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その他・読み解きメモ/時事報告/時事報告2(後半11巻)

雨の巻
・今の臣民(しんみん)神無くしておるでないか。それで惟神(かむながら)も神道も無いぞ。心大きく、深く、広く持ちて下されよ。(雨の巻 第1帖 半ば)
 1945年10月13日の預言。お筆先を再開して最初の言及。
 これに先立つ9月19日、GHQが占領政策として報道統制にあたるプレスコードを発令した。それで戦前〜戦中にさんざん戦争を煽ってきた朝日新聞は業務停止に追い込まれ、廃業目前まで追い込まれる。
 その朝日新聞がGHQに擦り寄って、10月10日の朝刊で日本神道をカルト宗教呼ばわりした。これをやれば自分たちも助かると思った他の新聞社も翌日の朝刊からこの論調に乗った。
 お筆先を再開させたのは、これで5回目の岩戸開きも失敗したと確定されたからだろう。
 なお、のちにこの時の岩戸開きは「一の御用」とし、今ある形の日月神示の予言──平成時代にやり直す「二の御用」へと続く。
・二十二日の夜に実地を見せてあろうがな。(雨の巻 第11帖 半ば)
 1945年12月7日の預言。
 上の文の前は人間が知識や学問で社会を治めようとする傲慢ぶりを嘆き、この一文を挟んだのちは金儲けだけが人生になる戦後日本の多くの人たちを嘆いている。
 ここだけを読むと言論人がおかしくなり、憲法論争や経済至上主義で壊れていく平成の時代を語っているようにも思える。
 だが、22日の夜に信者に実地で見せたモノとは何だろうか?
 
 22日の夜は新暦の11月22日か、旧暦の10月22日(新暦の11月26日)か。
 この頃の日付を考えるとGHQが進める日本国憲法の草案や、労働組合の可能性も出てくるのだが、それをどのように見せられたのか。「夜」なら新聞報道は有り得ないし、当時はテレビはないのでニュースで報せたのならラジオだから「聞く」になるはず。
 当日、実際に何があったかは調査中。もしかしたら「夢で見せてある」という可能性もあるが、それだと調べても出てくるか……。

 

風の巻、岩の巻、荒れの巻には存在せず

 

地震の巻
・地上人は、肉体を衣とするがゆえに、宇宙のすべてを創られたもののごとく考えるが、創造されたものではない。
 創造されたものならば、永遠性はあり得ない。
 宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、さらに常に神と共に永遠に生まれつつある。(地震の巻 第1帖 半ば)
 1946年2月?の預言。
 時事報告とは微妙に違うが、時期的にジョージ・ガモフがビッグバン宇宙論を着想する直前の言及。ちなみに論文発表は1948年。
 宇宙はビッグバンで始まり、ビッグリップやビッグクランチなどで終わるというのが現在の宇宙物理学主流の考え方。
 だが、宇宙は永遠であるとして、間接的かつ事前に現在の標準理論を否定している。

 

光の巻
・次の五の巻の謄写(とうしゃ)は四十九でよいぞ、十は神良きに使うぞ、前のも十は良きに使うたぞ、わかりたか、
 皆に分けるぞよ、次は十二の巻の中から良きに抜きて謄写(とうしゃ)よいぞ。(光の巻 第1帖 末尾)
 1946年2月24日の預言。
 光の巻のあとに降りる、祭りの巻、梅の巻、空の巻、青葉の巻、海の巻の5つの扱いについての注意。
・この巻から謄写(とうしゃ)もならんぞ、時来るまで写して皆に分けてとらせよ。(光の巻 第8帖 末尾)
 1946年7月27日の預言。
 光の巻の扱いについての注意。

 

祭りの巻
・旧九月八日で一切りじゃ。これで(はじめ)の御用は済みたぞ。八分通りは落第じゃぞ。
 次の御用改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。何もかも神は見通しだぞ。(中略)
 大奥山はそのままにしておかなならんぞ。天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ。アホ結構ぞ。(祭りの巻 第8帖 ほぼ全文)
 1946年8月15日の預言。
 直前、財閥の解体、旧教育制度の廃止、農地改革などに着手され、前日14日に吉田茂首相がNHKラジオで「戦争の永久放棄」発言をしている。
 ここでGHQの占領洗脳政策がほぼ完成し、8割落第らしい。日本はこのあと自虐史観や反日エリートの急増で社会が悪化していく。
 1946年の旧暦9月8日は新暦の10月2日だが、「旧九月八日」は「旧九月八日の仕組み」の意味なので、実際の日付とは関係ない。

 

梅の巻
・四十九、天明神示(ふで)書かす御役ぞ。一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ。
 節分までに皆の守護神同じ宮に祀りくれよ。(梅の巻 第19帖 冒頭)
 1946年12月4日の預言。
 まつりの準備についての確認事項。

 

空の巻、青葉の巻、海の巻には存在せず