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最終更新日 2017年11月12日
創造神話/歴史上のチート行為?/文明レベルの考察/遺跡の経年劣化の考察
創造神話概要
神によって創造された文明世界は、過去5度滅びた。
1度目の世界。神は人々に言葉を与えた。言葉で気持ちと知識を伝え、協力し合わせるためだ。
だが、やがて言葉は通じなくなり、各地で争いとなった。
そこで神は破壊の風を起こして世界を滅ぼした。1度目の世界は4000年で終わった。
2度目の世界。神は人々に農業と牧畜を教えた。食べ物が安定して手に入り、人々の暮らしは豊かになった。
だが、豊かになった人々は足りないものを奪い合うようになった。中には何も作らず、奪い取るだけの怠惰な人々も現れた。
そこで神は天から炎を落として世界を焼き滅ぼした。2度目の世界は3000年で終わった。
3度目の世界。神は人々に交易と記録に必要な文字を教えた。作物を奪い合うのではなく、融通し合わせるためだ。
だが、交易で豊かになった人々は物欲におぼれ、前以上に争うようになった。
そこで神は世界を厚い氷で覆って滅ぼした。3度目の世界は2000年で終わった。
4度目の世界。神は人々に物作りを教えた。物が多くあれば、独占する意味がなくなるからだ。
だが、人々は物作りで武器を生み出し、空を飛ぶ機械などを作って侵略戦争を始めた。
そこで神は世界を洪水で沈めて世界を滅ぼした。4度目の世界は5000年で終わった。
5度目の世界。神は人々に宗教を教えた。道徳を守り、秩序を保たせるためだ。
だが、人々は些細な違いから対立し、宗教の名を借りて互いに破壊し合うようになった。
そこで神は世界を闇に包んで滅ぼした。5度目の世界は2000年で終わった。
6度目の世界。神はもう人々に何も教えなかった。
そして再び世界が邪悪に満ちた時、今一度滅ぼすと言い残して姿を隠した。
それから4000年近く。世界は何度もの滅びの危機を乗り越えながら、なんとか続いている。
1度目の世界
神話
神は人々に言葉を与えた。それによって人々は気持ちを共有し、動物たちとも親しくなれた。
言葉によって人類は互いに協力し合い、最初の文明を起こすことができた。
だが、佳き時代は長く続かなかった。やがて言葉が通じなくなり、人々は争うようになった。
それを悲しんだ神は破壊の風を起こし、世界を滅ぼした。
1度目の世界は4000年で終わった。
解説
最終氷期(ウルム氷期)のうち、今から2.2万年〜1.8万年の間がもっとも寒さの厳しい最大氷期である。
人類が洞窟壁画を描き始めたのは約3.5万年前。それが最大氷期が紀元前1.8万年を過ぎた頃から急速に世界へ広まっていく。
最大氷期は寒いというイメージで見られがちだが、実際は温暖期にある現代よりもバイオマス(森林面積)的には豊かな時代だった可能性がある。
以下に豊かだった可能性を示す。
(1) 現在より海面が150mも低く、現在では海に没している広い平原が世界中にあらわれていた。
(2) 現在は海に没している平原はスンダランドや東シナ平原など、その多くが低緯度地域に集中しているため温暖である。
(3) ベーリング陸橋周辺にも広い平原があらわれるが、そこでも氷に覆われた痕跡は見つかっていない。
(4) 地球が寒冷化したため、大気循環による乾燥帯は現在より赤道側へ近づく。そのため乾燥帯の多くが海洋上を占める。
(5) 現在の砂漠は乾燥帯からはずれて湿潤な広葉樹林帯となる。実際、サハラ砂漠も中東砂漠も氷河期は豊かな森林地帯となっていた。
これらの理由により、高緯度地方が氷河に覆われていてもなお、森林は現在より1割も多く広がっていたことになる。
これほどバイオマス的には豊かな時代であるため、いつ文明が生まれてもおかしくない条件はそろっている。
余談ながら南米大陸の砂漠面積だけは、現在よりも若干大きくなっていた可能性がある。
この時代に関しては圧倒的な情報不足だが、次の時代の始まりがほぼ同時期に起きている。このことから、すでに何らかの文明が発生して知識が周囲に広まっていた可能性がある。
この世界の滅びは紀元前13500年頃にあったと思われる。
※この時代はマヤの神話より第1の世界を参考にしている。
アトランティス文明
アトランティス文明は紀元前18000年〜前16000年の間に生まれたと言われる。
キトラ古墳の天文図
奈良県明日香村にあるキトラ古墳の天井には天体図が描かれている。その天体図には昴(プレアデス星団)とオリオン座の間に春分点がある。
この関係が成り立つのは紀元前16000年頃でなければならない。
天体図を描いた人の写し間違いでなければ、なんらかの理由があったと思われる。
ティアワナコ遺跡の建設年
南米ボリビアにあるティアワナコ遺跡は、現在は紀元前200年〜前800年の間に作られたと見積もられている。ただし、状況証拠はその見積もりを否定している。
遺跡には船着き場があるが、現在はチチカカ湖から19km(遺跡全体では17km)も離れていて、標高も現在の湖面より30mも高い。
湖の水位がそこまであったのは紀元前15000年頃。それ以降では湖の水位が下がるので遺跡に船着き場がある理由を説明できない。
アッシリアの錫メッキ
メソポタミア・アッシリアの紀元前15000年頃の地層から、錫メッキされた鉄器が見つかっている。
あとの時代の鉄器がまぎれ込んだ可能性もあるが、どの文明のものかも、メッキした手法も特定できていない。
2度目の世界
神話
神は人々に農業や牧畜のやり方を教えた。暮らしが豊かになれば争わないないと考えたからだ。
人々は安定的に豊富な食べ物を得られるようになり、前の世界以上に豊かな暮らしができるようになった。
だが、人々は奪い合いをやめなかった。自分では作れないものを他人から奪い取ることで、より豊かに暮らそうとし始めた。
中には自分では何も作らず、奪うことしか考えない怠惰な人たちも現れた。
これを良くないと感じた神は
空から炎を落とし、世界を焼き滅ぼした。
2度目の世界は3000年で終わった。
解説
2度目の世界は紀元前13500年頃に始まり、紀元前10900〜前10600年の間に終わる。
この時期は最終氷期が終わり、急速に温暖化するアレレード温暖期にあたる。
人類の最初の文明の痕跡は紀元前13500年頃、北海道から南シベリアにかけた地域で見つかっている。この地域は当時、アムール川のあった流域である。ここは定住であるが、狩猟採集ではないかと考えられている。
ここから数百年遅れて中国とメキシコで人類初の農耕の痕跡が見つかるが、アムール川流域の文明と同時に発生した可能性は十分にある。
この時期の北極点は最終氷期の氷河の分布から、グリーンランドと北米大陸に挟まれた場所にあったと考えられる。これは現在の北極点より2000〜3000km北米大陸側である。(ハドソン湾にあったという説もある)
これはシベリアや日本にとっては経度的に地球の反対側であるため、当時の南シベリアは現在の九州の緯度、当時の九州は現在のフィリピンの緯度にあったことになる。ただし北緯41度まで氷河に覆われていた時代であるため、中緯度にあっても気候的には現在の北海道ぐらいではないかと思われる。それでも自然の豊かな土地であり、それは化石からわかる植生の分布からも裏づけられている。
また南極点もオーストラリア側へ2000〜3000km移動があったと考えられるが、それでも南極点は大陸から外へは出ていないと思われる。だが、反対の南米大陸側に近い半島のある西大陸は温帯〜亜寒帯になるので、ピリ・レイスの地図にあるような氷に覆われてない南極大陸の海岸線は十分に存在可能となる。
この時代の終わりは紀元前10900〜前10600年の間に起こる。
北半球の広い地域で山火事が起こり、それによってマンモスやナウマンゾウ、毛サイなどの多くの大型哺乳類(体重44kg以上)が絶滅している。
山火事の原因として有力と考えられるのは、北極圏に落ちたと仮定される巨大隕石(クローヴィス隕石/彗星)である。隕石落下というとクレーターが残るものと思われがちだが、厚い氷河の上に落ちた場合はクレーターを作る保証がない。氷が砕けることで隕石の衝突をやわらげる(正確には衝撃を広範囲に分散する)ため、明確なクレーターを残さないからである。
この件に関しては衝突実験で確かめられ、実験のたびに不規則な痕跡を残すために衝突地形を特定できない状況である。五大湖やハドソン湾を衝突地形の候補にする学者もいるが、現在は手掛かりをつかめていない。
また、この時期に地球の地軸移動が起きたと考えると、緯度変化の影響が少ないアフリカ大陸と東南アジアでのみ多くの大型哺乳類が残っていることを説明できる。
よって、この隕石衝突によって地球の地軸が現在の北極の位置に変わった可能性は、時期的にも状況証拠的にも高いと考えられる。
※この時代はホピ族の神話より第1の世界を参考にしている。
アトランティス文明
紀元前10800年〜前10600年の間に大西洋に没したとされる伝説の文明。
よくアトランティス大陸と言われるが、プラトンは「クリティアス」の中で大小2つの島でできていると書いている。
アトランティスの科学文明については、伝説の内容から現代文明をしのぐ近未来都市ではないかと思われる。
もしも伝説の中身がすべて空想であるとしたら、その知識はどこから得られたのだろうか?
※当考察ではエドガー・ケイシーによるオカルト的なリーディングは排除している。
・オリハルコン
アトランティス文明の象徴とされる空を飛ぶ謎の金属。これで飛行船、船舶、潜水艦などを建造していたとされている。
オリハルコンの語源はギリシャ語で「銅の山」。アトランティスでは豊富に産出される琥珀色の金属といわれる。
オカルト的な超金属でも希少金属でもなく、現代文明でもすでに知られている真鍮のような銅合金かそれに類するものと考えられる。
またオリハルコンで飛行船や船などを造ったというのは間違いで、装飾用に使われただけという解釈もある。
・首都アクロポリスを囲む大運河
首都は3重の運河に囲まれ、一番内側でも運河の幅は約180m、外側の運河は約550mもの幅を持っていた。
それらをつなぐ水路も大きく、幅90m、深さ30mの大きさがあった。
これは現在のスエズマックス型船舶(幅77.5m、喫水20m)がなんとか自走航行できるサイズである。
かつては話を盛った荒唐無稽な大きさと言われていたが、現代では当たり前の大きさになりつつある。
また幅90mは船にとって象徴的な大きさで、太平洋で最大の台風の中でも船が揺れないサイズである。それを基準に造った可能性もある。
・アトランティスの大きさ
島の南側に南北約約560km、東西約370kmの平原があり、約3.4km2ずつ6万の行政区に分けられていた。
平原は海面からそびえる高い山々に囲まれていた。
・天文知識が非常に高い
アトランティス人は宇宙を観測し、独自の宇宙観を作っていた。すでに地球が球体であることも地動説も知っていた。
そして世界が終わる日を知っていたという話は、天体観測によってクローヴィス隕石が落下する日を知っていたからだろうか。
・アトランティスの超科学
エドガー・ケイシーのリーディングを排除すると、アトランティス文明に見られる超科学を思わせる記述は以下の2点のみ。
6つの空飛ぶ馬に引かれた戦車 …… 6つの気球に吊るされた飛行船? それともブースターを6つ付けた宇宙船?
イルカのような乗り物 …… 潜水艦?
・アトランティスの最後
伝説では大きな地震と洪水によって一夜で海に沈んだとされ、地質学的にそのような場所がないかと遺跡探しが行われている。
北極圏に巨大隕石が落ち、それによって起きた地軸移動で地球全体が揺さぶられ、続く大津波に襲われて滅んだとも考えられる。
その時には激しい潮の流れによって、遺跡は完全に破壊されて洗い流されたであろう。残骸があれば海底に広く散らばっているだろうと思われる。
・アトランティス、アゾレス諸島説の検証
アゾレス諸島は大西洋中央海嶺をはさんだ場所にある火山島群である。
大西洋の水深は平均5000mであるが、アゾレス諸島周辺は水深1500m〜4000mある正三角形に近い丘になっている。
もしもアトランティス島が南九州のシラス台地のように完全に固まってない大地であったら、大西洋を何往復もする大津波に軽くえぐり取られるだろう。
ひょっとしたら海底にできた正三角形に近い丘は、津波が3方向から順番に襲ってきたことを物語っているのかもしれない。
なお、この時の津波だけで現在の地形になる必要はない。水没したあと、海流によって時間をかけて深く削られた可能性は十分にある。
古アテナイ
プラトンがアトランティス文明と戦って勝った大陸国家として紹介しているが、世間的にはほとんど認知されていない。
社会体制は不明だが、王国でも宗教国でもないのに私有財産を持たない共和制というところから、共産主義ではなかったかと思われる。
古アテナイもアトランティスの災厄と同じ時に何度もの洪水に襲われ、洪水のたびに山岳に住む無学な者ほど生き残ったという。
この洪水を大西洋を何往復もした津波だとすると、これも地軸移動があった証拠になるかもしれない。
ただし伝説では3度目の洪水がもっとも被害が大きかったらしい。これは地軸移動の影響による津波と少々事情が異なりそうだ。
最初の津波は地軸移動による最初のもの。次に揺り戻しの津波が来て、3度目は隕石の衝撃波による津波が到達したのだろうか。
なお、名前といい、社会体制といい、明らかなプラトンの創作という説も根強い。
ピリ・レイスの地図
この頃、北半球に残された氷床の分布から、地軸が2000〜3000kmほど北米大陸側にあった可能性が高くなっている。
となると現在は氷河に覆われた南極半島が、ピリ・レイスの地図にあるように氷に覆われてなかった時代があった可能性がある。
現在、氷の下にある地形が正確に描けるとしたら、それは紀元前10900〜前10600年より前でなければならない。
長江超古代文明
紀元前12000年頃までに稲作が始まったことが、中流域の仙人洞遺跡で見つかっている。
なお、長江文明で有名な三星堆遺跡は紀元前2000年〜前1600年と、かなり後期の遺跡である。
ヤクート超古代文明(死の谷〜竜王の地底都市伝説)
シベリアのあるヤクート(現サハ共和国)から、お椀を伏せたような形の半地下の住居が100軒以上まとまって出てきている。
遺跡成立は紀元前15000〜前10000年と幅がある。ここに定住する集落があったことは確実。中には地下室のある住居もある。
地下にいくつもの部屋のある家があることと、現在は酷寒の地であるところから寒さを防ぐために地底都市が作られたとする伝説が生まれた可能性は考えられる。だが遺跡のある場所をなぜ「死の谷」と呼び、更には竜王の地底都市伝説へと変わったのかは謎である。
恐竜オーパーツ
恐竜はこの時代まで生きていて、大型哺乳類と共に絶滅したという仮説はあるが、古生物学的に化石としての証拠はないため、この説は論外と考える。
だが、この時代に起きた文明で考古学、地質学が行われ、化石から古代生物についての十分な知見が得られていた可能性はある。それが後の時代の龍やドラゴンの伝説になった可能性は高い。もしも、そういう事実がないとした場合、たとえ空想でも、発想の元はどこにあったのだろうか?
クローヴィス隕石説
北米のクローヴィス石器時代に起きた大陸全土を焼いた大火事と、大型哺乳類の大量絶滅を説明する仮説として提唱されているもの。
この隕石衝突によって地軸が2000〜3000km動いたとすると、最終氷期の氷床の分布と、現在の地軸との喰い違いをうまく説明できる。
なお、地軸の移動はなく、海流の動きが現在と違うために極冠の中心が北米寄りになっただけという主張もある。
地軸移動に伴う大津波
地軸の移動から考えて、大洋の北西側ほど大きな津波に襲われたことが考えられる。
この時の津波は大洋を何度も往復して、各地に大きな爪痕を残しているはずである。
ただし、現在はまだ先史時代の津波研究は進んでいない。ネットで調べても、氷河期が終わったあと海面上昇が終わった紀元前4000年頃まで。
今後の研究次第ではこの頃に海洋の北西側で共通した大津波があったと判明するかもしれない。
地軸移動に伴う大津波 〜沖縄編
鹿児島から沖縄にかけて伸びる南西諸島では、島に標高150m以上の山があるかどうかでハブが棲む島か棲まない島かがクッキリと別れている。
仮に島が完全に水没した結果としてハブが棲まなくなったとすると、現在の標高150mまでどのような原因で水が来たのかは大きな謎である。
可能性として南西諸島は太平洋の北西側にあるため、地軸移動に伴う大津波がこの現象を生んだことは大いに考えられる。
なお、この時期の海面は今より80m低かったことを補足しておく。
地軸移動に伴う大津波 〜インドネシア編
フローレス島のホモ・フローレシエンシスが絶滅する。
現在は火山噴火で絶滅したと解釈されているが、もしかしたらこの時の津波で絶滅したのかもしれない。
地軸移動に伴う大津波 〜東アフリカ編
東アフリカの海岸線には、古い時代の巨大津波跡と思われる地形が広く見られる。
現在はここからインド洋に巨大隕石があったとする仮説が立てられ、海中のクレーター探しが行われている。
津波地形の残る地域もまたインド洋という大洋の北西側海岸であるため、地軸移動に伴う大津波が生んだ地形である可能性がある。
3度目の世界
神話
神は人々に交易を教えた。欲しいものがあれば奪い合うのではなく、融通し合わせるためだ。
それと共に神は交易の記録に必要な文字も教えた。
やがて人々は余剰資源を生み出し、それを離れた土地と交易して暮らしをより豊かにした。
だが、交易で豊かになった人々は物欲におぼれ、貴重なものをめぐって前以上に争うようになった。
人々の富を求める欲求は際限がなくなり、やがて戦争して富を奪い合うまでになった。
これを嘆き悲しんだ神は、人々の作った街を厚い氷で覆って滅ぼした。
3度目の世界はわずか2000年で終わった。
解説
3度目の世界は紀元前10500年頃に始まり、紀元前8600年頃に終わる。
この時代の遺跡はすでにいくつも見つかっているが、残念ながら多くはまだオーパーツ扱いされ、正当に評価されていない。
気候的に考えると紀元前8600年頃に地球は氷河期の戻りで急速に寒冷化し、高緯度地方では氷河の急拡大があった。そのため高緯度地方の遺跡は氷河によってすり潰されたと考えられる。
また、この頃は中東地方とインドで砂漠化が進み、農耕していたとしたら急に作物が育たなくなった時代だろう。乾燥によって風化作用が強まり、このあたりにあった遺跡も砂と化して発見が難しくなっていると考えられる。
同様に中緯度地方である日本、中国、中南米などの雨の多い地方では、雨が大気中の二酸化炭素を取り込んで酸性化し、土壌を変質させて遺跡を残しにくくしている。
※この時代はホピ族の神話より第2の世界を参考にしている。
ギョベクリ・テペ遺跡
1994年にトルコ・アナトリア半島東部のシャンルウルファ郊外で発見された遺跡。最初の建物は紀元前10500〜前10000年にできたとされる。
最低でも2000人が暮らした都市遺跡と判明し、2010年からは地球文化資産として国連の管理下に置かれている。
都市は1000年以上使われたが、紀元前9000〜前8500年の頃、都市をわざわざ土に埋めて放棄している。
エル・インガ遺跡
紀元前10000年頃、中南米のペルーからエクアドルの海岸線で起きた文明。
まだ発掘が始まったばかりで、評価が固まっていない。
与那国島の海底神殿遺跡
沖縄県与那国島の南側の岬から100m沖で見つかった遺跡。放射年代測定では紀元前10000年頃に造られたと見積もられている。
神殿跡ではないかと見られ、近くから線刻石板が見つかっている。
歴史学界では遺跡ではないという説を崩してないため、今も海底地形と呼んでいる。
ペトログリフ
世界中で見つかる石に刻まれた紋様。今日までに23万個が見つかり、古いものは紀元前10000年頃と見られている。
世界中にありながら紋様の形が共通しているように見えるため、世界共通文字という仮説(?)がある。
ドロパ・ストーンディスク
1938年、中国四川省バインハル山脈にある洞窟から出土したオーパーツの一つ。直径約23cmで中央に約3cmの穴の空いた円板が716枚も見つかった。
一緒に見つかったドロパ族と思われるミイラの放射年代測定により紀元前10000年〜前12000年のものとされるが、ディスク自体は2万年前という説もある。
発見された当初は外周に刻まれた溝がレコードではないかとされたが不発。のちに一種の光ディスクであったことが判明し、現在は解読中。北京大学が一部を解読したという発表をしてるが、詳細は不明である。
ちなみに現代文明が光ディスクの研究を始めたのは1960年代。
余談であるが一緒に見つかったミイラは身長120cmで頭が不自然に大きいところから、不時着した異星人のものとする説もある。
4度目の世界
神話
神は人々に物作りを教えた。物が多くあれば、奪い合ってまで独占する必要がなくなるからだ。
だが、人々は神に与えられた物作りを平和のためだけには使わず、武器や空を飛ぶ機械などを作って侵略戦争を始めた。
それが際限のない軍拡競争となり、ついには都市を焼くほどの強い炎が生み出されるまでになった。
あまりの惨状に嘆き悲しんだ神は洪水を起こし、世界を水に沈めて滅ぼした。
4度目の世界は比較的長く続いたが、5000年で終わった。
解説
4度目の世界は紀元前8500年頃に始まり、紀元前3600年までには終わる。
世界中に神話として語られていた時代で、近年、その時代の遺跡が続々と見つかっている。
ただし、遺跡は近年になって発掘されたのではなく、放射年代測定をするまで、ローマ時代か、古代ローマ直前の頃の遺跡と考えられていた。
有名なものは黒海沿岸のヴィンカ文明(紀元前5500年〜)で、遺跡からは多くの文字が見つかっている。
この時代の始まった紀元前8500年頃、海水面は現在よりも80m低かった。一方、終わりに近い紀元前4000年頃の海面は、反対に現在よりも5〜13mほど高くなっている。
この間の海面上昇を示すグラフは研究者によって異なる。
(1) 紀元前6000年には現在と同じ海水面になったとするグラフ 〜ネット検索等で、もっとも多く出てくる。
南極とグリーンランドの氷床から推測された地球の平均気温と、海水面の変化が一致すると推定したグラフ。
(2) 紀元前8500年から紀元前4000年の間を一直線で結んだグラフ
海水面が確定と認められているのは紀元前8500年と紀元前4000年以降なので、その間を単純に直線で結んだグラフ。
(3) 紀元前8500年から紀元前4100年頃までの変化は20mで、そこから100年ほどで海水面が70m以上も急上昇するグラフ
タヒチなどの南太平洋の珊瑚礁を調査し、そこから導かれたグラフ。
紀元前4100年を過ぎた頃に気温が一線を超え、それまで徐々に溶けていた氷河が急速に溶けて海水面が急上昇したと考えられる。
(1)(2)は現地調査ではなく、説明でもわかる通り、気温からの単純な推定である。
現地調査によって得られた(3)のグラフがもっとも事実をあらわしていると考えるが、調査のサンプル数が少なく、調査か所も太平洋の珊瑚礁でのみと著しく偏っている。そのため確定した気温変化のデータとリンクした(1)のグラフが幅を利かせるのは仕方ないと思われる。
もっとも(1)(2)のグラフで示した海水面の変化では、文明を維持しつつ都市を高い場所へ移すだけの時間的な余裕は十分にあったと思う。
急激な海面上昇があったからこそ、世界中に洪水伝説が残ったと思われる。その中には溶けた氷河にできた氷河湖(氷河ダム)が決壊して、破滅的な洪水に襲われた都市もあるだろう。
一方で文明が滅亡したあとも都市遺跡が残っている高地では、そのまま人々の暮らしが続いたと考えられる。だが、取引きする都市が次々と水没していったため、徐々に衰退して紀元前3600年頃までには終わったであろうと考えられる。
※この時代はホピ族の神話より第3の世界、ならびマヤ神話の第4の世界、インド神話等を参考にしている。
なお、以下にこの時代に起きたと考えられることを列挙する。
シュメール文明
現在の歴史解釈では紀元前3500年頃にメソポタミアで始まったとされる。メソポタミア文明で最初の文明。
ただし、最新の放射年代測定によると遅くとも紀元前5000年には始まっていたことがわかり、歴史の見直しが求められている。
インダス文明
現在の歴史解釈では紀元前2600年頃に始まったとされる、南北1000km、東西1600kmにもおよぶ巨大な文明圏である。
現在110以上の都市が見つかっていて、いずれも城壁に囲まれている。ただし、この城壁は洪水から都市を守る堤防であった可能性が高い。
すべての都市に共通しているのは、王の居城も神殿のような建造物も人々が集まる公園のような広場も存在しないこと。住居と食料庫、大衆浴場、集会所、見張り台と駐屯所、それと職人の工房のみで作られている。どの都市にも娯楽施設と思われるものが存在せず、ただ暮らして仕事をするだけの都市であったらしい。
モヘンジョダロ遺跡
紀元前2600年に作られたインダス文明の中心都市とされる。
ただし、紀元前2600年に作られたのは最上層の遺跡であり、遺跡の下には最低でも6層の都市遺跡が見つかっている。
現在確定している最下層はシュメール文明と同じ紀元前5000年頃に作られたと推測されている。
ただし下の2層からは放射年代測定に使える試料が見つかっていないため、現時点では年代の確定はできていない。
また未確定ながら更に下には8層目、9層目の遺跡らしきものがあるが、そこから下は地下水が湧き出してくるため発掘調査が困難という話もある。
インド・カンベイ湾の海底都市遺跡
2002年、インド西部グラジャート州スラト沖で見つかった都市遺跡。放射年代測定では紀元前7500年頃と見積もられている。
当時の大河沿いにあり、現在は水深40mの場所にある。川に沿って9km、奥行き2kmに広がり、2つの都市に別れている。
遺跡の姿はモヘンジョダロ遺跡と酷似しているため、ここが水没したためにモヘンジョダロに移った可能性が考えられる。
スフィンクス〜原始エジプト文明以前
現在の歴史解釈ではエジプト文明は紀元前3150年頃に始まったとされている。
エジプト文明の都市遺跡は日干しレンガで作られているが、この日干しレンガは雨が降ると簡単に溶けて流れてしまう。すなわち文明が生まれて以降、エジプトでは遺跡を溶かすほどの雨が一度も降っていないことになる。
一方でスフィンクスにはハッキリした雨跡が残されている。エジプトでこの雨跡ができるほどの雨があったのは紀元前3400年以前である。
キキルコ文明
メキシコ・シティの南で見つかった古代文明。現在の歴史解釈では紀元前4〜5世紀の遺跡とされている。
ただし紀元前4〜5世紀は遺跡が溶岩流に呑まれた時の年代であり、溶岩流の下には火山灰に埋もれた遺跡が見つかっている。
最下層を放射年代測定すると紀元前8500年頃に始まったと推定される。キキルコ遺跡は火山によって3度滅ぼされた遺跡である。
文字について
一般にシュメール文明の楔形文字が人類の最古の文字とされているが、それは一部でも解読されたものがあるという意味である。
それ以前の文字は象形文字が多く、解読されてないことから「ただの紋章にすぎない」という扱いで、これは正当な扱いとは思えない。
たぶん表音文字(アルファベット)を使う欧米の学者による、文字に対する思い込みではないかと感じる。
マヤ文字を長いこと「これは文字ではない」とし、新大陸では文字は発明されなかったという定説が横行していた歴史解釈と同じと考える。
農業について
シュメール文明には初期の頃から農耕機械が存在し、種まき機、脱穀機が作られている。また大規模な灌漑技術がある。
工業について
同じ構造の種まき機などが多数作られていることから、機械作りが産業として存在していた可能性は高い。
社会制度について
楔形文字の解読により、シュメール文明の政治には議会制、二院制、法律、社会制度にも教育、公共福祉サービスなどが最初から存在していたことが判明している。
科学技術について
かなり高度な天文学、幾何学などがあることが知られ、有名なものではニベヴェ定数がある。
医学では白内障の外科手術が存在していたらしいことが、楔形文字の解読からわかっている。
宇宙開発についてはインダス文明のリグヴェーダが有名だが、シュメール文明にも宇宙開発を思わせる記述が多い。
古代社会と核戦争
シュメール文明、モヘンジョダロ文明には、いずれにも古代核戦争を思わせる伝説(神話)が残されている。
また中国の神話にも地に落ちると数百km先まで爆音がとどろく乾坤圏という兵器が出ており、それを使った仙人自身も炎に巻き込まれて亡くなったという話がある。
北欧神話
北欧神話にある神々の戦い〜ラグナロクにも、現代兵器を連想する記述が多い。
雷神トールの持つ鉄槌ミョルニルの使い方や破壊の様子は、ミサイル兵器そのものと思われる記述がある。
フェンリル狼は目や口から炎を吐いて最期を迎える。これはフェンリル狼が何らかの巨大兵器で、最後に火薬の誘爆があったことを連想させる。
ミッドガルド蛇(ヨルムンガンド)は潜水艦と解釈できる。最期は3発のミョルニルを撃ち込まれて撃沈されたと解釈できる。
数々の武器を調達する時に向かった国〜ニダヴェリールの記述では、そこに住む人々が「太陽に弱くて地中に住む」とされている。だが、これを「陽射しの強い国で土の家に住む」と解釈すると、科学技術の先進地域であったシュメール文明を差しているとも読める。
余談ながらロキとトールのヨツンヘイム(巨人族の国)訪問で行われた数々の勝負も、何らかの技術競争であった可能性も考えられる。
エクアドルの縄文土器と鬼界ヶ島の巨大噴火
紀元前4300〜5300年の間に、鹿児島のすぐ南にある鬼界ヶ島が巨大噴火を起こしている。この噴火で九州南部が瞬時に丸焼けとなり、関東以西の集落がほぼ全滅したことが確定している。
また、これと同じ頃から、南米エクアドルやニューギニア島、ポリネシアなどで縄文式の土器が出土するようになっている。このことから火山で日本に住めなくなった人たちが太平洋の南洋諸島を経由して海を渡り、南米にたどりついたという仮説がある。
縄文式に似た土器が出た場所の周辺地域の先住民の遺伝子を調べると、日本人とは紀元前5000年頃に分かれらしいという報告がある。これは人類がベーリング海峡を渡ったとされる13000年前より新しく、しかも他の地域では見られない現象である。
イスの伝説
フランスの東にあったとされる都市国家。現在は海に没しているが、最盛期はかなり繁栄した国であったらしい。ただし、現在のフランスにもイスという名前の都市があるが、それとは別物である。
フランスの首都パリは「イスを超える都へ」という願いからパル=イスと名付けたとも言われている。
宮下文書
かつて富士山麓に高度な超文明があったとする文献で、現在は偽書と見做されている。
記述は紀元前4300年頃から始まっているが、この時期はまさに鬼界ヶ島の巨大噴火で関東以西の集落がほぼ全滅した時期と重なっている。
有名な部分は紀元前217年に中国から徐福が来たとする徐福伝説である。
なお、偽書とするには富士山の噴火記録などを初めとする災害記録が、地質調査等で得られた年代と正確に一致しすぎている……らしい。
アイスマン
1991年にアルプス山脈の氷河から見つかった冷凍ミイラで、年代は紀元前3300年頃と4度目の世界が滅んだあとである。
だが、彼の持つ斧が純度99.7%の銅製であったことや高度な医学治療の痕跡があったこと、最後の食事がパンやハーブで味つけしたヤギ肉だったところなどから、4度目の世界が滅んだあとも、まだ文明の知識が完全に失われていない時期に生きた人物である可能性がある。
ヒプシサーマル期(縄文大海進)
紀元前4000年頃、海水面は現在よりも5〜13mほど高くなっていた。
この頃の気温は現在よりも2℃高かった。だが海水の膨張は1℃あたり0.021%であるから、たとえ海の底まで2℃上がったとしても、海の平均深度は約3800mしかないため、海水面は1.6mしか上がらないことになる。それに加えて、氷河が解けたという十分な証拠もない。
しかし、この頃は世界的に火山活動が活発であった時期であり、プレートの沈み込み帯からマントルへ持ち去られていく海水が、地上へ大量に戻された時代とも考えられる。
これに似たことは白亜紀後半に海面が300mも上昇した白亜紀海進でも見られる。この頃は現在より気温が10℃も高くて氷河もすべて解けたとはいえ、気温上昇分の8mと氷河融解分の70mだけでは300mもの海面上昇を説明できない。とはいえ白亜紀海進の頃はパンゲア大陸がアフリカ大陸と南アメリカ大陸に分裂するなど、造山活動の活発な時期であった。そのためマントルから220m分もの海水が出てきたと考えられる。
余談ながら現代は観測の始まった19世紀末以降、一貫して海水面が年間2.0mmの割合で下がっている時代である。これは1815年のインドネシアのタンボラ山、1883年のクラカタウ山以降、プレート由来の大規模噴火が起きていないことと関係があると考えられている。
ただし臨海都市部や観光地では、平均して年1.8mmもの速度で地面が沈んでいることも事実。これは地下水の汲み上げや高層建築などによる地盤沈下の影響であり、海水面の上昇とは何ら関係ない。
5度目の世界
神話
神はこれまでの失敗を考え、人々に道徳としての宗教を教えた。教えを守り、秩序を保たせるためだ。
だが、人々にとって宗教は自己正当化する道具でしかなかった。すぐに宗教の名を借りて互いに破壊し合うようになった。
これを救いようがないと感じた神は世界を闇に包んで滅ぼした。
5度目の世界はわずか2000年で終わった。
解説
5度目の世界は紀元前3600年〜前3500年の間に始まり、紀元前1600年頃に滅びる。
世界中でほぼ同時期に巨石文明が生まれた。メソポタミア、エジプト、インダスの他、ヨーロッパとアフリカ、中南米にも広がっている。
いずれも発祥から古いほど文明が成熟している逆転現象がある。そして紀元前1600年頃にいっせいに終わった。
現在の歴史解釈では紀元前3500年頃、中東、インド、南米など世界中でほぼいっせいに文明が興ったとしている。
ただし「4大文明」という歴史概念は日本のみで、元は中国系の学者が広めたものである。それもまだ中国の歴史が紀元前1200年の周までしかさかのぼれなかった頃の妄想である。
ちなみに世界的には最初にシュメールで文明が生まれ、次にエジプトで文明が生まれたとする歴史観が一般的である。
エジプト文明
紀元前3150年に始まり、紀元前332年まで続いたとされる。
ただし中王国時代と新王国時代の間にある第15王国時代(紀元前1663年頃〜前1555年頃)はエジプト文明が最低でも5つに分裂して争い合う戦乱期である。
なお、かつてはこの頃に一度エジプト文明は滅んだとされていたが、今は否定ではないが支持されていない。戦乱によって第15王朝から第18王朝へと支配者は替わっても、行政機構は継承されたと考えられている。
メソポタミア文明
現在の歴史解釈では紀元前3500年頃に始まったとされる。
メソポタミア文明は大ざっぱにシュメール文明で始まり、バビロニア文明、ヒッタイト文明、アッシリア文明と続く4つの文明の総称である。
シュメール文明は紀元前3500年〜前2000年頃。バビロニア文明は紀元前2004年〜前1595年。
ストーンヘンジ
遺跡は紀元前8000年前に、丸太を環状に並べるように作られたことで始まる。そこから4000年間は、これといった変化は見られない。
紀元前3500年〜前3100年になって、遺跡を囲む土塁と堀が築かれた。遺跡を再利用したと思われる。
有名な環状列石が築かれたのは、紀元前2600年頃になってから。直立巨石が持ち込まれたのは紀元前2500年〜前2000年である。
そして紀元前1600年頃に遺跡は放棄されている。
マルタの巨石神殿
地中海マルタ島にある遺跡。紀元前4500年〜前2000年の間に作られたとされるが、年代は不明。放棄された年代も不明。
ただし最新の学説によると紀元前3600年〜前3300年の間に建設が始まったとされ、この建設の初期の頃から車輪が使われていたことがわかっている。
なお、この遺跡はエジプトのピラミッド以前に作られた最大の巨石遺跡である。
長江文明〜三星堆遺跡
紀元前3000年頃に長江中流域で生まれた文明。紀元前3000年〜前1000年に栄えたとされるが、中国の古伝にある古蜀国だとすると、紀元前2000年をすぎた頃には滅びたことになる。
シュメールの水晶レンズ
紀元前2700年頃の古代都市ニネヴェの遺跡から、水晶でできた平凸レンズ(直径約4.3cm)が見つかっている。
もっとあとの時代の遺跡からも水晶でできた凸レンズや凹レンズが見つかっているため、この文明が望遠鏡や顕微鏡を使っていた可能性は高く、天文学や微生物についての知識からも間違いないと思われる。
ミノス文明の活版印刷
陶器に活字印刷したものが見つかっている。文字は45種類あり、すべて形や刻まれ方が完全に一致しているため活字と思われる。
ただしミノス文明と同じ文字を使う文明が見つかっていないため、まったく解読できていない。
続いて、紀元前1600年頃の滅びの原因について考察する。
大干ばつ説
グリーンランドの氷床によれば、この頃に急速な温暖化があった。そのため世界的な大干ばつがあったのではないかと考えられている。
しかし、これは以下に並べる巨大火山噴火による影響とは逆の現象である。この温暖化は局地的な現象である可能性は否定できない。
紀元前1628年頃のサントリニ島の大噴火(ミノア噴火)
ミノア文明を滅ぼしたとされる大噴火で、同じ頃に世界中に点在していた巨石文明も終焉を迎えている。
聖書でもモーゼによる出エジプト記と同じ頃に起きたため、関連があると考えられている。聖書に書かれた様々な現象は、この火山の影響を描いたものという解釈もある。
ただし、この規模で世界的な影響が出るのかには疑問の余地がある。
ヴェスヴィオ火山の大噴火
西暦79年に古代ローマの都市ポンペイとヘルクラネイムを襲った火山として有名な火山である。
ヴェスヴィオ火山はサントリニ島が噴火する少し前に、この火山にとって最大の噴火をしている。そしてサントリニ島の大噴火に近い量の火山灰を撒き散らせている。
セントヘレンズの大噴火
紀元前1600年頃、1980年の冷夏を招いた噴火の10倍もの火山灰を撒き散らす大噴火を起こしている。
それでも噴出した火山灰は、サントリニ島の噴火の8分の1に少し届かない程度である。
以上、3つの火山は個別では地球全体に影響を与えるとか思えないが、ほぼ同時期に起きたため複合的に影響が出た可能性はある。
災厄の惑星ニビル
オカルトでは紀元前1600年頃、長楕円軌道で太陽をめぐる惑星ニビルが地球に接近し、数々の災厄をもたらしたとしている。
その天体は約3600年周期で太陽をめぐり、そろそろ太陽に近づいてくる頃と言われている。
なお天文学では、いまだそれらしき天体は見つかっていない。
6度目の世界
神話
神はもう人々に何も教えなかった。再び世界が邪悪に満ちた時、今一度滅ぼすと言い残して姿を隠された。
人々は何度も滅びの危機に遭遇しながら、どうにか世界を保っている。
6度目の世界は誕生から4000年に迫ろうとしている。
解説
6度目の世界は紀元前1600年頃に始まり、現在に至る。
6度目の世界で起きた世界滅亡に至ったかもしれない危機を解説する。
2世紀後半の疫病と急激な気候変動と火山
西暦160年代、世界的な疫病禍が起きている。
ローマ帝国は当時もっとも繁栄した五賢帝時代だったが、165年に天然痘が大流行して大勢の市民が亡くなり、それが五賢帝時代の終わる180年まで続いた。
中国でも後漢の時代161年に疫病が広まり、日本でも同じ年に始まった疫病で倭国大乱が起きている。
また181年にニュージーランドのタウポ火山が巨大噴火を起こして、世界のメタンガス濃度が一時的に3割も増えた。メタンガスの温室効果能力は炭酸ガスの20倍だが、変化に対しては環境に60倍もの影響を与える。このため急激な温暖化による干ばつと水害が全世界を襲っている。
これによって後漢では184年に黄巾の乱が起きて漢帝国の滅亡を招き、ローマ帝国でも各地で小競り合いが起こり、193年にはついに内乱へと拡大している。
中世暗黒時代〜中世温暖期
原因は不明だが8世紀から14世紀前半までの中世温暖期の間、世界的に文明の衰退現象が起きている。
日本では奈良がかなり高い技術を有していたが、平安貴族に数学嫌いが蔓延したことと、そのあと学問より武力に重心を置く武士の時代へと流れたため、室町時代にかけて文明の衰退現象が起きている。再び同じだけの科学技術を取り戻すのは江戸時代に入ってからである。
中国では唐が最盛期を終え、のちに近代まで唐を超える文明が生まれていない。
西洋では西ローマ帝国滅亡後、ルネサンス勃興まで文明の衰退が続いていた。
南米でも9世紀からマヤ文明の衰退が始まり、15世紀にアステカ文明が繁栄するまで暗黒時代が続いている。
14世紀のパンデミック
中世温暖期の末期、世界的な疫病の大流行現象が起きた。
旧大陸では1330年頃に中国で黒死病の流行が始まり、半世紀かけてヨーロッパ、アフリカへと広まっていった。
新大陸でも同じ頃に別の疫病禍が起き、カホキア(現米イリノイ州)やメサ・ウェルデ(現米コロラド州)のような大都市が消滅している。
世界全体を見渡せば半世紀かけて広がったことになるが、1つ1つの都市のみを見れば、わずか1週間で起きた災厄である。
このパンデミックで世界人口の3分の1から4分の1が失われた。
なお、日本はこのパンデミックを受けていない数少ない地域である。
余談ながら黒死病はペストとされてきたが、最新の研究ではウィルス性出血熱か炭疽菌が疑われている。
スペイン風邪のパンデミック
第一次世界大戦末期の1918年、アメリカ・ボストンから始まったインフルエンザの大流行である。全世界で4億人以上が罹り、4000万〜5000万人(最大推計で1億人)が亡くなったと言われている。
この当時の人口は、全世界で8億〜12億人。日本は5500万人。ほぼ2人に1人がインフルエンザに罹ったと言われている。
なお、犠牲者2000万人という数字もあるが、あれは白人のみを数えた人種差別的な統計である。
キューバ危機
1962年に起きた世界核戦争の危機。アメリカによるソ連とキューバを見下した強攻策が次々と裏目に出て、事態がどんどん悪化していった。
ついに10月27日には爆撃機や原子力潜水艦に核配備がなされ、大西洋では発射命令を待つばかり。日本、トルコなどの駐留米軍も臨戦態勢となり、発令とともに出動する準備が整えられた。そのため世界中で食料を備蓄しようと市民たちが食料品店に殺到することになった。
また米駆逐艦は開戦してないのに国際法を無視して、公海上でも潜水艦を見つけると問答無用で爆雷を投下するなどして事態を悪化させていく。この行動は真珠湾攻撃の直前にも見られた米軍の過剰反応である。
だが、翌28日にソ連首相フルシチョフが急に折れたため、核戦争直前で危機は回避された。
あれで核戦争にならなかったのが不思議な事件である。
エボラ出血熱
アフリカで発生したエボラ出血熱は、咳によって飛沫感染する致死率90%の病気だった。
それが1989年、貨物船で密輸された猿と共にアジア経由で北アメリカに上陸。ワシントン州の検疫所で飛沫感染から空気感染能力へと変異し、全米へ広がっていった。
幸い、ウィルスは空気感染への変異と同時に無毒化する変異を起こしたおかげでパンデミックは起こらなかった。
ノストラダムスの予言
1999年7月(ユリウス暦、グレゴリオ暦では8月)に空から大王が降りてきて世界が滅ぶと言われた予言。
占星術で最凶とされる地球を中心とする惑星のグランド・クロス配置が起きただけ。
マヤ暦の予言
2012年12月23日にここで暦が終わるので、世界も滅亡すると言われた予言。
予言の日が過ぎた今、過去の短期暦(約256年のバクトゥン)が切り変わった時と同様にそこが新時代の始まりであり、古い価値観にとっては「終わりの始まり」となっている。今回はその変化が短期暦だけでなく長期暦が重なったので、より激しい混乱期になると解釈が変わっている。
過去にバクトゥンが切り替わった時の世界は、だいたい以下の通りである。
・1周期前 絶対王制が相次いで消滅。市民社会への大転換が始まる。
・2周期前 西欧人による大航海時代の始まり。南米はスペイン人による侵略が始まる。
・3周期前 南米は新興のインカ帝国が周辺を一気に占領。ユーラシアでも新興のモンゴル帝国が大帝国を築いた。
・4周期前 中南米は古代マヤ文明が謎の消滅。旧大陸では小王国が次々と消えて現在の地域グループに統合される。
続いて、これから起こるかもしれない危機(予言など)を解説する。
聖マラキの予言
大司教聖マラキは1143年、新たに即位した教皇ケレスティヌス2世から1人1人の教皇に対する標語(2〜4語)を書き残している。
これが各教皇の性格や出身地、家柄、就任前の職業などを一応言い当てているため、予言とされるようになった。
この予言はケレスティヌス2世から112番目で終わっているため、ここで世界が終わると言われている。
その112番目は2013年3月に即位したフランシスコ1世である。単に112番目まで予言したところでやめただけとも解釈できる。
なお、この予言書は1590年代に作られた偽書という説が定説化している。
しかし、それ以降に即位した75番目以降の教皇についても、それなりに言い当てている。(懐疑派はどうとでもこじつけられるからだと言うが)
ファティマ第3の予言
2000年5月にバチカンが公式に開示した内容では「1981年のヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件」が予言のすべてであるとしている。
だが、過去の教皇が読んで失神したとか、公開を延期したと伝えられることから、その程度である可能性はまずないと考えられる。
ウワサではあるが、前々から予言の内容は「予言した時から何代あとのローマ教皇、米大統領の時代に世界は終わる」であると言われてきた。
1980年代には「ロナルド・レーガンから4代あとの大統領、ヨハネ・パウロ2世から2代あとの教皇の時代に終わる」とウワサされていた。
2013年3月からは、まさにその大統領バラク・オバマと教皇フランシスコ1世の時代である。
すでにオバマ大統領は2期目に入ったために3期目はなく、任期の終わる2017年1月19日がタイム・リミットとなる。
ただし、2人とも歴史上初の『非ヨーロッパ系』であるので、単にヨーロッパ中心の世界が終わるという意味かもしれない。
ダニエル書の予言
新約聖書に収録されたダニエル書にある予言。ユダヤ人が再び国家を持った時、その70年後に世界が終わるとする予言。
原文では「ユダヤ人の国ができてから70週で世界が終わる」となっているが、この週を1周年と置き換えた解釈である。
予言ではユダヤ人の国ができてから35年間は偽りの平和の時代、次の7年は混乱の時代、そして28年かけて終末に向かうと記している。
ちなみにイスラエル建国は1948年5月14日。
・偽りの平和の時代(35年間:1948年5月〜1983年5月)
冷戦時代そのもの。この35年が終わる前年の1982年にブレジネフ書記長が亡くなり、事実上の冷戦体制が崩れる。
もっとも、後任のアンドロポフ書記長は綱紀粛正を厳しくして、なんとか体制を維持しようとしていた。
・混乱の時代(7年間:1983年5月〜1990年5月)
ソビエト連邦の書記長がゴルバチョフに代わり、ペレストロイカや核軍縮などの平和に向けた話し合いが行われる。
ところがこの期間にチェルノブイリ原発事故や天安門事件など、将来に問題となる大きな事故や事件が起こる。
時代が終わる直前の1989年11月にベルリンの壁が崩壊する。
直後にビロード革命、12月にはルーマニア革命、ブルガリア革命と東欧革命が連発。
ソビエト連邦の崩壊は1990年8月19日で、予言された時代の終わりより3か月遅れる。(十分に誤差の範囲ではあるが)
ただし1990年3月に共産党の1党独裁体制が崩れ、ソビエトの共産主義体制が終わっていた。
そのため、事実上の崩壊はこの時点と見做すこともできる。
・終末へ向かう時代(28年間:1983年5月〜2018年5月)
冷戦が終わってテロとの戦いの時代。特に2001年のニューヨーク同時多発テロ以降は激しくなってきた。
経済問題、人口爆発、食糧問題、資源戦争等、他にも問題が噴出している。
・最後の42か月間(3年半:2014年12月〜2018年5月)
第4の獣(独裁者)が現れ、「世界を罵倒し、混乱に陥れる権利」が与えられると予言されている。
この部分は70週の予言から切り離されて、イスラエルが建国される前のナチス・ドイツのことだと解釈する人が人が多い。
しかし、現在の世界はアメリカ、ヨーロッパ、日本の3極体制である。
そこに新たに台頭してきた中国(第4の獣)が好き勝手に振る舞って、世界を混乱させるとも解釈できる。
実際に2012年から、その懸念がある。
この予言は大ざっぱなので誤差を含むと考えられるが、リミットは2018年5月13日と考えて良いのかもしれない。
ヨハネの黙示録の予言
新約聖書に最後に収められた終末予言。7つの封印と4人の騎士、天使が吹く7つのラッパ、7つの戦いと7つの災いが象徴的に描かれている。
・7つの封印(6章〜8章5節)
第一次世界大戦〜第二次世界大戦の予言とされる。第一次世界大戦が1〜4までの封印、第二次世界大戦が5〜7の封印。
第5の封印の血の復讐者とはヒトラーであり、第6の封印でイスラエル人に刻印する記述がユダヤ人の迫害と酷似している。
・天使の吹く7つのラッパ(8章6節〜11章19節)
ここは冷戦の予言で、共産主義の崩壊ですでに終わったという解釈がある。
第3のラッパは有名な「にがよもぎ(アブサン/チョルノブイリ)」と名付けられた星が落ちてくる(8章11節)という予言である。
ウクライナ語の「にがよもぎ(チョルノブイリ)」に発音の似たチェルノブイリで原発事故が起きたことから予言的中と言われる。
第4のラッパで力の3分の1を失う太陽、月、星は、日本、イスラム圏、欧米の意味か。
現在、太陽を象徴する国は日本以外に存在しない。
なお文字通り「にがよもぎ(アブサン/チョルノブイリ)」と名付けられた小惑星の落下を予言したものという解釈もある。
その解釈では力の3分の1を失う太陽、月、星の予言も、文字通り小惑星の落下で空が見えなくなる様子と説明している。
・7つの戦い(12章〜14章)
ここは現在のイスラム教原理主義との戦いと解釈されている。
戦いを起こす女は、太陽をまとって月を踏み、頭に12の星を乗せている。
まとう太陽は日本、踏まれた月はイスラム圏、頭の12の星はEUの旗そのものから欧州連合。
以上のことから女とはアメリカと解釈される。
この戦いの間、世界はまさにアメリカ、ヨーロッパ、日本を中心とした3極体制になっている。
・7つの鉢の災い(15章〜16章)
これより先は未来の予言と考えられている。1〜5の災いは、そのまま核戦争の記述という解釈が有力である。
最終戦争(アルマゲドン)ののち、中心となる3国の呼びかけで世界中の首脳を集めるのが第7の災い。
その講和会議中に大震災が起こり、それが第7の災いとなる。集められた首脳たちが全滅するのか。
なお、これを核戦争ではなく拝金主義や重商主義による社会環境の悪化をあらわしているという解釈もある。
1つめの鉢 科学汚染による環境破壊(19世紀)
2つめの鉢 工場廃水による海洋汚染 (20世紀前半)
3つめの鉢 水源の水質汚濁(20世紀半ば)
4つめの鉢 オゾン層破壊(20世紀後半)
5つめの鉢 深刻な大気汚染(21世紀初頭、中国のPM2.5、日本の原発事故)
6つめの鉢 中心となる3国の呼びかけで世界から首脳たちが集まる(COP25)<=今、ここ?
7つめの鉢 大地震によって島も山も消える
・バビロンの滅亡
最初に裁かれる大淫婦バビロンは、7つの戦いを起こす女=アメリカ以外にない。
ひとときの間に築かれた巣窟という描写もまた、建国から240年にも満たないアメリカを象徴していると読める。
「バビロンによって撒かれた不幸を倍にして返せ」という言葉を、現在のアメリカを狙った一連のテロと見る解釈もある。
この予言は古代ローマに関する予言であって現代社会とは無関係という解釈もあるが、はたしてどうだろうか?
ホピ族の予言
北米先住民ホピ族が残した予言。9つの予兆が達成されたあと、世界は終末を迎えると伝えられている。
第1の予兆 白い民が聖地にきて雷の棒で先住民を打つ
→ 白人が来て銃で先住民を殺す(1776年、独立宣言と同時に焦土作戦を始める)
第2の予兆 大音量を出す木の糸車が走る
→ 幌馬車隊による西部開拓(幌馬車隊は1860年以降だが、それ以前から存在する)
第3の予兆 バッファローに似た獣が現れる
→ 白人が新大陸へ牛を持ち込む(中西部への牧場拡大は南北戦争後の1865年以降)
第4の予兆 鉄の蛇が平原を通る
→ 大陸横断鉄道(南北戦争の時に大量にレールが敷かれ、1869年に完成)
第5の予兆 巨大なクモの巣が地上を覆う
→ 送電網(本格送電は1892年から)
第6の予兆 大地に石の川ができて交差する
→ ハイウェイとジャンクション(立体交差のある高速道路網は1924年開通)
第7の予兆 海が黒く染まり多くの生き物が死ぬ
→ 化学物質や重金属による海洋汚染(1930年代〜)
第8の予兆 長髪の若者たちが先住民の生き方を学ぶ
→ ヒッピー文化の誕生(1960年代後半〜1970年代前半)
第9の予兆 天の住居が落ちて青い星のようなものが見える
→ オリオン座ベテルギウスの超新星爆発?
第9の予兆にある青い星について、2007年10月のホームズ彗星のアウトバースト現象(2日で17等星から2等星へ一気に輝き、1日で消えていく現象) を示しているという解釈もあるが、それに対応する落ちてくる天の住居がわからない。
なお、最後は「灰の詰まったヒョウタンが地上へ落ちて大地を焼き払う。そこでは何年も草木が生えず、ここへ来ると薬の効かない病気になる」と、核兵器/核戦争を連想させる予言をしている。
チラム・バラムの書
マヤの予言書。マヤ暦の予言と混同して扱う人が多いため、周期を扱うだけのマヤ暦が怪しい存在になった。(苦笑)
この書物はマヤ暦で書かれているが、2012年12月23日については日付のみ書かれているだけで、それ以外の記述は何もないらしい。
現存する9書はアステカの文字で書かれ、スペイン人による焚書の際、かろうじて火の中から盗み出したものと言われる。
コロンブスの新大陸到達が1481年と予言されている以外は、驚異的な的中率で未来の事件を言い当てているとされる。
なお、この予言書は今の世界がどのような終わり方をするのかには触れていない。
仏教の弥勒予言
56億7000万年後の末法の世になると、弥勒が地上へ降りてくるという予言。
仏教には極端に大きな数字が出てくるが、これを一定の計算法で補正すると須弥山を中心とする世界巨大な世界観は、そのままヒマラヤを中心としたユーラシア大陸の地理を表した記述になる。
これと同じ数値操作を56億7000万年の数字に当てはめると、2018年に末法の世が始まり、2036年頃に次の弥勒の時代が始まる解釈になる。
出口王仁三郎の霊界物語
オカルト世界では有名な予言書だが、テレビではほとんど触れられることはない。
20世紀時点では意味不明で曖昧とされていた予言が、21世紀に入った途端に具体的に解釈できる例が多発している。
大正時代の知識でインターネットやツイッター、スマートフォンなどを説明した予言は、20世紀中には明らかに何を言ってるのかわからなかったはず。またスマートフォンの次に腕時計型の携帯電話になる予言はApple社が公開している開発アイデアと合致している。
他にも明治天皇崩御から日本が壊れていく様子と思われていた予言が、実は福島第1原子力発電所の事故から政府への信頼が一気に壊れていく様子を描いた予言ではないかという解釈も出ている。
なお霊界物語による終末予言は弥勒の世が到来する前に一度崩壊するというもので、マネーゲームに走った揚げ句に資本主義が崩壊して起こるとされる。リミットは2018年頃。
文明加速度限界説
人類の技術進歩の歴史を同じ程度の技術進歩や社会変化で区切ると、ほぼ4〜5倍速になっているという法則。
・初期旧石器時代 ホモ・サピエンスの誕生初期。約20万年。
・後期旧石器時代 各地で社会が生まれ、狩猟文化が誕生する。約5万年。
・農耕文明時代 紀元前8千年から古代ローマ、前漢が最盛期になる紀元前2世紀頃まで。約8000年。
・古代ローマ〜中世期 古代ローマ最盛期からルネサンスまで。約1600年。
・科学文明、産業革命 15世紀末のガリレオの時代より、急速な発展が始まる。約400年。
・20世紀文明 1890年頃〜1984年までの世界の急成長。約100年。
・コンピュータ革命 1984年頃より産業、学術等、あらゆる分野で急成長が起きた。約25年。
・情報処理革命 2010年頃より、twitter、Facebook、スマートフォンなどの普及で急激に社会が変化している。約5〜6年?
・つぎの成長時代 いったい何が起こるのか。2015年か2016年から約1年。
・成長の限界? このままの加速が続くと、2017年頃に成長の限界点に到達する。
何をもって成長の物差しとするかという問題はある。
歴史上のチート行為?
物語には夢能力によって歴史を改変する『チート行為』と、それによって利益を得た人や実行した人へのペナルティ『しっぺ返し』が出てきます。
この考察は物語の味つけとして、「歴史上で史実を改変したチート行為があったら」という仮定で考察したものです。
もちろん物語の設定を前提に、『チート行為』に対応する『しっぺ返し』も検討しています。
これが物語で使われたり、からんだりする予定はありません。今はオマケとしてお楽しみください。(苦笑)
ガリア戦争 紀元前58年〜前51年 ローマ内戦 紀元前49年〜前45年
ユリウス・カエサルが常に何人もの夢占い師(夢能力者)を抱えていたのは歴史的にも有名な事実である。
ガリア戦争では同行した夢占い師による夢のお告げが次々と当たり、いくつもの画期的な作戦を成功させてブリタニアを含めた西ヨーロッパを征服している。
この最初のしっぺ返しは有名なライン川に橋を架けて越える難工事を成功させたすぐあとの紀元前54年、母アウレリアと愛娘ユリアの死でもたらされる。
そして戦争を終わらせたあと、成功をねたんだ元老院による失脚を狙った裏工作という形でもしっぺ返しに襲われる。
このしっぺ返しを夢占い師のお告げで乗り越え、ルビコン川を渡ってローマに入ったユリウスは、内戦を起こして元老院派は武力制圧する。
この戦いにも勝利したユリウスは、当時の最高権力者である独裁官に就任する。
だが、独裁官就任からちょうど1か月後、暗殺という最大のしっぺ返しを受けてしまう。
アメリカ独立戦争 1775年〜1781年 米英戦争 1812年〜1814年
大英帝国は事実上無敵の国で、歴史上、負けた戦争は2回しかない。その2回ともがアメリカ植民地、ならび合衆国との戦いである。
その戦いの中心にいたのがルナティック・パーティ(日本では「月の会」と訳すが「狂人集団」という意味)である。
独立戦争では最新鋭の装備を持ったイギリス正規軍6万人とアメリカ先住民1万3千人、総数不明のアフリカ系奴隷軍の連合軍に対し、アメリカは狩猟用のライフル銃を持った民兵と加勢に来たフランス軍の計9万人で戦って独立を勝ち取っている。
ちなみにのべ数ではイギリス側10万人、植民地側27万人とされるが、実際に戦っていた最大人数は7万人対9万人である。
この戦争でイギリス側についたアフリカ系奴隷は戦後、王党派とともにカナダ・ケベック州や西インド諸島へ逃れ、奴隷の地位から解放されている。
この戦争の大きなしっぺ返しはアメリカよりも支援したフランスが革命という形でこうむる。
アメリカ自身へのしっぺ返しは、その後200年にわたって続く根深い人種差別問題として残った。ちなみに人種問題は解決されても、そのあとに移民してくるヨーロッパ系の人たちによって繰り返し起こされている。
続く米英戦争は、北米先住民に対して焦土作戦(大量虐殺)を行ったアメリカへの懲罰戦争という形で始まる。
イギリス正規軍5万人に対し、アメリカはわずか3万人で応戦して勝利を収めた。
勝利の理由は以下の2つである。
(1) アメリカは私掠船免許を発行して、個人による海賊行為を合法化させてイギリス軍の補給路を断った。
(2) ヨーロッパで起きたナポレオン戦争のため、イギリス軍は作戦中に継戦能力を失った。
戦争には勝ったもののアメリカは国際的な信用を失い、第二次世界大戦まで世界最大のならず者国家として政治的に孤立するしっぺ返しを喰らう。
またこの戦争の結果、国際的にアメリカへの工業製品の輸出が停止させられた。
アメリカ南北戦争 1861年〜1865年
開戦時、南軍側は綿花栽培で経済的に豊かで、しかも工業力もあった。一方で北軍は資源も産業力も南軍より劣っていた。そのため緒戦は経済力、工業力で勝る南軍が優勢に戦っていた。
もっとも米英戦争のしっぺ返しで、アメリカはヨーロッパからの工業製品の輸入が困難になっていた。そのため北軍側でも不足した工業製品を得るために、それなりに工業化を進めていた。
戦時中、北軍側は急速な工業生産力の拡大に成功し、また鉄道をうまく利用して戦争に勝った。この工業生産力の拡大と鉄道建設にかかった費用は、ほとんどが日本から巻き上げた資金で賄われている。北軍は日本と結んだ不平等条約に加え、日本からウソの金銀レートで大量の純金を持ち出していた。
この時の工業生産力の拡大によって、アメリカは巨大な農業国から工業国へと変貌し、戦争中に経済力を倍にして当時世界第6位の経済大国だった日本に並んだ。
このしっぺ返しとしてリンカーン大統領が暗殺される。
なおリンカーンの暗殺であるが、襲撃された時、リンカーンは当時の医学常識でも死ぬはずのない程度の傷であった。だが、たまたま担当した医師の衛生観念が甘かったため、感染症を起こして亡くなっている。つまりリンカーンは暗殺で死んだのではなく、致命的な医療ミスで死んだことになる。
ある意味、神の意思による抹殺であった。
第二次世界大戦 1939年〜1945年
この戦いでは歴史上、アメリカにとって有り得ないほどの奇跡や、都合の良すぎる展開が続いている。
この数々のしっぺ返しの一つとして、大統領であったルーズベルトがドイツ降伏前に病死している。
ただし、しっぺ返しは足りず、ここからアメリカに対する数々の災厄が始まる。
日英同盟の再締結阻止〜三国同盟へ
満州問題で国際連盟を離脱した日本だったが、国際連盟内で満州を認めてないのは同地を狙っているソ連と、そのソ連のコミンテルンが送り込んだスパイに動かされた北欧諸国が中心だった。
また国際連盟に入ってないアメリカも満州を認めていない。このアメリカも満州での利権を狙っていて、邪魔な日本を妨害するために議会には内緒で中国に軍事加担していた。そのアメリカも政府高官だけで127人ものコミンテルンのスパイがいたため、ソ連の思惑通りに動かされていた可能性もある。
一方でイギリスは満州国に理解を示し、国際連盟を脱退した日本に再同盟を持ちかけている。日中戦争を戦う上で、日本には有り難い申し出のはずだった。
再同盟の提案は第二次世界大戦の勃発で更に強くなるが、なぜか陸軍が猛反発したため日英同盟が結ばれることはなかった。
日英同盟は海軍同盟でもあるため、それで海軍と仲の悪い陸軍が嫌ったとされるが、実際のところはわからない。単なる陸軍のメンツや外交オンチだけで説明していいのか、言動には今も謎が多い。
当時のアメリカの世界戦略にとって日英同盟は唯一勝ち目のないと見られた同盟であった。そこで同盟が結ばれないように裏工作していた可能性はある。
もしも日英同盟が締結されていた場合、イギリスはアジアへ派兵していた戦力を本国へ戻せるため、ヨーロッパの荒廃は史実よりも小さくて済んだと予測される。その場合、ヨーロッパの工業力は史実ほど落ちないため、戦後30年間のアメリカ資本による市場の独占を許さなかったはずである。
また戦前のアメリカは国際連盟に属さず一国平和主義を続けていたが、それ以前の「ならず者国家」という悪評がまだ払拭されてなく、経済力はあっても国際的には信用のない状態であった。
そのアメリカは中国に軍事加担して大陸で日本と戦っていたが、ルーズベルトは1940年の大統領選において「アメリカは宣戦布告をせずに襲ってきた国がない限り戦争はしない」と公約した。これは事実に反していたため、米市民が知ったら1940年の再選は有り得ない状況であった。
ついでながら、この頃のルーズベルトの口癖は「日本はいつになったら植民地にできるのか」であったと伝えられている。
ハルノート問題
日本への最後通牒となったハルノートは、コミンテルン──ソ連軍スパイが内容を書き替えて、日本が呑めないものになっていた。
当時、上にも書いた通り米国内には政府高官だけで127人ものコミンテルンのスパイがいて、アメリカの共産化、弱体化が画策されていた。
アメリカはこの当時、まだ独善的な体質から国際的な信用を得ていないため、日本がこのハルノートを国際社会に公開するだけで「アメリカはやっぱりならず者国家だ」という国際評価を悪化させて窮地に立たされるはずだった。この時点で日米戦争は戦わずして終わり、日本側の一方的な勝利となった可能性は高い。
だが、史実では日本はハルノートを公開せず、軍部が負け戦になるとわかっていながら開戦へと踏み切っている。
これによってアメリカは戦前の経済力だけのならず者国家から、戦後の覇権国家へと優位な立場を築いている。
これもまたアメリカにとっては都合の良すぎる展開である。
真珠湾攻撃
奇襲は日曜の朝であったため、本来であれば米機動部隊も港にいるはずだった。
ところが奇襲直前に航空機のミッドウェー島への運搬命令が出て、12月5日(奇襲の前々日)までに2隻の空母は最新鋭艦を護衛に付けて本国へ戻っている。
空母不在だけならば偶然で済むが、真珠湾に旧型艦しか残さない命令は、常識的には事前に情報をつかんでなければ考えられない。
しかも米軍は真珠湾攻撃が11月30日にあると警戒して、その日のハワイ基地は日曜日でありながら臨戦態勢にあったことが公文書にも残されている。それだけに、そこから1週間の動きは非常に不可解である。
また日本は宣戦布告の前に奇襲したことになっているが、これは1940年の大統領選でルーズベルトが選挙公約に掲げた「アメリカは宣戦布告をせずに襲ってきた国がない限り戦争はしない」という発言と奇妙なほど一致している。実は間に合っていたがハル長官が部屋にこもって応対に出てこなかったため、布告状を手渡すのが遅れたという話もある。一説ではハル長官はこの直前にハルノートが差し替えられていた事実を知り、精神的に誰にも会えない状態だったらしい。この時、日本の大使は応対に出た職員に渡しておけば、それをもって宣戦布告の完了にもできたのだが(それ以前に文書の作成が遅れるのなら電話で宣戦布告を伝えるだけでも良かった)、外交音痴の大使はお行儀よくハル長官が出て来るまで1時間近く待ってしまったらしい……。
このエピソードは映画「トラトラトラ」で、ハル長官が出てこなくて待たされる場面として使われている。
映画制作当時はルーズベルトが選挙公約を守るために、わざと受け取りを遅らせたという陰謀論があったので、それを臭わせただけだとは思うが。 余談であるがアメリカは数多くの戦争を戦っているが、建国以来戦闘が始まる前に宣戦布告状を送ったのはオスマン・トルコに対しての1回だけ……らしい。それどころか朝鮮戦争以降の戦争に至っては、事後であっても宣戦布告状を作ることすらしていない。
太平洋戦争初期〜ヨーロッパ戦線参戦直後
戦史では激しい戦闘があったように記述されているが、実は最初の半年間、最前線で戦う兵士よりも国内の軍需工場や物資の運搬での事故で6倍もの犠牲者を出している。それほど前線は戦いの激しさの割に、奇跡的な現象が続いていた。
しかも、この時は軍事物資が足りず、南北戦争時代の古い武器で戦わざるを得ない兵士も多かった。
開戦時の軍艦のトン数では日本100万トンに対してアメリカ140万トンだが、軍用機数では日本26300機に対してアメリカ6300機。これほどアメリカでは戦争への備えができていなかった。
前線より後方での犠牲者が6倍になった理由は、緒戦での被害を誤魔化すために公式な集計に手を加えていた可能性はある。
公文書上での集計値の誤魔化しは、神風攻撃による被害数や犠牲者数にも見られる。情報公開によって神風攻撃の被害が、実際の半分以下になるように記録操作されていたことが判明している。そのため一部の艦隊の編成や神風特攻を受けた海域の場所、被害の大きさなど、正確な記録がわからなくなっている。
ミッドウェー海戦
この戦いは日本軍の側にも問題は山積みだが、米軍にとって、あまりにも幸運が重なりすぎている。
・重巡洋艦利根のカタパルト故障で、索敵が遅れた場所に機動部隊がいた。
・エンタープライズ攻撃隊は日本機動部隊を見つけられず、帰る途中に見つけた駆逐艦嵐の船首が向いている先へまわり道したら日本機動部隊がいた。
・駆逐艦嵐は潜水艦追撃任務で単独行動を行ない、機動部隊の場所を悟られないように蛇行していた。発見された時に船首が向いていたのは、たまたま。
駆逐艦嵐の戦友会によれば、嵐は米軍機来襲時にも直衛役で空母赤城のそばにいたらしい。それが事実なら単独行動した駆逐艦は不明である。
潜水艦の追撃をやめた駆逐艦は蛇行せず、まっすぐ本隊を追っていたという話もある。
・日本機動部隊を攻撃した時、爆弾の換装を終えて最初の1機が飛び立とうとする瞬間だった。
・艦内では爆弾の換装作業を急ぐため、誘爆を防ぐ処置をせずに爆弾を格納庫の隅に積んでいた。そのため1発の爆撃で誘爆してしまった。
・空母加賀は艦橋の横に停めてあった航空燃料を積んだ給油車に爆弾が直撃し、艦長以下が即死している。
合成樹脂〜人工ゴムの開発
緒戦で日本がインドネシアを占領したため、世界的な天然ゴム不足が発生した。当時、天然ゴムはインドネシアがほぼ独占していた。
兵器にはたくさんの樹脂が使われる。防水ゴムの不足で軍艦の建造が止まり、戦車もキャタピラが作れないほどだった。(ゴムを使わずにキャタピラを作ると、衝撃ですぐに壊れてしまう)
だが、研究開発命令からわずか1年で人工ゴム(合成樹脂、プラスチックも)の開発に成功。半年後には人工ゴムの量産が始まっており、なぜか工場生産での目立った不具合も発生していない。
これに匹敵するのが2010年に始まった中国の対日レアアース輸出規制。日本が1年半で対抗技術の開発に成功したため、経済戦争を仕掛けたはずの中国の側でレアアース採掘の採算が取れなくなり、反対に多くの鉱山が閉山する事態に追い込まれた。しかも2011年にあった東日本大震災の震災禍の中での開発並び工業的量産化の成功である。
ちなみに2010年に日本が輸入したレアアースは中国からが全体の82%を占めていたが、2012年には49%まで減らしている。しかもレアアースの輸入総量も2年で42%まで減少し、対中輸入では25%まで減らしている。それに加え、日本の新技術開発でレアアースの相場が2年で3分の1〜4分の1へ下落。中国にとって9割以上の収入減になる大損害になった。
B-29の開発
この爆撃機は1940年に開発が始まったが、軽量のマグネシウム合金エンジンが何度やっても燃えてしまうため、一度は開発を断念していた。
マグネシウムは2014年現在、石油に代わる燃料候補になるほど燃えやすい金属であり、かつてはカメラのフラッシュとしても使われていた。
太平洋戦争が始まると飛行距離の長い爆撃機が必要となるため、軍部はB-29の開発を再開させる。
課題であったマグネシウム合金エンジンは、なぜか開発再開後はまったく燃えずに完成。他にも難題は数多くあったが、どれも問題なく克服され、試作機の初飛行も無事に成功している。2017.11.12
そして人工ゴムの量産が始まると、そのまま量産化された。
2017.11.12追記
「幸運なことに開発再開後は課題のマグネシウム合金エンジンは燃えなかった」と伝えられていたが、ここはまったくのウソだった。
軍部はエンジンが燃える現象を解決できないまま、B-29を大量生産させて前線に投入することにした。そのため火災によるエンジン故障が続発し、数回出撃するとB-29の稼働率は3分の1程度まで激減したらしい。それでも4つあるエンジンが同時に燃える確率は高くないため、1つや2つエンジンが燃えてもほとんどの機体は基地まで戻ってくることができた。それに加えて大量生産、大量投入により、使えなくなった機体はすぐに新しいものに替えたため、作戦に支障は生じなかったようだ。
ここは幸運というより、勝つためなら何でもするアメリカ人気質が呼び込んだ成功と言えるだろう。
マンハッタン計画〜原子爆弾
あくまで理論的に可能なだけで、参加した物理学者たちは軍事費を使って原子物理学の研究を進めるつもりにすぎなかった。
ウラン型爆弾は技術的には難易度は低いが開発にお金と時間がかかるため、試験無しで広島へ投下された。
ウラン型爆弾は試験無しでも十分に爆発すると言われるが、それは前例があるから言える話。広島に落とすまで爆発する保証はなかった。
なお、長崎へ落としたプルトニウム型爆弾のみ、事前にネバダ砂漠で起爆実験をしている。
余談:日本の戦闘機
日本の軍部はすべてにおいて軽い機体が優秀であるという間違った設計思想に支配されていた。軽い方が良く飛ぶ、軽い方が燃費が良いという思い込みである。
よく日本は馬力の強いエンジンを作れなかったという理屈がまかり通っているが、同じ重量のエンジン出力を比べた場合、日本のエンジンはけっして英米より劣っていない。それどころか小型エンジンでは英米を上まわる出力のものを開発していたため、飛行機には小型のエンジンという軍部の思い込みを助長したと思われる。小型エンジンでは大型よりも出力で劣るのは当たり前だが、それでも軍部の要求を実現できる出力があった事実を忘れてはならない。
そして思い込みのまま半分の出力しか出せないエンジンを採用したため、ゼロ戦は搭乗者の命を守るべき防弾装備をいっさい載せられない機体となってしまった。これが原因で開戦からわずか1年で、ほとんどのベテランパイロットを失う事態を招いている。
また軽い機体は空気の抵抗を受けやすいため、実際には速度を出すと燃費性能が落ちるという欠点や、急降下で速度が出ないなどの弱点を持っていた。
それに軽い機体は特攻でも不利となり、ゼロ戦で出撃した兵士はほとんど撃ち落とされている。重量のある彗星(艦上爆撃機)などの機体による特攻では大きな被害を出しているのとは対照的である。
結果、二重の意味でゼロ戦と、その陸軍バージョンである隼(一式戦闘機)は人命を軽視した兵器であるといえる。
軍部もその間違いに気づき、戦争の末期になってようやくアメリカのグラマンと対等に戦える紫電改を配備した。紫電改は重量のある機体で、エンジンも十分な馬力があるので防弾装備も完備していた。間違いに気づいてからすぐ作れるということは、最初からそれだけの技術があった証拠である。
余談の余談ながらこの紫電改で作られた343部隊(剣部隊)ではパイロットに特攻を禁じていたというのも、それまでの思想への皮肉である。
キューバ危機 1962年
アメリカがあまりにも相手を見下した無謀行為を強行し、それで事態がどんどん悪化していった事件。
しかも軍部が暴走気味に挑発し続けたため、これで第三次世界大戦が起こらなかったのが不思議である。
実際には第三次世界大戦が起こり、それを宝珠で時間を戻して事無きを得た可能性は高い。
この歴史改変のしっぺ返しとして、この時の大統領であったケネディを含めた若手有力政治家4人が、いずれも40代という若さで暗殺や病気、事故などで亡くなっている。
事の発端
アメリカが背後からソ連を攻撃できるトルコに核兵器を配備したため、ソ連も対抗処置としてアメリカの背後にあたるキューバに核基地を作ろうとした。危機の原因自体がアメリカの作り出したことだった。その建築資材を積んだ貨物船が、7〜8月にキューバに入港している。
ただちに建設を止めようとした軍部が爆撃の準備を始めるが、それをケネディ大統領は抑える。ところが軍部の暴走を止める件と引き換えに、国際法を無視してソ連の貨物船を公海上で臨検するという軍部の方針を認めてしまった。
これが発端となって米ソ関係が急速に悪化していく。
強行偵察
キューバにミサイル基地が造られた決定的な証拠をつかもうと、米軍がU-2偵察機を何機も送り込む。
もちろん領空侵犯であるから、偵察機は地上から攻撃を受けている。
そして10月19日、ついに決定的な写真を手に入れる。
交渉決裂
ミサイル基地建設の証拠をつかんだアメリカは、それを大義名分にして貨物船を公海上で拿捕する暴走を始めた。
そのため10月25日に開かれた米ソの首脳会談は初めから険悪で、しかもトルコに配備した核ミサイルに触れられた途端、アメリカ側が一方的にソ連をののしる始末だった。翌日の交渉でもソ連がトルコの核ミサイルに触れた途端にアメリカ側代表が逆上し、何一つ妥協点を得られないまま交渉は決裂する。
結果、10月27日には爆撃機や潜水艦に核配備する命令が出された。
軍部の暴走
核配備命令が出た直後、これまでに何度も領空侵犯していたU-2偵察機がついに撃ち落とされた。
それを知った米駆逐艦が、報復気取りで公海上でソ連潜水艦に対して爆雷攻撃する事件が起きた。これもまた明確な国際法違反である。
攻撃されたソ連潜水艦はどうにか難を逃れた。その潜水艦に反撃として核攻撃するよう命令が出たが、幸い艦長が攻撃をためらったために反撃はなかった。
謎の終息
翌日28日。ソ連首相フルシチョフが急に折れたため、核戦争直前で危機は回避された。
大統領演説の再放送を、フルシチョフが戦争を覚悟した生演説と勘違いしたという説が有力だが、危機回避に至った理由には謎が多い。
ベトナム戦争以降
以降はアメリカにとって幸運と思える現象がいきなり途絶える。
せいぜいアポロ計画が成功したことと、上陸したエボラ出血熱が無毒化したぐらい?
文明レベルの考察
歴史常識の大きな間違いに、人類は常に進歩を続けている『直線進歩説』という大きな勘違いがある。
西洋文明を基準に考えると、どの文明でも最盛期での都市の生活レベルは18世紀から鉄道誕生前の19世紀前半と同じぐらいの高さになっている。ここで都市の生活レベルを挙げたのが、そこが文明でもっとも進んだ場所であるからである。
また前の行で産業革命ではなく鉄道の誕生が基準としたのは、それによって大きな流通革命が起こるためである。
なぜなら産業革命で工場の生産性が上がっても、それを効率的に運ぶ手段がなければ大きな工場が生まれて工業製品が安く流通することは難しい。これは古代ローマや古代中国が水車工場による産業革命を起こしても、そこから目覚ましい発展が見られなかったことからも明らかかもしれない。(産業革命を蒸気機関のみと主張する方はご勘弁を)
余談であるが鉄道の高速化は進んでいるが、もっとも多く利用される通勤列車(各駅停車)の平均運行速度は、鉄道が生まれた当時から30km〜40kmで変わりがない。むしろ現在の方が都市圏内での運行速度は落ちているし、自動車に関しても渋滞で平均移動速度が落ちている。 (1) 初期の頃は本数も駅の数も少ないので、ほぼ当時の最高速度で移動できていた。
(2) やがて途中駅が増やされ、止まる回数が増える分だけ運行速度が落ちて(所要時間が上がって)いく。
(3) 車両の高速化が図られ、それによって運行速度が元に戻る。
(4) 運行本数が増え、前が詰まるためにまた運行速度が落ちる。
(5) 急行の登場や複線化、複々線化で運行速度を戻そうとする。
(6) 以降、(2)〜(5)のランダムな繰り返し。自動車も道路整備が同様のパターンの繰り返し。現在の高速自動車道は第4世代型道路。
個別の物の歴史、たとえば車輪、鉄砲、製本などを比べて遅れてると言い張るのは自由だが、他のものがその穴を埋められれば文明レベルは十分に高められる。
現代文明が鉄道の誕生から100年〜200年で飛行機や自動車、電力や電波の使用、宇宙開発を始めたことと考えると、過去の文明でも記録のない数世紀の間にそのレベルに到達した可能性は否定できない。
記録や遺跡がないと否定するのは勝手だが、その記録を書き留めたものや遺跡が何年先まで残るかを考える必要がある。
記録媒体について
古代の石碑は何万年も先まで記録は残る。
初期の紙やパピルス、紙は保存状態次第で1000年ほど、羊皮紙は2000年先まで記録は残る。
19世紀以降に量産化された紙は、酸化するとボロボロになるために100年も残らない。高級紙でも200年ほど。
磁気テープや磁気ディスク、光メディア、記録チップなどは、たとえ物は残っていても規格が変わると読めなくなるため平均して10年が限界。
極端な例としては一時期普及したMOメディアとMDメディア。MOは全体としては15年間使われたが、4つある規格はそれぞれ5〜8年の寿命しかなかった。MDに至ってはメディアそのものが5〜6年で消えている。いずれも光磁気ディスクとしては90年以上の高耐久性を誇っていたのだが……。
その意味で30年以上続くCD規格は特異かもしれない。その前のステレオレコード技術の寿命は、わずか20年であった。
建築物の耐久性について
自然石を使った遺跡は数万年先まで風化に耐えて残る。
古代ローマのコンクリートは表面が劣化しているが、2000年経った現在も健在、あと数千年は耐えられると言われている。
中世期には古代よりも強度のあるコンクリートに改良されるが、建物の寿命が200年に縮まり、頻繁なメンテナンスを必要とするようになった。
19世紀末に鉄筋コンクリートが使われるようになったが、これは鉄骨が錆びるため建物の寿命を100年程度に縮めている。
1991年からはコンクリートに樹脂を混ぜるようになったため、樹脂の劣化でますます建物の寿命を縮めた可能性がある。実際、築10年で亀裂が入ったり、壁が崩れる建物が出てきている。
放射年代測定〜炭素14法について
遺跡の年代を決める科学的な方法として、半減期5730年±40年の放射性炭素(炭素14)がよく使われる。
炭素14は大気中の窒素が太陽の紫外線によって変わったもので、時間と共に窒素に戻っていく。
この時に戻る割合がほぼ一定なため、試料に残る炭素14の割合から算出できるが、この算出には数々の問題がある。
(1) 大気中に占める炭素14の濃度は太陽活動とともに変わる
最初の問題は、炭素14濃度が時代によって常に一定ではないこと。
炭素14が太陽から来る紫外線によって生み出されるため、太陽活動の変動に大きな影響を受ける。
年代が正確にわかっている試料を基準に、算出する年代を補正する必要がある。
(2)
炭素14法は水中や地中生物の年代測定には使えない
炭素14の濃度は風や拡散によって、大気中ではほぼ一定に保たれている。
だが、水中や地中はどのくらい大気と炭素交換してるかわからないため、同じ濃度である保証がない。
これは、その日に釣り上げた魚を炭素14法で測定したら、5000年前のものと算出された話があるほどである。
また、科学文明があった場合、そこでも炭素14濃度を乱す活動が考えられる。
(a) 化石燃料を使う文明の場合、炭素14法ではより古く算出される
化石燃料は長期間地中にあったため、含まれる炭素14はほぼ0と見積もることができる。
そのため化石燃料を使えば使うほど炭素14濃度は下がるため、実際より古い年代に導かれやすくなる。
(b)
核燃料を使う文明の場合、炭素14法ではより新しく算出される
核燃料の出す放射線は紫外線と同じように大気中の炭素14を増やす。
そのため核燃料を使い、放射線漏れが多いほど炭素14濃度が高くなり、実際より新しい時代に導かれやすくなる。
このように考えると現在文明も滅亡した場合、将来、遺跡も記録もない時代となる可能性は否定できない。
また放射年代測定で、空白の時代となる可能性もある。
では、記録のある個別の文明について考察する。
産業革命直前の西洋文明
18世紀の文明レベルを基準にすると、ほぼ13〜14世紀のルネサンス期前には到達し、以降のパラダイムシフト的な進歩はしばらく見られない。
ただし大航海時代を通じて経済的には豊かになり、都市も大きくなっていった。
ギリシャ文明
紀元前9世紀頃には18世紀の西洋文明レベルに到達していた。
紀元前3世紀のアルキメデスの数学の中に、17世紀にニュートンが発見したとされる微積分学の概念がある。
また同時代のヘロンの蒸気機関(アイオロスの球)など、初期の蒸気機関が使われていた。
現代文明における最初の蒸気機関は鉱山のポンプだが、古代ギリシャの蒸気機関は神殿の自動ドアである。
紀元前3世紀の時点での文明レベルは、現代文明の19世紀前半と同程度であったことがうかがえる。
古代ローマ
ギリシャを呑み込んだ時には18世紀の文明レベルに達していた。残念ながら征服した際に
蒸気機関の技術を失わせてしまった。
古代ローマでは蒸気機関ではなく、水車を使った産業革命が起きている。水力工場は十分に19世紀の工業レベルに到達していた。
古代ローマは2世紀前半に最盛期を迎えたが、2世紀後半に起きた気候変動以降は立ち直ることなく衰退の一途をたどった。
なおインフラそのものは長く利用できたため、衰退は数百年かけたゆっくりとしたものとなっている。
中国〜漢代
18世紀の文明レベルで、都市生活では氷室を使って生鮮野菜の保存が行われていた。
その意味では冷蔵庫の発明以前の西洋文明よりも質の高い市民生活が営まれていた。
また温室栽培も行われていたが、これは低温対策ではない。温室内で物を燃やして炭酸ガス濃度を上げ、収穫量を増やす20世紀農法そのものである。
中国〜明代
西洋文明よりも1世紀近く早い14世紀には大航海時代に突入し、16世紀には蒸気機関も発明している。おもちゃではあるが蒸気自動車も作られた。
ただし、社会の安定という名目で冒険の記録を破棄したり発明を禁じたりする政策を始めたため、そこから思惑に反して衰退が始まっていた。
日本〜奈良平安時代
ようやく日本文明が生まれたばかりという評価が根強いが、科学技術レベルで比較するとすでに江戸時代レベルに達していた。
むしろ9世紀を頂点に、以降の日本の科学技術は平安貴族たちの急速な数学離れと武士たちの無教養ぶりによって著しく衰退していく。再び同じレベルに到達するのは戦国時代の後半になってからである。(企業の技術蓄積のある木造建築など個別の技術の中には平安以降も上がっているものもあるが、あくまで全体的な傾向である)
それに加えて戦国時代以前の日本には言霊信仰から「事実を書くとウソになる」という変な迷信があった。そのため公式な歴史には真実を控えめに書いたり、実際とは逆に書いたりという傾向がある。その好例が南北朝時代の激しい動乱を描いたはずの読み物のタイトルが「太平記」。
しかし個人の日記や中国、朝鮮の歴史記録などの資料が豊富に残されているため、それなりに正しい歴史は伝えられている。
日本〜江戸時代
西洋に比べて遅れている印象を持たれがちだが、それは文明開化後の西洋の最先端と比べたためのイメージである。
また木造建築をレンガや石造りの家より文明レベルが劣っていると見る西洋社会発の偏見も、このイメージを強くしている。
実際は逆で、特に電磁気学、化学、天文学の分野では西洋よりも高く、数学も劣っていない。
西洋の花火が黒色火薬によるオレンジ一色なのに対し、江戸時代の花火にはすでに色が付いていた。
また西洋の染め物は天然染料のみなのに対し、江戸時代は化学染料も使っていた。そのため洗っても色あせないため、西洋の服の模様が布を織る時のパターンやパッチ、刺繍なのに対して、日本では染めた柄物の着物が安く庶民にも広まっていた。また手拭い文化が生まれるなどの発展も見せている。
遺跡状態の経年変化についての考察
遺跡が自然状態でどのように朽ち果て、痕跡を失っていくかを考察する。
文明崩壊から25年
道路はほとんどひび割れて草木が根を張り、地面が露出していた場所では木々が育って森に戻る。
ただし建物の破損は大きいが、木造でなければ朽ちることはない。
文明崩壊から60年
計算上、この頃から20世紀以降に建てられた中層規模の建造物の倒壊が始まる。
大都市ではほぼ毎日のように何かが崩れる音が聞こえるはずである。
一般住宅はすでに屋根が落ち、壁のみが残ることになる。
屋根が崩れたことで風雨にさらされた家財が急速に朽ちていく。
文明崩壊から90年
鉄筋コンクリートで中層以下の建物はほとんど倒壊して、一部の壁が残るだけである。
橋梁に関しては橋脚の劣化によって、徐々に倒壊が始まる。
崩れた木造建築物はシロアリによって、ほぼ食べ尽くされている。
文明崩壊から150年
高層ビルが一気に倒壊する。橋梁で残っているものも、このあたりで一気に崩れ落ちる。
文明崩壊から300年
自然石で作られた建物はこの頃も健在だが、生長した木が石の隙間に根を伸ばし、徐々に倒壊が始まる時期に入る。
文明崩壊から600年
海や川を埋め立てた場所は元の地形に戻り、都市開発する前の自然の姿に戻っている。
建物も自然石や初期のコンクリートで作られたもの以外は完全に倒壊し、わずかに痕跡を留める程度になる。
文明崩壊から2000年
土に埋もれた遺跡の一部が化石化プロセスに入る。ここで化石化したものは遠い未来まで痕跡を残す。
紙や木簡に残された記録は、このあたりで完全に消滅する。
文明崩壊から5000年
古代ローマのコンクリート建造物でも、このあたりが残る限界と考えられている。
文明崩壊から2〜3万年
自然石は風化や浸食により、100年で表面から3mmずつ削られる。
ただし砂漠の大きな寒暖差による変成作用や砂嵐による強い風化作用にさらされた場合は100年で最大8mmも削られる。
エジプトのピラミッドも、早ければこのあたりで痕跡を失う可能性がある。