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             磐戸の巻(全文)〜「言答の巻」とも

 

磐戸の巻〜第1帖  →超訳

磐戸の巻 書き知らすぞよ、
岩戸開くには神人共にえらぎ(にぎ)わうのだぞ、
カミカカリして(うた)い舞うのだぞ、
ウズメノミコトいるのだぞ。
ウズメとは(おみな)のみでないぞ、
(おのこ)もウズメだぞ、
女のタマは男、男のタマは女と申してあろうがな。
ヤミの中で踊るのだぞ、唄うのだぞ、
皆のものウズメとなって下されよ、
(あけ)()げる十理(とり)(鳥)となって下されよ、
カミカカって舞い唄い下されよ、
カミカカリでないと、
これからは何もできぬと申してあろうがな。

記:1944年12月30日

 

磐戸の巻〜第2帖  →超訳

キ(気)つけてくれよ、キが元だぞ、
キから生まれるのだぞ、
心くばれと申してあろうが、
心のもとはキだぞ、
すべてのもとはキであるぞ、
 キはゝ◯(喜び)だぞ、
臣民(しんみん) 皆にそれぞれのキ植えつけてあるのだぞ、
うれしキは うれしキこと生むぞ、
かなしキは かなしキこと生むぞ、
おそれは おそれ生むぞ、
喜べば喜ぶことあるぞと申してあろうがな、
天災でも人災でも、
臣民(しんみん)の心の中に動くキのままになるのだぞ。
この道理わかるであろうがな。
爆弾でも当たると思えば当たるのだぞ、
恐れると恐ろしいことになるのだぞ、
ものはキから生まれるのだ、
キが元ぞ、
くどくキづけておくぞ、
ムのキ動けばムくるぞ、
ウのキうごけばウ来るぞ、
どんな九十(こと)でもキあればできるぞ、
キから生まれるぞ、
勇んで神の御用つとめて下されよ。

記:1944年12月31日

 

磐戸の巻〜第3帖  →超訳

二二(富士)は晴れたり、日本晴れ、
びっくり箱 いよいよとなったぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマケドンとなるのだぞ。
早う改心しないとハルマケドンの大峠越せんことになるぞ。
大峠となったら どんな臣民(しんみん)もアフンとして物言えんことになるのだぞ、
なんとした取り違いであったかと地団駄踏んでも、
その時では間に合わんのだぞ、
十人並みのことしていては今度の御用はできんのだぞ。
逆様(さかさま)に返ると申してあろうが、
大洗濯だぞ、大掃除だぞ、グレンだぞ、
二二(富士)に花咲くぞ。

記:1945年1月1日

 

磐戸の巻〜第4帖  →超訳

この方この世のあく神とも現れるぞ、
(えん)()とも現れるぞ、
アクと申しても臣民(しんみん)の申す悪ではないぞ、
善も悪もないのだぞ、
審判(さばき)の時来ているのに気づかぬか、
その日その時(さば)かれているのだぞ、
早う洗濯せよ、掃除せよ、
(いわ)()いつでも()くのだぞ、
善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。
悪と善と立て分けて、どちらも生かすのだぞ、
生かすとは神のイキに合わすことぞ、
イキに合えば悪は悪でないのだぞ。
この道理よく(はら)に入れて、神の心 早う汲み取れよ、
それが洗濯だぞ。

記:1945年1月2日

 

磐戸の巻〜第5帖  →超訳

(あま)盛り(くに)盛ります御代となるぞ、
臣民(しんみん)の心の中にいけておいた花火 いよいよひらく時来たぞ、
赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、
それぞれのミタマによって、その色ちがうのだぞ、
ミタマ通りの色出るのだぞ。
金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として(みが)いてくれよ、
金のまねするでないぞ。
(くに)つちの軸 動くぞ、
フニャフニャ腰がコンニャク腰になって どうにもこうにもならんことになるぞ、
その時この神示(ふで)、心棒に入れてくれよ、
百人に一人位は何とか役に立つぞ、
あとはコンニャクのお化けだぞ。

記:1945年1月3日

 

磐戸の巻〜第6帖  →超訳

北、南、宝出す時近づいたぞ、
世の元からの仕組みであるから めったに間違いないぞ、
これからいよいよ臣民(しんみん)にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、
何事も神の申すこと聞いて 素直になるのが一等だぞ、
神示(ふで)出ぬ時近くなったぞ、
神示(ふで)出なくなったら口で知らすぞ、
神示(ふで)早う腹に入れぬと間に合わんことになって来るぞ、
西も東もみな宝あるぞ、
北の宝はシオミツ(潮満つ)だぞ、
南の宝はシオヒル(潮干る)だぞ、
東西の宝も今にわかって来るぞ、
この宝あっぱれ、
この世の大洗濯の宝であるぞ。

記:1945年1月4日

シオミツ=海水分離資源、シオヒル=海底資源、東西の宝=メタンハイドレートと石油?

 

磐戸の巻〜第7帖  →超訳

人民のイクサや天災ばかりで、
今度の岩戸ひらくと思っていたら大きな間違いだぞ、
(いくさ)や天災で(ラチ)あくようなチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになって来るのだから、
早うミタマ磨いて恐いもの無いようになっておってくれよ、
肉体の恐さではないぞ、タマの恐さだぞ、
タマの(いくさ)(わざわい)は見当取れまいがな、
真通理(まつり)(祀り) 第一と申すのだ、
神のミコトに聞けよ、
それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれるようにならねばならんのだ。
神かかりと申しても そこらにござる(てん)()やキツネやタヌキつきではないぞ。
まことの神かかりであるぞ。
右行く人、左行く人、(とが)めるでないぞ。
世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできんのだぞ、
この道理わかったか、
この道はマナカ(真中)行く道とくどく申してあること忘れるなよ、
今までのような宗教や教えの集団(つどい)(つぶ)れてしまうぞ、
神が潰すのではないぞ、
自分で潰れるのだぞ、
早うこの神示(ふで)、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
俳句は俳句と申してあるが、
天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと、
天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチだぞ。
今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)済んだとて、
すぐに良いことばかりはないのだぞ、
二度とないことであるから臣民(しんみん)では見当取れんから、
(はら)の底から改心して、
素直に、神の申す通りにするのが何より結構なことだぞ。

記:1945年1月7日

 

磐戸の巻〜第8帖  →超訳

神の国の昔からの生き神の声は、
世に出ている守護人の耳には入らんぞ、
世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂だから、聞こえんのだぞ。
外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、
マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出て参れよ。
この神の国には世の元からの生き神が水ももらさぬ仕組みしてあるから、
いざ出て参って得心ゆくまでかかってござれ。
敗けてもくやしくないまでに攻めてござれよ、
堂々と出てござれ、
どの手でもかかってござれ。
その上で、敗けてこれはカナワンと言う時までかかってござれよ。
学、勝ったら従ってやるぞ、
神の(ちから)にカナワンこと心からわかったら
末代どんなことあっても従わせて元の神のまことの世にして、
改心させて、万劫末代(ばんこうまつだい)()(ぜつ)ない世に致すぞよ。

記:1945年1月9日

世に出ている守護人=著名な宗教の神/外国の神だから日本語での祈りが通じない
悪の三大将=邪鬼(レプティリアン)、オロチ、悪狐
4大悪魔のうち、神は悪神と手を組んでいる

 

磐戸の巻〜第9帖  →超訳

富士と鳴門の仕組みわかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ。
それまでに神の国の臣民(しんみん) 改心しておらぬと気の毒できるぞ。
(てん)()(きつね)は誰にでもかかってモノ言うなれど、
神は中々にチョコラサとはかからんぞ、
よき代になったら神はモノ言わんぞ。
人が神となるのだぞ、
この神は巫女(みこ)禰宜(ねぎ)にはかからんぞ、
神が誰にでもかかって、すぐ何でもできると思っていると思いが違うから気つけておくぞ。
神かかりに()るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。
この道は中行く道と申してあろうがな。
(いくさ)済みたでもなく、済まぬでもなく、
上げも(おろ)しもならず、
人民の智や学や算盤(そろばん)では、
どうにもできんことになるのが目の前に見えているのだから、
早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのだぞ。
長引くほど、国はチリジリになくなるぞ。
米あると申して油断するでないぞ、
タマあると申して油断するでないぞ、
命あると申して油断するでないぞ。
この神示(ふで)よく読めば楽になって人々から光出るのだぞ、
辰の年はよき年となっているのだぞ、
早う洗濯してくれよ。

記:1945年1月11日

辰の年=1952年〜日本の主権回復

 

磐戸の巻〜第10帖  →超訳

悪の仕組みは、日本魂をネコソギ抜いてしまって、
日本を外国同様にしておいて、
一呑みにする計画であるぞ。
日本の臣民(しんみん)、悪の計画通りになって、
尻の毛まで抜かれていても、まだキづかんか、
上からやり方かえてもらわねば、
下ばかりではどうにもならんぞ。
上に立っている人、日に日に悪くなって来ているぞ。
メグリある金でも物でも持っていたらよいように思っているが、
えらい取り違いであるぞ。
早う神の申すこと聞きて下されよ。
世界のどこ探しても、
今は九九(ここ)より他に、
神のマコトの道知らす所ないのだぞ。
この道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、
なかなかにつとまらんぞ、
洗濯急げよ、掃除急げよ、
家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、
このことよく気つけておくぞ、
村も国々も同様ぞ。
女のメグリはコワイのだぞ。
節分からは八回柏手打って下されよ。
神はげしくなるぞ。

記:1945年1月12日

 

磐戸の巻〜第11帖  →超訳

心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、
神のイレモノ、動物等に自由にされていて、
それでマコトの神の臣民(しんみん)と申されるか、
わからんと申してあまりであるぞ。
ゴモク吐き出せよ、
そのままにしておくと段々大きくなって始末にゆかぬことになって、
しまいには灰にするより、手なくなるぞ、
石流れて、木の葉沈むと申してあろうが、
今がその世だぞ。
改心してキレイに掃除できたら、
千里先にいても、ひつきの神と頼めばどんなことでもさせてやるぞ、
この神は世界中どこへでも届く鼻持っているのだぞ、
この世作ったこの神だ、
この世にわからんこと一つもないのだぞ、
神の御用さえつとめて下されたら、
心配ごとが(うれ)(うれ)しのこととなる仕組みだぞ、
日本臣民(しんみん)ばかりでないぞ、
どこの国の民でも同様に助けてやるぞ、
神には依怙(えこ)がないのぞ。

記:1945年1月13日

 

磐戸の巻〜第12帖  →超訳

マコトの者は千人に一人だぞ、
向こうの国にはまだまだドエライ仕組みしているから
今のうちに神の申すこと聞いて、
神国は神国のやり方にしてくれよ。
人の殺し合いばかりではケリつかんのだぞ、
今度の負け勝ちはそんなチョロコイことではないのだぞ、
トコトンのところまで行くのだから神も総活動だぞ、
臣民(しんみん) 石にかじりついてもやらねばならんぞ、
そのかわり今度は万劫末代(ばんこうまつだい)のことだから
いつまでもかわらんマコトの神徳与えるぞ。
言われぬこと、神示(ふで)に出せぬことも知らすことあるぞ。

記:1945年1月13日

マコトの者は千人に一人。だが、政治家や官僚の中では百人に一人(第5帖と比較)

 

磐戸の巻〜第13帖  →超訳

コト違うから、精神違うから、違うことになるのだぞ、
コト正しくすれば、正しきこととなるのだぞ。
日本の国は元の神の血筋の混じり気のないミタマで、末代治めるのだ。
何事も末代のことであるから、末代動かんように定めるのだから、大望であるぞ。
上の臣民(しんみん)このままで何とかかんとかいけるように思っているが、
その心我よしだぞ。
今度は手合わせて拝むばかりでは駄目だと申してあろうが、
今度は規則決まったら、昔より難しくなるのだぞ、
まけられんことになるのだぞ、
(かみ)(たましい)臣民(しんみん)でないと神の国には住めんことになるのだぞ。
この世治めるのは(くに)の先祖の生き神の光出さねば、この世治まらんのだぞ。
今度はトコトン掃除せねば、
少しでも混じり()あったら、先になって また大きな間違いとなるから、
洗濯洗濯とくどく申しているのだ。
神は一時は()(さつ)とも現れていたのだが、もう()(さつ)では治まらんから、
いよいよ生き神の生来現してバタバタに(らち)つけるのだぞ、
今の学ある者 大き取り違い致しているぞ。
大国常立(おおくにとこたち)(のみことの)大神(おおかみ)と現れて、一時は天も(かま)い、
地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、
   ゝ◯(元)のゝ◯(日本)のゝ◯(神)の光クッキリ現さねばならんと仰せあるぞ、
早う洗濯しないと間に合わんぞ。
この道の役員、吾は苦労して人助けるのだぞ、
その心でないと我出して吾のこと思っているとグレンだぞ。
仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのだ、
殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、
今度はハッキリ区別するのだぞ、
昔からの因縁だぞ。
この方のもとに参って、昔からの因縁、
この先のことよく聞いて得心できたら、
(はら)の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。
逃げ道作ってはならんぞ、
二つ三つ道作ってはならんぞ。
真っ直ぐに神の道に進めよ。
神の道は一筋だと申してあろうが。
何なりとそれぞれの行せねばマコトのことはできんのだぞ、
世界の片八四(片端)浜辺から いよいよが始まると知らせてあること近くなったぞ、
くどいようなれどさっぱりと洗濯してくれよ、
神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度(はっと)からコトから、
やり方かえて、今まではやり方違っていたから、
神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのだぞ、
この苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民(しんみん)の心次第でなるのだから、
くどく申しているのだぞ、
何もかも神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろうがな、
それが神国の民の心得ぞ、
(いや)でも(おう)でもそうなって来るのだぞ。
神国の政治経済は一つだと申してあろうがな、
今の臣民(しんみん)にわかるように申すならば、
臣民(しんみん)働いてとれたものは、何でも神様にささげるのだ、
神の御社は幸いで(うず)もれるのだぞ、御光輝くのだぞ、
光の町となるのだぞ。
神から分けて下さるのだぞ、
その人の働きによって それぞれに恵みのしるし下さるのだぞ、
それがお宝ぞ、
お宝 徳相当に集まるのだぞ、
キン(金)は要らんと申してあろうがな、
元の世になるまでに、そうしたことになって、
それからマコトの神の世になるのだ。
神の世はマツリ(祀り)あるだけぞ、
それまでにお宝下さるのだぞ、
お宝とは今のお(さつ)のようなものだぞ。
わかるように申すなら、
神の御社と臣民(しんみん)のお役所と市場を合わせたようなものが、
一時はできるのだぞ、
(うれ)(うれ)しとなるのだぞ、
マコトのマツリの(はじめ)だぞ。
このことよく(はら)に入れて一二三(ひふみ)として説いて、
早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らせて、
安心して、勇んで暮らすようにしてやって下されよ。
それも臣民(しんみん)の心次第、
素直な人、早う(うれ)しくなって、心勇むぞ、
(さび)しくなったら 訪ねてござれと申してあろうがな。

記:1945年1月13日

 

磐戸の巻〜第14帖  →超訳

(しょう)()の、生き通しの神が、
(しょう)()を見せてやらねばならんことに、いずれはなるのだが、
生き神の(しょう)()は激しいから、
今のうちに()(れい)に洗濯しておけと申すのだ。
皆にまつろっておけと申すのだ。
可哀想なのは兵隊さんだぞ、
神に祈ってやってくれよ。
幽界人(がいこくじん)(外国人)よ、日本の国にいる幽界(がいこく)(外国)魂の守護人よ、
いよいよとなって生き神の総活動になったら、
死ぬことも生きることもできない苦しみに一時はなるのだから、
神から見ればそなた達も子だから早う神の下に帰ってくれよ、
いよいよとなって来たのだぞ、
くどう気づけるぞ。

記:1945年1月13日

 

磐戸の巻〜第15帖  →超訳

この方の道、悪きと思うなら、出てござれ、
良きか悪きか、はっきりと得心行くまで見せてやるぞ。
何事も得心させねば、根本からの掃除はできんのだぞ、
役員 気つけてくれよ。
皆、和合してくれよ。
悪き言葉、息吹(いぶ)きがこの方一番邪魔になるぞ、
苦労なしにはマコトはわからんぞ、
慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。
(めくら)になるぞ、
お詫びすれば許してやるぞ、
天地に御無礼ない臣民(しんみん)一人もないのだぞ。
(やまい)治してやるぞ、
息吹(いぶ)き作ってやれよ、
息吹(いぶ)きとは一二三書いた紙、
神前に供えてから分けてやるもののことだぞ。
腹立つのは慢心からぞ、
守護神良くなれば肉体良くなるぞ、
善も悪もわからん世、闇の世と申すぞ。
(あま)照皇(てらすすめら)太神(おおかみ)(のみや)様の岩戸開きは、
(だま)した、間違いの岩戸開きぞ、
無理にあけた岩戸開きだから、開いた神々様に大きなメグリあるのだぞ、
今度はメグリだけのことはせなならんぞ、
神には分け(へだ)て無いのだぞ、
今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じりけのない、
マコトの神の息吹(いぶ)きで開くのだぞ。
混じりあったら、(にご)り少しでもあったら、
またやり直しせなならんから くどう気つけているのだぞ。
いつまでも変わらぬマコトで開くのだぞ。

記:1945年1月14日

 

磐戸の巻〜第16帖  →超訳

世の元からの生き神がそろって現れたら、
皆腰抜かして、目パチクリさせて、
もの言えんようになるのだぞ。
神徳もらった臣民(しんみん)でないと中々越せん峠だぞ、
神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、
大きい器持ってござれよ、
掃除した大きい入れものいくらでも持ってござれよ、
神界にはビクともせぬ仕組みできているのだから安心して御用つとめてくれよ。
今度はマコトの神の力でないと何もできはせんぞと申してあろうが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事にもよらん、人間心捨てて仕舞って、
智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず生まれ赤子の心のうぶ心になって、
神の教え守ることぞ。
ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、
肉体心捨ててしまって、神の申す通り(そむ)かんようにすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのだ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智だということわからんか、
今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えていくのだから、中々であるぞ、
天災や(いくさ)ばかりでは中々(らち)あかんぞ、根本の改めだぞ。
小さいこと思っていると わからんことになると申してあろうがな、
この道理よく(はら)に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、悪も改心させて、
善も改心させての岩戸開きだから、
根本から作り変えるよりはどれだけ難しいか、
大層な骨折りだぞよ。
(しか)るばかりでは改心できんから喜ばせて改心させることも
守護神にあってはあるのだぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、
聞き分け良い悪の神、早く改心するぞ、
聞き分け悪き善の守護神あるぞ。
この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引き寄せて御用させてあるのだ。
めったに見当狂わんぞ、
神は(つな)かけたら中々放さんぞ、
逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。
ミタマ磨け出したら(やまい)(がみ)などドンドン逃げ出すぞ、
出雲(いずも)の神様 大切申せと知らせてあること忘れるなよ。
()の歳真ん中にして前後十年が正念場、
世の建て替えは水と火とだぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

記:1945年1月14日

子の年=1936年、1926年=中国国民党政権、1946年=太平洋戦争の後処理
ひつじの3月3日=1945年3月3日(辛未(かのとひつじ))〜この日まで硫黄島の飛行場が完成せず、その意味ではけっこうな日
翌日完成して、10日には東京大空襲になるが……
5月5日=ドイツに敗戦処理政府が作られ、各国に無条件降伏を打診する
おそらく、すでに過去になった部分を含めた敗戦を予言しただけではないだろうか。

以下は未来の予言とした場合の解釈
子の歳=2008年、2020年、2032年、2044年
ひつじ年の3月3日/5月5日(旧暦)=2003年4月4日/6月4日、2015年4月21日/6月20日、2027年4月9日/6月9日、2039年3月27日/5月27日
旧暦3月3日がひつじの日=2033年4月2日、2034年4月21日、2040年4月13日
旧暦5月5日がひつじの日=2027年6月9日、2030年6月5日、2031年6月24日、2033年6月1日、2034年6月20日
新暦3月3日がひつじの日=2025年、2041年
新暦5月5日がひつじの日=2013年、2029年、2045年

なお、原文はカタカナのため「ねの年真ん中にして全50年」という解釈もある。
また「ねの年」は「子」ではなくアマノウズメが岩戸開きの時に踊りながら歌った
「ひふみよ いむなや こともちろらね」のヒフミ神歌の数え方であり、
ある年を基点に15年目を真ん中にした全50年間が正念場ではないかという読み方も指摘されている。
たとえば平成15年(2003年)を中心にする全50年(1978年〜2028年)とか……。
ただし、夜明けの巻 第12帖にも似た言及があるので、この解釈は可能性は低いだろうが。

 

磐戸の巻〜第17帖  →超訳

この神はよき臣民(しんみん)にはよく見え、
悪き臣民(しんみん)には悪く見えるのだぞ、
()(もん)金神(こんじん)とも見えるのだぞ、
世はクルクルと廻るのだぞ、
仕合わせ(めぐり合わせ)悪くても悔やむでないぞ、
それぞれのミタマの曇り取っているのだから、
勇んで苦しいこともして下されよ、
上が裸で下が(はかま)穿()くこと出て来るぞ。
神が()かして使っているのだから、
でき上がるまでは誰にもわからんが、
でき上がったら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのだぞ、
びっくり箱にも悪いびっくり箱と、
(うれ)(うれ)しのびっくり箱とあるのだぞ、
何も知らん臣民(しんみん)に、知らんこと知らすのだから、
疑うは無理ないなれど、
曇り取れば、すぐ映る、
元の種持っているのだから、
早うこの神示(ふで)読んで洗濯してくれよ、
どんな大峠でも楽に越せるのだぞ、
神の道は無理ない道だと知らせてあろうが。
ミタマの因縁恐ろしいぞ。
上下湧き上がるが近くなったぞ。

記:1945年1月14日

 

磐戸の巻〜第18帖  →超訳

今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民(しんみん)でないと中々につとまらんぞ、
神も長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのだが、
時節到来して、天晴(あっぱ)れ世に出て来たのだぞ、
因縁のミタマ 世に落ちているぞと申してあろうがな、
外国好きの臣民(しんみん)、今に大き息もできんことになるのだぞ、
覚悟はよいか、
改心次第でその時からよき方に廻してやるぞ。
改心と申して、人間の前で(ざん)()するのは神国のやり方ではないぞ、
人の前で(ざん)()するのは神傷つけることになると心得よ、
神の御前にこそ(ざん)()せよ、
(ざん)()の悪きコトに倍した、よきコトタマ()れよ、
コト高くあげよ、
富士晴れるまでコト高くあげてくれよ、
そのコトに神移って、どんな手柄でも立てさせて、
万劫末代(なつだいばんこう) 名の残るようにしてやるぞ。
この仕組みわかったら上の臣民(しんみん)、逆立ちしてお詫びに来るなれど、
その時ではもう間に合わんから くどう気つけているのだぞ。
臣民(しんみん)、可愛いから嫌がられても、この方申すのだ。
悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らせてあろうがな、
このことよく心得ておけよ、
悪の世になっているのだから、
マコトの神さえ悪に巻き込まれてござるほど、
知らず知らずに悪になっているのだから、
今度の世の乱れと申すものは、
五度の岩戸閉めだから見当取れん、
臣民(しんみん)にわからんのは無理ないなれど、
それわかってもらわんと結構な御用つとまらんぞ、
時が来たら、(われ)が我の口で我が白状するようになって来るぞ、
神の臣民(しんみん)恥ずかしくないようにしてくれよ、
臣民(しんみん)恥ずかしいことは、神恥ずかしいのだぞ、
いよいよ善と悪の変わり目であるから、
悪神暴れるから巻き込まれぬように(ふんどし)締めて、
この神示(ふで)読んで、
神の心()み取って御用大切になされよ。

記:1945年1月14日

 

磐戸の巻〜第19帖  →超訳

向こうの国いくら物あっても、人あっても、生き神が表に出て働くのだから、
神無き国は、いずれは(おう)(じょう)だぞ。
この神の申すことよく(はら)に入れて、
もうかなわんと申すところ(こら)えて、
またかなわんと申すところ(こら)えて
いよいよどうにもならんというところ(こら)えて、
頑張って下されよ、
神には何もかもよくわかって帳面に書き留めてあるから、
どこまでも、死んでも頑張って下されよ、
そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのだ。
可哀想なれど神の臣民(しんみん)殿、
(こら)えに(こら)えてマコトどこまでも貫きて下されよ、
マコトの生き神様がその時こそ表に出て、
日本に手柄させて、神の臣民(しんみん)に手柄立てさせて、
神から(あつ)く御礼申して()き世に致すのであるぞ、
腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。
重ねて神が臣民(しんみん)殿に頼むぞよ、
守護神殿に頼むぞよ。

記:1945年1月14日

 

磐戸の巻〜第20帖  →超訳

(いくさ)いつも勝ちとばかりとは限らんぞ、春負けとなるぞ、
いざとなれば昔からの生き神様 総出で(おん)(はたら)きなさるから、
神の国の神の道は大丈夫であるなれど、
日本臣民(しんみん) 大丈夫とは申されんぞ、
その心の通りになること忘れるなよ、
早うミタマ磨いてくれよ、
もう少し(いくさ)進むと、これはどうしたことか、
こんなはずではなかったなぁと、
どちらの臣民(しんみん)も見当取れん、
どうすることもできんことになると知らせてあろうが、
そうなってからでは遅いからそれまでに、この神示(ふで)読んで、
その時にはどうするかということわかっておらんと仕組み成就せんぞ。
役員の大切な役目だぞ、
(われ)の思い捨ててしまって
早うこの神示(ふで)、穴のあくほど裏の裏まで(はら)に入れておいてくれよ、
この神示(ふで)の終わりに、神強く頼むぞよ。

記:1945年1月13日

 

磐戸の巻〜第21帖  →超訳

元の大和魂に返れと申すのは、
今の臣民(しんみん)には無理じゃな、
無理でも、神に心向ければできるのだぞ、
どうしても今度は元のキのままの魂に返らんとならんのぞ、
肝心の神示(ふで)むやみに見せるでないぞ。
仕組み(こわ)れるぞ、
今に神示(ふで)に書けないことも知らせなければならんから、
みみから知らせるから、
肚から肚へ伝えてくれよ。

節分からは激しくなって、激しき神示(ふで)は書かせんぞ。
天明 神示(ふで)の御用はこれでしばらく御用済みぞ、
その代わりみみ掃除しておいてくれよ。

記:1945年1月13日

間違った解釈が横行して、神示の信用失墜を警告〜実際にデタラメなオカルト本が蔓延している