
自分心で説くと間違うぞ。
神示(ふで)通りに知らせてくれよ。
()を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、
この道難しいなれど縁ある人は勇んでできるぞ。

記:1944年7月21日

 

下つ巻〜第18帖 →超訳

この道は神の道であり人の道であるぞ。
この道の役員は神が命ずることもあるが、
おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、
誰彼(だれかれ)の別ないぞ、
世界中の臣民(しんみん)みな信者だから、
臣民(しんみん)が人間心では見当取れんのも無理ないなれど、
このことよく腹に入れておいてくれよ。
神の(つち)出るぞ、
早く取りて用意して皆に分けてやれよ。
神に心向ければ、いくらでも神徳与えて何事も楽にしてやるぞ。

記:1944年7月23日

 

下つ巻〜第19帖 →超訳

苦しくなったら何時(いつ)でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、
神に従えば楽になって逆らえば苦しむのぞ。
生命(いのち)も金も一旦天地へ引き上げて仕舞うかも知れんから、
そうならんように心の洗濯第一だと申して、
くどく気つけていることまだわからんか。

記:1944年7月23日

 

下つ巻〜第20帖 →超訳

(うえ)(なか)(しも)の三段に()(たま)()り分けてあるから、
神の世となったら何事もきちりきちりと面白いようにできていくぞ。
神の世とは神の心のままの世ぞ、
今でも臣民(しんみん)(ごころ)になったら、何でも思う通りになるぞ。
臣民(しんみん) 近慾(ちかよく)だから、心曇っているからわからんのぞ。
今度の(いくさ)は神力と学力のとどめの(いくさ)ぞ。
神力が九分九厘まで負けたようになった時に、
まことの神力出して、グレンと引っ繰り返して、神の世にして、
日本のてんし様が世界丸めてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。
てんし様の光が世界の隅々(すみずみ)まで行きわたる仕組みが三四五(みよいづ)の仕組みぞ、
岩戸開きぞ。
いくら学強いと申しても百日の雨降らすことできまいがな。
百日雨降るとどんなことになるか、臣民(しんみん)にはわかるまい、
百日と申しても、神から言えば(またた)きの間ぞ。

記:1944年7月23日

 

下つ巻〜第21帖 →超訳

ゝばかりでもならぬ、◯ばかりでもならぬ。
 ゝ◯がまことの神の元の国の姿ぞ。
 元の神の国の臣民(しんみん)はゝ◯であったが、
ゝが神国に残り ◯が外国で栄えて、
どちらも(かた)()となったのぞ。
ゝも(かた)() ◯も(かた)()
 ゝと◯とを合わせて まことのゝ◯(神)の世に致すぞ。
今の(いくさ)はゝと◯との(いくさ)ぞ、
神の最後の仕組みと申すのは◯にゝ入れることぞ。
◯も五ぞ、ゝも五ぞ、
どちらも、このままでは立って行かんのぞ。
一厘の仕組みとは ◯に神の国のゝを入れることぞ、
よく心にたたみておいてくれよ。
神は十柱五十九柱のからだ持っているぞ。
五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、
早う参りてくれよ。
今度の御役大層であるが、
末代残る結構な御役であるぞ。

記:1944年7月24日

 

下つ巻〜第22帖 →超訳

岩戸開く仕組み 知らせてやりたいなれど、
この仕組み、言ってはならず、言わねば臣民(しんみん)にはわからんし、
神苦しいぞ。
早う神心になってくれと申すのぞ、
()(たま)の洗濯急ぐのぞ。
 二三三二二、ゝ◯ゝ◯、
この(かぎ)はイシヤと(じか)に手(にぎ)ることぞ。

記:1944年7月28日

 「二三三二二、ゝ◯ゝ◯」は悪に真意を悟られないための暗号か。

 

下つ巻〜第23帖 →超訳

世が引っ繰り返って元の神世に返るということは、神々様にはわかっておれど、
世界ところどころにそのこと知らせ告げる神柱あるなれど、
最後のことは九(こ)の神でないとわからんぞ。
この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、
神の国の臣民(しんみん)は神の申すようにして、
天地を掃除して てんし様に(たてまつ)らなならん御役ぞ。
江戸に神 早う(まつ)りてくれよ。
仕組み通りにさすのであるから、臣民(しんみん)()を去ってくれよ。
この方(まつ)るのは(あめ)のひつくの家ぞ。
(まつ)りて秋立ったら、神いよいよ激しく、臣民(しんみん)(しょう)(らい)によって、
臣民(しんみん)の中に神と(けもの)とハッキリ区別せねばならんことになって来たぞ、
()けるぞ。

記:1944年7月30日

 

下つ巻〜第24帖 →超訳

一が十にと申してあったが、一が百に、一が千に、
一が万になる時 いよいよ近づいたぞ。
秋立ったらスクリと厳しきことになるから、
神の申すこと一分一厘違わんぞ。
改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、
臣民(しんみん)の物というもの何一つもあるまいがな、
草の葉一枚でも神のものぞ。

記:1944年7月30日

 

下つ巻〜第25帖 →超訳

今度の(いくさ)で何もかも(らち)ついて仕まうように思っているが、
それが大きな取り違いぞ、
中々そんなチョロコイことではないぞ、
今度の(いくさ)(らち)つく位なら、臣民(しんみん)でも致すぞ。
今に(いくさ)もできない、動くことも引くことも、
進むこともどうすることもできんことになって、
臣民(しんみん)は神がこの世にないものと言うようになるぞ、
それからが、いよいよ正念場ぞ、
まことの神の民と(けもの)とをハッキリするのはそれからぞ。
(いくさ)できる間はまだ神の申すこと聞かんぞ、
(いくさ)できぬようになって、初めてわかるのぞ、
神の申すこと、ちっとも違わんぞ、
間違いのことなら、こんなにくどくは申さんぞ。
神は()も無い時から知らせてあるから、
いつ岩戸が開けるかということも、
この神示(ふで)よく読めばわかるようにしてあるのぞ、
改心が第一ぞ。

記:1944年7月30日

 

下つ巻〜第26帖 →超訳

神の国を真ん中にして世界分けると申してあるが、
(まつ)るのと同じやり方ぞ。
(あま)のひつくの家とは天のひつくの臣民(しんみん)の家ぞ。
天のひつくと申すのは天の益人(ますびと)のことぞ、
江戸の富士と申すのは、
ひつくの家の中に富士の形作って、
その上に宮作っても良いのぞ、
仮でよいのぞ。
こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。
小さいことは審神者(さにわ)で家来の神々様から知らせるのであるから、
そのこと忘れるなよ。
(ぶつ)耶蘇(やそ)も、世界中丸めるのぞ。
(けん)()して大き声するところにはこの方(おさ)まらんぞ、
このこと忘れるなよ。

記:1944年7月31日

 

下つ巻〜第27帖 →超訳

この方は(はら)い戸の神とも現れるぞ。
この方(まつ)るのは富士に三と所、海に三と所、江戸にも三と所ぞ、
奥山、中山、一の宮ぞ。
富士は、(はる)()(まつ)りてくれて御苦労であったが、これは中山ぞ、
一の宮と奥の山にまた(まつ)らねばならんぞ、
海の仕組みも急ぐなれどカイの仕組み早うさせるぞ。
江戸にも三と所、
天明(岡本天明)の住んでいるところ奥山ぞ。
あめのひつく(天の日津久)の家、中山ぞ、
ここが一の宮だから気つけておくぞ。
この方(まつ)るのは、真ん中に神の石(おさ)め、
そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、
それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、
そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。
少し離れて四隅にイウエオの言霊(ことだま)石置いてくれよ。
鳥居も注連(しめ)()らぬと申してあろうがな、
このことぞ。
この方(まつ)るのも、役員の仕事も、この世の仕組みも、
みな七七七七と申して聞かせてあるのに気がまだ付かんのか、
臣民(しんみん)の家に(まつ)るのは神の石だけでよいぞ、
天のひつくの家には、
どこでも前に言うようにして(まつ)りてくれよ。
江戸の奥山には八日、秋立つ日に(まつ)りてくれよ、
中山九日、一の宮には十日に(まつ)りてくれよ。
気つけてあるのに神の神示(ふで)読まぬからわからんのぞ、
このこと、よく読めばわかるぞ。
今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、
正直だけでは神の御用つとまらんぞ。
裏と表とあると申して気つけてあろうがな、
シッカリ神示(ふで)読んで、スッキリと腹に入れてくれよ、
読む度たびに神が気つけるように声出して読めば、
読むだけお(かげ)あるのぞ。

記:1944年7月31日

 

下つ巻〜第28帖 →超訳

(またた)きの間に天地引っ繰り返るような大騒動ができるから、
くどく気つけているのだ、
さぁという時になってからでは間に合わんぞ、
用意なされよ。
(いくさ)の手伝い位なら、どんな神でもできるのだが、
この世の大洗濯は、我よしの神ではよくできんぞ。
この方は元のままの身体(からだ)持っているのだから、
いざとなれば どんなことでもして見せるぞ。
仮名(かな)ばかりの神示(ふで)と申して馬鹿にする臣民(しんみん)も出て来るが、
仕舞いにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、
 仮名とはゝ◯(神)の七(名)ぞ、神の言葉ぞ。
今の上の臣民(しんみん)
自分で世の中のことやっているように思っているが、
みな神が()かして使っているのに気づかんか、
気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。
年寄りや女や(めくら)(つんぼ)ばかりになっても、まだ(いくさ)止めず、
神の国の人種(ひとだね)の無くなるところまで、
やり抜く悪の仕組み もう見ておれんから、神はいよいよ奥の手出すから、
奥の手出したら、今の臣民(しんみん)ではよく(こた)えんから、
()(たま)雲っているから、
それでは虻蜂(あぶはち)取らずだから、早う改心せよと申しているのぞ、
このことよく心得て下されよ。

記:1944年8月2日

 

下つ巻〜第29帖 →超訳

神の土出ると申してあったが、(つち)は五色の土ぞ、
それぞれに国々、所々から出るのぞ。
白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ*1
薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、
神に(そな)えてから頂くのぞ、
何事も神からぞ。

記:1944年8月2日

*1 実際の色? 陰陽五行の色?

 

下つ巻〜第30帖 →超訳

八のつく日に気つけてくれよ、
段々近づいたから、
(かのと)(とり)はよき日、よき年ぞ。
冬に桜咲いたら気つけてくれよ。

記:1944年8月2日

辛酉は実際の暦ではなく、「辛酉革命」の思想より大グレンの意味と思われる。

 

下つ巻〜第31帖 →超訳

この神に供えられた物は、何によらず私することならんぞ、
参った臣民(しんみん)にそれぞれ分けて喜ばせてくれよ、
臣民(しんみん)喜べば神も喜ぶぞ、
神喜べば天地光って来るぞ、
天地光れば富士(二二)晴れるぞ、
富士は晴れたり日本晴れとはこのことぞ。
このような仕組みでこの道ひろめてくれよ、
それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(まつり)ぞ、
わかったか。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第32帖 →超訳

この道ひろめて金儲(かねもう)けしようとする臣民(しんみん) たくさんに出て来るから、
役員気つけてくれよ、
役員の中にも出て来るぞ、
(かね)()らぬのだぞ、
(かね)()るのは今しばらくぞ、
生命(いのち)は国に(ささ)げても(かね)は自分のものと(がん)()っている臣民(しんみん)、気の毒できるぞ、
何もかも天地へ引き上げぞと知らせてあること近づいて来たぞ、
(かね)かたきの世来たぞ。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第33帖 →超訳

親となり子となり夫婦となり、兄弟(はらから)となりて、
生きかわり死にかわりして御用に使っているのぞ。
臣民(しんみん)同志、世界の民、みな同胞(はらから)と申すのは(たと)えではないぞ、
血がつながっているまことの同胞(はらから)ぞ、
同胞(はらから)(けん)()も時によりけりぞ、
あまりわからぬと神も堪忍(かんにん)袋の()切れるぞ、
どんなことあるか知らんぞ、
この道の信者は神が引き寄せると申せば役員(ふところ)()でおるが、
そんなことでこの道開けると思うか。
一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、
一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、
裏表、よく気つけよ、
因縁(いんねん)()(たま)はどんなに苦しくても勇んでできる世の元からのお道ぞ。
七人に知らせたら役員ぞ、
神が命じるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろうがな、
役員は神の直々(じきじき)の使いぞ、神柱ぞ。
肉体男なら(たま)(おみな)ぞ、
この道盗りに来る悪魔あるから気つけおくぞ。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第34帖 →超訳

臣民(しんみん)はすぐにも(いくさ)済んで良き世が来るように思っているが、
中々そうはならんぞ、
臣民(しんみん)に神うつってせねばならんのだから、
まことの世の元からの臣民(しんみん) 幾人(いくにん)もないぞ、
みな曇っているから、
これでは悪の神ばかりかかかって、だんだん悪の世になるばかりぞ、
それで(いくさ)済むと思っているのか、
自分の心をよく見てござれ、
よくわかるであろうがな、
(いくさ)済んでもすぐに良き世とはならんぞ、
それからが大切ぞ、
胸突き八丁はそれからぞ、
富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろうがな、
(いくさ)は雲のかかっているところぞ、
頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。
一、二、三年が正念場ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組みと申してあろうがな。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第35帖 →超訳

何もかも持ちつ持たれつであるぞ、
臣民(しんみん)喜べば神も喜ぶぞ、
(きん)では世は治まらんと申してあるのに、
まだ金追っている(みにく)臣民(しんみん)ばかり、
金は世を(つぶ)(もと)ぞ、
臣民(しんみん)、世界の草木まで喜ぶやり方は△⌒(神)*の光のやり方ぞ。
 臣民(しんみん)生命(いのち)も長くなるぞ、
てんし様は生き通しになるぞ、
御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、
またこの世に出られるようになるぞ、
死のないてんし様になるのぞ、
それには今の様な臣民(しんみん)のやり方ではならんぞ、
今のやり方では てんし様に罪ばかりお着せしているのだから、
この(くらい)不忠なこと無いぞ、
それでもてんし様はおゆるしになり、(くらい)までつけて下さるのぞ。
このこと改心して、ひと時も早く忠義の臣民(しんみん)となりてくれよ。

記:1944年8月3日

 サイトによっては「ゝ◯」とする記述もある。

 

下つ巻〜第36帖 →超訳

神をそちのけにしたら、何もでき上がらんようになったぞ。
国盗りに来てグレンと引繰り返っておろうがな、
それでも気づかんか。
一にも神、二にも神、三にも神ぞ、
一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。
この道つらいようなれど(つらぬ)きてくれよ、
だんだんと良くなって、こんな結構な御道かと申すようにしてあるのだから、
何もかもお国に(ささ)げて自分の仕事を五倍も十倍も精出してくれよ。
(いくさ)くらい何でもなく終わるぞ。
今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、
神くどう気つけて置くぞ。
国々の神さま、臣民(しんみん)さま改心第一ぞ。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第37帖 →超訳

世が変わりたら天地光り 人も光り 草も光り、石も物ごころに歌うぞ、
雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと雨の神、風の神申しておられるぞ。
今の世では雨風を臣民(しんみん)がワヤにしているぞ、
降っても降れず、吹いても吹かんようになっているのがわからんか。
(めくら)(つんぼ)の世の中ぞ。
神のおる場所(ふさ)いでおって お(かげ)ないと不足申すが、
わからんと申しても余りであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民(しんみん)ばかりではなおならず、
臣民(しんみん)は神の入れものと申してあろうが、
あめのひつく(天の日津久)の民と申すのは、
世界治める()(たま)の入れもののことぞ、
民草とは一人をまもる入れものぞ、
ひつくの民草は神がとことん試しに試すのだから、可哀想なれど我慢してくれよ、
その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神から御礼申すぞ。
何事も神には帳面につけとめているのだから間違いないぞ、
この世ばかりでないぞ、生まれ変わり死に変わり(きた)えているのぞ、
ひつくの臣民(しんみん) 落ちぶれていると申してあろうがな、
今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返って、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、
逆立ち苦しかろうがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使うぞ。

記:1944年8月3日

 

下つ巻〜第38帖 →超訳

富士は晴れたり日本晴れ、
これで下つ巻の終わりだから、これまでに示したこと、よく腹に入れてくれよ、
神が真ん中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、
役員はみな神柱ぞ。
国々、ところどころから訪ねて来るぞ、
その神柱には御告(みつ)げの道知らせてやってくれよ、
日本の臣民(しんみん)、皆、取次ぎぞ、役員ぞ。
この方は世界中丸めて大神様にお目にかける御役、
神の臣民(しんみん)は世界一つに丸めて てんし様に(ささ)げる御役ぞ。
この方とこの方の神々と、神の臣民(しんみん)一つとなって世界丸める御役ぞ。
(まつ)りてくれたら いよいよ仕組み知らせる神示(ふで)書かすぞ、
これからが正念場だから、(ふんどし)締めてかかってくれよ。
秋立ったら神(はげ)しくなるぞ。
富士は晴れたり日本晴れ、
てんし様の三四五(御代出づ)となるぞ。

記:1944年8月3日