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             梅の巻(全文)〜「運命の巻」とも

 

梅の巻〜第1帖 →超訳

今度の建て替えは敵と手握らねばならんのじゃ、
敵役の神々様人民よ、早う尋ねてござれ、
この方 待ちに待っておるぞ。
引っ張ったのでは、心からでないと役に立たんのじゃ、
この神示(ふで)十三の巻からは(はら)の中の奥まで見抜かんでは、
見届けんでは見せて下さるなよ、
今にいろいろと()(たま)集まって来るから十二の巻も申しつけてあるように
ちゃんとしておいて下されよ。
()(つるぎ)の大神、()(がね)の大神、白銀(しろがね)の大神と称えまつり結構結構ぞ、
結構致しまつりくれよ。
オロチ(大蛇)、九火(九尾の狐)、ジャキ(邪鬼)、の三大将殿の御力まつりて弥栄(いやさか)よくよきに動くぞ、
ひらけ輝くぞ、
一火(光)の御代となるぞ。

記:1946年9月28日

 

梅の巻〜第2帖 →超訳

代え()(たま)いくらでも作りあるぞ、
心して取り違いせんように神の心早う汲みとれよ、
この方の仕組み人民にはわからんから、
どうなることかと役員も心配なさるなれど、
仕上げりゅうりゅう見てござれ、
めったに間違いないのじゃぞ、
うまい口に乗るでないぞ、
うまい口を今に持って来るが、
うまい口には(まこと)ないから、
この方 三千世界の御道は(まこと)よりないと申してあろうが、
真実のマコトは神示(ふで)読まねばわからんのじゃぞ。
ひつぐの民の家には御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、
(あま)の日月の大神様 (くに)の日月の大神様と称え(いつ)(まつ)り結構致しくれよ、
一の宮、二の宮等の(まつ)り天明に知らせてあるぞ。
道院殿老祖様は中の宮に、
他は道院の神々様として次の宮に結構(まつ)りてよいぞ、
いずれも弥栄(いやさか)弥栄(いやさか)ぞ。

記:1946年9月28日

 

梅の巻〜第3帖 →超訳

皆の者 御苦労ぞ、
「世界の民の会」作れよ、
人民 (おろが)み合うのだぞ。
皆にまつろえと申してあろうがな。
集団(まどい)つくれつくれ、
(おろが)み合うのだぞ、
 集団(まどい)のしるしはゝ◯ぞ、
(おろが)み合うだけの集団(まどい)でよいぞ。
理屈 悪じゃ、
こんなこと言わんでもわかっておろうが、
神示(ふで)読めよ読めよ。

記:1946年10月8日

 

梅の巻〜第4帖 →超訳

この神示(ふで) 喰い物にしようと出て来る者 段々にあるなれど、
皆あてハズレてしまうぞ、
あてハズレて神の目的成るぞ、
役員殿 ()調(ちょう)(ほう)ないように気つけてくれよ、
まつり結構。
神が預けてあるものは、
あずかった人民よきに取りはからえよ、
大き小さいの区別ないぞ、
塵一本でも神のものだと申してあろうが、
塵一本動かすに一々神の心聞いてやっておるとは言わさんぞ、
預けるには預けるだけの因縁あるのだぞ、
預かった人民よきにせよ、
奥山どこへ移ってもよいと申してあろうがな、
神の道 弥栄(いやさか)弥栄(いやさか)

記:1946年10月13日

 

梅の巻〜第5帖 →超訳

ニニギの(みこと)お出ましぞ、
ニニギとは二二(富士)のキの御役であるぞ。
神かかりて世界中のこと何でもわかるように思うていると、
とんでもないことになるぞ、
このままにしてほうっておくと(いくさ)済んだでもなく、とどめもさせん、
世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。
悪の上の守護神、中の守護神、下の守護神の改心できん者はいくら可愛い子ぢゃとて、
容赦(ようしゃ)はできんぞ、
いよいよ天の大神様の御命令通りに神々様 総掛りぞ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第6帖 →超訳

雨の神、風の神、岩の神、荒れの神、地震の神、
百々八百(ももやお)(よろず)の神々様 御活動激しくなったぞ、
人民 目開けておれんことになるぞ、
できるだけ穏やかに致したいなれど、
わかりた臣民(しんみん) 日々おわびお祈り結構致しくれよ、
大峠となりてからでは いくら改心致しますと申しても、
許してくれよ申しても、許すことはできんから、
日本には日本の守護の神、支那には支那、
外国には外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。
神々様 持ち場持ち場清めてくれよ。
御役結構ぞ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第7帖 →超訳

四十七と四十八で世新しく致すぞ、
三人使うて三人世の元と致すぞ、
三人を掘り出すぞ。
世に落ちています神々様、
人民様を世にお上げせなならんぞ。
悪神の国から始まって世界の(おお)(いくさ)いよいよ激しくなって来るぞ。
何事も清めくれよ、
清めるとはまつらうことぞ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第8帖 →超訳

口と心と行と三つそろったら今度は次にゝ入れて下されよ、
ゝは神じゃ、神示(ふで)じゃ、神示(ふで)元じゃ、と申してあろうが、
三つそろっても肝腎の神示(ふで)(はら)に入っておらんと何にもならんことになるぞ。
九分九分九厘となっていることもわかるであろうが、
御用 勇んで仕えまつれよ。
目覚めたらその日の生命(いのち)(いただ)いたのじゃと申してあろう、
新しき生命(いのち) 弥栄(いやさか)に生まれるのじゃ。
今日一日神に仕えまつれよ、
与えられた仕事 御用だぞ、生命(いのち)だぞ、
取り違い致すでないぞ。
七月になると上の人、番頭殿、顔の色悪うなってくるぞ、
八九月となればいよいよ変わって来るぞ、
秋の紅葉の色変わるぞ。
いくら因縁あってもミタマ曇っていると今度は気の毒できるから、
今度 引き寄せられた人民じゃとて役員じゃというて、
ちっとも気ゆるしできん。
澄んだ言霊(ことだま)神示(ふで)読み上げてくれよ、
三千世界に聞かすのじゃ、
そんなことで世が良くなるかと人民申すであろうなれど神の申す通り、
わからいでも神の申す通りにやって下されよ、
三千世界に響き渡って神々様も臣民(しんみん)人民様も心の中から改心するようになるのだぞ、
世が迫っておることは、どの神々様人民にもよくわかっていて、
(まこと)求めてござるのじゃ、
(まこと)知らしてやれよ。
何もかも一度に出て来るぞ、
日増しにはげしくなって来るぞ、
どうすることもできんように、
悪神、悪の人民、手も足も出せんことに、
何から何まで、何が何だかわからんことに折り重なって来るぞ、
キリキリ舞いせなならんことになって来るぞ、
キリキリ舞いにも良きと悪しきとあるぞ、
良きは結構じゃなぁ、
中々じゃ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第9帖 →超訳

肉体がこの世では大切であるから肉体を傷つけたら苦しめたら、
その守護神は、それだけのめぐり負うのだぞ、
霊々と申して肉体苦しめてはならんぞ、
今の人民とっておきの(まこと)の智ないから、
持っている智を皆出してしまうから、
上面(うわつら)ばかり飾りて立派に見せようとしているから、
いざという時には間に合わんのじゃ、
上面(うわつら)しか見えんから、(まこと)のことわからんから、
神の言うことわからんのも道理じゃなぁ。
建て直しの仕組み立派にできているから心配致すでないぞ、
建て替え延ばしに延ばしている神の心わからんから、
余り延ばしては丸つぶれに、
悪のわなに落ちるから(とど)めの一厘のふた開けるから、
目開けておれんことになるぞ、
早う知らせる人民には知らしてやれよ、
まず七人に知らせと申してあろうがな。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第10帖 →超訳

悪いことは陰口せずに親切に気つけ合って仲良う結構ぞ、
陰口 世をけがし、己けがすのだぞ、
聞かん人民は時待ちて気つけてくれよ、
縁ある人民 皆親兄弟だぞ、
慢心取り違い疑いと、()がこの道の大き邪魔となるぞ、
くどいようなれど繰り返し繰り返し気つけおくぞ。
時来たら説き出すものじゃ、
親の心察して子から進んでするものじゃ、
その心よきに(さき)わうぞ、
もの聞くもよいが、聞かんでは、
わからんようでは幽国(がいこく)()(たま)ぞ、
神の臣民(しんみん) 親の心うつして言われん先にするものじゃぞ。
世は神界から乱れたのであるぞ、
人間界から世建て直して、
(くに)の岩戸 人間が開いて見せるというほどの()(はく)なくてはならんのだぞ、
その()(はく) (さき)わうのだぞ、
岩戸開けるぞ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第11帖 →超訳

日本の上に立つ者に外国の教え伝えて外国魂に致したのは今に始まったことではないぞ、
外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度だぞ、わかりたか。
それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、
中つ枝からの神々様には わからんことだぞと申してあることもガッテンできるであろうがな。
この神示(ふで)(はら)に入れておればどんなことあっても先に知らせてあるから心配ないのだ、
ソレ出たとすぐわかるから胴すわっているから何事も結構におかげ頂くのだ。
死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、
(うれ)(うれ)しだぞ。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第12帖 →超訳

万物の長とは神の臣民(しんみん)のことであるぞ、
世界の人民も皆万物の長であるが、
この世の神は臣民(しんみん)じゃぞ、
神に次いでの良き()(たま)ぞ、
臣民(しんみん)(くに)の日月の神様だぞ。
火の粉でやけどするなよ、
気つけおくぞ。
世に出ている守護神のすること知れているぞ。
元の生き神様 御一方(おんひとかた)御力出しなされたら手も足も出んことになるのじゃ。
神力と学力とのいよいよの力くらべじゃ、
元の生き神様の(おん)息吹(いぶ)きどんなにお力あるものか、
今度は目にもの見せねばならんことになったぞ、
肉体ばかりか、魂までのうにならぬやも知れんぞ、
震え上がるぞ。
理が神ぞ。
理が神の御用だと申してあろうがな。

記:1946年11月16日

 

梅の巻〜第13帖 →超訳

(あま)の岩戸ばかりでないぞ、
(くに)の岩戸 臣民(しんみん)の手で開かなならんぞ、
(まこと)一つで開くのじゃ、
(まこと)のタヂカラオの神、(まこと)のウズメの命殿、御用結構ぞ。
ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましだぞ、
この道理わからんか、
取り違い禁物ぞ、
生まれ赤子の心になればわかるのじゃぞ。
今の臣民(しんみん)お日様明るいと思っているが、
お日様マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。
見てござれ、見事な世と致してお目にかけるぞ、
神示(ふで)読みて聞かせてやれよ、
嫌な顔する人民 後まわしじゃ、
飛びつく人民 縁あるのじゃ、
早う読み聞かす神示(ふで)()り分けておいて下されよ、
間に合わんぞ、御無礼ないように致し下されよ。

記:1946年11月17日

 

梅の巻〜第14帖 →超訳

日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、
皆人民の食いて生くべき物、作らせてあるのじゃぞ、
日本人には肉類禁物じゃぞ。
今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、
今度は共喰いとなるから、共喰いならんから、
今から心鍛えて食物大切にせよ、
食物おろがむ所へ食物集まるのじゃぞ。
ひたすらに神にすがりてお詫びせよ、
それより外に今は道なし。
外国を日本の地面にせなならん、
日本と「にほん」と取り違いするな。
何事も神第一ぞ、
神よそに為すこと言うことスコタンばかりじゃ、
分け隔てあると思うは我が心に分け(へだ)てあるからじゃぞ、
世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土(うぶすな)様、
いよいよ天の命令通りにかかりて下されよ、
もう待たれんことに時節参りているぞ、
世界の人民 皆泥海の中に住んでいるのじゃぞ、
元の水流して清めてやらねばならんなり、
泥水を泥水と知らずに喜んでいるので始末に困るぞ、
清い水に住めん魚は(まこと)の魚ではないのじゃぞ。
つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。
心得なされるがよいぞ。

記:1946年11月17日

 

梅の巻〜第15帖 →超訳

このままでは世持ちて行かんということわかっておろうが、
所々の氏神様、今までのような氏子の扱いでは立ちてゆかんぞ、
天の規則道りにやり方変えて下されよ、
間に合わんことあるぞ。
血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、
血にごしてはならんぞ、
血はまぜこぜにしてはならんのじゃ、
()(がね)は黄金の血、
白銀(しろがね)は白銀の血、
黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのじゃ、
外国にはまぜこぜもあるなれど、
元をまぜこぜならんのだぞ、
()ぜることは乱すことだぞ、
学はこの大事な血乱すように仕組みているのだぞ、
それがよく見えるようにしたのは悪神だぞ、
人民の目、くらましているのじゃぞ、
科学科学と人民申しているが人民の科学では何もできん、
乱すばかりじゃ、
神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、
わからなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、
一に一たす二ばかりとは限らんのじゃ、
わかりたか。

記:1946年11月18日

 

梅の巻〜第16帖 →超訳

神代になりたら天地近うなるぞ、
天も地も一つになるのだぞ、
今の人民にはわかるまいなれど、
神も人も一つ、上も下も一つとなって(おの)ずから区別できて来て一列一平上下できるのじゃ。
この世はほって置いても自然にどうにか動いて行くものだと上に立つ守護神逃げておるが、
そんなことで(まつり)(ごと)できると思うてか、
自然には動かんのぞ、
その奥の奥の奥の 奥の奥の奥の奥の キのイキから動いていることわかるまい、
人民の思っていることは天地の違いだぞ、
 ゝの中にまた◯がありその◯にゝ◯があり ありありありありあり 限り無いのだぞ。
人民の研究もよいなれど研究は神ぞ、
道にひたすら仕えまつれよ、(おろが)めよ、
研究では(まこと)のことはわからんのじゃ、
()折ってわからんことは神の申すこと聞くのじゃ、
わからんでも聞いて下されよ、
悪いようには致さんぞ。
まつりまつりとくどう申してあろう、
我捨てて拝めば神のキ通じて何でもわかって来るのじゃぞ。

記:1946年11月18日

 

梅の巻〜第17帖 →超訳

今の人民 少しは神示(ふで)わかっておらんと恥ずかしいことできて来るぞ、
なさけけないことできて来るぞ、
悔しさ目の前ぞ。
次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、
地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、
天の御先祖様 この世の始まりなり、
お手伝いが弥栄(いやさか)のマコトの元の生き神様なり、
仕上げ見事成就致さすぞ、
御安心致されよ。
天も晴れるぞ、地も輝くぞ、
天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、
三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、
あな(さや)け、あな清々し、あな面白や、
いよいよ何もかも引き寄せるから その覚悟よいか、
覚悟せよ、
あな(さや)け、あな清々し、
四十七と四十八と四十九じゃ。

記:1946年12月4日

 

梅の巻〜第18帖 →超訳

自分で自分のしていることわかるまいがな、
神がさせているのだから、人間の頭ではわからん、
仕組み通りに使われて、()(たま)の掃除の程度に使われて、
使い分けられているのじゃぞ、
早う人間心捨てて仕舞って神の申す通りに従って下されよ、
それがお(ぬし)の徳と申すものじゃぞ、
一家の為めぞ、国の為めぞ、世界の民の為めだぞ、天地の御為めだぞ。
今までになかったこと今度はするのだから合点できんのも道理じゃ道理じゃ、
始めは戦いで、(いくさ)で世の建て替えするつもりであったが、
あまりに曇りひどいから、
(いくさ)ばかりでは隅々までは掃除できんから、
世界の家々の隅々まで掃除するのじゃから、
その掃除中々じゃから、(いくさ)ばかりでないぞ、
家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろうがな、
今度の岩戸は、あけっぱなしじゃ、
(ふんどし)()らんと申してあろう。

記:1946年12月4日

 

梅の巻〜第19帖 →超訳

四十九、天明 神示(ふで)書かす御役ぞ。
一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ、
節分までに皆の守護神同じ宮に(まつ)りくれよ、
まつりまつりてまつり合わせ、
和合して物事成就するのぞ。
まつる心なき者 (まこと)ないぞ、
マコトわからんぞ。
靖国(やすくに)のミタマもそれまでに奥山に(まつ)りくれよ、
まつり替えてやってくれよ。
世界の神々様、守護神様、人民のみたま、(まつ)りくれよ、
まつり結構ぞ。
節分からの誓言(ちかい)変えさすぞ、
大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回繰り返せよ、
それでよいぞ、
神々様には弥栄(いやさか)ましませと五回繰り返せよ、
(たま)の宮には弥栄(いやさか)ましませと三回繰り返せよ、
それでよいぞ、弥栄(いやさか)だぞ。

記:1946年12月4日

 

梅の巻〜第20帖 →超訳

よくもまぁ鼻高ばかりになったものじゃなぁ、
四つ足と(てん)()ばかりじゃ、
まぁまぁやりたいだけやって見なされ、
神は何もかもみな調べぬいて仕組みてあるのじゃから、
性来だけのことしかできんから、
いよいよとなりて神にすがらなならんということわかりたら、
今度こそはまことに神にすがれよ、
今度 神にすがることできんなれば万劫末代(ばんこうまつだい)浮かばれんぞ。
したいことならやって見て得心行くまでやって見て改心早う結構ぞ。
ミロクの世のやり方 型出して下されよ、
一人でも二人でもよいぞ、
足場早う作れと申してあること忘れたのか。
尾振る犬を打つ人民あるまいがな、
付いて来る人民殺す神はないぞ、
ミロク様が月の神様。

記:1946年12月4日

 

梅の巻〜第21帖 →超訳

身欲信心スコタンばかり、
(あま)津日(つひ)(つぎ)の御位は幾千代かけて変わらんぞ、
日の大神様、月の大神様、(くに)の大神様、
(おん)()(すじ)弥栄(いやさか)弥栄(いやさか)ぞ。
日本の人民アフンとするぞ、
皆それぞれのゆかりの集団(まどい)にゝ入れよ、
神示(ふで)ひふみ(一二三)となるぞ、
天明(岡本天明)は画家となれ、
絵描いて皆にやれよ、弥栄(いやさか)となるぞ、
やさかいやさか。
今度はキリスト教も仏教も何もかも生かさならんのぞ。
早くからこの方の元へ来ていても因縁あっても肝腎がわからんと後戻りばかりじゃ、
肝腎肝腎じゃ、
学もよいが、それはそれのようなものじゃぞ、
途中からの神は途中からの神、
途中からの教えは途中からの教え、
今度の御用は元のキの道だぞ、
世の元からの神でないとわからんぞ、
できはせんぞ、
生まれ(あか)()の心とは
途中からの心、教え、
すっかり捨ててしまえということだぞ。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第22帖 →超訳

まだまだどえらいこと出て来て日本の国はいよいよ潰れたという処へなって来るから、
皆が(まこと)の神魂になって来んと(まこと)の神は出ないのだぞ、
(まこと)ある処へ(まこと)の神働くと申してあろうが、
(まこと)ない処へ働く神は悪神じゃぞ、
よう気つけてくれよ。
いくら時節来たとて人民に(まこと)ないと気の毒ばかりじゃ、
気の毒 この方嫌いじゃ。
道は神にも曲げられん、
竜神は悪神じゃという時来るぞ、
心せよ。
(まこと)ない者 今にこの方拝むことできんことになるぞ、
この方に近よれんのは悪の守護神殿。
いよいよ天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、
王の王の神で末代治める(もとい)つくるぞ、
少しでも混じり気あってはならんのじゃ、
早う洗濯掃除結構ぞ。
御用いくらでもあるぞ、
おかげ取り徳じゃ。
できるだけ大き器持ちてござれよ、
皆々欲がチビイぞ、
欲が小さいなぁ。
話すことは放すことじゃ、
放す(話す)とつかめるぞ。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第23帖 →超訳

これから三年の苦労じゃ、一年と半年と半年と一年じゃ。
手合わせて拝むだけでは何にもならんぞ、
拝むとは御用することだぞ、
形体(かたち)だけできても何にもならんぞ、
(おが)まないのは なおよくないぞ、
神に遠ざかることじゃ。
この道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、
泰平(たいへい)(うれ)(うれ)しの道だが、
いつも剣の上下におる心構え結構ぞ。
一の国は一の国の教え、二の国は二の国の教え
三の国は三の国、四の国は四の教えと、
それぞれの教えあるぞ。
道は一つじゃ、
取り違いせんようにせよ。
住む家も、食う物も違うのだぞ、
混ぜこぜならんのじゃ、
皆々不足なく、それぞれに(うれ)(うれ)しだぞ、
不足ない光の世来るぞ、
早う()(たま)相当の御用 結構結構ぞ。
世いよいよ開け行くと人民申しているが、
いよいよ詰まって来るぞ、
遅し早しはあるなれど いずれは出て来るから、
神示(ふで)(はら)に早く入れておいてくれよ、
神示(ふで)まだまだわかっていないぞ。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第24帖 →超訳

待てるだけ待っているが世を潰すわけにはいかん、
人民も(みが)けば神に御意見されるほどに()(たま)()ってはなれるのだぞ、
(くに)の日月の神と栄えるのだぞ、
何より()(たま)(みが)き結構。
(ひと)()の悪いところほどメグリあるのだぞ、
日本のやり方違っていたということ、
五度違ったということわかって来ねば、
日本の光出ないぞ。
表面(うわべ)飾るな。
コトも()めば()むほど味出て来るのが(みが)けた()(たま)
中味よくなって来ると表面(うわべ)飾らいでも光出て来るぞ。
これまでの日本のやり方悪いから、
神が時々、神かかって知らせてやったであろうが、
気つけてやったが気のづく臣民(しんみん)ほとんどないから、
今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、
天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、
お喜び(いただ)くのじゃ。
神示(ふで)通りに出て来ても、まだわからんか。
神示(ふで)は神の息吹(いぶ)きじゃ。
心じゃ。
口上手、身振り上手で(まこと)ない者この方嫌いじゃぞ。
 とどめゝ◯(かみ)なり。
先見えるぞ、
先見えんのは途中からの神じゃ。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第25帖 →超訳

神のそばに引き寄せても、実地に見せても、
我が強いから中々に改心致さん臣民(しんみん)ばかり、
少しは神の心察して見るがよいぞ。
気の毒できるから、
少しは神の身にもなってみるものじゃ、
このままでは気の毒なことになるから、
早く守護神、節分までに早い(まつ)りてくれよ、
何事もキリキリと言うことあるぞ。
世治めるは()の花咲耶姫様なり。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第26帖 →超訳

(きん)では治まらん、
悪神の悪では治まらん、
ここまで申してもまだわからんか、
(きん)では治まらん、
悪の総大将もそのこと知っていて、
(きん)で、きんで世を潰す計画だぞ、
わかっている守護神殿 早う改心結構ぞ、
元の大神様に御無礼しているから(やまい)(がみ)に魅入られているのじゃぞ、
洗濯すれば治るぞ、
(やまい)(がみ)は恐ろしくて這入(はい)って来られんのじゃぞ、
家も国も同様だぞ。
神示(ふで)いくらでも説けるなれど(まこと)一つで説いて(おこな)って下されよ、
口で説くばかりではどうにもならん、
(たま)なくなってはならん。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第27帖 →超訳

苦しむと曲がるぞ、楽しむと伸びるぞ、
この方 苦しむこと嫌いじゃ、
苦を楽しみて下されよ。
この方に(てき)()う御力の神、
いくらでも早う出てござれ、
(てき)()う神この方の御用に使うぞ、
天晴れ御礼申すぞ。
世界のどんな偉い人でも、
この方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、
早う神示(ふで)読んで神の心汲み取って、
ミロクの世の(いしずえ) 早う固めてくれよ。
算盤(そろばん)のケタ違う算盤(そろばん)でいくら(はじ)いてもできはせんぞ、
素直に致してついてござれ、
見事 光の岸に連れて参って喜ばしてやるぞ。

記:1946年12月14日

 

梅の巻〜第28帖 →超訳

十二の流れ、六の流れとなり、三つの流れとなり、
二となり一と成り鳴りて、一つになり、
一つの王で治めるのじゃぞ。
弥栄(いやさか)の仕組み、普字(富士)と成答(鳴門)の仕組み、
いよいよとなったぞ。
あな(うれ)し、あな清々(すがすが)し普字(富士)は晴れたり日本晴れ。
この巻 ん👁(梅)の巻と申せよ、
のちの世の宝と栄えるぞ。

記:1946年12月14日