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    (くに)つ巻(全文)

 

地つ巻〜第1帖 →超訳

(くに)つ巻 書き知らせるぞ、
世界は一つの()(こと)となるのぞ、
それぞれの言の葉はあれど、
()(こと)は一つとなるのであるぞ。
てん詞様の()(こと)に従うのだぞ、
(みこと)の世近づいて来たぞ。

記:1944年9月15日

最後のミコトだけ意味が違う?

 

地つ巻〜第2帖 →超訳

今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にもわからんなれど、
夜が明けたら「なるほどそうであったか」とビックリするなれど、
それでは間に合わんのだぞ、
それまでに心改めておいて下されよ、
この道信じれば、すぐ良くなると思っている臣民(しんみん)もあるなれど、
それは己の心のままぞ、
道に外れた者は誰彼(だれかれ)はないのだぞ、
これまでのやり方スックリと変えねば世は治まらんぞと申してあるが、
上の人 苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、
お◯(かみ)の言うこと聞かん世になるぞ。

記:1944年9月16日

 

地つ巻〜第3帖 →超訳

人民同士の(いくさ)では到底かなわんなれど、
いよいよとなったら神がうつって手柄させるのであるから、
それまでに()(たま)磨いておいてくれよ。
世界中が攻め寄せたと申しても、(まこと)には勝てんのであるぞ、
(まこと)ほど結構なものないから、(まこと)が神風であるから、
臣民(しんみん)には(まこと)なくなっていると、
どんな気の毒できるかわからんから、くどく気つけておくのだぞ、
腹掃除せよ。

記:1944年9月16日

 

地つ巻〜第4帖 →超訳

この神示(ふで)いくらでも出て来るのだぞ、
今のことと先のことと、三千世界、何もかもわかるのだから、
よく読みて腹に入れておいてくれよ、
この神示(ふで) 盗まれぬようになされよ、
神示(ふで)取りに来る人あるから気つけて置くぞ。
この道は中行く道ぞ、
左も右も(かたよ)ってはならんぞ、
いつも心にてんし様拝みておれば、
何もかも楽にゆけるようになっているのだぞ、
(われ)(われ)がと思っていると、
鼻ポキリと折れるぞ。

記:1944年9月16日

 

地つ巻〜第5帖 →超訳

片輪車でトンテントンテン、
骨折り損の草臥(くたびれ)儲けばかり、いつまでしているのぞ、
神にまつろえと申してあろうがな、
臣民(しんみん)の智恵で何できたか、
早う改心せよ。
三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

記:1944年9月16日

 

地つ巻〜第6帖 →超訳

神の国八つ()きと申してあること いよいよ近づいたぞ、
八つの国一つになって神の国に攻めて来るぞ。
目覚めたらその日の生命(いのち)お預かりしたのだぞ、
神の肉体、神の生命(いのち) 大切せよ。
神の国は神の力でないと治まったことないぞ、
神第一ぞ、
いつまでも仏や基(キリスト)や色々なものにこだわっているのぞ。
出雲の神様 大切に有り難くお(まつ)りせよ、
尊い神様ぞ。
天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、
まつろいて下されよ、
結構な恐い世となって来たぞ、
上下ぐれんぞ。

記:1944年9月17日

 

地つ巻〜第7帖 →超訳

神にまつらう者には生も死もないのぞ、
死のこと「まかる」と申してあろうがな、
生き通しぞ、
亡骸(なきがら)臣民(しんみん)残さなければならないのだが、
臣民(しんみん)でも昔は残さないで(まか)ったのであるぞ、
それがまことの神国の臣民(しんみん)ぞ、みことぞ。
世の元と申すものは天も地も泥の海であったのだぞ。
その時からこの世始まってから生き通しの神々様の(おん)(はたら)きで
五六七(みろく)の世が来るのだぞ。
腹ができておると、腹に神づまりますのだぞ、
高天原ぞ、
(かむ)漏岐(ろぎ)(かむ)漏美(ろみ)(みこと)忘れるでないぞ。
そこからわかってくるぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、
海断たれて苦しまんようにしてくれよ、
海めぐらせてある神の国、清めに清めておいた神の国に、
幽国(外国)の悪渡って来て神は残念ぞ。
見ておざれ、神の力現す時来たぞ。

記:1944年9月18日

 

地つ巻〜第8帖 →超訳

(はら)いせよと申してあることは何もかも借銭なしにすることぞ。
借銭なしとはめぐりなくすることぞ、
昔からの借銭は誰にでもあるのだぞ、
それ、払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ、
人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。
世界中借銭なし、どうしても大望(たいもう)であるぞ。
今度の世界中の(いくさ)は世界の借銭なしぞ、
世界の大祓(おおはら)いぞ、
神主お(はら)いの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、
(はら)祝詞(のりと)()るのぞ、
今の神主 ()ってないぞ、口先ばかりぞ、
祝詞(のりと)も抜けているぞ。
あなはち、しきまきや、くにつ罪、
みな抜けて読んでいるではないか、
臣民(しんみん)の心には汚く映るであろうが、
それは心の鏡曇っているからぞ。
悪や学に(だま)されて肝心の祝詞(のりと)まで骨抜きにしているでないか、
これでは世界は清まらんぞ、
祝詞(のりと)は読むものではないぞ、
神前で読めばそれで良いと思っているが、それだけでは何にもならんぞ。
()るのだぞ、(いの)るのだぞ、成り切るのだぞ、()け切るのだぞ、
神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、
神のことは神主に、(ほとけ)は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。

記:1944年9月19日

借銭=カルマ

 

地つ巻〜第9帖 →超訳

ひつくの神にひと時(はい)せよ、
神の恵み身にも受けよ、
からだ(よみがえ)るぞ、
神の光を着よ、御光を頂けよ、食べよ、
神ほど結構なものないぞ、
今の臣民(しんみん) 日を(いただ)かぬから(やまい)になるのだぞ、
神の子は日の子と申してあろうがな。

記:1944年9月20日

 

地つ巻〜第10帖 →超訳

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、
方便と申すものは神の国には無いのだぞ。
まことがことぞ、まのことぞ、ことだまぞ。
これまでは方便と申して逃げられたが、
もはや逃げることできないぞ、
方便の人々 早う心洗ってくれよ、
方便の世は済んだのだぞ、
いつまでも(ほとけ)の世と思っているとびっくりが出るぞ、
神の国、元の神がスッカリ現れて富士の高嶺から天地(あめつち)祝詞(のりと)するぞ、
岩戸閉める御役になるなよ。

記:1944年9月20日

 

地つ巻〜第11帖 →超訳

世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、
国はそれぞれの色の違う臣民(しんみん)によって一つ一つの国作らすぞ。
その心々によって、それぞれの教え作らすのぞ。
(ふる)きものまかりて、また新しくなるのぞ。
その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、
一つの王で治めるのだぞ。
(あま)()(つぎ)実子(みこ)が世界照らすのぞ。
国のひつきの御役も大切の御役ぞ。
道とは三つの道が一つになることぞ、みち満つことぞ、
元の昔に返すのだぞ、つくり固めの終わりの仕組みぞ、
終わりは始めぞ、始めは()ぞ、富士、都となるのだぞ、
幽国(がいこく)行きは外国行きぞ。
神の国光って目あけて見れんことになるのだぞ、
臣民(しんみん)身体(からだ)からも光が出るのだぞ、
その光によって その()(やく)(くらい)、わかるのだから、
みろくの世となったら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、
今の文明なくなるのでないぞ、
たま入れていよいよ光って来るのぞ、
(にぎ)って草木も四つ足もみな(うた)うこととなるのぞ、
()(ひかり)に みな集まって来るのだぞ、
てんし様の御光は神の光であるのだぞ。

記:1944年9月21日

 

地つ巻〜第12帖 →超訳

この道は道なき道だぞ。
(てん)()金光(こんこう)黒住(くろずみ)も今は(たましい)抜けておれど、
この道入れて生き返るのぞ、
日蓮(にちれん)親鸞(しんらん)耶蘇(やそ)も何もかも みな()()がらぞ、
この道でタマ入れてくれよ、
この道はゝぞ、◯の中にゝ入れてくれと申してあろうが。
臣民(しんみん)も世界中の臣民(しんみん)も国々も皆同じことぞ、
ゝ入れてくれよ、◯を掃除しておらぬとゝは入らんぞ、
今度の(いくさ)は◯の掃除ぞと申してあろうがな、
まつりとは調和(まつり)合わすことと申してあろうがな、
人集めてくれるなと申してあろうがな。
世界の臣民(しんみん)みな信者と申してあろうが、
この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。
この道でみな生き返るのだぞ。

天明(岡本天明)阿房(あほ)なってくれよ、
()捨ててくれよ、
神かかるのに苦しいぞ。

記:1944年9月23日

 

地つ巻〜第13帖 →超訳

赤い眼鏡(めがね)かければ赤く見えると思っているが、
それは相手が白い時ばかりぞ、
青いものは紫に(うつ)るぞ。
今の世は色とりどりだから見当取れんことになるのだぞ、
眼鏡(めがね)はずすに限るのぞ、
眼鏡(めがね)はずすとは洗濯することだぞ。
上ばかり良くてもならず、下ばかり良くてもならんぞ、
上も下も天地そろってよくなって
世界中の臣民(しんみん)(けもの)まで安心して暮らせる(あら)の世に致すのだぞ、
取り違いするなよ。

記:1944年9月23日

 

地つ巻〜第14帖 →超訳

この道わかった人から一柱でも早う出て参って神の御用なされよ。
どこにおっても御用はいくらでもあるのだぞ。
神の御用と申して稲荷(いなり)下げや(きつね)()きの真似はさせんぞよ。
この道は厳しき(みち)だから楽な道なのぞ。
上にも(しも)にも花咲く世になるのだぞ、
後悔は()らぬのだぞ。
カミは見通しでないとカミでないぞ。
今のカミは見通しどころか目(ふさ)いでいるでないか。
(かえる)いくら鳴いたとて夜明けんぞ。
(あか)()になれよ、ごもく捨てよ、
その日その時から顔まで変わるのだぞ、
神激しく結構な世となったぞ。

記:1944年9月23日

ごもく=塵、(あくた)=思い込み、偏見、身勝手な思い

 

地つ巻〜第15帖 →超訳

神の国のカミの役員にわかりかけたらバタバタに(らち)つくなれど、
学や智恵が邪魔してなかなかにわからんから、
くどく申しているのだぞ。
臣民(しんみん)物言わなくなるぞ、
この世の終わり近づいた時ぞ。
石物言う時ぞ。
神の目には外国もやまともないのだぞ。
みなが神の国ぞ。
七王(ななおう)()(おう)も作らせんぞ、
一つの王で治めさすぞ。
てん詞様が世界みそなわすのだぞ。
世界中の罪負いておわします素盞(すさ)(のお)の大神様に気づかんか、
(めくら)(つんぼ)ばかりと申しても あまりでないか。

記:1944年9月23日

みそなわす=ご覧になる

 

地つ巻〜第16帖 →超訳

神が臣民(しんみん)の心の中に宝いけておいたのに、
悪に負けて汚してしまって、
それで不足申していることに気づかんか。
一にも金、二にも金と申して、
人が難儀しようが我さえよければよいと申しているでないか。
それはまだよいのぞ、
神の(めん)かぶって口先ばかりで「神さま 神さま」「てんしさま てんしさま」と申したり、
頭下げたりしているが、
こんな臣民(しんみん)一人もいらんぞ、
いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、
犬猫は正直でよいぞ、
こんな臣民(しんみん)は今度は気の毒ながらお出直しぞ、
神の申したこと一分一厘違わんのだぞ、
その通りになるのだぞ、
上に(つばき)すればその顔に落ちるのだぞ、
時節ほど結構な恐いものないぞ、
時節来たぞ、
慌てずに急いで下されよ。
世界中うなるぞ。
(おか)が海となるところあるぞ。
今に(やまい)(がみ)の仕組みにかかっている臣民(しんみん)苦しむ時近づいたぞ、
(やまい)流行(はや)るぞ、
この(やまい)は見当取れん(やまい)ぞ、
(やまい)になっていても、
人も分からねば我もわからん(やまい)ぞ、
今に重くなって来るとわかって来るが、
その時では間に合わん、手遅れぞ。
この方の神示(ふで)よく腹に入れて(やまい)追い出せよ、
早うせねばフニャフニャ腰になって
四つん()いで這い廻らねばならんことになると申してあろうがな、
神の入れものワヤにしているぞ。

記:1944年9月23日

 

地つ巻〜第17帖 →超訳

まことの善は悪に似ているぞ、
まことの悪は善に似ているぞ、
よく見分けねばならんぞ、
悪の大将は光り輝いているのだぞ、
悪人はおとなしく見えるものぞ。
日本の国は世界の雛形(ひながた)であるぞ、
雛形(ひながた)でないところは(まこと)の神の国でないから、
よほど気つけておってくれよ、
一時は敵となるのだから、ちっとも気許せんことぞ、
神が特に気つけておくぞ。
今は日本の国となっていても、
神の元の国でないところもあるのだから、
雛形(ひながた)よく腹に入れておいて下されよ、
後悔間に合わんぞ。

記:1944年9月23日

 

地つ巻〜第18帖 →超訳

(われ)よしの政治ではならんぞ、
今の政治経済は我よしであるぞ、
臣民(しんみん)のソロバンで政治や経済してはならんぞ、
神の光のやり方でないと治まらんぞ、
与える政治がまことの政治ぞよ、
臣民(しんみん)勇む政治とは上下まつろい合わす政治のことぞ、
日の光ある時は、いくら曇っても(やみ)ではないぞ、
いくら曇っても悪が(さまた)げても昼は昼ぞ、
いくら明かりつけても夜は夜ぞ、
神のやり方は日の光と申して、
くどく気つけてあろうがな。
政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、
まつりごとではないぞ。
神の臣民(しんみん)、魂と肉体の別ないと申してあることわからぬか、
神のやり方は人の身魂(からたま) 人のはたらき見ればすぐわかるでないか。
腹にチャンと神(おさ)まっておれば何事も箱さしたように動くのだぞ、
いくら頭が偉いと申して胃袋は頭の言う通りには動かんぞ、
この道理わかったか、
じゃと申して味噌も(くそ)も一つにしてはならんのだぞ。
神の政治はやさしい難しいやり方ぞ、
高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
神の(しるし)つけた悪来るぞ。
悪の顔した神あるぞ。
飛行機も船も臣民(しんみん)もみな同じぞ。
足元に気つけてくれよ、
向こうの国はちっとも急いではおらぬのぞ、
自分で目的達せねば子の代、子でできねば孫の代と、
気長くかかっているのだぞ、
神の国の今の臣民(しんみん)、気が短いからしくじるのだぞ。
しびれ切らすと立ち上がれんぞ、
急いではならんぞ、
急がねばならんぞ。
神の申すこと、取り違いせぬようにしてくれよ。
よくこの神示(ふで)読んでくれよ。
元の二八基(じゃき)(邪鬼)光理(こり)(狐狸)て湧いて出た現空(あく)(悪)の種は
二八基(じゃき)(邪鬼)大老智(おろち)(大蛇)と世通(よつ)(あし)(四足)となって、
二八基(じゃき)(邪鬼)には仁(二)本の(つの)
大老智(おろち)(大蛇)は八ッ(やつ)(がしら)、八ッ尾、
四通(よつ)(あし)は金母であるから気つけておくぞ。
世通(よつ)(あし)(四足)はお実名(みな)()いて分けているから、
守護神どの、臣民(しんみん)どの、
だまされぬように致して下されよ。

記:1944年9月23日

二八基(じゃき)(邪鬼)=レプティリアン。
大老智(おろち)(大蛇)=アヌンナキ。詳細は不明。
光理(こり)世通(よつ)(あし)(四足)=悪狐。詳細は不明。

 

地つ巻〜第19帖 →超訳

世成り、神国の太陽足り満ちて、皆満ち足り、
神国の月神、世をひらきたり、
弥栄(いやさか)にひらき、月光、すべては満ち、結び出づ、
道は極みに極む、
一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)五六七(みろく)弥栄(いやさか)弥栄(いやさか)ぞ、
神、仏、()、ことごと和し、和して足り、
太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、
太神は光り出づ、神国のはじめ。

記:1944年9月24日

 

地つ巻〜第20帖 →超訳

世界に変わったことできたら、それは神々様の渡られる橋ぞ。
本清めねば末は清まらんぞ、根絶ちて葉は(しげ)らんぞ、
元の田根(たね)が大切だぞ、種はもとから()り分けてあるのだぞ、
ぜんぶり(にが)いぞ。

記:1944年9月24日

ぜんぶり=センブリ。良薬口に苦し

 

地つ巻〜第21帖 →超訳

神界のことは顕界(けんかい)では なかなかにわかるものでないということわかったら、
神界のことわかるのであるぞ。
1に1足すと2となるというソロバンや物差しでは見当取れんのだぞ。
今までの(いくさ)でも、神が(かげ)から守っていることわかるであろうがな、
あんな者がこんな手柄立てたと申すことあろうが、
臣民(しんみん)からは阿房(あほ)に見えても、
素直な人には神がかかり易いのであるから、
早う素直に致してくれよ。

海の津波気をつけてくれ、
前に知らせてやるぞ。

記:1944年9月25日

最後の2行は昭和東南海地震への注意と思われる。

 

地つ巻〜第22帖 →超訳

(われ)が助かろうと思ったら助からぬのだぞ、その心「我よし」だぞ。
()(たま)磨けた人から救ってやるのだぞ、神移るのだぞ、
 ゝ◯のうつった人と◯のかかった人との大戦ぞ、
ゝと◯とが(いくさ)して、
やがてはゝを中にして◯がおさまるのぞ。
その時は◯でなく、ゝもゝでないのだぞ、
 ゝ◯となるのだぞ、
ゝと◯のまつりぞと申してあろうがな。
どちらの国も(つぶ)れるところまでになるのぞ、
臣民(しんみん)同士は、もう(いくさ)かなわんと申しても、
この仕組み成就するまでは、神が(いくさ)は止めさせんから、神がやめる訳に行かんから、
今止めたらまだまだ悪くなるのぞ、
◯の世となるのぞ、◯の世界となるのぞ。
今の臣民(しんみん)九分通り◯になっているぞ、
早う(いくさ)済ませてくれと申しているが、
今 夜明けたら、臣民(しんみん)九分通りなくなるのだぞ。
お洗濯第一だぞ。

記:1944年9月26日

 

地つ巻〜第23帖 →超訳

この神示(ふで) 心で読んでくれよ、声出して読んでくれよ、
(やまい)も直るぞ、
草木もこの神示(ふで)読んでやれば花咲くのだぞ。
この道広めるには教会のようなものつとめてくれるなよ、
集団(まどい)を作ってくれるなよ。
心から心、声から声、身体(からだ)から身体(からだ)へと広めてくれよ、
世界中の臣民(しんみん)皆この方の民だから、
早う伝えてくれよ。
神も人も一つであるぞ、
考えていては何もできないぞ、
考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、
考えは人の迷いだぞ、
今の臣民(しんみん) ()(たま)雲っているから考えねばならぬが、
考えればいよいよ曇ったものになる道理わからぬか。
日暮れを気つけてくれよ、日暮れ良くなるぞ、
日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのだぞ、
一九れ(日暮れ)を日の暮ればかりと思っていると、
臣民(しんみん)の狭い心で取っていると間違うぞ。
 ゝ◯の暮れのことを申すのだぞ。

記:1944年9月28日

 

地つ巻〜第24帖 →超訳

この方 (みょう)(じん)とも現れるのだぞ。
臣民(しんみん)守護のために現れているのであるぞ。
(ころも)はくるむものであるぞ、
くるむとは、まつらうものぞ、
神の(ころも)は人であるぞ、
(けが)(やぶ)れた(ころも)では神はいやだぞ。
(ころも)は何でもよいと申すようなものではないぞ、
暑さ寒さ防げばよいと申すような簡単なものではないぞ。
今は神の(ころも)なくなっている、
九分九厘の臣民(しんみん)、神の(ころも)になれないのだぞ。
悪神の(ころも)ばかりぞ、
今に臣民(しんみん)(ころも)も九分九厘なくなるのだぞ、
 ゝ◯の国、霊の国とこの世とは合わせ鏡であるから、
この世に映って来るのだぞ、
臣民(しんみん) ()(たま)洗濯してくれとくどく申してあろうがな、
この道理よくわかったか。
十月とは十(神)の月ぞ、
−と|との組んだ月ぞ。

記:1944年9月28日

 

地つ巻〜第25帖 →超訳

新しくその日その日の生まれ来るのぞ、
三日は三日、十日は十日の神どの守るのだぞ、
時の神ほど結構な恐い神ないのだぞ、
この方とて時節にはかなわんことあるのだぞ。

今日なれば九月の二十八日であるが、
旧の八月十一日どのを拝みてくれよ、
二十八日どのもあるのだぞ。

何事も時待ちてくれよ、
()り豆にも花咲くのだぞ、
この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、
時は神なりぞ。
何事もその時節来たのだぞ、
時過ぎて種()いてもお役に立たんのであるぞ、
草物言うぞ。

記:1944年9月28日

9月28日が旧暦8月11日になるのは、神示当日の他には1963年、2039年のみ

 

地つ巻〜第26帖 →超訳

雨の日は(かさ)()るのだと申して晴れたら()らぬのだぞ、
その時その時の御用あるのだぞ、
晴れた日とて(かさ)()らぬのでないぞ、
今 御用ある臣民(しんみん)と、明日 御用ある臣民(しんみん)とあるのだぞ、
フタツの時は二歳の着物、イツツは五歳、トウは十歳の着物あるのだぞ。
十柱の御役もその通りだぞ、
役変わるのぞ。

記:1944年9月29日

 

地つ巻〜第27帖 →超訳

天地には天地の、国には国のびっくり箱あくのだぞ、
びっくり箱あけたら臣民(しんみん) 皆思いが違っていることわかるのぞ、
早う洗濯した人からわかるのぞ、
びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもしなければならんのぞ、
目あけておれん人できるぞ、
神の規則は日本も支那(しな)も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのだぞ、
一つにして規則通りができるのだから、
今に敵か味方かわからんことになって来るのだぞ。
学の世はもう済みたのぞ、
日に日に神力現れるぞ、
一息入れる間もないのぞ。
ドシドシ事を運ぶから遅れんように、
取り違いせんように、慌てぬようにしてくれよ。
神々様もえらい心配なされてござる方あるが、
仕組みは流々(りゅうりゅう)仕上げ見て下されよ。
旧九月になればこの神示(ふで)に変わって(あめ)の日つくの神の御神示(おふで)出すぞ、
初めの役員それまでに引き寄せるぞ、
八分通り引き寄せたなれど、
あと二分通りの御役の者 引き寄せるぞ。
遅し早しはあるなれど、
神の申したこと一厘も違わんぞ、
富士は晴れたり日本晴れ、おけ。

記:1944年10月4日

 

地つ巻〜第28帖 →超訳

神の国には神のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、
(いくさ)もその通りぞ、
神の国は神の国のやり方しなければならんのだぞ、
外国のやり方真似(まね)ては外国強いのだぞ、
(いくさ)するにも()(たま)磨き第一ぞ。
一度に始末することは(やす)いなれど、
それでは神の国を一度は丸潰(まるつぶ)しにしなければならんから、
待てるだけ待っているのだぞ、
仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになって来るぞ、
神気つけるぞ。

記:1944年10月6日

 

地つ巻〜第29帖 →超訳

天明(岡本天明)は神示(ふで)書かす御役ぞ、
(かげ)の役ぞ、
この神示(ふで)はアとヤとワのつく役員から出すのだぞ、
(おもて)ぞ。
旧九月までにはその御方おそろいぞ、
「カ」のつく役員裏なり、
「タ」のつく役員(おもて)なり、
裏表あると申してあろうがな、
コトが大切ぞ、
コトによって伝えるのが神はうれしきぞ、
文字は通基(つき)ぞ、
このことよく心得よ。
天の異変は人の異変ぞ、
一時は神示(ふで)も出んことあるぞ、
神示(ふで)読んでくれよ、
神示(ふで)読まないで臣民(しんみん)勝手に智恵絞っても
何もならんと申してあろうがな、
神にくどく申さすことは神国の臣民(しんみん)の恥ぞ。
神示(ふで)()らぬのがまことの臣民(しんみん)ぞ、
神それぞれに宿(やど)ったら神示(ふで)()らぬのだぞ、
それが神世の姿ぞ。
上に立つ人にこの神示(ふで)わかるようにしてくれよ、
国は国の、団体(まとい)団体(まとい)の上の人に早う知らせてくれよ。
アとヤとワから(おもて)に出すと上の人も耳傾けるのだぞ。
アとはアイウエオぞ、
ヤもワも同様ぞ、
カは裏ぞ、
タは表ぞ、
サとナとハとマとまつわりてくれよ、
ラは別の御役ぞ、
御役に上下ないぞ、
皆それぞれ貴い御役ぞ、
この神示(ふで)上つ巻と(しも)つ巻 まず読みてくれよ、
腹に入れてから神(つど)うのぞ、
神は()けるぞ。

山の津波に気つけよ。

記:1944年10月7日

アカタサナハマラヤワ? この順番の古代文字は確認できず。

最後の行は神示とは関係ない追伸のような一文と思われる。
神示のあった1944年10月7日から翌8日にかけて台風が日本列島を駆け抜けている。
詳細は時事報告1「山の津波」へ。

 

地つ巻〜第30帖 →超訳

一度に建て替えすると世界が大変が起こるから、
延ばし延ばしているのだぞ、
目覚めぬと末代気の毒できるぞ。
国取られた臣民(しんみん)
どんなに(むご)いことになっても何も言うことできず、
同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、
(けもの)より(むご)いことになるのが、よくわかっているから、
神が(おもて)に出て世界中救うのであるぞ、
この神示(ふで)腹に入れると神力出るのだぞ、
疑う臣民(しんみん)たくさんあるが気の毒だぞ。
一通りは(いや)がる臣民(しんみん)にも
この神示(ふで)一二三(ひふみ)として読むように上の人してやって下されよ。
生命(いのち)あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことはできんぞ、
神の力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、
上の番頭どのわかっておろうがな、
どうにもならんと知りつつ まだ智や学にすがっているようでは上の人とは申されんぞ、
智や学越えて神の力にまつわれよ、
お土拝みて(こめ)作る百姓さんが神のまことの民ぞ、
(おろが)みて神示(ふで)取れよ、
神のない世と段々なっておろうがな。
真通(まつ)ることは生かすことぞ。
生かすことは(はたら)かすことぞ。
神の国には何でもないものないのだぞ、
神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、
何もなくなるのは やり方悪いのぞ、
神の心に添わんのぞ。

記:1944年10月7日

 

地つ巻〜第31帖 →超訳

この神示(ふで)読ますようにするのが役員の務めでないか、
役員さえ読んでいないではないか。

神示(ふで)一二三(ひふみ)つけたもの、
まず大番頭、中番頭、小番頭どのに読ませてくれよ、
道さえつければ読むぞ、
腹に這入(はい)るものと這入(はい)らぬものとはあるなれど、
読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。
旧九月になったら、忙しくなるから、
それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。
いざとなって地団駄踏んでも間に合わんぞ、
(もち)()くには、()く時あるのだぞ、
それで縁ある人を引き寄せているのだぞ。
神は()けるのぞ。

記:1944年10月7日

旧9月は神示10日後の10月17日より。
この日、捷一号作戦が発令され、レイテ海戦へ向けて本格的に動き始める。
この頃は神示の翻訳がまったく進んでおらず、関係者すら神示の内容がわかってない?

 

地つ巻〜第32帖 →超訳

仕組み通りに出て来るのだが大難を小難にすることできるのだぞ。
神も泥海(どろうみ)は真っ平ぞ、
臣民(しんみん)喜ぶほど神うれしきことないのだぞ、
曇っておれど元は神の息入れた臣民(しんみん)ぞ、
うづであるのぞ。
番頭どの、役員どの、(ふんどし)締めよ。

記:1944年10月7日

 

地つ巻〜第33帖 →超訳

エドの仕組み済みたらオワリの仕組みにかからすぞ。
その前に仕組むところあるなれど、今では成就せんから、
その時は言葉で知らせるぞ。
宝持ち腐りにしてくれるなよ、
猫に小判になってくれるなよ。
天地一度に変わると申してあること近づいたぞ、
世は持ち切りにはさせんぞよ、
息吹(いぶ)き払って議論(ろん)なくするぞ、
糊塗(こと)なくするぞ、
物言われん時来るぞ、
臣民(しんみん) 見当取れんことと申してあろうが、
上の人つらくなるぞ、
(がん)()ってくれよ。

記:1944年10月8日

 

地つ巻〜第34帖 →超訳

神は(こと)()ぞ、
(こと)()とまことぞ、
息吹(いぶ)きぞ、
道ぞ、
まこととはまつり合わした息吹(いぶ)きぞ、
言葉で天地(にご)るぞ、
(こと)()で天地()むぞ、
(いくさ)なくなるぞ、
神国になるぞ、
(こと)()ほど結構な恐いものないぞ。

記:1944年10月10日

 

地つ巻〜第35帖 →超訳

日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土(おろが)めと申してあろうがな、
日本は国が小さいから一握(ひとにぎ)りに(にぎ)(つぶ)して喰うつもりで攻めて来ているなれど、
この小さい国が、(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍(かんにん)してくれと言うように、
とことんの時になったら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子だから、
一人残らずに助けたいのが この方の願いと申してあろうがな、
今に日本の国の光出るぞ、
その時になって改心できておらぬと 臣民(しんみん)は苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ、
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上り下りある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民(しんみん)
もはや借銭()しの時となったのぞ、
改心第一ぞ。
世界に変わったことは皆この方の仕組みの節々(ふしぶし)だから、
()(たま)磨いたらわかるから、
早う()(たま)磨いて下されよ。
()(たま)磨くにはまつりしなければならんぞ、
まつりはまつらうことぞと申して説いて聞かすと、
神祭りはしないでいる臣民(しんみん)おるが、
神祭り元ぞ、
神迎えねばならんぞ、
取り違いと(てん)()が一番恐いのだぞ。
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
神の規則は恐いぞ、
隠し立てはできんぞ、
何もかも帳面に(しる)してあるのだぞ、
神の国に借銭ある臣民(しんみん)はどんな偉い人でも、
それだけに苦しむぞ、
家は家の、国は国の借銭()しが始まっているのぞ、
済ましたら気楽な世になるのぞ、
世界の大晦日(みそか)ぞ、
晦日(みそか)は闇と決まっているであろうがな。
借銭返す時つらいなれど、
返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、
昔からの借銭だから、
素直に苦しみ(こら)えて神の申すこと、
指すことに従って、
日本は日本のやり方に返してくれよ、
番頭どの、下にいる臣民(しんみん)どの、国々の守護神どの、
外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いてくれよ、
その国その民のやり方伝えてあろうがな、
九十に気つけて用意してくれよ。

記:1944年10月10日

 

地つ巻〜第36帖 →超訳

二二は晴れたり日本晴れ、
てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。
富士は火の山、火の元の山で、
汚してならん御山だから臣民(しんみん)登れんようになるぞ、
神の臣民(しんみん)(けだもの)と立て別けると申してあろうが、
世の(さま)見て早う改心して()(たま)洗濯致して神の御用つとめてくれよ。
大き声せんでも静かに(いち)言えばわかる臣民(しんみん)
一言えば十知る臣民(しんみん)でないと、
まことの御用はつとまらんぞ、
今に段々に迫って来ると、
この方の神示(ふで)あてにならん (だま)されていると申す人も出て来るぞ、
よくこの神示(ふで)読んで神の仕組み、心に入れて、
息吹(いぶ)きとして言葉として世界清めてくれよ。
わからんと申すのは神示(ふで)読んでいない印ぞ、
()(たま)(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ。
それがまことの臣民(しんみん)と申してあろうがな、
山から()から川から海から何が起こっても神は知らんぞ、
みな臣民(しんみん)の心からぞ、
改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧祓(くもきりはら)ってくれよ、
()(ひかり)出ぬようにしていてそれでよいのか、
気づかんと痛い目にあうのだぞ、
誰彼(だれかれ)の別ないと申してあろうがな。
いずれは(あめ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、
遅し早しはあるぞ、
この神様の御神示(おふで)(はげ)しきぞ、
早う()(たま)磨かねば御かかり遅いのだぞ、
よくとことん掃除せねば御かかり難しいぞ、
役員も気つけてくれよ、
お役御苦労ぞ、
その代わりお役済んだら二二晴れるぞ。

記:1944年10月11日