▲top

    月光の巻(全文)

 

月光の巻〜第1帖  →超訳

なりなりて なりあまれるところもて、
なりなりて なりあわざるところをふさぎて、
くにうみせなならんぞ。

この世の国産みは一つ(秘答通) おもて(面)でしなければならん。
みと(実透)のまぐわいでなくてはならんのに、
おもてを一つにしているではないか。
それでは今度のことは、成就せんのであるぞ。

記:1958年12月25日

 

月光の巻〜第2帖  →超訳

奇数と奇数を合わせても偶数、
偶数と偶数を合わせても偶数であることを
忘れてはならんぞ。
奇数と偶数を合わせて初めて、
新しき奇数が生まれるのであるぞ。
今度の岩戸ひらきには (ひる)()生むでないぞ。
淡島(あわしま)生むでないぞ。

記:1958年12月25日

ヒルコ、淡島(淡路島)は共にイザナミ・イザナミの作った失敗作
ヒルコは奇形児、淡島は国産みに失敗した中途半端な島

 

月光の巻〜第3帖  →超訳

今度は、八のくまでは足らん。
十のくま、十の神を産まねばならんぞ。
そのほかに、隠れた二つの神、二つのくまを産みて、
育てねばならんことになるぞ。

記:1958年12月25日

くま?

 

月光の巻〜第4帖  →超訳

(あめ)之御(のみ)中主(なかぬし)の神のその前に、
(あめ)(ゆずる)()(あめ)之狭(のさ)(ぎり)(みこと)
(くに)(ゆずる)(つき)(くに)之狭(のさ)(ぎり)(みこと)あるぞ。
   ゝ◯のゝ◯のゝ◯の神様であるぞ。
その前にゝあること忘れるなよ。

記:1958年12月25日

 

月光の巻〜第5帖  →超訳

十くさ、十二くさの(かむ)(たから)
沖つ(かがみ)、へつかがみ、
(つか)(つるぎ)、九(つか)(つるぎ)、十(つか)(つるぎ)
いくたま、まがるかえしのたま、たるたま、ちかえしのたま、
おろちのひれ、はちのひれ、くさくさのひれ、であるぞ。
む、ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり、う、であるぞ。
う、たり、ここ、や、なな、む、いつ、よ、み、ふた、ひと、む、であるぞ。
(とな)えよ。
()りあげよ。

記:1958年12月25日

 

月光の巻〜第6帖  →超訳

あまてらすおほかみは、
たかあまのはらをしらすべし。
また、たかあまのはらをしらすべし、
また、たかあまはらをしらすべし。
つきよみのおおかみは、
あまてらすおおかみとともに、
あめのことをしらすべし。
また、あほうなはら しほのやほへをしらすべし。
また、よるのおすくにをしらすべし。
すさなおのおおかみは、
あほうなのはらをしらすべし、
また、あほうなはらをしらすべし、
また、あまがしたをしらすべし。

記:1958年12月25日

 

月光の巻〜第7帖  →超訳

大奥山は神人交流の道の場である。
道は口で説くものではない。
(ぎょう)ずるものである。
教えは説かねばならない。
多数決が悪多数決となるわけが なぜにわからんのじゃ。
投票で代表を出すと ほとんどが悪人か狂人であるぞ。
世界が狂い、悪となり、人民も同様となっているから、
その人民の多くが選べば選ぶほど、
ますます混乱してくるのであるぞ。
それより他に人民の得心できる道は無いと申しているが、
道はいくらでもあるぞ。
人民の申しているのは平面の道、
平面のみでは乱れるばかり、
立体にアヤなせば弥栄(いやさか)えて真実の道がわかるのじゃ。
じゃと申して独断ではならん。
結果から見れば神裁じゃ。
神裁とは神人交流によることぞ。

ここまで記:1958年12月25日

神は嘘つきじゃと人民申しても、
悪い予言は嘘にしたいので日夜の苦労、
(こら)えるだけ(こら)えているのである。
もう、ものばかりでは治まらんこと、
キンでは治まらんこと、
平面のみでは駄目であること、
よくわかっているのにカブト脱げん神々様よ、
気の毒が()ぬ前に改心結構。
遠くからではわからんし、近づくと迷うし、
理屈捨てて神にホレ参らせよ。
よくこの神を(だま)してくれたぞ、
この神が騙されたればこそ、
太神の目的なって来るのじゃ。
細工は流々(りゅうりゅう)仕上げ見て下されよ。
区別すると力出るぞ、同じであってはならん。
平等でなくてはならんが、
区別なき平等は悪平等である。
天に向かって石を投げるようなことは、
早くやめねばならん。
霊かかりもやめて下されよ。
人民が絶対「無」と申しているところも、
絶対「無」ではない。
科学を更に浄化弥栄(いやさか)させねばならん。
空間、時間が霊界にないのではない。
その基準が違うから無いと考えてよいのである。
奥山は奥山と申してあろう。
いろいろな団体を作ってもよいが、
いずれも分れ出た集団、一つにしてはならん。
奥山は有って無きもの、無くて有る存在である。
奥山と他のものとマゼコゼまかりならん。
大き一つではあるが別々ぞ。
今までになかった奥山のあり方、
わからんのも無理ないなれど、
これがわからねば、
このたびの大神業、わかりはせんぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第8帖  →超訳

神の御用は、神のみこと(命/実言)のままでなくては成就せん。
皆々(しゃ)()ぞ、キリストぞ。
もっと大き計画持ってござれ。
着手はできるところからぞ。
つかめるところから神をつかめよ。
部分からつくり上げなされよ。
()出してはならん。
そなたはそれでいつもしくじっているでないか。
(てん)()ではならん。
心できたら足場固めねばならん。
神の足場は人じゃ。
三千の足場、五千の足場。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第9帖  →超訳

気の合う者のみの和は和ではない。
色とりどりの組み合わせ、ねり合わせこそ花咲くぞ。
すべてが神の子じゃ。
大神の中で弥栄(いやさか)ぞ。
大き心、広き心、長い心 結構。
中々に合わんと申すなれど、一つ家族でないか。
心得なされよ。
夫婦げんかするでない。
夫のみいかんのでないぞ。
妻のみ悪いのでないぞ。
お互いに己の姿を出し合っているのぞ。
よく()(とく)せよ。
わからんことが更にわからなくなるぞ。
聞きたいことは何でも聞けよ。
大グレ目の前。
アホになれよ。
ひとまずは月の代となるぞ。
ひっくり返り、ビックリじゃ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第10帖  →超訳

一はいくら集めても一じゃ。
二も三も四も五も同様ぞ。
◯に返り、◯によって結ばれるのじゃ。
◯がムスビぞ。
弥栄(いやさか)ぞ。
喜びぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第11帖  →超訳

()むことは神から白紙の手紙を頂いたのじゃと知らしてあろう。
心して読めよ。
ありがたき神からの手紙ぞ。
おろそかならん。
腹八分、二分はまず(ささ)げよ。
運開けるぞ。
(やまい)治るぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第12帖  →超訳

逃げ道作ってから追わねばならん。
そなたは相手の逃げ道をふさいでギュウギュウ追いつめるから逆うらみされるのじゃ。
逆うらみでも恨みの霊団を作り出すぞ。
悪を抱けよ。消化せよ。浄化せよ。
何もかも太神の許し給えるものなるがゆえに存在する。
そなたは神にこり固まっているぞ。
こり固まると動き取れんことになる。
一度そなたの持つ神を捨てるとよいぞ。
捨てると(つか)めるぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第13帖  →超訳

木にも竹にも石にも道具にも それぞれの霊が宿っているのである。
人間や動物ばかりでなく、
すべてのものに霊が宿っているのである。
宿っているというよりは、
霊と体とで一つのものができ上がっているのである。
一枚の紙の裏表の様なもの、
表ばかりのものもない。
裏ばかりのものもない道理。
数字にも文字にもそれぞれの霊が宿っており、
それぞれの(ハタラキ)をしているのであるぞ。
順序がわかれば初段、
和に徹すれば名人。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第14帖  →超訳

流れ出たものは また元にかえると申しても、
そのままでは帰れんのであるぞ。
天から降った雨がまた天に昇るには、
形を変えるであろうが、
この道理をわきまえんと、
(あく)神かかりとなるぞ。
それはそなたの自己慾から出ているぞ。
自己慾もなくてはならんが、
段々浄化して行かねばならん。
浄化して大き自己の慾とせよ。
自分のみの慾となるから弥栄(いやさか)えんのじゃ。
弥栄(いやさか)えんもの神の()(こころ)に逆行。
自分で判断できることを なぜに聞くのじゃ。
神に聞けば神に責任を着せるのと同様ぞ。
人間の悪い(くせ)ぞ。
出直せよ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第15帖  →超訳

与えることは頂くことじゃと申しても、
度をすぎてはならん。
過ぎると、過ぎるものが生まれて、
生んだそなたに迫って来るぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第16帖  →超訳

五十九柱と申してあるが、
その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。
㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。
この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。
現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、
心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、
上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。

記:1959年1月3日

オリジナルでは㋼は井に◯

 

月光の巻〜第17帖  →超訳

そなたの仕事、思いつき結構であるが、
神の御意志を頂かねば成就せん。
神と申しても、そなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではないぞ。
わかっただけでは駄目ぞ。
(ぎょう)じねばならん。
生活しなければならん。
芸術しなければならん。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第18帖  →超訳

現実的には不合理であっても、
不合理にならぬ道をひらくのが、
霊現交流の道であり、
立体弥栄(いやさか)の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。
平面のみではどうにもならない時となっているのに、
何してござるのか。
黒船にびっくりしては間に合わん。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第19帖  →超訳

(しゃ)()、キリスト、マホメット、その他、
世界の生命(いのち)ある教祖およびその指導神を、
み光の大神様とたたえまつれと申してあろうが。
  ◯大神様の一つの現れぞと申してあろうが。
なぜにみ光の大神様として(いつ)きまつらんのじゃ。
宗教せぬのじゃ。
そこにひかり教会としての力が出ないのじゃ。
人民の浮き瀬に悩むのを救うのはオホカムツミの神であるぞ。
この(ハタラキ)の神名 忘れてはならん。
この方はオホカムツミの神とも現れるぞと知らせてあること忘れたのか。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第20帖  →超訳

大奥山と教会とをまぜこぜしてはならん。
教会やその他の集団は現れ、大奥山は隠れじゃ。
大奥山はこの度の大御神業にゆかりのある神と人とを引き寄せてねり直し、
御用に使う仕組み。
見てござれ、
人民には見当取れんことになるぞ。

 

月光の巻〜第21帖  →超訳

大奥山から出た宗団はひかり教会のみではないぞ。
いくらでもあるのじゃ。
出て来るぞ。
ゆえに大奥山に集まった者が皆ひかり教会員ではない。
それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属する。
この点をよく心得なされよ。
大奥山はありてなき存在、
人間の頭で消化されるような小さい仕組みしてないぞ。
大奥山だけに関係持つ人もあるのじゃ。
(とら)われてはならん。
三千世界を一つに丸めるのが このたびの大神業(おおかみわざ)ぞ。
世界一家は目の前、
わからん者は邪魔せずに見物してござれ。
神の経綸(しくみ) 間違いなし。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第22帖  →超訳

産土(うぶすな)様によくお願いなされよ。
忘れてはならんぞ。
宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。
他の神を拝してはならんと言う。
そなたの信仰はそれだけのもの、
早く卒業結構。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第23帖  →超訳

他の宗教に走ってはならんと言う宗教もそれだけのもの。
わからんと申してもあまりであるぞ。

同じところに天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、
現実界もあり、過去も未来も中今(なかいま)にあるのぞ。
同じ部屋に他の神や仏を(まつ)ってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのじゃ。
病気が治ったり運が開けたり、奇跡が起こったりするのみを おかげと思ってはならん。
もちっと大きい心、深い愛と真の世界を拝めよ。
とけ入れよ。
浄化が第一。

金が好きなら金を拝んでも良いのじゃ。
区別と順序さえ心得ておれば何様を拝んでもよいぞ。
金を拝めば金が流れて来るぞ。
金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのじゃ。
赤貧は自慢にならん。
無神論も自慢にならん。
清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろうが。
清富こそ弥栄(いやさか)の道、神の道、
   大ゝ◯〃◯+◯大神のマコトの大道ぞ

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第24帖  →超訳

怒ってはならん、急いではならん、
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、
思わぬ怒りが湧いてものを(こわ)してしまうぞ。
太神(おおかみ)の仕組みに狂いはないぞ。
皆々安心してついてござれよ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第25帖  →超訳

食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。
霊の栄養大切。

自分と自分と和合せよと申してあるが、
肉体の自分と魂の自分との和合できたら、
もう一段奥の魂と和合せよ。
更に、また奥の自分と和合せよ。
一番奥の自分は神であるぞ。

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくてもよいぞ。
為すこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。

山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。
草木動物ことごとく自分ぞ、
歓喜ぞ。
その自分できたら天を自分とせよ。
天を自分にすることはムにすることぞ。
◯に()すことぞ。
ウとムと組み組みて新しきムとすることじゃ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第26帖  →超訳

現状を足場として進まねばならん。
現在のそなたのおかれていた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。
山の彼方に理想郷があるのではないぞ。
そなたはそなたの足場から出発せねばならん。
もしそれが地獄に見えようとも、
現在においてはそれが出発点。
それより他に道はないぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第27帖  →超訳

(はら)いは結構であるが、
厄祓(やくばら)いのみでは結構とはならんぞ。
それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、
悪をなくすることに努力した結果が、
今日の大混乱を来たしたのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。
善と申すも悪と言うも、皆ことごとく大神の(はら)の中であるぞ。
大神が許し(たま)えばこそ存在しているのであるぞ。
この道理をよく会得せよ。

(はら)うと申すのは無くすることではないぞ。
調和することぞ。
和して弥栄(いやさか)することぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第28帖  →超訳

厄も(はら)わねばならんが、福も(はら)わねばならん。
福祓(ふくはら)いせよと申してあろうが。
厄のみでは(はら)いにならん。
福のみでも(はら)いにならんぞ。
厄祓(やくばら)いのみしたから今日の乱れた世相となったのじゃ。
このわかり切った道理が なぜにわからんのか。
悪を抱き参らせよ。
善も抱き参らせよ。
抱くには◯にならねばならんぞ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第29帖  →超訳

モト(母答)を正さねばならん、間に合わないことになるぞ。
心の改心すれば、どんなおかげでも取らすぞ。

幽国(がいこく)は火の雨じゃなあ。
世界一度に改心。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第30帖  →超訳

心の入れ替えせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。
そなたは()が強いから、()の強い霊界との交流が段々と強くなり、
()の虫が生まれて来るぞ。
()(やまい)になって来るぞ。
その(やまい)は自分ではわからんぞ。
わけのわからん虫わくぞ。
わけのわからん(やまい)はやるぞと申してあるが そのことぞ。
肉体の(やまい)ばかりでないぞ。
心の(やまい)激しくなっているから気つけてくれよ。
人々にもそのこと知らせて共に栄えてくれよ。
この(やまい)を治すのは、今日までの教えでは治らん。
(やまい)を殺してしもうて、(やまい)を無くしようとて(やまい)はなくならん。
(やまい)を浄化しなければならん。
悪を殺すという教えや、やり方ではならんぞ。
悪を抱き参らせて下されよ。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第31帖  →超訳

足の裏をきれいに掃除なされよ。
外から見えん所が(けが)れているぞ。
日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。
イヅモの神の(やしろ)をかえて竜宮の乙姫(理由空云の音秘)様のお(やしろ)を陸(理空)につくらねば、
これからの世は動き取れんことになるぞ。
いっさいが自分であるぞということは例えでないぞ。
そなたは、食物は自分でないと思うているが、
食べるとすぐ自分となるでないか。
空気も同様、水も同様ぞ。
火も同様、大空もそなたぞ。
山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。
人間は横の自分ぞ。
神は(たて)の自分ぞ、
自分を見極めねばならん。
自分をおろそかにしてはならん。
いっさいを受け入れねばならんぞ。
いっさいに向かって感謝しなければならんと申してあろうが。

記:1959年1月3日

 

月光の巻〜第32帖  →超訳

世界連邦と申しているが、地上世界のみの連邦では成就せん。
片輪車で、いつまでたってもドンテンドンテンじゃ。
心して下されよ。
なぜに霊界、神界をひっくるめた三千世界連邦としないのか。
いらぬ苦労はせぬものじゃ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第33帖  →超訳

まことから出たことは誰の願いも同様、
心配せずにドシドシと進めて下されよ。
もし行き詰まったら省みよ。
行き詰まった時は大きくひらける時じゃ。
じゃと申して、ひとところで急ぐでないぞ。
急ぐと道が見えなくなって来るぞ。
そなたの考えてござることは自己中心でないか。
我よしの小さい我よしではならん。
大きな我よし結構ぞ。
犠牲になることを尊いことじゃと申しているが、犠牲に倒れてはならん。
己を生かす為に他を殺すのもいかん。
己殺して他を生かすのもいかん。
大の虫を生かすため、
小の虫を殺すことはやむを得んことじゃと申したり、教えたりしているが、
それもならんぞ。
すべてを殺さずに皆が栄える道があるでないか。
なぜに神示(ふで)を読まぬのじゃ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第34帖  →超訳

神かかりはよしなされよ。
そなたは学に(とら)われてござるぞ。
科学を越えて神の学に生きて下されよ。
そなたは自分で自分の首を絞めるようなことをしてござるぞ。
自分で勝手に小さい自分の神を作っているぞ。
一度その神を捨てなされ、
固く抱きしめたり、閉じ込めているから わからんことに行き詰まるのじゃ。
わかったか。
()とわからん()に気つけなされよ、
今一息というところぞ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第35帖  →超訳

化物(ばけもの)に化かされんよう、おかげ落さんようにして下されよ。
よいことを申し、よい(ぎょう)をしていても、
よくない人があるのじゃ。
よくないことも御用の一つではあるが、
そなたはまだそれを消化するほどのところまで行っていないぞ。
小学生が大学生のマネしてはならん。
そなたはまだ慾があるぞ。
慾を、小さい自分ばかりの慾を捨てなされ。
そしてまことの大深慾になりなされよ。
その気持ちさえ動いて来れば、何事も見事成就するぞ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第36帖  →超訳

(ぎょう)は、世界中の(ぎょう)
誰一人のがれるわけには行かんぞ。
めぐり果たした者から、うれしうれしになる仕組み。
そなたの心配 一応は無理ないなれど、
どこで、どんなことしていても、
みたま磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。
心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。
そなたは物に不足するとこぼしてござるなれど、
物に不足するのは、心に足らぬところがあるからぞ。
心いたれば物いたるぞ。
何事も神の申す通り素直になされよ。
素直結構じゃなあ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第37帖  →超訳

そなたのやることは いつも時が(はず)れてござるぞ。
(もち)()くには()く時あるぞと知らせてあろうが。
時の神を忘れてはならんぞ。
春には春のこと、夏は夏のことじゃ。
そなたは御神業じゃと申して、他に迷惑をかけているではないか。
そこから改めねばならん。
鼻つまみの御神業はないのであるぞ。
そなたはお先真っ暗じゃと申しているが、夜明けの前は暗いものぞ。
暗い(やみ)の後に夜明けが来ることわかっているであろうが、
神はすべてお見通しであるから、すぐのおかげは小さいぞ。
利子つけた大きなおかげを結構に頂いて下されよ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第38帖  →超訳

はじめの喜びは食物ぞ。
次は異性ぞ。
いずれも大きな驚きであろうがな。
これは和すことによって起こるのぞ。
とけ合うことによって喜びとなるのじゃ。
喜びは神じゃ。
和さねば苦となるぞ。
悲しみとなるぞ。
まず自分と自分と和合せよと申してあろうが。
そこにこそ神の(おん)はたらきあるのじゃ。
じゃがこれは外の喜び、肉体の喜びぞ。
元の喜びは霊の食物を食うことぞ。
その大きな喜びを与えてあるのに、なぜ手を出さんのじゃ。
その喜び、驚きをなぜに求めんのじゃ。
なぜに神示(ふで)を食べないのか。
見るばかりではミにつかんぞ。
よく()みしめて味わいて喜びとせんのじゃ。
喜びが神であるぞ。
次には神との交わりぞ。
交流ぞ。
和ぞ。
そこには かつて知らざりし驚きと大歓喜が生まれるぞ。
神との結婚による絶対の大歓喜あるのじゃ。
神が霊となり花婿(はなむこ)となるのじゃ。
人民は花嫁(はなよめ)となるのじゃ。
わかるであろうが。
この花婿(はなむこ)はいくら年を()ても花嫁(はなよめ)を捨てはせぬ。
永遠に続く結びじゃ。
結婚じゃ。
何ものにも比べることのできぬ驚きぞ。
喜びぞ。
花婿(はなむこ)どのが手を差し伸べているのに、なぜに抱かれんのじゃ。
神は理屈ではわからん。
夫婦の交わりは説明できまいがな。
神がわかっても交わらねば、神ととけ合わねば真理はわからん。
なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組みぞ。
神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものぞ。
消えざる火の大歓喜ぞ。
これがまことの信仰、神は花嫁(はなよめ)を求めてござるぞ。
早う神の(ふところ)に抱かれて下されよ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第39帖  →超訳

何事が起こってきても そなたはまず喜べよ。
それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎えよ。
喜ぶ心は喜び生むぞ。
人民喜べば神喜ぶぞと申してあろうが。
天地晴れるぞ。
輝くぞ。
そなたは先ばかり見ているぞ。
足で歩くのじゃ。
足もとに気つけねばならんぞよ。
そなたは自分一人で勝手に苦しんでござるなれど、みなと仲よう相談なされよ。
相談結構じゃなあ。
相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第40帖  →超訳

わからんことは神示(ふで)に聞くがよいぞ。
遠慮いらん。
そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持ちが抜けない。
何事も一段ずつ、一歩ずつ進まねばならん。
それより他に進み方はないのじゃぞ。
まずそなたの中にいる「けだもの」を言向け合させねばならんぞ。
よく話し、教え、導かねばならん。
(けもの)を人間と同じにしようとしてはならん。
(けもの)(けもの)として導かねばならん。
金は金、(なまり)(なまり)ぞ。
(なまり)を金にしようとしてはならん。
(なまり)(なまり)として導かねばならんぞ。
浄化とはそのこと。
世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、
何が何だか、我よしの人民にはいよいよわからなくなり、
(あせ)れば(あせ)るほど深みに落ち込むぞ。
心の窓を大きく開いて、小さい我の慾を捨てると、遠くが見えてくるのじゃ。
見えたらまず自分の周囲に知らせねばならん。
知らすことによって次の道がひらけてくるのじゃ。
自分だけではうれしうれしとならん。
うれしくないものは弥栄(いやさか)しないぞ。
冬になったら冬ごもりぞ。
死ぬ時には死ぬのが弥栄(いやさか)ぞ。
遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。
コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得てござれば、
何をしても、何を話しても、何を考えても良いのじゃ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第41帖  →超訳

そなたはいつも深刻な顔をして考え込んでいるが、
考え方にも幾通りもござるぞ。
考えは迷いと申してあるのは、そなたのような場合ぞ。
そなたは苦に向かい苦に勝ったつもりで、苦を楽しんでござるが、
苦は曲がることぞと知らせてあろうが。
苦を作り出してはならんぞ。
苦を楽しむより、楽を楽しむ心高いぞと知らしてあろう。
苦しむと曲がり、楽しむと伸びるぞ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第42帖  →超訳

未来にもえることが現在に生きることであるぞ。
そなたは現在に生きる努力が足らん。
夢ばかり追っていては泡沫(うたかた)じゃ。
そなたは先祖に対する考え方が間違っているぞ。
先祖はそなたではないか。
地下にあるそなたの根が先祖でないか。
根のない草木はすぐ枯れる道理じゃ。
先祖は家を()いだ兄が(まつ)っているから、
分家は先祖は(まつ)らないでもよいのじゃと申してござるなれど、
よく考えて下されよ。
根から芽が出て幹となり枝が栄えているのと同様ぞ。
枝には根はいらんと申すのと同じような間違いであるぞ。
分家しても先祖(まつ)らねばならん。
先祖を(おろそ)かにするでないと、気つけてあるでないか。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第43帖  →超訳

そなたはまだ方便を使っているが、方便の世は済んでいるのだ。
方便の教えとは横の教え、いろはの教え、平面の教えのことぞ。
仏教もキリスト教も回教もみな方便でないか。
教えはみな方便じゃ。
教えではどうにもならん。
ぎりぎりの世となっているのぞ。
(みち)でなくてはならん。
変わらぬ太道(たいどう)でなくてはならんぞ、
『方便』の世は済んで『ほうべん』の世となり、
そのほうべんの世もやがて終わるぞと知らしてあろうが。
(みち)とは三界を(つらぬ)く道のことぞ。
宇宙に満ち満つ「ゝ」のあり方ぞ。
法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹(いぶ)きぞ。弥栄(いやさか)ぞ。喜びぞ。
わかりたか。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第44帖  →超訳

この道に入ると損をしたり、病気になったり、
怪我をしたりすることがよくあるなれど、
それは大難を小難にし、
またメグリが一時に出て来て、
その借銭済ましをさせられているのじゃ。
借りたものは返さねばならん道理じゃ。
損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。
ここの道理もわきまえず理屈申しているが、
そんな人民の機嫌取りする暇はなくなったから、
早く神心になって下されよ。
そなたは祈りが足らんぞ。
祈りと申すのは心で祈り願うことではないぞ。
実行せねばならん。
地上人は物としての行動をしなければならんぞ。
口と心と(ぎょう)と三つそろわねばと申してあること、忘れたか。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第45帖  →超訳

マコトに祈れと申してあろう。
マコトとは()12345678()10()のことと申してあろう。
ただ心で祈るばかりでは、自分で自分をだますことになるのじゃ。
自分をいつわることは神をいつわることとなるのじゃ。
マコトで祈れば何事もスラリスラリとかなう結構な世ぞ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第46帖  →超訳

考えていては何も成就せんぞ。
神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄(いやさか)すればよいのじゃ。
人間だけの現実界で処理しようとするのが今までの考えじゃ。
今までの考えでは人間の迷いぞと申してあろうがな。
迷いを払って真実に生きよ。
みたま(しず)めじゃ。
加実(かみ)(しず)めじゃ。
そなたは信仰のあり方を知らんぞ。
長い目で永遠の立場からの幸いが、歓喜がおかげであるぞ。
局部的一時的には嫌なことも起こって来るぞ。
天地を信じ、自分を知り、人を理解するところにこそマコトの弥栄(いやさか)あるぞ。
だます者にはだまされてやれよ。
ひとまずだまされて、だまされんように導いて下されよ。
そなたはそんな場合に()を出すからしくじるのぞ。
だまされてやろうとするからカスが残るのぞ。
まことにだまされる修業が大切じゃなあ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第47帖  →超訳

八のつく日に気つけと申してあろう。
八とはひらくことぞ。
ものごとはひらく時が大切じゃ。
第一歩の前に0歩があるぞ。
0歩が大切ぞ。
心せよ
そなたは行き詰まって苦しんでござるなれど、
それは間違った道を歩んで来たからぞ。
行き詰りはありがたいぞ。
(かえり)みる時を与えられたのじゃ。
ミタマ磨きさえすれば何ごともハッキリと映りて、
楽に行ける道がちゃんと作ってあるのじゃ。
その人その人に応じて いかようにでも(ひら)け行くぞ。
犬猫でさえ楽々と栄えているでないか。
洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ。

記:1959年2月18日

 

月光の巻〜第48帖  →超訳

世界中を泥の海にせねばならんところまで、
それより他に道ないところまで押し迫って来たのであるが、
なお一厘の手だてはあるのじゃ。
大神様にお()び申してすっかり心を改めて下されよ。
神々さまも人民さまも心得違い多いぞ。
泥の海となる直前にグレンと引っ繰り返し、
びっくりの道あるぞ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第49帖  →超訳

そなたの用意が足らんぞ。
日々の人間の御用を、神の御用と和すように、
神の御用が人の御用、
人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、
弥栄(いやさか)の道であり大歓喜であるぞ。
いつでも神かかれるように神かかっているように、
神かかっていても、
(われ)にも他にもわからぬようになって下されよ。
(すき)取る百姓が(おのれ)を忘れ、大地を忘れ、
(すき)を忘れている境地が、まことのみたま(しず)めであり、
神かかりであるぞ。
そこらでなさる(ぎょう)も、それに至る一つの道ではあるが、
それのみではならんぞ。
気つけ合って良きに進んで下されよ。
そなたが歩むのじゃ。
道は自分で歩まねばならんぞ。
他人におんぶしたり、他人が歩かせてくれるのではないぞ。
そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。
人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。
この道理なぜにわからんのじゃ。
人を助けずに(われ)を助けてくれと申しても、
それは無理と申すもの。
神にも道は曲げられんぞ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第50帖  →超訳

何も難しいこと申すのではない。
自分の、内の自分を洗濯して明らかに(みが)けば良いのじゃ。
内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わって来る道理。
内の自分を洗濯せずにいて、汚いものが近づくとか、世の中が暗いとか、
不平申してござるなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
木でも草でも中から大きくなって行くのじゃ。
三千年に一度の時がめぐり来ているのであるぞ。
為せば成る時が来ているのじゃ。
為さねば後悔ぞ。
時過ぎて種()いても、くたびれもうけ。
そなたは世の中が悪いとか人が良くないとか申しているが、
すべては大神の(はら)の中にいて、
一応大神が許しなされておればこそ存在し、
生命(いのち)しているのであるぞ。
悪く(うつ)るのは心の(かがみ)(くも)っているからぞ。
悪い世の中、悪い人と申すことは、
神を悪く申し、神界が悪いのじゃと申すのと同じであるぞ。
新しき世界には【新しき(てん)()】をこしらえねばならん。
このこと間違えるでないぞ。
珍しき御型(方)が出て来てびっくりじゃ。
びっくりしなければヒックリとはならんぞ。
神は今まで化けに化けていたが、もう化けてはおられん。
人民ももう化けてはおられんぞ。
九分九厘までは化けて、我慢していたなれど、
化けの世、方便の世、方便の教えは済んだのじゃ。
教えでは世は正されん。
教えの集いは(つぶ)れてしまうのじゃ。
無理してはならん。
そなたの無理押しは良いことを悪く曲げるぞ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第51帖  →超訳

世界を一つにするのであるから、王は秘答理(ひとり)じゃ。
動きは二つとなるなれど、二つでないと動かんのじゃ。
キはキの動き、ミはミの動き、動いて和すのじゃぞ。
和すから弥栄(いやさか)じゃ。
和せば一つじゃぞ。
キミとなるのじゃ。
そなたは自分と他との境界を作っているなれど、
境界作ってはならんぞ。
境界を作らずに、(おの)ずからなる自他の別を生み出さねばならんぞ。
世界一家のやり方 間違えてござるぞ。
それぞれのコト(言)のハ(葉)はあれど、
ミコト(実言)は一つと申してあろうがな。
大難は小難にすることできるのであるが、
無くすることはできんぞ。
不足は不足を生むぞ。
そなたは口を(つつし)めよ。
そなたは一度 神を捨てよ。
神にしがみついているから、小さい囚われた、
ゆとりのない神を、そなたがつくり上げているぞ。
信ずれば信ずるほど危ないぞ。
大空に向かって大きく呼吸し、
今までの神を捨てて、心の洗濯をせよ。
神を信じつつ迷信に落ちていると申してあること、よく心得よ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第52帖  →超訳

そなたはつまらんことにいつも心を残すから つまらんことが出て来るのであるぞ。
心を残すということは、霊界とのつながりがあることぞ。
つまらん霊界にいつまでくっついているのじゃ。
何ごとも清めて下されよ。
清めるとは和すことであるぞ。
同じもの同志では和ではない。
違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。
奇数と偶数を合わせて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。
それがまことの和であり清めであるぞ。
善は悪と、陰は陽と和すことじゃ。
和すには同じあり方で、例えば五と五との立場で和すのであるが、
(くらい)においては陽が中心であり、陰が外でなければならん。
天が主であり、地が従でなければならん。
男が上で女が下じゃ、これが和の正しきあり方ぞ。
(さか)さまならんぞ。
これを公平と申すぞ。
口先ばかりで良いことを申すと悪くなるのじゃ。
心と(ぎょう)(ともな)わねばならん。
わかりきったこの道理が行われないのは、
そなたを取り巻く霊の世界に幽界の力が強いからじゃ。
そなたの心の大半を幽界的なもので占めているからぞ。
(おのれ)自身の(いくさ) まだまだと申してあろうがな。
この(いくさ)中々じゃが、正しく和して早う弥栄(いやさか)結構ぞ。
そなたの持つ悪いくせを治して下されよ。
そのくせ治すことが御神業ぞ。
自分で世界を建て直すような大きこと申してござるが、
そなたのくせを治すことがもっとも大切な御用でないか。
これに気がつかねば落第ぞ。
恐れてはならん、恐れ生むからぞ。
喜べ、喜べ、喜べば喜び生むぞ。
喜びは神じゃ。
神様御自身も刻々弥栄(いやさか)してござるぞ。
(ゆえ)にこそ生長(成長)なされるのじゃ。
人間も同様でなくてはならん。
昨日の自分であってはならん。
今の自分ぞ。
中今の(われ)に生きねばならん。
(われ)にどんな力があったとて、()を出してはならんぞ。
()を出すと力なくなるぞ。
我を、大き我に昇華させよ。
大我にとけ入らねばならん。
大我にとけ入ったとて、小我がなくなるのではないぞ。
(おろが)めよ。物(おろが)めよ。
(おろが)むと自分の喜びとなり、(おろが)まれたものも喜びとなるぞ。
(うれ)(うれ)しとはそのことぞ

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第53帖  →超訳

これほど(こと)分けて申しても得心できないのならば、
得心の行くまで思うままにやって見なされよ。
そなたは神の中にいるのであるから、
いくら(あば)れ廻っても神の外には出られん。
死んでも神の中にいるのであるぞ。
思う(さま)やって見て、早う得心改心致されよ。
改心して仕事()(ごと)(つか)えまつれよ。
結構じゃなあ。
そなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ、
自分は正しい信仰をしているのだから、
家族も知友も反対する理由はない、
自分は正しいが他が正しくないのだから、
正しくない方が正しい方へ従って来るべきだと申しているが、
内にあるから外から近寄るのだと申してあろうが。
そなたは無抵抗主義が平和の(もと)だと申して、
右の(ほお)を打たれたら左の(ほお)を差し出してござるなれど、
それは真の無抵抗ではないぞ。
よく聞きなされ、
打たれるようなものをそなたが持っているからこそ、
打たれる結果となるのじゃ。
まことに(みが)けたら、まことに相手を愛しているならば、
打たれるような雰囲気は生まれないのであるぞ。
(ほお)を打たれて下さるなよ。
生まれ(あか)()見よと知らせてあろうが。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第54帖  →超訳

頭を下げてみなされ、流れて来るぞ。
頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。
神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。
そなたは頭が高いぞ。
(てん)()ぞ。
その鼻曲げて自分の臭いを()いで見るがよい。
そなたは左に傾いているぞ。
左も見なければならんが、片寄って歩いてはならんぞ。
そなたは右を歩きながら、それを中道と思ってござるぞ。
そなたは平面上を行っているから、
中道のつもりで、(ほか)に行く道はないと信じているが、
それでは足らんのう。
立体の道を早う悟りなされよ。
【正中の大道】あるのであるぞ。
左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界じゃ。
原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、
立体に入り更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。
相対では争いじゃ。
(いくさ)じゃ。
真の世界平和は今のやり方、考え方では成就せんぞ。
三千世界和平から出発せねばならんぞ。
そなたは神示(ふで)をよく読んでいるが、それだけでは足らん。
神示(ふで)(はら)に入れねばならん。
つけ焼刃ではならん。
神示(ふで)を血として生活すれば、
何ごとも思う通りスラリスラリと面白いほど栄えて来るぞ。
思うように運ばなかったら(かえり)みよ。
(おの)(おの)(だま)されて、
(おの)のためにのみ()していることに気づかんのか。
それが善であっても、(おの)のためのみならば死し、
善のための善ならば弥栄(いやさか)えるぞ。
善にも外道の善あるぞ。
心せよ。
神示(ふで)見ておらぬとびっくりが出て来るぞ。
この世始まってないことが出て来るのじゃ。
世界の片はし八まべ(浜辺)からぞ。
わかりたか。
そなたは神体を偶像と申してござるが、
それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。
礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることじゃ。
そなたの住む段階では、祈り(かし)こみ(つつし)んで実践(じっせn)しなければならんぞ。
拝まんでも拝んでいる境地は中々じゃなあ。
そなたは(われ)が助かろうとするから助からんのじゃ。
世界はこの世ばかりでないことを、よく得心して下されよ。
()を捨てて素直になされよ。
三千年の(とき)が来ているのであるぞ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第55帖  →超訳

そなたはよく腹を立てるが、腹が立つのは慢心からであるぞ。
よく心得なされよ。
下肚からこみ上げて来る怒りは大きな怒りであるから、怒って良いのであるなれど、
怒りの現し方をできるだけ小さく、できるだけ清く、できるだけ短くして下されよ。
怒りに清い怒りはないと、そなたは思案してござるなれど、
怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。

そなたはいつも自分の役に不足申す(くせ)があるぞ。
その(くせ)直して下されよ。
長くかかってもよいから、()()からの改心結構ぞ。
手は手の役、足は足の役、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。
上下()(せん)ないこと、そなたにはわかっているはずなのに、
早う得心して下されよ。

そなたはこの神ときわめて深い縁があるのじゃ。
縁あればこそ引き寄せて苦労させているのじゃ。
今度の御用は苦の花咲かすことじゃ。
真理に苦の花咲くのであるぞ。
因縁のそなたじゃ、(いち)聞いたなら十がわかるのじゃ。
言われん先にわかってもらわねばならんぞ。
知らせてからでは味ないぞ。
十人並みぞ。
今度の御用は千人力、十人並みでは間に合わんぞ。
人間の目は一方しか見えん。
表なら表、右なら右しか見えん。
表には必ず裏があり、左があるから右があるのじゃ。
自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは()を張っておるなれど、
それはただ一方的の真実であるぞ。
独断は役に立たんぞと申してあろうが。
見極めた上にも見極めねばならんぞ。
霊の目も一方しか見えんぞ。
霊人には何でもわかっていると思うと、大変な間違いが起きるぞ。
一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違うぞ。

そなたは中々に立派な理屈を申すが、
理屈も必要であるが、泡のごときもの、
そなたの財産にはならんぞ。
体験の財産は死んでからも役に立つ。

(ざん)()せよ申しても、人の前に(ざん)()してはならんぞ。
人の前でできる(ざん)()は割引きした(ざん)()
割引きした(ざん)()は神を(だま)し、(おのれ)(だま)すこととなるぞ。
()(あらた)めて下され。
深く(かえり)みて下され。
深く恥じ(おそ)れよ。
心して(つつし)んで下されよ。
ただちによき神界との霊線がつながるぞ。
霊線つながれば、その日その時からよくなって来るぞ。
気持ちが曲がったら霊線が切り替えられる。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第56帖  →超訳

そなたはいつもも「あれも良いらしい、これも良いようだ」と迷って、
迷いの世界を生み出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ。
これと一応信じたら任せきれよ。
(かじ)を放して鳴門の渦の中に任せきれよ。
任せきると開けてくるのじゃ。
悟れたようでいて、そなたが悟りきれんのは任せきらんからぞ。

そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からじゃ。
友作りなさい、友を作ることは(おのれ)を作ることと申してあろが。
友を作ることは新しき世界を作ることぞ。
一人の世界は知れたものぞ。
一人ではマコトの道を生きてはいかれんぞ。
友と申しても人間ばかりではないぞ。
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。
大地も大空も皆友となるぞ。
何もかも皆友じゃ。
(おのれ)じゃ。
皆々(おのれ)となれば(おのれ)はなくなるぞ。
(おのれ)なくなれば永遠(とわ)生命(いのち)する無限の(おのれ)となるのじゃ。
御神前で拝むばかりでは狭いぞ。
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が(おのれ)となるのじゃ。
拝むことは和すこと。
和すことが友作る()(けつ)ぞ。
友を(おのれ)とすることは、(おのれ)を友とすることじゃ。
友に(ささ)げることじゃ。

親は子に(ささ)げるからこそ、子が親となるのじゃ。
わかりたか。
赤ん坊のお尻を()いてやることもあるであろうがな。
そなたが赤ん坊であったらできない芸当ぞ。
お尻を出す者があっても、決して怒ってはならん。
子のお尻と思って ()(れい)()いてやれよと申してあろうが。
お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけの(わけ)があるからぞ。
利子は(あと)から支払えばよいと、そなたは思っているが、
先に支払うこともあるのであるぞ。
先にお尻を()かねばならんことも、
世が迫って来ると出てくるのじゃ。
その代わり、(あと)で神が そなたのお尻を()(れい)()いて下さるぞ。
ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ。

そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ。
与えることは頂くことになるのであるから、
与えさせてもらう感謝の心がなければならんぞ。
強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくること、
よく知っておろうがな。
自分のものと言うものは何一つないこと、
よくわかっている(はず)じゃ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第57帖  →超訳

そなたは失業したから仕事を与えてくれと申しているが、仕事がなくなってはおらんぞ。
いくらでもあるでないか。
なぜに手を出さんのじゃ。
そなたはすぐ金にならねば食っては行けない、金にならぬ仕事はできぬ、
自分はよいが妻子が可哀想だから、などと申しているが、
どんな仕事でも、その仕事にとけ込まねば、その仕事になりきらねばならんのに、
そなたは目の先の慾にとらわれ、慾になりきって、目の色を変えてござるぞ。
それでは仕事にならん。
仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。
自分自身が仕事にならねばならん。
この道理さえわかれば、失業はないぞ。
自分が仕事じゃからのう。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第58帖  →超訳

春が来れば草木に芽が出る。花が咲く。
秋になれば葉が枯れるのじゃ。
時節よく気つけて取り違いせんように致してくれよ。
時節ほど結構なものないが、また恐いものもないのであるぞ。
ちょうど呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。
吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。
これが神の(はたらき)であるから、
神の現れの一面であるから、神も自由にならん。
この神も時節には(かな)わんのであるのに、
そなたは時々この時節を無視して自我で、
あるいは時節を取り違いして押しまくるから
失敗したり怪我(けが)したりするのじゃぞ。
素直にしておれば楽に行けるようになっているぞ。
時待てば()り豆にも花咲くのであるぞ。
水が逆に流れるのであるぞ。
上下でんぐり返るのであるぞ。
上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ。
取り違いないように理解して下されよ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第59帖  →超訳

一度申したこと どこまでも(つらぬ)くそなた結構ぞ。
なれど(とら)われているぞ。
この神はちと大きな、今までにない大変を致すのであるから、
あまり小さく(とら)われていると わからんことになって来るぞ。
固まる時には一度に固まらねばならん。
昨日は昨日、今日は今日ぞ。
そなたは動機が善ならば失敗は薬と、
(われ)の都合の良いように、(われ)(われ)を弁解してござるなれど、
弁解したのでは薬にならん。毒となることあるぞ。
(かえり)みよ。
そなたは何神様でも仏でも、何でもかんでも拝んでいるが、
その順序と区別がよくわかっていないぞ。
わからずに(めくら)滅法(めっぽう)に拝んではならん。
心得なされよ。
そなたは忙しい忙しい、神示(ふで)読む()もないと申しているが、
忙しいのは神の恵みであるぞ。
よどんだ水は(くさ)るのじゃ。
忙しい中にこそ、神示(ふで)読む時があるのじゃ。
逃げ道を作ってはならん。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第60帖  →超訳

そなたは自分の力を人に見せようとしているが、無邪気なものじゃのう。
自分の力が隠せぬようでは、頭に立つことできんぞ。
何もかも出してしまったのでは味がなくなるぞ。
そなたは良く祈る。
祈ることは結構であるなれど、祈るばかりでは物事成就せんぞ。
()すにはまず祈らねばならんが、
そなたはそなたの神にのみ祈っているぞ。
()すのは(おのれ)であるから、(おのれ)に祈らねばならんぞ。
(おのれ)に祈った後、(おのれ)()さねばならんぞ。
乳房(ちち)与えられても自分で吸わねば自分の身には付かぬ道理じゃ。
だが、()したのみでは まだ足らんぞ。
時々は(かえり)みなければならんぞ。
そなたは形や口先ばかりでものを拝んでいるが、
心と(ぎょう)と口と三つそろわねばならん。
三つそろって拝むならば、どんなものでも与えられるのじゃ。
拝むところへ物は集まって来る。
神も集まって来る。
足らぬものなくなるぞ。
余ることなくなって、満たされるのがまことの(とみ)じゃ。
清富じゃ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第61帖  →超訳

そなたの苦労は取り越し苦労。
(くば)りは忘れてならんなれど、取り越し苦労、過ぎ越し苦労は()らん。
そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身が()らぬ苦労をするぞ。
何事も神に任せよ。
そなたはまだ神業(かみわざ)の取り違いしてござるぞ。
そなたの現在与えられている仕事が神業(かみわざ)であるぞ。
その仕事をより良く、より浄化するよう(ぎょう)じねばならんぞ。
つとめた上にもつとめねばならん。
それが御神業(おんかみわざ)であるぞ。
そなたはそなたの心と口と行いが違うから、違うことが次から次へと折り重なるのじゃ。
コト正して行かねばならんぞ。
苦を楽として行かねばならん。
苦と心するから苦しくなるのじゃ。
楽と心すれば楽と出て来るのじゃ。
ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。
そなたは悪人は悪人じゃ、神として(おが)めとは無理じゃと申しているが、
一枚の紙にも裏表あるぞ。
そなたはいつも裏ばかり見ているから、そんなことになるのじゃ。
相手を神として(おが)めば神となるのじゃ。
この世は皆 神の一面の現れであるぞ。

記:1959年3月3日

 

月光の巻〜第62帖  →超訳

そなたは現実世界のことばかりよりわからんから、
現実のことばかり申して、一に一足すと二だとのみ信じているが、
現実界ではその通りであるが、
それが平面の見方、考え方と申すもの、
いくら(きわ)めても進歩も弥栄(いやさか)もないのじゃ。
一に一足す一の世界、一に一足す無限の世界、
超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得しなければならんぞ。
そなたは心を持っておろうがな。
心があれば心の属する世界のある道理はわかるであろうが。
心で描いて、心でまずつくり出してから行為することも、
その順序もわかるであろうがな。
心の動きが先で、肉体がその後で動くこともわかっておろうがな。
心の世界にないものは物質の世界にもない道理もわかっておろうがな。
なぜに迷うのじゃ。
霊界が主で現実界が従であること、わかって下されよ。
逆立ちしてそなた自身で苦しんでいること、早う得心(とくしん)して、
うれしうれしで暮らして下されよ。

記:1959年3月3日