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    海の巻(全文)

 

海の巻〜第1帖 →超訳

海の巻 書きしらすぞ、
五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、
皆始めは結構であったが段々と時()るに従って役員がワヤに致したのじゃ、
気の毒ぞ、
神の名汚しておるぞ。
大日月と現れたら、何かのことキビシクなって来て、
建て替えの守護と建て直しの守護に廻るから、その覚悟よいか。
間違った心で信心すれば、
信心せんより、もう一つ厳しくえらいことが満ちはじめ満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、
悪口言われ出したら結構近づいたのだと申してあろう、
悪口は悪の白旗だぞ。
飛んで来て上に止まっている小鳥、風吹くたびにびくびくじゃ、
大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、
大嵐 目の前。
ここはまず苦労、
その苦労に勝ったら、(おのれ)()ったら(たましい)(みが)けるぞ、
段々と楽になって(うれ)(うれ)しとなるぞ、
結構な仕組み、知らせたら邪魔入るなり、
知らさんのでわからんなり、
心で取りてくれよ、
世界の民の会なせばなる、
なさねば後悔ぞ。

記:1947年8月13日

 

海の巻〜第2帖 →超訳

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、
参道は仮ぞ。
合わせて四十九かへミタマ六参道仮だからそのつもり結構ぞ。
一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、
三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。
火の守護から水の守護に変わっておるのであるから、
水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、
このこと忘れるなよ、
この中には化け物いるのだぞ、
化け物に化かされんように おかげ落とさんように致して下されよ、
神くどう気つけおくぞ。

記:1947年8月14日

 

海の巻〜第3帖 →超訳

今までは神様も別れ別れで勝手にしていたのであるから、
神様の申されたことにも間違いとなることあったのじゃ、
今でも神様はウソを申されんのであるが、
和合なく離れ離れであったから、
自分の目で届くグルリは、
自分の力の中では(まこと)であっても、
広い世界へ出すと間違ったことになっていたのじゃ、
神のお示しが違ったと申して その神様を悪く申すでないぞ、
今の上に立つ人も同様だぞ、
心得なされよ。
今度はいよいよ一致和合して、
大神様の仕組み結構が相わかり来て、
大日月の神となりなされて現れなさるのじゃ。
わかりたか、
雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。

記:1947年8月14日

 

海の巻〜第4帖 →超訳

出てきてからまた同じようなこと繰り返すぞ、
今度は魂抜けているからグニャグニャぞ、
グニャグニャ細工しかできんぞ、
それに迷うでないぞ。
神示(ふで)(はら)に入って血になると、
何が起こって来ても結構であるが、
始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て悪の(とりこ)となって苦しむぞ、
悪はないのであるが、
無い悪を人民の心から生むのだぞ、
悪の(とりこ)となって苦しむのが見えているから、
苦も結構なれど()らん苦は()らんぞ、
神示(ふで)よく読んで苦を楽とせよ、
楽は喜びぞ、
苦のハタラキが楽ぞ、
楽は喜びぞ、光ぞ、
神人共のまつりぞ、
楽で岩戸開けるぞ、
苦しんで開く岩戸は(まこと)の岩戸でないぞ。

記:1947年8月14日

 

海の巻〜第5帖 →超訳

今日(こんにち)までの御教えは、
悪を殺せば善ばかり、輝く御代(みよ)が来るという、
これが悪魔の御教えぞ、
この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、
信ぜしことの(おろ)かさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願いしも、
それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、
焼いても煮てもしゃぶっても、
悪は益々増えるのみ、
悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄(いやさか)えぞ、
本来 悪も善もなし、
ただ()(ひかり)の栄ゆのみ、
八股オロチも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、
神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななうところに御力の、
輝く時ぞ来るなり、
()かさねば悪なるぞ、
善悪不二といいながら、
悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、
ただ御光のその中に、
喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、
皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、
地の上ばかりでなどかなる、
三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、
生まれ(あか)()となりなりて、光の神の説き(たま)う、
(まこと)の道を進めかし、マコトの道に弥栄(いやさか)えませ。

言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし、
(つぎ)の言答(岩戸)早う明けてよ。

記:1947年8月15日

 

海の巻〜第6帖 →超訳

いくら()(こう)でも今までの人間心では神の仕組みはわからんぞ、
帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝えるところはなし、
泣く泣くつらい思いをせねばならんぞ、
くどう気つけているのだぞ、
慢心取り違いの鼻高さん、
路頭に立たねばならんぞ。
一二四、結構な日に生まれたのじゃ、
この日に生まれた仕事は皆よくなるぞ、
この神示(ふで)よく読んでくれたら何を申さんでも、
何を聞かんでも、よいことになるのであるぞ、
(いくさ)や天災では人の心は直らんと申してあろうが、
今までのどんなやり方でも人の心は直らんぞ、
心得なされよ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第7帖 →超訳

今度は先ず心の建て直しじゃ、
どうしたら建て直るかということ、
この神示(ふで)読んで(さと)りて下されよ、
今度は悪を(のう)にするのじゃ、
(のう)にするには善で抱き参らすことじゃ、
無くすることでないぞ、(ほろ)ぼすことでないぞ、
このところが肝腎のところじゃから、
よく心にしめておりて下されよ。
この世は一つの神で治めんことには治まらんぞ、
ゝでくくるのじゃぞ、
人民の力だけでは治まらんのじゃぞ、
一つの教えとなってそれぞれの枝葉が出て来るのじゃ、
今では枝から根が出て大切なミキがなくなっていたのじゃぞ、
中つ代からの神では何もできんと申してあろうがな、
神と人と一つになって一つの王となるのじゃ、
上下そろって一つになるのじゃ、
善も悪もあなないて、一つの新しき善となるのじゃ、
王となるのじゃぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第8帖 →超訳

せっかく神が与えたおかげも今の人民では荷が重いから
途中で倒れんように神示(ふで)を杖として下されよ、
イキ切れんようになされよ。
一つでも半分でも神の御用務めたら務め徳だぞ、
何と申しても神ほど頼りになるものはないとわからんのか、
おかげ取り徳。
(やぶ)れるは内からぞ、
外からはビクとも致さんぞ。
天では月の神様、ミ、ヤ、カ、ラ、ス、出て来るぞ、
始末よくして下されよ、
始末よくできれば何事も楽になって来るぞ、
火のタキ方から水の()み方まで変わるのであるぞ、
大切なことであるぞ。
うそはちっとも申されん、この神示(ふで)通りに出て来るのじゃ、
先の先の先まで見通しつかんようなことでは、
こんなタンカは切れんのだぞ、
おかげはその心通りに与えてあるでないか。
下の神が上の神の名を語りて来ることあるぞ、
それが見分けられんようでは取り違いとなるぞ、
十人位は神示(ふで)がそらで言える人をつくっておかねばならんぞ。

記:1947年8月23日

「ミヤカラス」→「道開かす」とする訳もある

 

海の巻〜第9帖 →超訳

マコトの改心はいよいよとならねばできんものじゃが、
できんことも無理も()かねば この峠越せんこともあるのだぞ。
天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、
田舎に都、都に田舎ができると申してあろうが、
もう少し人民にわかって来んと、
今びっくり箱あけたら助かる人民一分もないぞ、
早う知らせてくれよ。
()けるなれど人民中々言うこと聞かんから物事遅くなるばかり、
遅くなれば益々苦しむばかりぞ。
色はにほへど散るものぞ、
世の乱れ神界の色からであるぞ、
気つけておくぞ。
()(もと)の国を取ろうとしても何とだましても、
御先祖様には何もかも世の元からの仕組みしてこのことわかっているのであるから、
悪のやり方よ、早う善にまつろえよ、
まつろえば悪も善の花咲くのじゃぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第10帖 →超訳

この方 悪神、(たた)り神と人民に言われてトコトン落とされていた神であるぞ、
言われるには言われるだけのこともあるのじゃ、
この方さえ改心致したのであるぞ、
改心のおかげでこのたびの御用の立役者となったのじゃぞ、
誰によらん改心致されよ。
改心とは まつろうことぞ、
中行くことぞ、
わかりたか。
今度は十人並みのおかげぐらいでは(まこと)の信心とは申されんぞ、
千人万人のおかげを取りて下されよ、
千人力与えると申してあろうが、
大事な御先祖様の血統を皆世に落としてしまって無きものにしてしまって、
途中からの代へ()(たま)を、
渡りてきた()(たま)を、
混ぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、
まだわからんのかなあ、
人民もグレンぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第11帖 →超訳

だました岩戸からはだました神が出て、
ウソの世となったのじゃ、
この道理わかるであろう、
ニセ神やら、だました神やら、
次々に五度の岩戸閉めと申してあろうが、
タンバはタニハ、
田庭とは()(もと)の国ぞ、
世界のことぞ、
タンバとはタンバイチとは世界の中心ということぞ、
日の本ということぞ、
キミの国だぞ、
()(そう)の国だぞ、
地場だぞ、
わかりたか。
地場を固めなならんぞ、
五十鈴(いすず)の川はムツの川、和合の川ぞ。
社殿(やしろ)は八方に開く時来たら()尋殿(ひろどの)建てて下されよ、
マコトの八尋殿。
何もわからん無茶苦茶者が、
偉そうな名の神かかりして、
何も知らん人民をたぶらかしているが、
今に尾尻を出してくるぞ、
尾尻つかまらんうちに改心して神の道に従って来いよ。

記:1947年8月23日

天理教の変質に関する神様からの苦言の可能性あり

 

海の巻〜第12帖 →超訳

神は人民には見えん、たよりないものであるが、
たよりないのが、たよりになるのであるぞ。
外国行きとは幽界行きのことぞ。
時節来ておれど人民心で()くでないぞ、
()くとしくじるぞ。
あちらに一人、こちらに一人、というふうに残るくらい(むご)いことに
せなならんようになっているのだから、
一人でも多く助けたい親心汲みとりて、
早う言うこと聞くものじゃ。
ここまで神示(ふで)通りに出ていても、まだわからんのか、
疑うのにも余りであるぞ。
地に高天原(たかあまはら)ができるのだぞ、
天の神 地に降りなされ、
(くに)の神と御一体と成りなされ大日月の神と現れなさる日となった、
結構であるぞ、
肉体のことは何とかわかるであろうが、
タマはわかるまい、
永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、
タマの因縁のわかるところは九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくら探してもないのだぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第13帖 →超訳

表に出ている神々様に和合してもらって世の建て替えにかかりて下されよ。
苦労なしには何事も成就せんぞ、
苦を楽しめよ。
この世を乱したのは神界から、
この世を乱した者が、
この世を直さねばならんのだぞ、
この道理わかるであろうがな、
建て直しの御用に使う()(たま)は この世乱した神々様であるぞよ。
秘密は秘密でないぞ、
火水(かみ)であるぞ、
明らかな光であるぞ、
()(みず)のマコトを悪神にたぶらかされてわからなくなったから、
秘密となったのであるぞ、
秘密は必ず現れて来るぞ。
あと七つの集団(まどい)ができるぞ、
一には(しるし)付けよ、
この世一切のことを建て替えるのじゃ、
神の道も変えるぞ、
心の置き所も変えるぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第14帖 →超訳

何もわからん()(よう)の神に使われていると気の毒できるぞ、
早うその神と共にここへ参りて、
マコトの(こと)を聞いて(まこと)に早う立ち返って下されよ。
〇九十(まこと)とは〇一二三四五六七八九十であるぞ、
一二三四五六七八隠れているのだぞ。
縁あればこそ、そなたたちを引き寄せたのじゃ、
この度の二度とない大手柄の差添えとなって下されよ、
なれる因縁の尊い因縁を壊すでないぞ。
見て見よれ、
真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れんことになるのじゃ、
今は神を見下げて人民が上になっているが、
そうなってから神に助けてくれと申しても、
時が過ぎているから時の神様がお許しなさらんぞ、
マコトになっておれば何事もすらりすらりぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第15帖 →超訳

学や金がチラチラ出るようでは、
マコトが磨けておらんのじゃ、
今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、
この世は建て直らんぞ、
新しき光が生まれて世を救うのじゃ、
新しき光とはこの神示(ふで)じゃ、
この神じゃ。
七つの花が八つに咲くぞ、
この神示(ふで)八通りに読めるのじゃ、
七通りまでは今の人民でも何とかわかるなれど八通り目は中々ぞ。
一厘(いちりん)が隠してあるのじゃ、
隠したものは現れるのじゃ、
現れているのじゃ、
何でもないことが中々のことじゃ、
わかったか。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第16帖 →超訳

今離れた人民、ここが良くなったと言って帰ることは恥ずかしいことになって、
帰っても変なことになるぞ、
今のうちに早う立ち返って御用結構ぞ。
世界に、人民にわからん珍しきことを出すぞ、
皆この神の仕組みであるから、
変わったこと、わからんことがいよいよとなったら、
神代近づいたのであるぞ。
役員には神示(ふで)(はら)に入った者がなるのだぞ、
役員の()(たま)はたくさんあれど、
神示(ふで)読まねば役員にはなれないのだぞ、
なればスコタンばかり、
長らく世に落ちていた神人神々様を世にお上げせねば世は良くならんのだぞ、
軽く見るから神示(ふで)わからんのじゃ、
人も軽く見てはならんぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第17帖 →超訳

天地引っ繰り返るということはミタマが引っ繰り返るということぞ。
神示(ふで)読みて聞かせよ、
目も鼻も開けておられんことが、
建て替えの真っ最中になると出て来るぞ、
信仰の人と、無信仰の人と、いよいよ立て分けの時じゃぞ、
マコト一つで生き神に(つか)(まつ)れよ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第18帖 →超訳

人民の()では通らん時となったくらい わかっておろうがな、
早う()捨ててこの方について参れよ、
素直に致せば楽に行けるのだぞ、
大峠越せるのだぞ、
時節の仕組み 中々人民にはわかるまいがな、
悪抱き参らすためには我が子にまで天の(トガ)()わせ、
善の(くに)の先祖まで押し込めねば一応抱くことできんのであるぞ、
ここの秘密知る者は天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ。
我が我がと早う出世したい様では、
心変えんと人民は御用難しいぞ、
神に分け(へだ)てなし、
(へだ)ては人民の心にあるぞ。
この道は因縁なくしてはわからん難しい道であれど、
この道(つらぬ)かねば、世界は一平にならんのじゃ、
縁ある人は勇んで行けるのじゃ、
神が守るからおかげ万倍じゃ、
神の帖面 間違いないぞ、
思うようにならぬのは、ならぬ時は(われ)の心に聞いてみるがよいぞ、
神の仕組みは変わらねど、
この世では、人民の心次第で良くも悪くも出てくるのじゃ、
仕事は変わらねど出てくるのが変わるのだ、
悪く変わると気の毒だから くどう申しているのじゃぞ。

記:1947年8月23日

 

海の巻〜第19帖 →超訳

三三(みみ)一二三(ひふみ)聞かせるぞ、
いよいよ身実(みみ)に聞かす時だぞ。
それぞれ人に応じて時によって、
口から耳に(はら)から(はら)に知らせてくれよ、
あな()やけ、あな清々(すがすが)し、
言答(岩戸)開けたり、
二十三巻でこの方の神示(ふで)の終わり、
終わりの終わりぞ、
後の七巻は他から出してあるのだぞ、
いづれわかりてくるぞ、
合わせて三十の巻、
それが一つの(ふし)だぞ、
天明(岡本天明) 御身(みみ)に聞かすぞ、
よきにはからえ、
この(ぎょう)中々ぞ。

 ひつ九のゝ◯の神示(ふで)これまで。

記:1947年8月23日