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    雨の巻(全文)

 

雨の巻〜第1帖 →超訳

 (あめ)日津久(ひつく)のゝ◯(大神)のお神示(ふで)であるぞ、
特にお許しもろて書きしらすぞ。
十二の巻 説いて知らすのであるぞ、
この巻 雨の巻と申せよ、
この度は昔から無かったこと致すのであるから
人民にはわからんことであるから素直に致すが一等だぞ、
惟神(かむながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民(しんみん)申しているが、
それが一等の間違いだぞと申してあろうが、
惟神(かむながら)とは神人共に()け合った姿だぞ。
今の臣民(しんみん) 神無くしておるでないか、
それで惟神(かむながら)も神道も無いぞ、
心大きく、深く、広く持ちて下されよ、
いよいよとなるまでは落としておくから見当取れんから、
よくこの神示(ふで)読んでおいて下されよ。
世界中に面目ないことないようにせよと申してあろうが。
足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、
神示(ふで) 裏の裏までよく読めと申してあろうがな。
この道はただの神信心とは根本から違うと申してあろうが、
三千世界の大道だぞ。
所の洗濯と()(たま)の洗濯と一度になるところあるぞ、
「イスラ」の十二(部族)の流れの源泉(みなもと)わかる時来たぞ。
命がけで御用つとめていると思うて邪魔ばかり致しておろうがな、
金や学や智では大峠越せんぞ。
神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、
裏の裏とはそのことぞ、
よく心得て下さりて取り違い致すでないぞ。
手のひら返すぞ返えさすぞ、
この度の岩戸開きは人民使って人民助けるなり、
人民は神のいれものとなって働くなり、
それが御用であるぞ、
いつでも神かかれるように、
いつも神かかっていられるようでなくてはならんのだぞ。
神の仕組み いよいよとなったぞ。

記:1945年10月13日

 

雨の巻〜第2帖 →超訳

天の大神様は慈悲(じひ)深くて どんな偉い臣民(しんみん)にも底知れぬし、
地の大神様は力あり過ぎて、人民には手に負えん見当取れん、
そこで神々様をこの世から追い出して
悪神の言うこと聞く人民ばかりとなっていたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬためのものと申してあること
これでわかるであろうがな、
鳥居は釘付けの形であるぞ、
キリスト教の十字架も同様ぞ、
キリスト信者よ改心致されよ、
キリストを十字架に釘付けにしたのは、
そなたたちであるぞ、(ざん)()せよ、
 ◯とは外国のことぞ、ゝ◯が神国の旗印ぞ、
神国と外国との分けへだて誤っているぞ。
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、
上中下三段に分けてある違う()(すじ)を段々に現すぞよ、
びっくり箱あくぞ、
八九の次は十であるぞよ。
何事もウラハラと申してあろうが、
人が人がと思っていたこと (われ)のことであったであろうがな、
よく神示(ふで)読んでおらんと、キリキリ舞いせなならんぞ、
日本が日本がと思っていたこと 外国であったこともあるであろうがな、
上下ひっくり返るのだぞ、
わかったか。
餓鬼までも救わねばならんのであるが、
餓鬼は食い物やれば救われるが、
悪と善と取り違いしている人民、守護神、神々様 救うのはなかなかであるぞ、
悪を善と取り違え、
天を地と信じている臣民(しんみん)人民なかなかに改心難しいぞ。
我と改心できねば今度はやむをえんことできるぞ、
我ほど偉い者ないと(てん)()になっているから
気をつけるほど悪く太っているから、
こんな()(たま)は今度は灰だぞ、
もう待たれんことになったぞ。

記:1945年10月14日

 

雨の巻〜第3帖 →超訳

草木は身を動物虫けらに(ささ)げるのが(うれ)しいのであるぞ。
種は残して育ててやらねばならんのだぞ、
草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのだぞ、
出世するのだから(うれ)しいのだぞ、
草木から動物虫けら生まれると申してあろうがな、
人の身 神に(ささ)げるのだぞ、
神の御身(みみ)となること(うれ)しいであろうがな、
惟神(かむながら)のミミとはそのことぞ、
神示(ふで)よく読めばわかるのだぞ、
この道は先に行くほど広く豊かに光り輝き
(うれ)(うれ)しの(まこと)惟神(かむながら)の道でござるぞ、
神示(ふで)よく読めよ、
どんなことでも人に教えてやれるように知らせてあるのだぞ。
いろはに戻すぞ、
一二三(ひふみ)に返すぞ、
一二三(ひふみ)が元ぞ、
天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、
日の大神様は火の御守護なさるなり、
このこと魂までよくしみておらぬと御恩わからんのだぞ。
悪も善に立ち返って御用するのだぞ。
善も悪もないのだぞと申してあろうがな、
 ゝ◯の国真ん中に神国になると申してあろうがな、
日本も外国も神の目からは無いのだと申してあろうが、
神の国あるのみだぞ、
わかったか。
改心すればゝ(たま)の入れ替え致して その場からよき方にまわしてやるぞ、
何事も我がしているなら自由になるのであるぞ。
我の自由にならんのはさせられているからだぞ、
この位のことわからんで神の臣民(しんみん)と申されんぞ、
国々所々に宮柱太敷キ立てよ、
高知れよ。
この先は神示(ふで)に出したこと(もち)いんと、
我の考えでは何事も一切成就せんのだぞ、
まだ我出しておる臣民(しんみん)ばかりであるぞ。
従うところには従わねばならんぞ、
従えばその日から楽になって来るのだぞ、
高いところから水流れるようにと申して知らせてあろうがな。

記:1945年10月15日

 

雨の巻〜第4帖 →超訳

世界の臣民(しんみん) 皆手引き合っていく時来たくらい申さないでもわかっているであろうが、
それでもまだ一苦労二苦労あるぞ、
頭でわかっても(はら)でわからねば、発根(ほっこん)の改心できねば、
まだまだ辛い目に会うのだぞ、
人民 自分で首くくるようなことになるのだぞ、
わかったであろう。
(てん)の御三体の大神様と ()のお(つち)の先祖様でないと
今度の根本のお建て替えできんのだぞ、
わかっても中々わからんであろうがな。
洗濯足らんのであるぞ。
今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、
神は改めてあるが、
神から改めさすのでは人民可哀想だから めんめめんめで改めて下されよ、
改まっただけ おかげあるのだぞ。
今度の岩戸開いたら末代のことだぞ、
天地の違いに何事も違うのだぞ。
信者引っ張りに行ってくれるなよ、
神が引き寄せるから、
役員のところへも引き寄せるから、
訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばせてやれと申してあろうが、
人民喜べば神(うれ)しきぞと申してあろうが、
草木喜ばせてやれよ、
神示(ふで)よく読めば どうしたら草木動物喜ぶかということも知らせてあるのだぞ、
今までの心 大河に流してしまえば何もかもよくわかって(うれ)(うれ)しとなるのだぞ、
まだまだ世界は日に日にせわしくなって言うに言われんことになって来るのだから、
表面(うわつら)ばかり見ているとわからんから、
心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、
元のキの神の子と、渡って来た神の子と、渡って来る神の子と
三つそろってしまわねばならんのぞ、
アとヤとワと申してあるが段々にわかって来るのだぞ。
実地のことは実地の(まこと)の生き神でないとできはせんぞ、
臣民(しんみん)はお手伝いぞ、
雨風さえどうにもならんであろうが、
生き物なんで息しているか、
それさえわからないでいて何でもわかっていると思っているが鼻高ぞと申すのだ、
今のうちに改心すれば名は現さずに許して良き方にまわしてやるぞ、
早う心改めよ。

記:1945年10月16日

 

雨の巻〜第5帖 →超訳

 神示(ふで)に書かせたら一二ゝ◯(日月の神)が天明に書かすのであるから
その通りになるのであるぞ、
皆仲よう相談して悪しきことは気つけ合ってやりて下され、
それがまつりであるぞ、
王の世が(逆さまの王)の世になっておるのを今度は元に戻すのであるから、
そのこと早うわかっておらんと一寸(ちょっと)の地の上にもおれんことになるぞ、
今度の(いくさ)済みたら世界一平一列一体になると知らせてあるが、
一列一平 その上に神がいますのだぞ、
神なき一平一列は秋の空ぞ、
魔の仕組み、神の仕組み、早う旗印見て悟って下されよ、
神は臣民(しんみん)人民に手柄致させて万劫末代、名残して世界唸らすのだぞ、
これまでのことは一切用いられんことになるのだと申してあろう、
論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのだぞ、
苦労なしに(まこと)ないぞ、
三十年一切(ひときり)ぞ、
ひふみ(はら)に入れよ、
イロハ(はら)に入れよ、
アイウエオ早うたためよ、
皆えらい取り違いしてござるぞ、
宮の跡は草ボウボウとなるぞ、
祭典(まつり)の仕方スクリと変えさすぞ、
(まこと)の神の道に返えさすのだから、
今度は(まこと)の生き神でないと人民やろうとてできはせんぞ。

記:1945年10月17日

逆さまの王=上下逆に書いた「王」

 

雨の巻〜第6帖 →超訳

神示(ふで)よく読めと、神示(ふで)よく(はら)に入れと申してあるが、
神示(ふで)(はら)に入れると(どう)すわるのだぞ、
世界からどんな偉い人が出て来て どんなこと尋ねても教えてやれるようになるのだぞ、
神示(ふで)胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、
まつりて下されよ、
素直になれば その場からその場その場で何事も神が教えてやるから、
力つけて導いてやるから、
どんな神力でも授けてやるぞ。
一二(ひとふた)三四(みよ)五六七(いつむゆなな)()(ここの)(たり)(もも)()(よろず)授け申して神人となるぞ。
我さえよければよいと まだ思ってござる臣民(しんみん) まだでござるぞ、
自分一人で生きてゆけんぞ、
神ばかりでも生きてはゆけんぞ、
爪の(あか)でもだてについているのではないのだぞ、
わからんと申しても余りでござるぞ、
まつりせよ、
(つち)にまつろえよ、
(あま)にまつろえよ、
人にまつろえよ、
草木動物にまつろえよ、
と、くどう知らせてあるのに まだわからんのか、
神拝むばかりがまつりでないぞ。
待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、
一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。
身慾信心している臣民(しんみん)人民、
今に神示(ふで)聞けぬように、いれものつんぼになるのだぞ、
厳しくなって来るぞ、
毒にも薬にもならん人民、
今度は役に立たんのだぞ、
悪気ないばかりでは一二(日月)の御民とは申されんぞ。
あら楽し、黒雲一つ払いけり、
次の一つも払う日近し。
淋しくなったら神示(ふで)尋ねてござれ、
神示(ふで)読まねば益々わからんことになったであろうが、
天国に底ないように地獄にも底ないぞ、
どこまでも落ちるぞ、
鼻高の鼻折らねば人民何と申しても神承知できん。

記:1945年11月23日

 

雨の巻〜第7帖 →超訳

神の心わかった臣民(しんみん)から助ける御用にかかってくれよ、
助ける御用とは清めの御用でござるぞ、
天地よく見て悟ってくれよ。
三四五(みよいづ)の御用はでき上がってしまわんと
御用している臣民(しんみん)にはさっぱりわからんのであるぞ、
使われているからわからんのであるぞ、
でき上がってから これは何とした結構なことであったかとビックリするのだぞ。
アメのひつ九のか三(天の日津久の神)とは一二(ひふみ)の神でござるぞ、
 アメの☽ゝ◯(つきひ)の神でござるぞ、
元神でござるぞ、
ムの神ぞ、
ウの神ぞ、
元のままの肉体持ちてござる御神様ぞ、
土のひつ九の御神様ぞ、
 土のゝ◯☽(ひつき)の御神様と今度は御一体となりなされて、
今度の仕組み 見事成就なされるのでござるぞ、
わかったか、
九二つちの神 大切申せとくどう知らせてあろうがな、
今までの臣民(しんみん)人民、
九二の御先祖の神(おろそ)かにしているぞと申して知らせてあろう、
神は千に返るぞ、
九二つちつくること どんなに難儀なことか人民にはわかるまいなれど、
今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せねばならんのだぞ。
それでよう(こば)れん臣民(しんみん)たくさんあるのだぞ、
元の神の思いの何万分の一かの思いせねばならんのだぞ、
今度世変わりたら、臣民(しんみん)この世の神となるのだぞ。
国の洗濯はまだまだ楽であるが、
ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、
人民 可哀想だから延ばしに延ばしてござるのだぞ、
いくら言い聞かせても後戻りばかりじゃ、
言い聞かせて改心できねば改心するよう致すより もう手ないようになっているのだ。
いつどんなことあっても神は知らんぞ、
上から下までも誰によらん今までのような我がままさせんぞ、
役員 馬鹿にならなならんぞ、
大のつく阿呆になれよ、
(逆さまの大)のつく阿呆に謝ってくれるなよ、
阿呆でないと今度の(まこと)の御用なかなかだぞ。
命捨てて命に生きる時と申してあろうがな、
非常に()(こう)臣民(しんみん)人民アフンでござるぞ、
今にキリキリ舞するのが目に見えんのか。
いつも変わらぬ松心でおれと申してござろうがな、
建て替え致したら世界は一たん寂しくなるぞ、
神が物申しておるうちに改心せねばならんぞ、
後悔間に合わんと申してあろうがな。

記:1945年11月23日

逆さまの大=上下さまさまの「大」

 

雨の巻〜第8帖 →超訳

大難小難にと祈れと申して くどう知らせてあろうがな。
如何(いか)(よう)にでも受け入れて よき様にしてやるよう仕組みてある神の心わからんか、
天災待つは悪の心、邪と知らせてあるが まだわからんのか、
国負けて大変待ちている臣民(しんみん)たくさんあるが、
そんな守護神に使われていると気の毒になって来るぞ、
よく神示(ふで)読んで下されよ。
今の守護神、悪の血筋眷属(けんぞく)であるぞ、
悪も御役ながら奥表に出ては(まこと)おさまらんぞ、
悪結構な世は済みて、
善結構、悪結構、(ホトケ)結構、(ヤソ)結構、儒結構
(コトゴトク)の世となりなる神の仕組み近くなって来たぞ。
世の元からの仕組み、中行く仕組み、天晴(あっぱ)れ三千世界結構であるぞ、
心の不二も晴れ晴れとなるぞ、
結構結構。
甘くてもならんぞ、(から)くてもならんぞ、
甘さには(から)さいるぞ、
天の神様ばかりではならんのだ、
くどう申してここまで知らせているのに まだわからんのか。
心さっぱり大河に流して神示(ふで)読んで下されよ、
いつまでも神()たれんぞ、
(から)さには甘さ(かげ)にあるのだぞ、
この道理よくわかるであろうがな、
水の味 火の味 結構ぞ、
恐い味ないような結構な恐さであるぞ、
喜びであるぞ、苦しみであるぞ、
この道理よくわかったか。
神の御恵み神の()(こころ)わかったか、
()(こころ)とは三つの()(こころ)ぞ、
一と十とゝとであるぞ、
()(こころ)結構ぞ、
世の元の神の仕組みの現れて三千世界光り輝く、
あなさやけ。

記:1945年11月27日

 

雨の巻〜第9帖 →超訳

神の智と学の智とは始めは紙一重であるが、
先に行くほど(うん)()できてきて天地の差となるぞ、
 ゝ◯の神の薬のやり方 悪の神の毒のやり方となるぞ、
神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、
今の臣民(しんみん) 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けているが、
見苦しき者には これからは御用致させんことに決まりたから気つけておくぞ、
何事も順正しくやって下されよ、
神は順であるぞ、
順乱れたところには神の(はたらき)現れんぞ。
何もせんでいて よきことばかり待っていると物事後戻りになるぞ、
神の道には後戻りないと申してあろうがな、
心得なされよ、
(ハジメ)の火 消えているでないか、
まだわからんか、
都会へ都会へと人間の作った火に集まる()のような心では今度の御用できはせんぞ、
表面(うわつら)飾って まことのない教えのところへは人集まるなれど、
(まこと)の道伝えるところへは臣民(しんみん)なかなか集まらんぞ、
見てござれよ、
いくら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、
縁ある者は一時に神が引き寄せると申してあろうがな、
人間心で心配してくれるなよ。
()(まい)する人もできるぞ、
ふん伸びる人もたくさんにできて来るぞ。
行けども行けども白骨ばかりと申してあろうがな、
今のどさくさに(まぎ)れて悪魔はまだえらい仕組み致して上にあがるなれど、
上にあがりきらんうちにグレンぞ、
せめて三日天下が取れたら()(もの)であるなれど、
こうなることは世の元からわかっているから もう無茶なことは許さんぞ。
軽い者ほど上に上に()がって来るぞ、
仕組み通りなっているのだから臣民(しんみん)心配するでないぞ。
今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出ることできんのであるから、
近慾に目くれて折角のお恵み(はず)すでないぞ、
神 キつけておくぞ。
人の苦しみ見て それ見たことかと申すような守護神に使われていると気の毒できるぞ、
世、建て替えて先のわかる世と致すのじゃぞ、
三エスの(かん)(だから)と3S(スリーエス)の(かん)(だから)とあるぞ、
毒と薬で裏腹(うらはら)であるぞ。
五と五では(ちから)出んぞ、
四と六、六と四、三と七、七と三でないと(ちから)生まれんぞ、
力生まれるから、カスできるのだから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、
人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、
毒と薬と薬と毒でござるぞ、
()き混ぜてこね混ぜて天晴(あっぱ)れこの世の宝と致す仕組みだぞ、
わかったか。
一方の3Sよりわからんから、人民いつも悪に落ち込むのじゃ、
この道は中行く道と申して知らせてあろうがな、
(ちから)余ってならず、力足らんでならず、
しかと手握ってじっと待っていて下されよ、
(まこと)の教えばかりでは何もならんぞ、
皆に(まこと)(おこな)いできんと この道開けんぞ、
理屈申すでないぞ、
いくら理屈立派であっても(おこな)いできねば悪であるぞ、
この世のことは人民の心次第ぞ。

記:1945年11月27日

三エス=(Soul)太陽(Sun)(Soil) ──日本人が本来持っていた自然観
3S=映画(Screen)競技(Sports)性欲(Sex) ──GHQが日本人の愚民化政策で押しつけてきたもの

 

雨の巻〜第10帖 →超訳

天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりているのだぞ、
一力(いちりき)では何事も成就せんぞ、
手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。
霊肉共に開くのであるから、
実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍(かんにん)してくれと どんな臣民(しんみん)も申すぞ、
人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、
実地に見せてからでは助かる臣民(しんみん)少ないし神も閉口ぞ。
ひどい所ほど()(たま)に借銭あるのじゃぞ、
()(たま)の悪しきことしている国ほど厳しき(いまし)め致すのであるぞ。
五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、
四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、
それでは神は掃除ばかりしているのだぞ、
神の臣民(しんみん)それで神州清潔する民であるぞ、
キが元と申してあるが、
キが餓死(うえじに)すると肉体餓死(うえじに)するぞ、
息吹(いぶ)けば肉息吹(いぶ)くぞ、
神の子は神のキいただいているのだから食う物なくなっても死にはせんぞ、
キ大きく持てよと申してあるが、
キはいくらでも大きく結構に自由になる結構な神のキだぞ。
臣民(しんみん) ()(こう)なくなれば神のキ入るぞ、
神の息通うぞ、
凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのだぞ、
馬鹿正直ならんと申してあろうがな、
三千年余りで()(たま)の改め致して因縁だけのことは否でも応でも致さすのであるから、
今度の御用はこの神示(ふで)読まいでは三千世界のことであるから、
どこ探しても人民の力では見当取れんと申してあろうがな、
どこ探してもわかりはせんのだぞ、
人民の頭でいくら考えても智しぼっても学ありても判らんのじゃ。
ちょこらわかるような仕組みならこんなに苦労致さんぞ、
神々様さえわからん仕組みと知らせてあろうが、
何より改心第一ぞと気つけてあろうが、
神示(ふで)(はら)に入れば未来(さき)見え()くのだぞ。
この(つち)も月と同じであるから、
人民の心 そのままに写るのであるから、
人民の心悪くなれば悪くなるのだぞ、
善くなれば善くなるのだぞ。
理屈 悪と申してあろうが、
悪の終わりは共食いじゃ、
共食いして共倒れ、
理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組みじゃ、
とわかっていながら どうにもならんことに今に世界がなって来るのだ、
逆に逆にと出て来るのじゃ、
なぜそうなって来るかわからんのか、
神示(ふで)読めよ。
オロシヤの悪神の仕組み 人民には一人もわかっていないのだぞ。
神にはようわかっての今度の仕組みであるから仕上げ見て下されよ、
この方に任せておきなされ、
一切心配なくこの方の申す様にしておって見なされ、
大舟に乗っていなされ、
光りの岸に見事つけて喜ばせてやるぞ、
どこにいても助けてやるぞ。
雨の神、風の神、地震の神、荒れの神、岩の神様に祈りなされよ、
世の元からの生き通しの生き神様 (おろ)がみなされよ。
日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、
日月の民とは日本人ばかりでないぞ、
大和魂とは神の魂ぞ、
大和の魂ぞ、
まつりの魂ぞ、
取り違いせんように気つけおくぞ。
出かけの港は九九(ここ)じゃぞ、
皆に知らしてやりて下されよ、
いくら道進んでいても後戻りじゃ、
この神示(ふで)が出発点ぞ、
出直して神示(ふで)から出て下されよ、
我張りてやる気ならやりて見よれ、
九分九分九厘で鼻ポキンぞ、
泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しでござるから気つけているのじゃ、
足あげて顔の色変える時近づいたぞ。
世建て替えて広き光の世と致すのじゃ、
光の世とは光なき世であるぞ、
この方の元へ引き寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのじゃ、
気つけていて下されよ、
どちら行くつもりじゃ。

記:1945年11月27日

 

雨の巻〜第11帖 →超訳

日の出の神様お出ましぞ、
日の出はイであるぞ、
イの出であるぞ、
キの出であるぞ、
わかりたか。
めんめめんめに心改めよと申してあろうがな、
人民という者は人に言われて腹の立つことあるのじゃ、
腹立つと邪気起こるから めんめめんめに改めよと、
くどう申すのじゃぞ、
智や学ではどうにもならんということ よくわかっておりながら、
いまだ智や学でやるつもり、
神の国のことするつもりでいるのか。
わからんと申して余りでないか、
何事もわかった臣民(しんみん)口に出さずに(はら)(おさ)めておけよ、
言うてよい時は(はら)の中から人民びっくりする声で申すのだ、
神が申さすから心配ないぞ、
それまでは気(ケ)も出すなよ。

二十二日の夜に実地を見せてあろうがな、

一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、
そうなってはならんぞ、
カタ出さねばならんぞ、
神国、神の子は元の神の生き神が守っているから、
いよいよとなりたらちょっとの火水(かみ)で うでくり返してやる仕組みだぞ、
末代のトドメの建て替えであるから、
よう腰抜かさんよう見てござれ、
長くかかりては一もとらず二もとらず、
国は潰れ、道は滅びてしまうから早う早うと気もない時から気つけているのじゃが、
神の申すこと聞く臣民(しんみん)人民まだまだぞ。
この道 難しい道でないから そのままに説いて聞かせてやれよ、
難しく説くとわからんようになるのぞ。
平たく説いてやれよ、
難しいのは理屈入るのだぞ、
難しいことも臣民(しんみん)にはあるなれど理屈となるなよ、
理屈は(あく)だぞ。
霊術も言霊(ことだま)もよいなれど ほどほどに、三分位でよいぞ、
(なか)行かなければ行かれんのだぞ、
銭儲けて口さえすごして行けばよいように今の臣民(しんみん)まだ思っているが、
それは四つ足の四つの悪の守護であるぐらい わかりておろうがな。
悪とは他を退(しりぞ)けることであるぞ、
まつりまつりとくどう申してあること まだわからんのか、
今 外国がよいと申している臣民(しんみん)は外国へ行っても嫌われるぞ、
外国にも住むところ無くなるぞ、
外国も日本もないのだぞ、外国とは我よしの国のことぞ、
神国は大丈夫だが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、
と事分けて申してあろうがな、
日月の集団作り、教会作ってもならんがゝ入れた集団作らねばならんぞ、
◯も作らずゝも入らずに力出ないくらい わかりておろうがな、
馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、
集団の作り方知らせてあろうが、
(めくら)には困る困る。
人の苦労あてにして我が進んで苦労せぬような人民では神の()(かん)(かな)わんから、
今度は苦労のかたまりの花咲くのだ、
苦の花咲くのだぞ、
二二(富士)に九(木)の花咲耶姫の神 (まつ)りてくれと申してあろうがな、
永遠にしぼまぬ(まこと)の花咲く世来たぞ。

記:1945年12月7日

 

雨の巻〜第12帖 →超訳

(うわ)(うら) 洗えばよくなるなれど、
(はら)の掃除なかなかできんぞ、
道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、
今度 神から見放されたら末代浮かぶ瀬ないぞ。
食い物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用だぞ、
初めの行だぞ。
出て来ねばわからんようでは、
それは神力無いのぞ、
軽き(やから)じゃぞ、
それで神示(ふで)読めとくどう申しているのだぞ、
神の申すこと(まこと)だと思いながらできんのは守護神がまだ悪神の息から放れてない証拠だぞ、
息とは初めのキであるぞ、
気であるぞ。
悪神は如何(いか)(よう)にでも変化(かわ)るから、
悪に玩具(おもちゃ)にされている臣民(しんみん)人民 可哀想だから、
この神示(ふで)読んで言霊(ことだま)高く読み上げて悪のキ()ちて下されよ、
今のうちに神示(ふで)じっくりと読んで(はら)に入れて高天原(たかあまはら)となっておりて下されよ。
まだまだ忙しくなって神示(ふで)読む間もないようになって来るのだから、
くどう申しているのだぞ、
悪魔に邪魔されて神示(ふで)読む気力も無くなる臣民(しんみん)人民たくさん出て来るから気つけておくのだ。
まだまだ人民には見当取れん妙なことが次から次にと湧いて来るから、
妙なこと この方がさせているのだから、
神の臣民(しんみん)心配ないなれど、
そうなった神の臣民(しんみん)まだまだであろうがな、
掃除される臣民(しんみん)には掃除する神の心わからんから妙に見えるのも道理じゃ。
天の様子も変わりて来るぞ。
何事にもキリということあるぞ、
臣民(しんみん)可哀想と申してもキリあるぞ、
キリキリ気つけて下され、
人に言うてもらっての改心では役に立たんぞ、
我と心から改心致されよ、
我でやろうと思ってもやれないのだぞ、
それでも我でやって鼻ポキンポキンか、
そうならねば人民得心できんから、
やりたい者はやって見るのもよいぞ、
やって見て得心改心致されよ、
今度は鬼でも(じゃ)でも改心さすのであるぞ。
これまでは夜の守護であったが、
いよいよ日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、
まことの人よ、よく神示(ふで)見て下され、
裏の裏まで見て下され、
神国の(まこと)の因縁わからないで、
三千年や五千年の近目ではスコタンぞと申してあろうがな、
天四天下平らげて、(まこと)の神国に、世界神国に致すのだぞ、
世界は神の国、神の国 真ん中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、
世の元からの(まこと)一つの神のことわからな益人(ますびと)とは申されんぞ、
神の申すこと一言半句も間違いないのだぞ。
人民はその心通りに写るから、
小さく取るから物事わからんのだぞ、
間違いだらけとなるのだ、
人民が楽に行ける道作りて教えてやっているのに、
()出すから苦しんでいるのだ、
神が苦しめているのでないぞ、
人民 自分で苦しんでいるのだと申してあろうがな。

記:1945年12月7日

 

雨の巻〜第13帖 →超訳

世界中から神示(ふで)通りに出て来て足元から火が付いても、
まだ()張りているようでは今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。
恐ろしくなっての改心では御役難しいぞ。
因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用難しいことあるぞ、
神示(ふで)頂いたとて役員(づら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろうがな、
五十九柱いくらでもあるのだぞ、替えミタマあると申してあろうがな、
務めた上にも務めねばならんぞ、因縁深いほど罪も借銭も深いのだぞ、
岩戸閉めにも良き()(たま)あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、
気つけ合ってよき御用結構だぞ、
勇んで務めて下されよ。
心から勇む仕事よきことぞ、
この方の好くことだぞ。
木の葉落ちて冬となれば淋しかろうがな、
紅葉(もみじ)あるうちにと気つけておいたが紅葉の山も落ちたであろうがな、
他でわからん根本のキのこと知らす この方の神示(ふで)じゃ、
三千世界のこと 一切のこと 説いて聞かせて得心させて上げますぞや。
落ち着いて聞き落としのないようになされよ、
悔しさ目に見えておろうがな、
どぶつぼに我と落ち込む人民ばかり出て来て、神の国 臭くて足の踏み場もないぞ、
なれども見てござれ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。
地の世界に大将なくなって五大州引っ繰り返っていると申すこと まだわからんのか、
目に見せても耳に聞かせても、まだわからんか、
尻の毛まで悪魔に抜かれていて まだわからんのか、
あんまりなことじゃなぁ。
これまでは高し低しの(いくさ)であったが、
是からは(まこと)の深し浅しの(いくさ)だぞ、
(まこと)とはコトだぞ、口でないぞ、筆でないぞ、コトだぞ、
コト気つけと申してあろうがな。
コト、コト、コト、だぞ。
始めウタあったぞ、終わりもウタぞ、今も昔もウタだぞ、
人民も動物もウタ唄うのだぞ、終わりの御用の始めはウタぞ、
ウタの集団(つどい)とせよ。
この神示(ふで)ウタとして知らせる集団とせよ、ウタの集団始めだぞ、
表だぞ、裏の裏だぞ、表の表ぞ、道開く表の終わりの御用ぞ、
江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろうがな、
カイの御用も忘れてならんのだぞ、
食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用のことぞ、
この集団も表に出して良いのだぞ、
時に応じてどうにでも(へん)()られるのが まことの神の集団だぞ。
不動明王殿も力あるのに、あそこまで落としてあるは神に都合あることぞ。
世に落ちてござる守護神と 世に落ちている神々様と 世に出ている神々様と
世に落ちて出ている守護神殿と 和合なさって物事やって下されよ、
二人でしてくれと申してあろうがな
わかりたか。

記:1945年12月18日

 

雨の巻〜第14帖 →超訳

一番尊いところ 一番落としてあるのじゃ、
このことわかりて来て天晴れ世界(うな)るのじゃ、
落とした上に落として もう落とすところないようにして上下引っ繰り返るのじゃ、
引っ繰り返すのでないぞ、引っ繰り返るのじゃぞ、
このこと間違えるでないぞ。
この道 難しい道でないぞ、
欲離れて、命離れてなるようにしておいて下されたら それでよいのじゃ。
今が神国の初めぞ、
今までのことすっかり用いられんのに いまだ今までのこと言うて今までのようなこと考えているが、
それが(めくら)(つんぼ)だぞ、
今までのこと自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキンばかりじゃなあ。
まだまだ俘虜(とりこ)になる者たくさんあるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、
いずれ元に帰って来るから、元に帰ってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、
次にまた捕えられる者 出て来るのだぞ、次はひどいのだぞ、
これも因縁だぞ。
神の国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がれん、
人民 皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示(ふで)に書かせたこと、
(うそ)だと申すところまで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのだぞ、
人民臣民(しんみん) 早合点してござるが九分九分九厘と申してあろうがな、
事務所作らないでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組みぞ、
裏の御用 事務所禁物ぞ、
それぞれの役員殿の住むところ皆それぞれの事務所でないか、
よく相談してやりて下され、段々わかって来るぞ。
表と裏とあなないぞ、あなないの道と申してあろう、
引き寄せる()(たま)は、天で一度改めて引き寄せるのであるぞ、
今お役に立たんように臣民(しんみん)の目から、役員の目から見えても(そで)にするでないぞ、
地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、
磨けば皆結構な()(たま)ばかりじゃぞ、
人民の(はら)()えたら天も()えるぞ、
(しず)まれば天も(しず)まるぞ、
(いさ)むぞ。
()はじっと奥に(しず)めて表面(うわべ)には()も出されんぞ、
我の無いようなことでは、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用できないのだぞ、
毒にも薬にもならん人民 草木に変えてしまうぞ。
この神示(ふで) ()(やみ)に見せるでないぞ、
神示(ふで)は出ませんと申せよと申してあること忘れるでないぞ。
天の規則 千(地)でやることになっているのだぞ、
今度 規則やぶりたら、暗いところへ落ち込んで末代浮かばれんきついことになるのだから、
神くどう気つけておくぞ。
次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにしてござるから一寸先もわからんぞ、
先わからずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理じゃぞ、
三日天下でお出直しぞ、
その次もその次も、またお出直しじゃ、
この神示(ふで)よく見てこの先どうなる、この先どうなるということ、
神はどんなこと計画しておいでますということ わからないで政治ないぞ、
すればするほど悪うなるぞ、
神にはこうなることわかって呑んでいるのだから、
どんなことあっても心配ないなれど、
それでは臣民 可哀想だから、
この神示(ふで)ウタにして印刷して世によきようにして皆に知らせてやれよ、
表の集団でよいぞ、
神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らせているのに、
九十(コト)聞く()(たま)ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りているから、
人民はわからんなれど、あまりわからんでは通らんぞ、
早う掃除せよと申しているのだぞ。
人の十倍も今の仕事して
その上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らせたこと忘れたか、
地に足つけよと申したことわからんのか、
百姓になれ、大工になれと申したことわからんのか、
(てん)の地もあるぞ、
天の百姓、大工もあるのだぞ。
善と悪と小さく臣民(しんみん)分けるからわからんのだぞ、
大きく目ひらけよ。
()せよ、松()せばわからん(やまい)直るのじゃぞ、
松心となれよ、いつも変わらん松の(みどり)の松心、
松の御国の御民幸あれ。

記:1945年12月18日

靝:「天」の異体字。青空から気が降り注ぐイメージ。

 

雨の巻〜第15帖 →超訳

四十八音(ヨハネ)世に出るぞ、
五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現れるぞ、
用意なされよ。
それまでにさっぱり変えてしまうぞ、
天も変わるぞ地も変わるぞ。
この方らが世建て直すと申して この方らが世に出て威張(いば)るのでないぞ、
世建て直して世は臣民(しんみん)に任せてこの方らは隠居じゃ、
隠れ身じゃぞ。
地から世持ちて(うれ)(うれ)しと申すこと楽しみぞ、
子供よ、親の心よく汲み取ってくれよ。
この神示(ふで)読まないでやれるならやってみよれ、
あちらでこつん こちらで(くず)れじゃ、
大事な仕組み 早う申せば邪魔入るし、
申さないではわからんし、
何にしても素直に致すが一番の近道だぞ、
素直になれんのは小才があるからだぞ。
鼻高じゃからだぞ。
神の国は神の国のやり方あると申してあろうがな、
良きは取り入れ悪しきは捨てて皆気つけ合って神の国は神の国じゃぞ、
金は金じゃ、銀は銀じゃと申してあろうがな、
(めくら)ならんぞ、
カイの御用もオワリの仕組みも何もかも裏表あるのだぞ、
裏と表の(ほか)に裏表あるぞ、
ウオヱであるぞ、
アとヤとワだぞ、
三つあるから道だぞ、
神前に向かって大きくキを吸い(はら)に入れて下座に向かって吐き出せよ、
八度繰り返せよ、
神のキ頂くのだぞ、
キとミとのあいの霊気頂くのだぞ。
ひふみがヨハネとなり、五十連(イツラ)となりなって十二の流れとなるのだぞ、
ムがウになるぞ、
ンになるぞ、
ヤとワと掘り出して十二の流れ結構だぞ。
知らせてあろうがな、
これまでの考え方やり方致すなら建て替えではないぞ、
何もかも上中下すっかりと建て替えるのだぞ、
外国は竜宮の音秘(オトヒメ)様ぐれんと引っ繰り返しなさるのだぞ、
竜宮の音秘(オトヒメ)様、雨の神様の御活動 激しきぞ。
今度 次の大層が出て来たらいよいよだぞ。
最後の十十👁(トドメ)(透答命)だぞ、
今度こそ猶予ならんのだぞ、
キリキリであるから用意なされよ、
三四月気つけよ、
キ切れるぞ。
信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、
この中、(まこと)一つに清めて下されよ、
天明(岡本天明)まだまだだぞ、
世の元の型まだまだだぞ、
神の仕組み成就せんぞ、
神人共にと申してあろうがな、
神厳しきぞ、
ぬらりくらりとぬるくって厳しきぞと、申してあろうがな。
役員多くなくても心そろえて胴すえておりて下されよ、
神がするのであるから この世に足場作りておって下されよ、
神 無理申さんぞと申してあろうがな、
けれどもちっとも気許しならんのだぞ。
()(たま)相当に皆させてあろうがな、
掃除早うせよ、
己の(いくさ)まだ済んでいないであろうが、
洗濯掃除 早う結構ぞ、
この方の神示(ふで)元とわかりながら他の教えでこの道開こうとて開けはせんのだぞ、
鏡曇っているから曲がって写るのだぞ、
一人の改心ではまだまだぞ、
一家そろって皆改心して手引き合ってやれよ、
外国人も日本人もないのだぞ、
外国外国と(へだ)て心 悪じゃぞ。

記:1945年12月19日

 

雨の巻〜第16帖 →超訳

この世と申しても臣民(しんみん)の世ばかりでないぞ、
神の世界も引っくるめて申しているのだぞ、
勇んでやって下されよ、
勇むところ この方 (ちから)添え致すぞ。
心配顔 この方 嫌いぞ、
歌唄い下されよ、
笑いて下されよ、
笑えば岩戸開けるぞ。
今の人民キリキリ舞いしながら まだキリキリ舞いするようもがいてござるぞ。
つ千(ツチ)に返ると申してあろうがな、
早う気づいた臣民(しんみん)人民 楽になるぞ。
神の守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、
わかるような守護は低い神の守護だぞ、
悪神の守護だぞ、
悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのだぞ、
心せよ、
どんなことあっても不足申すでないぞ、
不足悪だぞ、
皆 人民の気からぞと、くどう申してあろうがな、
人民キから起こって来たのだぞ、
(われ)(なん)()、我が作るのだぞ、
我恨(われうら)むより方法(ほか)ないぞ、
人民の心さえ定まったら、
この方 (みずか)ら出て手柄立てさすぞ、
手柄結構だぞ。
この世の物 一切 神の物ということまだわからんのか、
一切取り上げられてから なるほどなぁとわかったのでは遅いから嫌がられても、
くどう同じようなこと申しているのだぞ、
人民の苦しみこの方の苦しみだぞ、
人民もこの方も同じものだぞ、
この道理わかりたか、
この方 人民の中にいるのだぞ、
別辞(ことわけ)て申しているのだぞ。
まだまだ大き(いくさ)激しきぞ、
これで世よくなると思っていると大間違いとなるのだぞ、
これからが(ふんどし)だぞ、
よき世となれば(ふんどし)()らんのだぞ、
フラリフラリと風に吹かれるヘチマじゃ、
ヘチマ()(かい)(うれ)しいなあ、
風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと(うれ)しかろうがな、
何もかも(うれ)(まこと)から楽しき世だぞよ。
(まこと)が神であるぞ、コトが神であるぞ、
元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。
始めコトありと申してあろうがな、
キであるぞ、
まつりであるぞ。

記:1945年12月19日

 

雨の巻〜第17帖 →超訳

天地の先祖、元の神の(てん)()様が王の王と現れなされるぞ、
王の王はタマで御現れなされるのだぞ。
礼拝の仕方 書き知らすぞ、
節分から始めて下されよ、
まずキ整えてしばし目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、
またキ整えて一二(ひとふた)三四(みよ)五六七(いつむゆなな)()(ここの)(たり)(こと)高く()れよ、
またキ整えてひふみ三回()れよ、
これはこれは喜びの舞い、清めの舞い、(はら)いの歌であるぞ。
世界の臣民(しんみん) (みな)()れよ、
身も魂も一つになって、宣り歌い舞えよ、
()(たま)全体で拍手するのだぞ、
終わって またキ整えて一二(ひとふた)三四(みよ)五六七(いつむゆなな)()(ここの)(たり)
一二(ひとふた)三四(みよ)五六七(いつむゆなな)()(ここの)(たり)(もも)()(よろず)(こと)高く()れよ、
神気整えて(あめ)の日月の大神様 弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませと祈れよ、
これは祈るのだぞ、
九二(くに)のひつくの神様 弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませと祈れよ、
終わりて八拍手せよ、
次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒れの神様、地震の神様、百々(もも)の神様、
世の元からの生き神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、
終わりてから神々様のキ頂けよ、
キの頂き方前に知らせてあろうがな、
何より臣民(しんみん)人民の(いき)の命の(かて)であるぞ、
(やまい)なくなる元の元のキであるぞ、
八度繰り返せと申してあろう、
しばらくこの様に拝めよ、
神代になるまでにはまだ進むのだぞ、
それまではそのようにせよ、
この方の申すようにすればその通りになるのだぞ、
さまで苦しみなくして大峠越せるぞ、
大峠とは王統(おうとう)消すのだぞ。
新しき元の生命(いのち)と成るのだぞ。
神の心となれば(まこと)わかるぞ。
(まこと)とはマとコトだぞ、
神と人民 同じになれば神代だぞ、
神は(かくり)()に、人民 表に立ちてこの世治まるのだぞ。
雀の涙ほどの物 取り合い へし合い何してござるのぞ、
自分の物とまだ思っているのか。
御恩とは五つの音のことだぞ、
御音(恩)返さなならんのだぞ、
このことよく考えて間違わんようにして下されよ。
この巻は雨の巻ぞ、
次々に知らすからミタマ相当に()り分けて知らしてやれよ、
(こと)分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。
役員皆に手柄立てさせたいのじゃ、
臣民(しんみん)人民 皆にそれぞれに手柄立てさせたいのじゃ、
待たれるだけ待っているのじゃ、
一人で手柄は悪じゃ、分け合ってやれよ、
手握ってやれよ。
石物言うぞ、
十六の八の四の二の一 めでたやめでたやなあ。
神の仕組みの世に出でにけり、
あなさやけ、あな面白や、
五つの色の七変わり八変わり九(ここ)の十々(たりたり)て(もも)()(よろず)の神の世弥栄(いやさか)

記:1945年12月19日