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    紫金之巻(全文)

 

紫金之巻〜第1帖  →超訳

高天原(たかまがはら)、おのころに神祇(かみ)つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、
()(よろず)神祇(かみ)たちを神(つど)いに(つど)(たま)い、
神はかりにはかり(たま)いて、
(しも)()(いわ)()真理(みや)(ばしら)二十(ふと)敷建て高天原に千木高知りて、
伊都(いづ)の神宝の(おお)()(ごころ)のまにまに()(くら)置座(おきくら)におき足らはして、
天地(あめつち)祝詞(のりと)二十(ふと)祝詞(のりと)言を()れ、
かく()らば神祇(かみ)はおのもおのもの岩戸を押しひらきて
伊都(いづ)の千別きに千別き(たま)いて(きこ)()さむ、
かく(きこ)()してば、
(あめ)の国うつし国共に罪という罪はあらじと(しな)()の風の吹き放つことのごとく、
朝風夕風の吹き払うごとく、
大つ辺におる大船を(へさき)とき放ち(とも)とき放ちて大海原に押し放つことのごとく、
残る罪も(けが)れもあらじと(はら)(たま)え清め(たま)うことを、
よしはらへ、あしはらへ(たま)いて弥栄(いやさか)の御代とこそ(さち)わい(たま)(さち)わい(たま)え。
〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳。

記:1961年(記述日不明)

 

紫金之巻〜第2帖  →超訳

大君の (みこと)(みそぎ)し 今朝(けさ)太陽()を吸う。

日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん、
一致すれば(うれ)(うれ)しで暮らし向きも何一つ足らぬもの()くなってくるぞ、
食物が喜んで飛び込んでくるぞ、
着る物が着てくれと飛び込んでくるぞ、
住居もできてくるぞ。
心のそれぞれも同様ぞ。

記:1961年(記述日不明)

平成時代に悪化した、財務省と厚労省の生み出した社会問題について。
それにあぐらをかく高級官僚や実業家の搾取への言及。

 

紫金之巻〜第3帖  →超訳

伊豆幣帛(いずぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。

ウヨウヨしている霊かかりに まだ、だまされてござる人民多いのう、
何と申したらわかるのであるか、
奇跡を求めたり、(われ)よしのおかげを求めたり、
下級な動物のイレモノとなっているから、
(とら)われているから、だまされるのじゃ、
霊媒(れいばい)(おこな)いをよく見れば すぐわかるでないか。
早う目覚めよ。
因縁とは申しながら、
可哀想だからくどう申して聞かせているのであるぞ、
マコトの道にかえれよ、
マコトとは 〇一二三四五六七八九十と申してあろう、
その裏は十九八七六五四三二一〇で、
合わせて二十二であるぞ、
二二が真理と知らせてあろう、
二二が富士(不二・普字)と申してあろうが、
まだわからんか。

記:1961年(記述日不明)

既成メディアによる偏向報道と、岩戸が開いたあとの富士の仕組みの説明。

 

紫金之巻〜第4帖  →超訳

豊栄(とよさか)に (さか)()でます 大地(くに)(九二)の太神(おおかみ)

大掃除激しくなると世界の人民皆、仮四(仮死)の状態となるのじゃ。
掃除終わってから因縁のミタマのみをつまみあげて
(いき)吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ、
 因縁のミタマにはゝ◯(カミ)のしるしがつけてあるぞ、
仏教によるもののみ救われると思ってはならんぞ、
キリストによるもののみ救われると思ってはならん、
神道によるもののみ救われると思ってはならん、
アラーの神によるもののみ救われるのでないぞ、
その他 諸々(もろもろ)の神、
それぞれの神によるもののみ救われるのではないぞ。
何もかも皆救われるのじゃ、
生かすことが救うこととなる場合と、
殺すことが救うことになる場合はあるなれど。

記:1961年(記述日不明)

新型コロナウィルス(COVID-19)の予言か?

 

紫金之巻〜第5帖  →超訳

岩戸ひらき みほぎの神宝 たてまつらまし。

月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は「ち」の色となるぞ、流れも「ち」じゃ。
人民四つん()いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、
大地震、ヒの雨降らせての大洗濯であるから、
一人逃れようとて、神でも逃れることはできんぞ、
天地まぜまぜとなるのぞ、
ひっくり返るのぞ。

記:1961年(記述日不明)

大グレンが起こる時の合図。赤い月は皆既月食、黒くなる日は金環日食、血の色になる空は低緯度オーロラか。
皆既月食は2022年11月8日に発生し、真っ赤な月が確認された。
金環日食はオセアニアを中心に2023年4月20日に起こるが、日本では太平洋側の一部地域でのみ部分日食となる。
2023年は2度の金環日食が起こるが、どちらも日本では観測できない。
3〜4行目は民主党政権、東日本大震災、福島第一原発事故で言及したものと同じ。

 

紫金之巻〜第6帖  →超訳

白玉や 赤玉青玉 ささげまつりし。

今までは白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、
岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出して来るぞ、
キが元ぞと申してあろうが、
トドメの馬であるぞ、
黄金の馬であるぞ、
救いの馬であるぞ、
このこと神界の秘密であったなれど 時来りて人民に伝えるのであるぞ、
今までは白馬に(また)がって救世主が現れたのであるが、
いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬に乗って現れますのであるぞ。

記:1961年(記述日不明)

白馬、赤馬、黒馬はヨハネの黙示録からの引用。
最後は死をもたらす青ざめた馬ではなく救世主の乗る黄金の馬に替わってる。

 

紫金之巻〜第7帖  →超訳

(ふと)祝詞(のりと) ()()り祈らば 岩戸ひらけん。

神は一時は仏とも現れたと申してあったが、仏ではもう治まらん、
岩戸が開けたのであるから、(れん)()ではならん。
人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、
神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、
人民の心によって明るい天国への道が暗く見え、
暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、
珍しきこと珍しき人が現れて来るぞ、
ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、
目の玉飛び出すぞ、
たとえでないぞ。

記:1961年(記述日不明)

事実を真逆に語って日本社会を疲弊させる、財務官僚、厚労官僚、政治経済アナリスト、マスメディアの言動。
それを疑わず自分から地獄に向かって進む情弱市民を含む言及か。
最後の「珍しき人」は宇宙人の来訪を意味してる可能性がある。

 

紫金之巻〜第8帖  →超訳

千引き岩 今ぞあけたり (さやけ)し富士はも。

神は宇宙をつくり(たま)わずと申して聞かせてあろうが、
このことよく考えて、よく理解して下されよ。
大切なわかれ道でござるぞ。
福祓いも併せて行わねばならん道理。
光は中からじゃ。
岩戸は中から開かれるのじゃ、
ウシトラが開かれてウシトラコンジンがお出ましぞ、
もう【よこしま】のものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。

記:1961年(記述日不明)

 

紫金之巻〜第9帖  →超訳

新しき御代のはじめの【たつ】の年、あれ出でましぬ 隠れいし神。
かくり世もうつし御国の一筋の光の国と咲きそめにけり。

記:1961年(記述日不明)

松の代の始まりは2024年から?

 

紫金之巻〜第10帖  →超訳

この巻 ()(よう)の巻と申せよ、
四つの花が五つに咲くのであるぞ、
女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉となりなりて()み栄ゆる仕組み、
十と一((プラス)(マイナス))の実り、
二二と輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ、
あな爽々(すがすが)し、岩戸あけたり。
国土(くにつち)をつくり固める為に、
根本大神が「なぜにヌホコのみを与えたまえしか?」を知らねば、
岩戸ひらきの秘密は()けんぞ。
千引岩戸をひらくことに()いて神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、
時めぐり来て、その一端をこの神示(ふで)で知らせるのであるぞ、
素盞(すさ)(のお)の命(みこと)のまことの御姿がわからねば次(通基)の世のことはわからんぞ。
神示(ふで)をいくら読んでも【カンジンカナメ】のことがわからねば何もならんぞ。

記:1961年(記述日不明)

なぜ、ここで五葉? 記載日不明の乱帖を順不同でまとめたのが紫金之巻なのか?

 

紫金之巻〜第11帖  →超訳

何もかも前つ前つ知らせてあるのに、人民は先が見えんから、
言葉の【ふくみ】がわからんから取り違いばかり、
国土(くにつち)の上は国土(くにつち)神が()らすのじゃ、
世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数でつくったのじゃ。
いよいよが来たぞ、
いよいよとは一四一四ぞ、
五と五ぞ。
十であるぞ、十一であるぞ、
クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、
クニは黄であるぞ、
真ん中であるぞ、
天は青であるぞ、
黄と青と和合して(みどり)
赤と和して(だいだい)となり、
青と赤と和して(むらさき)となる、
天上天下地下となり六色となり六合(クニ)となるのじゃ、
更に七となり八となり白黒を加えて十となる仕組み、
色霊(いろたま) 結構致しくれよ。

記:1961年(記述日不明)

前つ前つ=前から何度も
大地が黄色で天は青=ウクライナの国旗か?
色は混ぜると無彩色になるので、ここは象徴的な意味か?

 

紫金之巻〜第12帖  →超訳

ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、
タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、
十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。
過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、
これを中今(なかいま)と申すぞよ。
竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、
暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、
総大将は国常立大神なり、
このことわかりて下されよ、
教えはなくなるぞ、
元の道が光り輝くぞ、
これを惟神(かむながら)の道と申すぞ。

記:1961年(記述日不明)

 

紫金之巻〜第13帖  →超訳

少しでも交じり()があったら先になって取り返しがつかんことになるぞ、
今度は一厘の【くるい】があってもならんぞ。
柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるぞ。
天の王と地の王とをゴチャにしてるから わからんことになるのじゃ、
その上にまた大王があるなれど 大王は人民には見当取れん、
無きが如き存在であるぞ。
人民は「具体的に」と申すなれど、
人民の申す具体的とはコリ固まった一方的なもの、
一時的なその時の現れであるぞ。
人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口であるぞ。
そこから無に入れよ、空に生きよ。
いよいよの代(世)となるぞ。

記:1961年(記述日不明)

 

紫金之巻〜第14帖  →超訳

現実のことのみで処理してはならん、
常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな、
生きることは死に向かって進むこと、
マコトに生きる大道に目覚めてくれよ。
神示(ふで)を初めから読めば何事もありやかぞ。
奥山はあってはならん無くてはならん存在であるぞ。
善人の住むところ、悪人の休むところと申してあろう、
奥山は神、幽、現の三界と通じるところ。
()(ひろ)殿の左と右に宮が建つ、
奥にも一つ。

記:1961年(記述日不明)