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             富士の巻(全文)〜「普字の巻」とも

 

富士の巻〜第1帖  →超訳

道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、
元の道は一つぞ、
初めから元の世の道、変わらぬ道があれば、よいと申しているが、
どんなことしても(われ)さえ立てば よいように申しているが、
それが悪の深き腹の一厘ぞ。
元の道は初めの道、神のなれる道、
 神の中のゝなる初め、ゝは光の真ん中ゝ◯は四の道、
このこと気のつく臣民(しんみん)ないなれど、「一が二」わかる奥の道、
()(たま)掃除すればこのことわかるのじゃ、
()(たま)(みが)き第一ぞ。

記:1944年8月10日

 

富士の巻〜第2帖  →超訳

カイの浜に立って、領巾振(ひれふ)りて(はら)いてくれよ、
ひつくの神に(つか)えている臣民(しんみん)
代わる代わるこの御役つとめてくれよ。
今はわかるまいなれど結構な御役ぞ。
この神示(ふで) 腹の中に入れておいてくれと申すに、
言うこと聞く臣民(しんみん)少ないが、
今に後悔(こうかい)するのが、よくわかっているから神はくどく気つけておくのぞ、
読めば読むほど神徳あるぞ、どんなことでもわかるようにしてあるぞ、
言うこと聞かねば一度は種だけにして、根も葉も枯らせてしまって、
この世の大掃除しなければならんから、
種のあるうちに気つけておれど、気づかねば気の毒できるぞ。
今度の祭典(まつり)御苦労であったぞ、
神界では神々様 大変の御喜びぞ、
雨の神、風の神殿ことに御喜びになったぞ。
この大掃除一応やんだと(あん)()する。
この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、
早う改心してくれよ。

記:1944年8月11日

領巾振(ひれふ)る:人を招いたり、別れを惜しむように手を振る

 

富士の巻〜第3帖  →超訳

メリカもギリスは更なり、
ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、
その覚悟で用意しておけよ。
神界ではその(いくさ)の最中ぞ。
学と神力との(いくさ)と申しておろがな、
どこからどんなことできるか、臣民(しんみん)にはわかるまいがな、
一寸先も見えぬほど曇っておって、それで神の臣民(しんみん)と思っているのか、
(ちく)(しょう)にも(おと)っているぞ。
まだまだ悪くなって来るから、
まだまだ落ち沈まねば本当の改心できん臣民(しんみん)たくさんあるぞ。
玉とは御魂(おんたま)ぞ、
鏡とは内に動く(おん)(ちから)ぞ、
(つるぎ)とは外に動く(おん)(ちから)ぞ、
これを()(くさ)(かむ)(たから)と申すぞ。
今は玉がなくなっているのぞ、鏡と(つるぎ)だけぞ、
それで世が治まると思っているが、肝腎の真ん中ないぞ、
それで散り散りばらばらぞ。
アとヤとワの詞(四)の元()るのぞと申してあろうがな、
この道理わからんか、
(つるぎ)と鏡だけでは(いくさ)勝てんぞ、
それで早う()(たま)磨いてくれと申してあるのぞ。
上下ないぞ、上下に引っくり返すぞ、
もう神待たれんところまで来ているぞ、
()(たま)磨けたら、どんなところでどんなことしていても心配ないぞ、
神界の都には悪が攻めて来ているのだぞ。

記:1944年8月12日

三国同盟の1つであっても、すでに降伏して連合軍の側についたイタリアはいわずもがな。
実はドイツも中国の国民党軍に武器や資金を提供することで、日本とは間接的に戦っていた。

 

富士の巻〜第4帖  →超訳

一二三(ひふみ)の仕組みが済みたら三四五(みよいづ)の仕組みぞと申してあったが、
世の(もと)の仕組みは三四五(みよいづ)の仕組みから五六七(みろく)の仕組みとなるのぞ、
五六七(みろく)の仕組みとは()(ろく)の仕組みのことぞ、
(けもの)臣民(しんみん)とハッキリわかったら、それぞれの本性出すのぞ、
今度は万劫末代(ばんこうまつだい)のことぞ、
気の毒できるから洗濯大切と申してあるのぞ。
今度お役決まったら そのままいつまでも続くのだから、
臣民(しんみん)よくこの神示(ふで)読みておいてくれよ。

記:1944年8月13日

 

富士の巻〜第5帖  →超訳

食う物が無いと申して臣民(しんみん)不足申しているが、
まだまだ少なくなって、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ、
何事も(ぎょう)であるから喜んで(ぎょう)して下されよ。
滝に打たれ、そば粉喰って(ぎょう)(じゃ)(ぎょう)しているが、
断食する(ぎょう)(じゃ)もいるが、
今度の(ぎょう)は世界の臣民(しんみん)みな二度とない(ぎょう)であるから、厳しいのぞ、
この(ぎょう)できる人と、よく我慢できない人とあるぞ、
この(ぎょう)できねば灰にするより他にないのぞ、
今度の御用に使う臣民(しんみん)激しき(ぎょう)させて神移るのぞ。
今の神の力は何も出てはおらぬのぞ。
この世のことは神と臣民(しんみん)と一つになってできると申してあろうがな、
早う()(たま)磨いて下されよ。
外国は◯、神の国はゝと申してあるが、
ゝは神ぞ、◯は臣民(しんみん)ぞ、
◯ばかりでも何もできぬ、ゝばかりでもこの世のことは何も成就せんのぞ、
それで神かかれるように早う大洗濯してくれと申しているのぞ、
()けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体たくさん要るのぞ。
今度の(ぎょう)は◯を()(れい)にする(ぎょう)ぞ、
掃除できた臣民(しんみん)から楽になるのぞ。
どこにおっても掃除できた臣民(しんみん)から、良き御用に使って、
神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。
神の臣民(しんみん)、掃除洗濯できたらこの(いくさ)は勝つのぞ、
今は一分もないぞ、一厘もないぞ、
これで神国の民と申して威張(いば)っているが、
足許(あしもと)からビックリ箱があいて、四つん()いになっても助からぬことになるぞ、
穴掘って逃げても、土もぐっていても灰になる()(たま)は灰ぞ、
どこにいても助ける臣民(しんみん) 行って助けるぞ、
神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、
臣民(しんみん)も神も一緒に助かるのぞ、
この道理よく腹に入れてくれよ、
この道理わかりたら神の仕組みは段々わかって来て、
何という有難いことかと心がいつも春になるぞ。

記:1944年8月14日朝

 

富士の巻〜第6帖  →超訳

今は善の神が善の力弱いから善の臣民(しんみん)苦しんでいるが、
今しばらくの辛抱(しんぼう)ぞ、
悪神総がかりで善の肉体に取り掛かろうとしているから、
よほどフンドシ締めてかからんと負けるぞ。
親や子に悪の神かかって苦しい立場にして
悪の思う通りにする仕組み立てているから気をつけてくれよ
神の、もう一つ上の神の世の、もう一つ上の神の世の、
もう一つ上の神の世は(いくさ)済んでいるぞ、
三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光って何もかも見えすくぞ。
八月のこと、八月の世界のこと、
よく気つけておいてくれよ、
いよいよ世が迫って来ると、やり直しできんと申してあろうがな。
いつも(つるぎ)の下にいる気持ちで心引き締めておってくれよ。
臣民(しんみん)口で食べる物ばかりで生きているのではないぞ。

記:1944年8月15日

 

富士の巻〜第7帖  →超訳

悪の世であるから、悪の臣民(しんみん) 世に出てござるぞ、
善の世にグレンと引っ繰り返ると申すのは善の臣民(しんみん)の世になることぞ。
今は悪が栄えているのだが、この世では人間の世界が一番遅れているのだぞ、
草木はそれぞれに神のみことのまにまになっているぞ。
一本の大根でも一粒の米でも何でも(とうと)くなったであろうが、
一筋の糸でも光出て来たであろうがな、
臣民(しんみん)が本当のつとめしたなら、どんなに(とうと)いか、
今の臣民(しんみん)には見当取れまいがな、
神が御礼申すほどに(とうと)い仕事できる()(たま)ぞ、
(こと)に神の国の臣民(しんみん)みな、まことの光あらわしたなら、
天地が輝いて悪の()(たま)は目あいておれんことになるぞ。
結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ、
神はいつまでも待てんから、いつ気の毒できるか知れんぞ。
(いくさ)恐れているが臣民(しんみん)(いくさ)ぐらい、何が恐いのぞ
それより(おのれ)の心に巣食っている悪のみたまが恐いぞ。

記:1944年8月16日

 

富士の巻〜第8帖  →超訳

山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神ぞ、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、
神祀れと申すのは神にまつらうことと申してあろうが、神々まつり合わすことぞ、
皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。
皆まつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、
物足らぬ物足らぬと臣民(しんみん)泣いているが、足らぬのでないぞ、
足らぬと思っているが、余っているのではないか、
(かみ)の役人殿、まず神(まつ)れ、神(まつ)って神心となって神の政治せよ、
(いくさ)など何でもなく(けり)がつくぞ。

記:1944年8月17日

 

富士の巻〜第9帖  →超訳

神界は七つに分かれているぞ、
天つ国三つ、(つち)の国三つ、その間に一つ、
天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、(ちゅう)(かい)の七つぞ、
その一つ一つがまた七つに分かれているのぞ、
その一つがまた七つずつに分かれているぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、
一度はそこまで下がるのぞ、
今一苦労あると、くどく申してあることは、そこまで落ちることぞ、
地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所だから、悪魔と神ばかりの世になるのぞ。
この世は人間に任せているのだから、人間の心次第ぞ、
しかし今の臣民(しんみん)のような腐った臣民(しんみん)ではないぞ、
いつも神かかっている臣民(しんみん)ぞ、
神かかりと()ぐわかる神かかりではなく、
腹の底にシックリと神(おさま)まっている臣民(しんみん)ぞ、
それが人間の(まこと)の姿ぞ。
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいてくれよ、
地獄の三段目に入ることの(おもて)は一番の天国に通じることぞ、
神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、
神と(けもの)と分けると申してあるのはこのことぞ。
何事も洗濯第一。

記:1944年8月18日

 

富士の巻〜第10帖  →超訳

いよいよ(いくさ)激しくなって食う物もなく何もなくなり、
住むところもなくなったら行くところなくなるぞ。
神の国から除かれた臣民(しんみん)と 神の臣民(しんみん)とどちらが偉いか、
その時になったらハッキリするぞ、
その時になってどうしたらよいかと申すことは
神の臣民(しんみん)なら誰でも神が教えて手引っ張ってやるから、
今から心配せずに神の御用なされよ、
神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。
どんなところにいても、神がスッカリと助けてやるから、
神の申すようにして、今は(いくさ)しておってくれよ。
てんし様 御心配なさらぬようにするのが臣民(しんみん)(つと)めぞ。
神の臣民(しんみん) (こと)に気をつけよ、
江戸に攻め来たぞ。

記:1944年8月19日

 

富士の巻〜第11帖  →超訳

神土(かみつち)は、白は「し」のつく、
黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、
黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、
よく探して見よ、
三尺下の(つち)なればよいぞ、
いくらでも要るだけは出て来るぞ。

記:1944年8月20日

 

富士の巻〜第12帖  →超訳

()(つち)は神の肉体ぞ。
臣民(しんみん)の肉体もお土からできているのぞ、
このことわかりたら、お土の(とうと)いことよくわかるであろうがな。
これからいよいよ厳しくなるぞ、
よく世の中の動き見ればわかるであろうが、
汚れた臣民(しんみん) 上がれぬ神の国に上がっているではないか。
いよいよとなったら神が臣民(しんみん)に移って手柄させるなれど、
今では軽石のような臣民(しんみん)ばかりで神かかれんぞ。
早う神の申すこと、よく聞いて生まれ赤子の心になって神の入れものになってくれよ。
一人改心すれば千人助かるのぞ、
今度は千人力与えるぞ、
何もかも悪の仕組みはわかっているぞ、
いくらでも攻めて来てござれ、
神には世の(もと)からの神の仕組みしてあるぞ、
学や知恵でまだ神に(かな)うと思ってか、
神には(かな)わんぞ。

記:1944年8月21日

 

富士の巻〜第13帖  →超訳

何もかもてんし様のものでないか、
それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して
自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、
一度は天地に引き上げと知らせてあったこと忘れてはならんぞ、
一本の草でも神のものぞ、
()から生まれたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供えてから
臣民(しんみん)いただけと申してあるわけも、それでわかるであろうがな。
この神示(ふで)よく読みてさえおれば病気もなくなるぞ、
そう言えば今の臣民(しんみん)、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、
必ず(やまい)も治るぞ、それは病人の心が()(れい)になるからぞ、
洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民(しんみん)何もわからんから(あわ)てているが、
この神示(ふで)読むことが洗濯や掃除の初めで終わりであるぞ、
神は無理は言わんぞ、神の道は無理してないぞ、
よくこの神示(ふで)読んでくれよ、
読めば読むほど()(たま)磨かれるぞ、
と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。
臣民(しんみん)と申す者は馬鹿正直だから、
神示(ふで)読めと申せば、神示(ふで)ばかり読んだならよい様に思っているが、
裏も表もあるのぞ。
役員よく知らせてやれよ。

記:1944年8月22日

 

富士の巻〜第14帖  →超訳

臣民(しんみん)にわかるように言うなれば、
身も心も神のものだから、
毎日毎日 神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、
それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかということわかるであろうが、
夜になれば眠った時は神にお返ししているのだと思え、
それでよくわかるであろうが。
()(たま)磨くと申すことは、
神の入れものとして神からお預かりしている、
神のもっとも(とうと)いところとしてお扱いすることぞ。

記:1944年8月23日

 

富士の巻〜第15帖  →超訳

一二三は神食、三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ、
九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄(いやさか)ぞよ。
人、三四五食に(やまい)ないぞ。

記:1944年8月24日

 

富士の巻〜第16帖  →超訳

嵐の中の捨て小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにもわかるまい、
メリカ、キリスは花道で、味方と思った国々も、一つになって攻めてくる、
(かじ)(かい)さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、
苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、
腐ったものは腐らせて肥料になると思えども、
肥料にさえもならぬもの、たくさんできておろうがな、
北から攻めて来る時が、この世の終わり始めなり、
天にお日様一つでないぞ、
二つ三つ四つ出て来たら、この世の終わりと思えかし、
この世の終わりは神国の始めと思えよ臣民(しんみん)よ、
神々様にも知らせるぞよ、
神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ。

記:1944年8月24日

 

富士の巻〜第17帖  →超訳

九十(こと)が大切ぞと知らせてあろうがな、
(いくさ)ばかりでないぞ、
何もかも臣民(しんみん)では見当取れんことになって来るから、
上の臣民(しんみん) 九十(こと)に気つけてくれよ、
お上に神(まつ)りてくれよ、神にまつらってくれよ、
神くどく申しておくぞ、
早う(まつ)らねば間に合わんのだぞ、
神の国の山々には皆神(まつ)れ、川々に皆神(まつ)れ、野にも(まつ)れ、
臣民(しんみん)の家々にも落ちる(くま)なく神(まつ)れ、
まつりまつりて()(ろく)の世となるのぞ。
臣民(しんみん)の身も神の宮となりて神(まつ)れ、
祭祀(まつり)の仕方 知らせてあろう、
神は()けるぞ。

記:1944年8月25日

 

富士の巻〜第18帖  →超訳

神々様皆おそろいなされて、
雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒れの神五柱、
七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合わせなされて、
今度の仕組みの御役決まって それぞれに働きなされることになったよき日ぞ。
(かのと)(とり)はよき日と知らせてあろうがな。
これから一日一日(はげ)しくなるぞ、
臣民(しんみん) 心得ておいてくれよ。
物持たぬ人、物持っている人より強くなるぞ、
泥棒(どろぼう)が多くなれば泥棒が正しいということになるぞ、
理屈は悪魔と知らせてあろうが、
保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、
臣民(しんみん)の食い物、足りるように作らせてあるのに、
足らぬと申しているが、足らぬことないぞ、
足らぬのは、やり方悪いのだぞ、
食って生きるべきもので人殺すとは何事ぞ。
それぞれの神様にまつわれば それぞれのこと、何でも(かな)うのぞ、
神にまつらわずに、臣民(しんみん)の学や知恵が何になるのか、
底知れているでないか。
(いくさ)には(いくさ)の神あるぞ、
お水に泣くことあるぞ、
保持(うけもち)の神様 御怒りなされているから早く心入れ替えてよ、
この神様お怒りになれば、臣民(しんみん) 日干しになるぞ。

記:1944年8月25日

 

富士の巻〜第19帖  →超訳

神世の秘密と知らせてあるが、
いよいよとなったら地震(かみなり)ばかりでないぞ、
臣民(しんみん)アフンとして、これはなんとしたことぞと、
()いたまま どうすることもできんことになるのぞ、
四つん()いになって着る物もなく、
(けもの)となって、()い回る人と、空飛ぶような人と、
二つにハッキリ分かれて来るぞ、
(けもの)(けもの)(しょう)(らい)いよいよ出すのぞ、
火と水の災難がどんなに恐ろしいか、
今度は大なり小なり知らせねばならんことになったぞ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにするのだから、
人一人も生きてはおれんのだぞ、
それが済んでから、()(たま)磨けた臣民(しんみん)ばかり、
神が拾い上げて()(ろく)の世の臣民(しんみん)とするのぞ、
どこへ逃げても逃げどころないと申してあろうがな、
高いところから水流れるように時に従っておれよ、
いざという時には神が知らせて一時は天界へ吊り上げる臣民(しんみん)もあるのだぞ。
人間の(いくさ)(けもの)の喧嘩ぐらいでは何もできんぞ、
くどく気つけておくぞ、
何よりも改心が第一ぞ。

記:1944年8月26日

 

富士の巻〜第20帖  →超訳

今のうちに草木の根や葉を日に干して(たくわ)えておけよ、
保食(うけもち)の神様お怒りだから、
九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、
そのつもりで用意しておいてくれよ。

神は気もない時から知らせておくから、この神示(ふで)よく読んでくれよ。
一握(ひとにぎ)りの米に泣くことあると知らせてあろうがな、
米ばかりでないぞ、
何もかも臣民(しんみん)もなくなるところまで行かねばならんのぞ、
臣民(しんみん)ばかりでないぞ、
神々様さえ今度は無くなる(かた)あるぞ。
臣民(しんみん)というものは目の先ばかりより見えんから、(のん)()なものであるが、
いざとなっての改心は間に合わんから、くどく気つけてあるのだぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがって神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を(まつ)りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊(ことだま)
この国に満つ世になったら神の力現すのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどく申してあることよくわかるであろうがな。

記:1944年8月27日

 

富士の巻〜第21帖  →超訳

神の申すことなんでも聞くようになれば、
神は何でも知らせてやるのぞ。
配給のことでも統制のことも、わけなくできるのぞ、
臣民(しんみん)みな喜ぶようにできるのぞ、
何もかも神に供えてからと申してあろうがな、
山にも川にも()にも里にも家にも、
それぞれの神(まつ)れと申してあろうがな、
ここの道理よくわからんか。
神は知らせてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、
臣民(しんみん) 神にすがれば、神にまつわれば、
その日から良くなると申してあろうが、
何も難しいことでないぞ、神は無理言わんぞ、
この神示(ふで)読めばわかるようにしてあるのだから
役員早う知らせて縁ある臣民(しんみん)から知らせてくれよ。
印刷できんと申せば何もしないでおるが、
印刷せんでも知らせることできるぞ、
よく考えて見よ、
今の臣民(しんみん)、学に(とら)われておると、
まだまだ苦しいことできるぞ、
理屈ではますますわからんようになるぞ、
早う神まつれよ、
上も下も、上下そろえてまつりてくれよ、
てんし様を(おろが)めよ、てんし様にまつわれよ、
その心が大和魂ぞ、
益人(ますびと)のます心ぞ、
ますとは弥栄(いやさか)のことぞ、神の御心ぞ、
臣民(しんみん)の心も神の御心と同じことになって来るぞ、
世界中一度に(うな)る時が近づいて来たぞよ。

記:1944年8月28日

 

富士の巻〜第22帖  →超訳

まつりまつりと、くどく申して知らせてあるが、
まつり合わせさえすれば、何もかも、
うれしうれしと栄える仕組みで、悪も善もないのぞ、
まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、
この道理わかったか、
祭典(まつり)と申して神ばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。
そんな我よしでは神の臣民(しんみん)とは申せんぞ、
早うまつりてくれと申すこと、
よく聞き分けてくれよ。
(われ)が我がと思っているのは調和(まつり)ていぬ証拠ぞ、
鼻高となればポキンと折れると申してある道理よくわかろうがな、
この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのぞと申すのは、
慢心と取り違いは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。
ここまでわけて申せばよくわかるであろう、
何事も真通理(まつり)が第一ぞ。

記:1944年8月29日

 

富士の巻〜第23帖  →超訳

世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
臣民(しんみん)にはまだわかるまいなれど、
今にわかって来るぞ、
くどく気つけておいたことのいよいよが来たぞ。

覚悟は良いか、
臣民(しんみん)一人一人の心も同じになっておろうがな、
学と神の力との(おお)(いくさ)ぞ、
神国(かみぐに)の神の力あらわす時近くなったぞ。
今あらわすと、助かる臣民(しんみん)ほとんどないから、
神は待てるだけ待っているのぞ、
臣民(しんみん)も可愛いが、元を(つぶ)すことならんから、
いよいよとなったら、どんなことあっても、
ここまで知らせてあるのだから、神に手落ちあるまいがな。
いよいよとなれば、わかっていることなれば、
なぜ知らせないのかと申すが、
今ではなに馬鹿なと申して取り上げぬことよくわかっているぞ。
因縁(いんねん)()(たま)はよくわかるぞ、
この神示(ふで)読めば()(たま)因縁(いんねん)よくわかるのぞ、
神の御用する()(たま)()り抜いて引っ張っておるぞ、
遅し早しはあるなれど、いずれはどうしても、
逃げてもイヤでも御用させるようになっているのぞ。
北に気つけよ。
東も西も南もどうするつもりか、
神だけの力では臣民(しんみん)に気の毒できるのぞ、
神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ。
早う()(たま)磨けと申すことも、
悪い心 洗濯せよと申すこともわかるであろう。

記:1944年8月30日

冒頭は戦後体制を模索するダンバートン・オークス会議が終わったことに関する時事報告。
これが国際連合の枠組みを決める会議となった。

 

富士の巻〜第24帖  →超訳

富士(二二)を目指して攻め寄せる、大船小船あめの船、
赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ(あっ)()を先陣に、寄せ来る敵は空(おお)い、
海を埋めてたちまちに、天日(てんじつ)暗くなりにけり、
折りしもあれや日の国に、一つの光 現れぬ、
これこそ救いの大神と、救い求める人々の、目に映れるは何事ぞ、
攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、
一度にドッと雨降らす、火の雨なんぞたまるべき、まことの神はなきものか、
これは(たま)らぬ兎も角も、生命(いのち)あっての物種と、
(かぶと)を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、
折りしもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、
大海原には竜巻や、やがて火の雨、地震(つちふる)い、山は火を()きどよめきて、
さしもの敵もことごとく、この世の外にと失せにけり、
風やみ雨も収まって、山川静まり国土(くにつち)の、
ところどころに白衣(しろきぬ)の、神の息吹(いぶ)きに(よみがえ)る、御民の顔の白き色、
岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に(ひざまず)き御民らの、
目に清々(すがすが)し富士の山、
富士は晴れたり日本晴れ、
富士(普字)は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。

記:1944年8月30日

 

富士の巻〜第25帖  →超訳

世界中の臣民(しんみん)は皆この方の臣民(しんみん)であるから、
ことに可愛い子には旅させねばならぬから、
どんなことあっても神の子だから、神疑わぬようになされよ、
神疑うと気の毒できるぞ。
いよいよとなったら、どこの国の臣民(しんみん)ということないぞ、
大神様の(おきて)通りにしなければならんから、
可愛い子じゃとて容赦できんから、気つけているのだぞ、
大難を小難にまつり変えたいと思えども、
今のやり方は、まるで逆様(さかさま)だから、どうにもならんから、
いつ気の毒できても知らんぞよ。
外国から早くわかって、外国にこの方(まつ)ると申す臣民(しんみん)
たくさんできるようになって来るぞ。
それでは神の国の臣民(しんみん) 申し訳ないであろうがな、
山にも川にも海にも(まつ)れと申してあるのは、
神の国の山川ばかりではないぞ、この方世界の神ぞと申してあろうがな。
裸になった人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、
裸にならねば、なるようにして見せるぞ、
いよいよとなったら苦しいから今のうちだと申してあるのぞ。
すべてをてんし様に(ささ)げよと申すこと、
日本の臣民(しんみん)ばかりでないぞ、
世界中の臣民(しんみん)皆 てんし様に(ささ)げなければならんのだぞ。

記:1944年8月30日

 

富士の巻〜第26帖  →超訳

(いくさ)は一度おさまるように見えるが、
その時が一番気をつけねばならぬ時だぞ、
 向こうの悪神は今度はゝ◯の元の神を根こそぎに無きものにして仕まう計画であるから、
そのつもりで(ふんどし)締めてくれよ、
誰も知らないように悪の仕組みしていること、神にはよくわかっているから心配ないなれど、
臣民(しんみん)助けたいから、神はじっと(こら)えているのだぞ。

記:1944年8月30日

 

富士の巻〜第27帖  →超訳

神の堪忍(かんにん)袋 切れるぞよ、
臣民(しんみん)の思うようにやれるなら、やって見よれ、
九分九厘でグレンと引っ繰り返ると申してあるが、
これからはその場で引っ繰り返るようになるぞ。
誰もよう行かん、臣民(しんみん)の知らない所で何しているのぞ、
神は何もかもわかっているのだと申してあろうがな、
早く(かぶと)脱いで神にまつわりて来いよ、
改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、
まして神の目にはどんな涙もあるのだぞ、
どんな悪人も助けてやるぞ、
どんな善人も助けてやるぞ。
江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、
今のような都会みなエドであるぞ、
江戸はどうしても火の海ぞ。
それより(ほか)やり方ないと神々様申しておられるぞよ。
()けて草木()れても根は残るなれど、
臣民(しんみん)枯れて根の残らぬようなことになっても知らんぞよ、
神のこの(ふみ)早う知らせてやってくれよ。
八と十八と五月と九月と十月に気つけてくれよ、
これでこの方の神示(ふで)の終わりぞ。
この神示(ふで)は二二(富士)の巻として一つにまとめておいて下されよ、
今に宝となるのだぞ。

記:1944年8月30日