▲top
考察メモ/輪廻転生について/魂の課題について〜管理人のケース
- 魂に課せられた今生でのミッションに関する考察(管理人の場合)
- 誰もが生まれてくる時に、この人生における課題を与えられてくると言われる。
- 人生の課題は達成するまで、何度も繰り返されるらしい。
- 中には自分の力ではどうすることもできず、乗り越えることだけが課題のものもあるそうだ。
- そこで管理人がこれまでの半生を振り返り、「おそらくコレ」と思われる運勢を探ってみる。
-
- ちなみに管理人は親から「前世は極悪人だったんじゃないか?」と言われるほど不運やトラブルに巻き込まれやすい運勢である。
- これまでの半生を棚卸しするつもりで振り返ってみたが、マジで多いね。(汗)
- すっかり忘れてた中にも典型的な例があったと気づかされる。高校時代の事件とか、最初のアニメ化企画が潰れた経緯とか……。
- 神様、そこまで念入りに鍛えてくれなくてもいいのに……。(苦笑)
- でも裏を返すと「トラブルを起こされる立場になるまで成功してる意味では」強運な人生だよなあ。そこまでは……。
- 注:あくまで管理人の記憶による状況整理であるため、時間経過による記憶のすり替わりや元々の事実誤認がある可能性はご了承ください。
- 十年ひと昔。記憶の美化や肝心の情報の抜け落ちによる思い違い、あとからニセの情報を聞かされて塗り替えられた記憶もあるかと思います。
- たとえば漫画家デビューの話をもらった話も、原作が「エロシナリオだった」部分は当時を知る人に言われるまで、すっかり忘れてましたし……。(汗)
-
- 今生のミッション/トラブルの具体的なケース/前世の記憶?
- 今生のミッションと思われるもの 〜繰り返されるトラブル
- 管理人が人生で繰り返してると思われる課題のエッセンスを列挙する。中には複合してるものもある。
- 詳細は後述するが、だいたいのものを。またすべて列挙するととんでもない量になるので、主だったものに限定する。
- ある程度成功するが、達成直前に理不尽な理由で潰される
- おかげで私はやり切ったという達成感を味わったことがない。
- 好きなことを続けられない →詳細
- 親が営林署勤めのため、2〜3年ごとに山の中を点々としてきた。
- そのため、ある程度形になっても親が転勤したらそれっきりになる。
- しかし、こういう現象は大人になっても変わらず。
- あとで触れるリストラ、出版トラブル等、継続が難しくなる事態が次々と襲ってくる。
- 大学受験
- 本命校は大手予備校の模試でA判定が出るほど勉強したのに、インフルエンザに倒れて受験できなかった。
- ▽記事を読む
- 大学受験
- 本命校は大手予備校の模試でA判定が出るほど勉強したのに、インフルエンザに倒れて受験できなかった。
- 受験1校目は、のちの母校になる大学。ここは受験馴れのために受けたつもりだった。
- 2日後、受験2校目。朝のうちは何事もなかったのに、試験中に急速に体調悪化。最後の面接の時にはフラフラだった。
- そこでホテル暮らしを続けて残る3校を受ける予定をやめ、一度帰宅して風邪を治すのに専念することにした。
- だが、そのまま10日間も寝込んでしまい、ようやく動けるようになった時には受験シーズンは終わっていた。
- そのため唯一合格した1校目に、そのまま通うことになった。
- △記事を隠す
- 製品は完成したのに市場投入せず
- 大手F社名義で販売される産業向けの製品を作り、テストも終わっていよいよ市場投入する段階になったが……。
- ▽記事を読む
- 製品は完成したのに市場投入せず
- 大手F社名義で販売される産業向けの製品を作り、テストも終わっていよいよ市場投入する段階になった。
- その直前、M工業が大々的な新聞広告を打って、同じような製品をF社よりも低価格で売り出すと宣伝した。
- それを見たF社の取締役が市場投入を断念。プロジェクトはそのまま潰されることになったのだが……。
- M工業の新聞発表はフェイクニュースで、まだ製品は完成してなかった。注文を受けても発売がズルズルと延びていく。
- F社には断念した決定を見直して市場投入を求めるが、頑として認めなかった。
- 営業が自社名義で出せないかと模索するが、F社からその場合は損害賠償を求めると裁判をちらつかされて発売できず。
- 一方でM工業は最初の新聞発表から6年後、ついに開発を断念したという発表が……。
- 結果、その製品は2010年の少し前から、台湾系企業が日本の市場をほぼ独占している。
- △記事を隠す
- 課長昇進直前にリストラ →詳細
- 技術者時代にあったホントに理不尽な理由でのリストラ。
- 仕掛けた本人はあとで私を逆恨みする異常行動に……。
- 相次ぐ出版トラブル →詳細
- 1つは気象精霊記トラブルとして有名になった大事件。
- 関係者はその後も陰湿なイヤガラセを?
- 実は同様のことが2年半前にも起きているかも?
- また同業者潰しと思われる裏工作で、本当の完結を前に急な打ち切り。
- これは神様から、業界の悪習を世間に暴露する役目を与えられたのか?
- またあとから振り返ってトラブルが顕在化する直前に、2社から「売れてもらっては困る」という常識的に考えられないパワーワードを聞かせられた。
- そこで似たフレーズが出てきたのは、神様が管理人に試練を与えるために言わせたからだろうか?
- 預かり知らぬところで濡れ衣を着せられている
- 冷静に考えればウソとわかる。でも、それを信じてしまう人がいる。
- またウソとは違い、その人の勝手な思い込みで非難されていることもある。これでいつの間にか孤立させられている。
- 日月神示を読み始めたおかげで、「ああ、これはそういう人の魂を鍛える役目か」と思うようになった。
- 小中校時代のイジメ →詳細
- 親の転勤で学校を点々と転校したが、うち3回のイジメに遭っている。
- すべて転校から1〜2か月後に起きているが、今から振り返るとよそ者イジメとは違うみたいだが……。
- 高校時代の生徒会汚職疑惑 →詳細
- 高校時代、生徒会で広報役員をやっていた。
- だが存在しない汚職疑惑をでっち上げられ、やる気を失った生徒会はそのまま活動停止状態となる。
- そのせいでか、生徒会の思い出はすっかり忘れていた。
- 大学の漫研騒動 →詳細
- 当時大学1年だったのに、会長を不信任に追い込んだ首謀者ということになっていたらしい。
- 1年生の口車に乗って、上級生も批判票を投じて不信任って無理がないだろうか?
- 会社のリストラ →詳細
- 会社は私をリストラしながら、社内には「小説が売れてきたから勝手に辞めた」と触れまわっていた。
- 本屋へ行けば確認できることだが、それを信じて10年以上ねたんでた人もいたらしい。
- 出版トラブル →詳細
- 自分の失敗を隠すために、クリエーターのせいにする編集者はいるよねぇ。
- またネットではろくに事実関係を知らないまま、原作者を人格欠陥者扱いする人もいるよねぇ。
- そういう人から脅迫状や脅迫メールまでもらってしまい……。
-
- 2018年10月23日にも発生。『小説家になろう』の運営から、「重大な規約違反をしてるからアカウントを停止する用意がある」という強い警告が来た。もちろん通報者の言いがかりをきちんと確認してない結果。私には何も落ち度はなかった。
- 顔見知り程度の人が、義憤で10年近く私を悪く言って触れまわっている
- 上記の濡れ衣を着せられたあとの余波。ウソを信じて、ずっと恨み続ける人がいる。
- こういう現象は、まったく会ったこともない人や、何度も言葉を交わした経験のある人では起こらない。互いに顔を知る程度、話も一言二言交わした程度の人で起きている。中途半端に知ってるからこそ、記憶がすり替わりやすいのだろう。なぜか共通する10年に、何か意味があるのだろうか。
- 日月神示を読み始めたおかげで、「ああ、これは義憤した人の魂を鍛える役目か」と思うようになった。
- 学生時代の嫌なヤツ? →詳細
- 漫研騒動の時に聞かされたウソを、ずっと信じてた人がいるらしい。
- この件は学生時代の知人が遭遇したそうだ。
- 仕事を投げ出しやがって →詳細
- 会社を急にリストラされたため、当然、技術の引き継ぎは行われなかった。
- まあ、リストラされた状況からやってもおざなりになったろうが。
- そのため後任にされた技術者の中に上司の「小説が売れたから辞めた」を信じて怒りが収まらなかった人もいるようだ。
- 逆恨み編集者や同業者? →詳細
- たまに同業者がリツイートするために見かけるが、時々事実関係のおかしなことを書いてる人がいる。
- その中に、もしかして私のことを意図的にゆがめて触れまわってないかと怪訝に感じる発言が……。
- これによって人脈が少しずつ断ち切られ、気がつくと孤立に追い込まれることに……。
- トラブルを繰り返す人生だが、3歳の時に崖から落ちて頭を数針縫ったのと、中3の時に胃潰瘍になったことを除くと、大きなケガも大病もしていない。胃潰瘍も薬だけで治っているので、大病に含むほどではないのかも。
- このあたり、自分が知らずにとんでもないことをして、神様から天罰を喰らうような後ろめたいことはしてないのだと思う。
- 神様が匙を投げて放置……ではなく、むしろ日月神示に書かれてある、
- ・ひつくの民草は神がとことん試すのだから、可哀想なれど我慢してくれよ。(下つ巻 第37帖)
- ・よい御用致す身霊ほど苦労させてあるのじゃ。
- 他から見てはわからんなれど、苦労に苦労させて、鍛えに鍛えてあるのじゃぞ。(岩の巻 第2帖)
- という理由からのトラブルなのだろう。……えっと、そろそろ勘弁してください。(涙)
- そういう流れがあるから、2016年にいきなり日月神示にハマって、どっぷり浸かるハメになったのかも……。(汗)
トラブルの具体的なケース
- 私はどうすれば良かったのか
- 問題が繰り返されるには、何か原因があるはず。
- ということで似たような問題をいくつかさらしてみる。第三者の視点からは、どこに問題が潜んでいるか見えるだろうか……。
- 「その場にいたのが悪い」しかなかったら、元も子もないが。
-
- 好きなことを続けられない/小中学校時代のイジメ/高校時代の生徒会汚職疑惑/大学の漫研騒動/
- 会社のリストラ関連/相次ぐ出版トラブル
- 好きなことを続けられない
- 「そんなこと誰だってそうだ」と言われそうだが、そう思ってもらっても構わない。
- とにかく出版関係以外で続けられなかったものと事情を列挙しておく。
- 水彩画(透明水彩)
- 学童用の不透明水彩ではなく、透明水彩の鮮やかさが好きだった。
- だが山奥暮らしでは絵の具の入手が難しかった。また中1の時に、俗に「色の遊び」といわれる色使いがどうしてもできない自分に気づき、才能の限界を感じて絵をやめることにした。これが自然にやらなくなったではなく、自分で決めた人生唯一の「やめる」「あきらめる」だ。
- ▽記事を読む
- 水彩画(透明水彩)
- 学童用の不透明水彩ではなく、透明水彩の鮮やかさが好きだった。色を重ねると下の色が透けて見えるため、水を表現するのが楽しかった。色を混ぜると画面が汚くなるため、3色以上は混ぜないと決めていた。
- でも、山奥暮らしの子供には、絵の具一つ手に入れるのも困難だった。しかも中1の時に、俗に「色の遊び」といわれる色使いがどうしてもできない自分に気づき、才能の限界を感じる。
- 例えば木を描く時に、葉っぱに陽の光としてオレンジ色を加える。コンクリートに落ちた影には紫、人物に落ちた影には青を入れる塗り方だ。人によっては奇妙に思うかもしれないが、これはPhotoshopなどで色数を落とす時に出てくる色である。つまり少ない色数で表現する時に、数値計算でも出てくる理論的に正しい色使いだった。透明水彩の鮮やかさを殺さないために、できるだけ色を混ぜないようにしていた。そのために必要な技法と直感していたのだろうか。
- だが山奥暮らしでは絵の具の入手が難しかったこともあり、絵をやめることにした。これが自然にやらなくなったではなく、自分で決めた人生唯一の「やめる」「あきらめる」だ。
-
- 私が絵をやめた数年後、子育てに一段落した母方の一番上の姉が、まるで私と入れ代わるように絵を描き始めた。
- 伯母が絵を描き始めたのは40代の半ば。数年で日展で受賞。50歳を前に海外へ留学し、帰国してM美大の教授にまでなった。
- その伯母が帰国してから始めた色使いが、まさに私が才能に限界を感じたものだった。伯母は留学先で補色を知り、使ってみたら絵が引き締まるようになったと言っていた。
- 私には色が見えすぎたのか。不思議な話である。
- △記事を隠す
- 天体観測
- 父が営林署勤めで担当区主任のため、転勤のたびに近くの集落から離れて国有林の中に建てられた官舎でずっと暮らしてきた。
- 近くに官舎以外の建物はないので、家の玄関と近くにある街灯を消してしまえば夜はほぼ完全な暗闇。頭上には星が見えすぎて、星図にある星がどれかわからないほどの星空が広がっていた。
- ▽記事を読む
- 天体観測
- 父が営林署勤めで担当区主任のため、転勤のたびに近くの集落から離れて国有林の中に建てられた官舎でずっと暮らしてきた。
- 集落から離れてるため、テレビやラジオの中継アンテナの向けた範囲からはずれて電波が届かないことも多い。そのため子供の頃はテレビを見る習慣が身につかなかった。
- そういう場所での夜の楽しみは、読書と天体観測だった。上述の水彩画は当時の蛍光灯の下では色が変わるので、夜は描かなかった。
- 近くに官舎以外の建物はないので、家の玄関と近くにある街灯を消してしまえば夜はほぼ完全な暗闇。頭上には星が見えすぎて、星図にある星がどれかわからないほどの星空が広がっていた。
-
- だが、中学3年になる時、父が主任から係長へ昇進し、県庁所在地のある街中の官舎へ移った。街中のため、明るくて星が見えなくなった。
- 星が見えなくなったので、代わりに天体望遠鏡で太陽の黒点観測を始めた。直接見るのは危険なので、集めた光を白い紙に投影する観測方法だ。その頃、たしか日食があった。その観測を最後に、自然と天体観測から離れてしまった。その時の観測ノートを弟がこっそり持ち出して、夏休みの自由研究として提出していた。(爆)
- △記事を隠す
- バレーボール
- 母がママさんバレーにハマっていたおかげで、私も幼い頃から練習に付き合って一緒にやっていた。
- 中学に入った時、私は136cmしかない学年で2番目のチビだった。そのため体育系は無理と決めつけられ、一方的に吹奏楽部に入れられた。
- ▽記事を読む
- バレーボール
- 母がママさんバレーにハマっていたおかげで、私も幼い頃から練習に付き合って一緒にやっていた。引っ越してもその先々でママさんチームを見つけたので、10年以上続いていたと思う。
- 練習は近所にある学校の体育館を借りやっていた。そこで一緒に来た旦那さんや中高生に混じって、チームの練習相手をするのが楽しかった。
- だから体育の授業はバレーボールが好きだった。中学ではバレーボール部に入りたかった。
- だが、N町の中学校は封建的な体質で、新入生が入学する前に所属するクラブを希望も聞かず一方的に割り振っていた。クラブはバレーボール、バスケット、吹奏楽の3つだけ。おそらく4:4:2の割合で割り振ってたんじゃないかと思う。今なら立派な人権侵害として問題視されただろう。
- 中学に入った時、私は136cmしかない学年で2番目のチビだった。そのため体育系は無理と決めつけられ、吹奏楽部に入れられた。当然、何回か顔を出してはみたが幽霊部員になった。
-
- この中学、こんな馬鹿なことをしてるから幽霊部員だらけだった。女子バスケの対外試合で、人数がそろわなくて不戦敗になったことがあった。たしか中1の時に起きた事件だ。その中学は女子が男子の倍近くいる学校だったので、幽霊部員を含めて80人ぐらいいるはずだったのだが……。
- で、この中学に通っていた2年間で、私はすっかりインドア派&文化系に変わっていた。
-
- ちなみに成長が他の子より遅めなのは、両親からの遺伝。2人の親族は比較的成人後の身長は高めだが、子供の頃は他の子よりも背の伸び方が遅れぎみの傾向があった。小学校入学時に1mに届いてないとか。その影響もあるのか走るのも小さいうちは遅めだった。小学校5年生の春の測定では50m走が9秒後半だ。ところが小5の途中から、急に足が速くなりだした。それも小6の春の測定では8.2秒、初めて測った100m走が16.5秒だ。これが高2の頃には100m12.4秒になるのだから、スポーツを続けていたらどうなっていたか。
- こういう遺伝子をくれた両親は、実は2人ともスキー競技の強化選手経験者。強化合宿で何度も一緒になり、のちに国体に出るために大学進学をあきらめて地元に残った者同士。現代は企業がスポンサーになるが、あの当時は競技によってスキーは営林署、柔道や剣道は警察など、公務員になって選手を続けるケースが多かったそうだ。
- △記事を隠す
- プログラミング〜数値計算
- 中学3年生の時、初めてパソコンを知った。そのままシミュレーション計算がしたくて、高校では物理部に入った。
- ▽記事を読む
- プログラミング〜数値計算
- 中学3年生の時、初めてパソコンを知った。そのままシミュレーション計算がしたくて、高校では物理部に入った。
- ゲームも作ったが、やはりシミュレーションが楽しい。統計の計算も楽しい。
- 学生時代、当時はまだ数値実験に敵意を持つ実験系の学者が多かったが、理解のある教授の下でカオス現象を卒業研究にした。
- 技術者になって機械を制御するようになると、ますますプログラミングが面白くなる。前任者が投げた制御を引き継ぎ、うまく制御できるとやりがいを感じた。前任者の失敗は、だいたい1次関数で制御しようとしていること。これを3次関数で近似して動くように制御するとうまくいくことが多い。数学力の勝負。あとは動作開始時の振動や遅れをうまく吸収できれば、たいてい狙い通りに制御できた。
- だが、それも急なリストラで終わった。
-
- 作家になってからも、始めの頃はプログラミングを続けていた。
- だが、ある日、アップルがおかしなことを始めた。「アップル製品で動かすプログラムを作る人は、全員(英語で)登録しろ。毎月会費を払え」と……。これを機にアップルで動くアプリ制作をやめた。以降はJavaScriptで組む程度だ。
- 「え? そんなことがあったのか?」という人がいるが、あった。だが、さすがにそんな馬鹿なことをしたらシェアがなくなると気づいて、アップルは半年と経たずに登録と会費の強要を取りやめた。でも、私はそれを10年間も知らなかった。
- その間に、セキュリティが強化された。いろいろと開発の環境や常識も変わっている。
- そして現在、時々思い出したように自作のワープロを組もうとネット上の解説を見ながらトライするが、いつもセキュリティの壁に邪魔されて開発環境を構築できず、いつまでもプログラミングを再開できないでいる。PHPやPerl、Pythonのようなインタープリタ系の言語でも。
- 最初の「Hallo World」の表示さえできれば、あとはいくらでも試行錯誤して自己学習できるのに、どうしても表示が出てこない。
- 暗黙のルールはどこにある? それとも、なにか過去の経験が邪魔をする致命的な思い込みがあるのか?
- おそらくできてる人には「はあ? なに、それ?」という部分で引っかかってると思う。
- 開発のためだけにWindowsを入れる気はないし……。
- △記事を隠す
- 小中校時代のイジメ
- イジメはいずれも転校から1〜2か月経ったあたりで始まっている。
- とにかく小6時の1回を除いて、今もまったく理由がわからない。(イジメの多くは、そういうものだろうが)
- 一時期は転校にからんでいるために「よそ者イジメ」と思ったが、弟にはまったく起きていない。
- おそらく大人になってからも繰り返されるトラブルとも、何らかの共通点があるのではないかと思う。
- 3度の転校と1回のクラス替え
- 人生で3度の転校と1回のクラス替えを経験している。
- K小学校
- 1〜2年生を過ごす。各学年2クラスで1クラス30人ほど。
- ここでは何も問題は起きてない。いつも周りに4人の女の子がいた。人生最初のモテ期?
- U小学校
- 3〜5年生を過ごす。各学年2〜3クラスで1クラス30〜40人ほど。私の学年は3クラス。
- イジメは転校直後の3年生の時に起きた。4年生に上がる時にクラス替えがあり、そこでイジメは終わった。
- T小学校
- 6年生を過ごす。全校生徒100人に満たない山の中の小さい学校。これでも分校ではない。6年生は16人。
- ここでもイジメが起きた。
- N中学校
- 1〜2年生を過ごす。1学年100人ほど。各学年3クラスだった。そしてここは3分の2近くが女子という珍しい学校だった。
- ここではイジメは起きてないが、前述したバレーボールに関したクラブの問題があった。
- 中学入学時に136cm、2年になった時にもまだ146cmと小さかったので、同級生上級生を含めた女子たちのオモチャにされていた。
- オモチャはたまらないが、これが人生最後のモテ期だったらしい。(涙)
- Y中学校
- 3年生を過ごす。某県県庁所在地にある全校生徒数1500人近くのマンモス校。
- ここでもイジメが起きた。改めて振り返ると犯人は英語教師の可能性も……。
- 余談ながら転校時の身長は160cmで、卒業時は172cmまで急成長した。おかげで貧血がひどく、この頃は10分も立ってられなかった。
- 小学校3年時のイジメ
- 小学校3年時のイジメは今も理由がわからない。4年生になる時にクラス替えがあり、そこでイジメをしてた何人かとクラスが変わったことでピタッと終わった。
- この時はクラス替えによって「よそ者」意識がなくなったのだろうと思ったが、今から改めて考えると弟にはそういうイジメがなかったので、別の理由があったのだろう。
- ダウジングにより、首謀者とは4年生でも同じクラスだったと判明。イジメる理由がなくなったので終わっただけだった。(2021.2.27)
- 小学校6年時のイジメ〜名主の子の成績を越えてはいけない
- T小学校でのイジメの理由は、中学に上がった時に知った。
- ▽記事を読む
- 小学校6年時のイジメ〜名主の子の成績を越えてはいけない
- T小学校でのイジメの理由は、中学に上がった時に知った。その地域にいる『名主の子の成績を超えてはいけない』という暗黙のルールだった。
- たまたま同じ学年に名主の子がいたため、クラスの子は成績を超えないように子供ながら気を使っていたらしい。
- だが、本来なら『名主の子は自分の努力で地域の一番でなければならない』だ。周りが気を使って一番にしてくれても何の意味もない。
- そこへ私が転校してきたのは、自分に都合の良いルールに浸っていた名主の子にとって、神様から与えられた心を入れ替える最後のチャンスだったのだろう。
- 中学に上がると別の小学校からも名主の子がきた。そういう学年に当たっていたらしい。
- その子はちゃんと勉強をガンバる子であった。そのためT小学校から来た子たちの成績も、そこまでは許されるというルール変更となって、一気に上がった。
- 結果、勉強をガンバらない名主の子は、学年の平均以下の成績に落ち込んでいる。
- △記事を隠す
- 中学校3年時のイジメ〜徹底した無視、孤立
- ここでのイジメは徹底したシカトだった。それが秋が終わる頃まで続いた。原因はまったく不明。
- ▽記事を読む
- 中学校3年時のイジメ〜徹底した無視、孤立
- ここでのイジメは徹底したシカトだった。それが秋が終わる頃まで続いた。原因はまったく不明。
- 加えて英語教師からも徹底的に嫌われていた。理由は1学期の中間テストだ。
- それに先立つ転校の翌日、まったくの抜き打ちで実力テストを受けた。それが全教科90点前後の学年40位(1学年約500人)。これが遠因となる。
- 問題はその次、5月に行われた定期の中間テスト。今回はテストの準備ができたので、4教科は実力テストよりも順位が上がっていた。だが、英語だけわずか32点の追試。5教科総得点410点だったので、これを英語教師への反抗と受け取られたためだ。
-
- もちろん、こういう状況になったのには理由がある。
- 前の中学のあったN町は人の出入りの少ない地方の町であったため、ほとんど中高一貫教育だった。そのため地域の教育委員会は高校卒業までに高1までの教科書をじっくり教える方針をとっていた。もちろん学校教育としては問題ない。大学受験に必要なのは高校1年までの分だけ。高2、高3で習う分はそれまでの応用や専門であるため、選択教科として学ばない人も多いだろう。文系の上位校や理系への進学を除くと大学受験への支障はない。
- N町の中学校もその方針で、英語と数学は2年かけて中1分の教科書を終え、ちょっとだけ中2の教科書に入ったところだった。事実上は中2の分を丸々やってないに等しい。そこまで極端ではないけど社会や理科に関しても同じ。社会では世界地理や世界史は完全に習ってない。ここは高校で改めて学ぶため、中学ではカットという判断だろう。理科もまだ化学記号を学んでないから、化学式は完全に独学だ。
- そのため中2で習う分は、すべて春休み中の独学でなんとかした。
- 問題は英語。中2では日本語にはない関係代名詞や過去分詞などが出てくる。これを独学で学ぶには理解が足りなかったらしい。
- 転校翌日の実力テストで高い成績が取れたのはたまたま。中間テストでは、その理解不足が現れたのだろう。
-
- で、このあとなぜかクラスから無視されるイジメが始まり、夏休み明けには胃潰瘍にまでなって学校を1週間以上休んでいる。この直後の2学期の中間テストは、高校受験前なのに学年80位台まで落ちる散々な結果だった。
- イジメが終わるのは10月の終わり頃だったか。胃潰瘍の経過診察で学校を休んだ日、担任が数学の時間をホームルームに切り替えてイジメ問題を話し合ってくれたおかげらしい。
- そのあと、なぜか妙に私を気に入ってくれた国語の先生と、担任の数学教師から英語を教わり、高校受験までに再び学年順位を40位あたりまで戻すが……。(当然というか英語の質問があっても英語教師には最後まで……)
- ダウジングにより、この時のイジメの主犯は英語教師だったと判明。英語の成績だけが悪いのを勝手に自分に反抗する生徒と思い込み、自分が顧問をするクラブの生徒を使って制裁気取りのイジメを始めたのが真相だそうだ。(2021.2.27)
-
- 私が英語の勉強に苦労した最大の原因は山奥で育ってきたため、参考書というものの存在を知らなかったことだ。それを知るのは高校2年の秋というか、期末テストの目前。それまでは教科書と授業ノート、あとは英和辞典の後ろにある付録の文法説明と、家にある百科事典だけが頼り。さて、これだけでどこまで要点を抑えられるか……。
- 教える先生たちも「まさか参考書の存在を知らない」とは思いも至らなかっただろう。どこまでの田舎者だったのか。(苦笑)
- それに知ったからと言って、お金のかかるものにすぐ手を出せるはずもなく、初めて手にするのは高校3年生になってから……。
- バブル時代前の一般公務員の貧乏ぶりを舐めるな!(爆)
- ただし高校2年になる時に父が課長へ昇進し、家計は一気に楽になっていた。時代的な背景もあるが、父の給与明細を見て年収が100万円近く跳ね上がっていた記憶がある。官舎も大正時代に建てられた半世紀以上前のボロボロの家から、同じ市内にある近代的な鉄筋コンクリートの団地へ移った。だからこそ大学は公立ではなく私立へ進むことができた。
-
- 余談だが高校時代の担任教師は英語の先生だった。他の科目に比べて英語の成績が悪いため、意地になって補習をしてくれる良い先生ではあったが……。
- 間の悪いことに、この頃は私にとって反抗期だったのだろう。先生が熱心になればなるほど、なぜか冷めてしまう自分がいて……。これは大変に失礼だったと思う。
- それとこの時に先生の語った「清水は文法は完璧なんだから、とにかく語彙を増やしてくれ」は、理系に多い問題かも。というか、これこそが参考書を知らないために起きた最大の問題。教科書に出てくる単語と用法しか覚えてない。だから自分では学んだ範囲ではしっかり覚えていると思い込み、先生は受験に必要な語彙が足りないと感じる。その状態で参考書を知らないまま語彙を広げようとすると、受験とは関係のない単語を手当たり次第に覚えようとすることに……。
- そして英語に対するトラウマ的な拒否反応は今も続いている。
- △記事を隠す
- 高校時代の生徒会汚職疑惑
- この問題は、あきらかに一人の女生徒の暴走に、一部生徒たちの勝手な邪推や憶測が重なった末の事実無根の疑惑だった。
- 今になって改めて事件を振り返ると、私が何とかする必要があったのか?
- それとも神様が、そういう役回りとしてあの場に立たせただけ?
- 生徒会活動
- 生徒会長に決まった生徒に誘われ、広報役員として生徒会入りした。
- ところが私を会計と思い込んだ生徒が、のちにそれを騒動のネタにしてくる。
- ▽記事を読む
- 生徒会活動
- 生徒会活動に参加したのは高校2年の11月〜翌年の10月までの期間だった。
- 高校では9月秋分の日のある週末に3日間の文化祭を来ない、それが前の生徒会の最後の仕事。そのあと生徒会長選挙が行われ、役員が決まったあと10月末に引き継ぎをするという流れだった。
- 生徒会長に決まった生徒に誘われ、広報役員として生徒会入りした。基本的な仕事は、生徒向けに生徒会活動報告を出すことだ。
- 当時はまだ単漢字変換の時代だが、物理部でパソコンを使って擬似的なワープロを扱えたことも誘いの理由だったのだろう。BASICやアセンブラでプログラムを組んでもいたし。
-
- 広報書類を配るついでに、生徒会から各クラブ等に配る通知類の運び役もやっていた。
-
- また会計役員の女子が声が小さくてやや引っ込み思案であったため、広報役として代理で人前での報告をすることもあった。ほとんど報道官だ。弁の立つ方ではないが、声が通る方だったらしい。
- この運び役と代理の弁が、のちに私を会計と思い込む勘違いを生み、騒動の一つのネタにされる。
- △記事を隠す
- 生徒会親睦会
- 生徒会役員同士の親睦を高めるため、2学期の期末試験のあとに泊まりでのスキー旅行が企画された。これがのちに騒動の元になる。
- 私はこの親睦会が親戚の法事と重なったため参加できなかった。
- これが疑惑の材料に使われ、そのあと生徒会活動は開店休業状態になっていく。
- 事件の始まりはクラブの予算割り
- どこの高校でもあるだろうが、クラブの予算の奪い合いは熾烈だ。この結果に不満を持った女子バレー部が騒動を起こした。
- ▽記事を読む
- 事件の始まりはクラブの予算割り
- どこの高校でもあるだろうが、クラブの予算の奪い合いは熾烈だ。
-
- 特にこの年の予算割を難しくしたのは、前年、公立高校ながら、いくつもの運動部が高校創設以来のとんでもない実績を出したことだ。
- まず野球部が夏の県大会で準決勝まで進出した。その直前の春、隣の高校が春の選抜大会で甲子園に出た。私だけでもベンチ入りメンバーに中学時代のクラスメイトが3人もいたのだから、もっと多くの知人がいる野球部員たちが異様にモチベーションを高めたのも無理からぬことだろう。
- 男女のバスケットボールも、共にインターハイで全国へ行っていた。そのうち男子バスケットは全国4位の結果を出した。おかげで土曜日の午後となると毎週のように練習試合が申し込まれたため、体育館は男子バスケ部の独占のようになっていた。
- 他にどのクラブか忘れたが秋季大会で全国優勝したクラブがあった。陸上では何人も国体に出た。日本代表の補欠で国際大会へ行った生徒もいた。
- とにかく例年にはない華々しい実績が作られたために予算はどうしてもそれらのクラブに流れ、弱小クラブや文化系の部が割りを喰う形になった。
-
- 多くの部は不満はありつつも、この予算には納得してもらった。
- だが、女子バレー部と山岳部が、最後まで必死に抵抗してきた。どちらも廃部の危機にあるクラブだ。
- まず山岳部は予算会議の時には部員1人だけだった。これで予算を求めること自体が論外。月末までの猶予期間を与えるが、部員が足りず予算のない同好会降格となった。
- 問題は女子バレー部だ。実はこのクラブも部員数が足りず、いつ同好会へ降格してもおかしくない状態だった。大会へは他の部から助っ人を頼んで、人数合わせをして参加していた。それに正式なクラブでないと参加できない大会もあるため、同好会降格は猶予されている立場である。しかし女子バレー部は、そういう自分の立場を理解してなかった。
- △記事を隠す
- 物理部にパソコンが押しつけられる
- 県が教育予算を組んで、すべての高校にパソコンを1台ずつ配ってきた。上記事件のすぐあとだ。
- これも事情を知らない生徒から、生徒会疑惑の材料として使われた。
- ▽記事を読む
- 物理部にパソコンが押しつけられる
- 県が教育予算を組んで、すべての高校にパソコンを1台ずつ配ってきた。上記事件のすぐあとだ。たしか型落ちのPC-6001系だったが、それだけで時代がわかるだろう。その本体だけを……。
- 当時の議員はパソコンのことをろくに知らず、モニターも記録媒体もなかった。それで扱いに困った学校がすでにパソコンを持つ物理部に押しつけた格好だ。
- これも事情を知らない生徒から、生徒会疑惑の材料として使われた。
-
- ちなみに物理部にパソコンが置かれているのは、生徒なら誰もが知っていることだった。
- この前年の文化祭の時、TBS系の夕方のニュースで、パソコンを展示する光景がニュースに流れたためだ。
- それに私と先輩の一人が遊びでゲームを作ったことで、物理部の部室が無関係な生徒たちにとって半ばゲームセンター化してたこともある。その中には授業をサボってゲームをしてた生徒まで出てきたために問題となり、その意味でも知らない生徒のいない状況となった。
-
- 余談:前年文化祭のパソコン騒動
- 当時はまだ、クラブ活動でパソコンを使っている学校は少なかった。だからこそテレビ局の取材がやってきた。
- ところがテレビ局の取材班は自前の電源を用意せず、勝手に学校のコンセントにカメラのプラグを差し込んで撮影しようとした。ただでさえパソコンフル稼働で大容量を使っているため、取材用の大型カメラの電源が入れられた途端、学校のブレーカーが落ちてしまった。
- 当然、パソコンは起動からやり直しだ。その間も事情のわかってない取材班は、更に何度もブレーカーを落としてくれる。
- さすがに、これでは取材できないとわかったのか、取材班はパソコンの電源を入れさせず、動かしてる場面の映像は取れないが、パソコンの前に生徒たちを集め、後ろ側から撮影するヤラセ映像だけを撮っていった。この映像がニュースで流れたのだ。
-
- しかし、これで文化祭のパソコン騒動は終わらない。
- この翌日、ニュースを見た大手2社の営業がやってきて、学校に許可を得ないまま勝手に自社のパソコンを展示していく身勝手なことをしてくれた。当時はまだ部外者の出入りに、今ほどうるさくない時代だった。
- この日が土曜日で、一般来場客が増える日。しかも前日のテレビニュースで物理部の訪問者が増えると見込んで、自社製品の宣伝に最高の舞台とでも思ったのだろう。文化祭のために使っている生徒のパソコンのプラブを抜き、展示のために並べていた机の配置まで勝手に変え、自社のパソコン展示を優先させる傍若無人ぶりだ。
- ただし、この2社の営業は鉢合わせせず、あとから来た営業が前の会社のパソコン展示を止め、そこに自社の製品を置くということを……。
- この2社目の時に教頭が駆けつけて、学校は許可してないだ何だと騒ぎになった。
- おかげで私の人生において、この2社の製品は無意識のうちに今も避ける傾向が……。(苦笑)
- △記事を隠す
- 生徒会疑惑〜不信任案が出される
- クラブの予算割が決まってから、少し経った頃だろう。どこかから生徒会不信任案が提出された。
- この時は反論材料を準備する機会を与えたくなかったのだろう。不信任の理由を生徒会予算の私的流用として、具体的な内容は伏せられたままだった。
- 生徒総会で
- 生徒会不信任案提出に伴い、生徒総会が開かれることとなった。そこでなぜか私が矢表に出ることになる。
- ▽記事を読む
- 生徒総会で
- 生徒会不信任案提出に伴い、生徒総会が開かれることとなった。そこでなぜか私が矢表に出ることになる。
-
- まず、不信任案を出したのは女子バレー部のキャプテン他3人だった。そこで、
- 生徒会執行部が生徒会予算を私的に流用して旅行に行った。
- 不正に関わりたくないのか、その旅行に参加してない生徒がいた。
- 会計が予算を私的に流用して、自分のクラブに予算を回してパソコンを買った。
- という疑惑を言い出してきた。当然、すべて事実無根の言いがかりだが、その中に私に関するところが2つもある。
- しかもどこで勘違いしたのか、彼女は私を会計役員だと思い込んでいた。
- だが体育館に集められた生徒たちは、いきなり聞かされた疑惑に、義憤から大荒れになった。
- 状況から、この説明には私が出ないといけない状況のようだ。そもそも広報役なので、説明役を押しつけられる状況ではあった。
- 一方で生徒会長も、生徒会のことなので第一声は自分がやると言い出す。
- そこで簡単な打ち合わせをして、
- 旅行は生徒会執行部の親睦会であり予算は使ってない。また参加は希望者のみである。(生徒会長)
- 物理部に入ったパソコンは県が各校に配ったものであり、生徒会の予算とは関係ない。(私)
- そもそも私は広報役員であって、会計ではない。(私)
- 更に親睦会には参加してない側の生徒の一人であり、理由は家庭の事情で法事があったから。(私)
- と、疑惑が思い込みや邪推であることを説明した。
- そもそも「不正に関わりたくなくて参加しなかった生徒」と「自分のクラブに私的流用した生徒」が同一(私)なのが矛盾だし、それ以前に私を会計だと思い込んでる時点で事実をちゃんと理解してない事実誤認で疑惑が始まっている。
- そこに事情を知る教師の一人が壇上に出てきて、親睦会の件も、パソコンの件も、まったく不正なものではないと説明した。
-
- だが、ヤジが飛び交う体育館の中で、生徒会や先生の説明は、どこまで耳に届いたか。
- このあと行われた不信任案賛同の挙手は、前の方に座っていた1年生では少なかった。だが、後ろに座っている2年3年で挙手する人は多かった。一部のヤジで説明が耳に届かなかったかもしれない。
- 結果として、ギリギリで生徒会不信任案は否決された。だが、一度生まれた疑惑はいつまでも消えることはなかった。
- △記事を隠す
- 生徒会、開店休業〜その後もやまない疑惑
- 生徒会に対する疑惑は、その後も何度も蒸し返された。
- ▽記事を読む
- 生徒会、開店休業〜その後もやまない疑惑
- 生徒会に対する疑惑は、その後も何度も蒸し返された。生徒総会の時に疑惑だけ聞いて、釈明を聞いてない生徒が2年3年に多かったためだ。そのたび苦情が来て同じ説明を繰り返すことになる。
- そこに更なる陰湿なウワサまで流れ始めた。生徒会メンバーの人格攻撃だ。誰かが流してるのだろう。それにうんざりしたのか、常時生徒会に出てくる生徒が減ってくる。
- ついには会長までやる気を失って出てこなくなると、生徒会は一気に活動しなくなってしまった。すぐに副会長も顔を見せなくなり、やがて私も……。
-
- それでも最後まで生徒会室を守ったのは、会計と書紀の女子2人だった。
- おかげで何か必要があれば彼女たちの呼びかけですぐに顔を出して形だけの仕事はするが、誰も積極的に活動しようとは思わなくなっていた。
- 生徒会最後の仕事になる秋の文化祭は文化祭実行委員に思いっきり丸投げ、続く次期生徒会長選挙も選挙実行委員に丸投げで終わっていた。
- △記事を隠す
- 大学の漫研騒動
- この問題の発端は、おそらく価値観の大きな相違ではないかと思う。
- 騒動の背景〜オリジナルvsアニパロ
- 当時はオリジナルとアニパロ(現在の二次創作)の間に大きな溝があった。
- というかオリジナルの側から見て、どうしてもアニパロ勢は受け入れがたい嫌悪感があった。ただし、ヘイトとしての嫌悪感ではない。
- ▽記事を読む
- 騒動の背景〜オリジナルvsアニパロ
- 当時はオリジナルとアニパロ(現在の二次創作)の間に大きな溝があった。
- というかオリジナルの側から見て、どうしてもアニパロ勢は受け入れがたい嫌悪感があった。ただし、ヘイトとしての嫌悪感ではない。
-
- オリジナル勢には出版社に投稿したり持ち込んだりしてる学生が多かった。プロになる人もいた。真剣にマンガに取り組んでいた。
- 特に理系で漫研に入ってる人は、少ない時間を削ってマンガを描いているため、絵を描く本気度が高かった。
-
- 一方でアニパロ勢は、アニメやゲームを楽しむのが目的だった。オリジナル勢とはマンガに対する姿勢が根本的に違った。
- 文系で漫研にいる人は、完全なモラトリアムだった。オリジナル勢からはチャランポランに見えた。
-
- この状況を水泳にたとえたら、オリジナル勢は競泳、アニパロ勢はレジャーだ。「わざわざ競泳用プールに入ってきてボール遊びするな」という感じだだろう。
- だから、この時代は二者の反りが合うはずがなかった。そのため大学のサークルは、オリジナル勢は「漫画研究会」、アニパロ勢は「アニメ・ゲーム研究会」と住み分けられていた。
- だが、この住み分けをハッキリさせたいのは一方的にオリジナル勢だ。アニパロ勢は意に介さず、どんどんオリジナル勢の神経を逆なでするようなことをしてくる。
-
- またオリジナル勢は著作権法を気にするが、アニパロ勢は存在自体が著作権法違反である。このモラルの違いも大きかった。
- これを宗教で例えれば、戒律を大事にするイスラム教徒に、「騙されたと思ってカツ丼を食ってみろ。美味いぞ」としつこく押しつけて仲間に誘う愚か者のようなものだ。本人は善意のつもりかもしれないが、それがどれほどモラルに反してるのかまったく自覚がないから救いようがない。
- そういう対立の根本を理解しようとせず、とにかく大勢で騒いだ方が楽しいと、誰彼かまわず仲間に巻き込もうとしてくる迷惑な人が当時のアニパロ勢に多かった。
- △記事を隠す
- 騒動の始まり
- 騒動の始まりは夏のコミケに出展した漫研の同人誌に、アニパロ作品が載ったことに始まる。
- 上にも書いた通り、漫研はオリジナル作品にこだわりがあるため、アニパロの掲載を認めてなかった。背景のモブにアニメキャラが出てくるのは「お遊び」として許容されるが、アニパロ作品となると話は別だ。それがサークル名義の同人誌に載ったのであるから、会長を含めた執行部の中に造反者がいるのは明らかだった。
- 不満爆発
- そこに来て秋の大学祭でも、漫研の展示部屋の前に置く看板に、アニメキャラが描かれる事件が起こった。
- これでオリジナル勢の怒りに火がついた。
- 会長不信任への動き
- 大学祭期間中に、会長不信任の署名が始まった。夜、先輩に声をかけられ、一人の先輩の家に呼ばれて署名が始まる。
- 最初は出版社へ原稿を持ち込んだ経験のある学生が集められる。こういう学生同士は原稿を見せ合って意見交換するために、いくつかのグループを作っていた。私もそういう仲間と原稿を仕上げ、夏休みに持ち込んでいる。こういうつながりで呼ばれたのが始まりだ。
- 騒動の結果、執行部は入れ替わったが
- 大学祭から半月と経たず、会長不信任が通って執行部を作り変えるサークル内選挙が行われた。
- 最初の思惑通り、オリジナル勢はアニパロ勢を排除することに成功したのだが……。
- ▽記事を読む
- 騒動の結果、執行部は入れ替わったが
- 大学祭から半月と経たず、会長不信任が通って執行部を作り変えるサークル内選挙が行われた。
- 最初の思惑通り、オリジナル勢はアニパロ勢を排除することに成功したのだが……。
-
- 新執行部は「原稿は個人が家で描くもの」という言い方で、サークルは創作論をぶつけ合う場所と言い出した。
- それまでの原稿を持ち寄って意見を交わしたり、実際に目の前で描いて作画テクニックを教え合ったりしたのだが……。
- 新執行部に居座った先輩たちは、アニパロ勢よりもタチの悪いワナビ(自分ではポーズ程度にしか物を作らず、評論や創作論が好きなタイプ)だった。そのため本当に作品を描いていたオリジナル勢の怒りを買い、徐々にサークルから人がいなくなることに……。
- それでも残ったオリジナル勢の有志は創作論には加わらず、グループを作ってそれまで通りの活動を続けていた。無言の抗議だ。
- 私もそのグループに混じって、道具と原稿を持ち込んで細々と活動を続けていた。
- △記事を隠す
- 新人勧誘で再び
- そして2年生となり、新人勧誘の季節が来たが、そこでまた同じ事件が起きた。
- サークル勧誘の看板やポスターに、またアニメキャラの絵が描かれる事件が起きた。
- アニパロ勢は追い出されたはずなのに、いつの間にか戻ってきていた。というか一時的に活動を自粛してただけだった。
-
- さすがに、それで残って活動してた先輩たちが次々といなくなった。私も5月頃に退会届けを出してサークルから離れた。
- その後はいったい何が起きたのか
- その後、大学内でおかしなウワサを聞くようになった。私の人格を非難するウワサだ。誰かが大学内で私の悪口を触れまわっていたらしい。
- 何人もの知人から「こんな話がまわってる」と聞かされるが、一方的なデマで弁明する機会もない状況だった。
- ただ私を知る人には悪質なデマとわかる稚拙な内容だったので、周りで信じる人が誰もいないのは幸いだった。
- ▽記事を読む
- その後はいったい何が起きたのか
- その後もマンガを描き続けようとしたが、2年の夏休みに持ち込んだ時に「原作付きでデビューしないか?」という話をもらうものの、その原作がエロシナリオであったために断った。それ以前に自分の作る物語で勝負したい気持ちが強かったが……。
- だが、これはデビューするチャンスを捨てたことになった。大学の専門が忙しくなったこともあり、マンガの持ち込みはその時が最後になってしまった。
- その影響もあり、元サークルの人たちとの親交も減っていく。
-
- で、その頃からおかしなウワサを聞くようになった。私の人格を非難するウワサだ。誰かが大学内で私の悪口を触れまわっていたらしい。
- 何人もの知人から「こんな話がまわってる」と聞かされるが、一方的なデマで弁明する機会もない状況だった。
- ただ私を知る人には悪質なデマとわかる稚拙な内容だったので、周りで信じる人が誰もいないのは幸いだった。
-
- でも、アニパロ勢で騒動を体験した人の中には、それから10年以上もイヤな思い出として残っていたようだ。
- 最後に聞いた人物は、サークル活動で創作論をしてるグループの中で何度か見かけた。
- あちらも原稿を描いてるグループの中に私を見ていたのだろう。互いに顔見知りながら軽い言葉以外に交わした記憶はない。
- 最後まで会長不信任案を仕掛け、漫研を分裂騒動に追い込んだ人格破綻の首謀者と思い込んでいたらしい。そういうウソを誰かに吹き込まれたのだろう。
- それを共通の知人にぶつけた時に話の矛盾点を突かれ、ようやくウソと思い込みに気づいたそうだ。
- 「みんな、1年生の口車に乗ったの? その人、そんなにすごいカリスマを持ってるの? そんなカリスマがあるなら新しい会長になるか、仲間を集めて別のサークルを立ち上げていたでしょ」と。
- ちなみに大学では毎年、大学祭の時にOB会の集まるイベントを開いている。私が作家として忙しくなり、その知人に誘われたもののたまたま締切と重なって行けなかった年に起きた話だった。
- △記事を隠す
- 会社のリストラ関連
- 1990年代後半は日本中で、これから語るような理不尽なリストラが横行したらしい。それで自殺率が跳ね上がって……。
- 勤めていた会社は
- 大正時代創業の国策会社。得意分野は鉄道関連だが、それ以外にも技術力が高く、様々な電機設備関係を手掛けていた。
- ▽記事を読む
- 勤めていた会社は
- 大正時代創業の国策会社。得意分野は鉄道関連だが、それ以外にも技術力が高く、様々な電機設備関係を手掛けていた。ただこの会社はブランド力がないため、製品を大手メーカーの名前を借りて出荷することが多い問題はあった。
- 本社は品川に置かれていた。だが、技術者は全員、全国にある工場に分散されている。大きな工場は創業場所の京都のほか、横浜、相模。他にも立川や千葉、滋賀、熊本などに小さな工場や開発事務所があった。
- 私はその中で相模工場にある電子制御による大型印刷機を手がける事業部に配属されていた。
-
- 余談:勤めていた頃にこんな事件があった
- 勤めていた会社は高い技術力を持っていたため、私が入社する前から、様々な事件に巻き込まれていた。
- 世間的には不正輸出などで「X社事件」として扱われているものも、実はその会社の製品だったなんて話も珍しくない。こういう場合のX社は、製品にブランド名を貸して販売していただけだ。
-
- 私の勤めていた時にも、そういう事件があった。しかもブランド名を貸したのではなく、勝手に流用されたという……。
- 会社が手がける設備機器の中には、浄水場向けの大型浄水器があった。
- 平成不況が深刻化した頃、1台300万円もする大型浄水器を大量に注文してくる商社があった。不況期に有り難いと注文に応じたが……。
- その商社は買った機械の企業名の銘板を剥がし、別のN社の銘板に付け替えて1台800万円で東北地方の自治体に卸していた。商社は親会社名を隠して機械を買ったダミー会社だった。平成不況が深刻化してきたとはいえ、まだ公務員の頭の中はバブル時代のままだった頃の話。
- それが発覚したのは某自治体の水道局に納めたが、N社の技術者が機械をうまく据え付けられなかったため。ダミー商社の担当者がN社の社名の入った作業着とダミーの名刺を持ってきて、「これで直してきてくれ」と言ってきたために不正が発覚した。
- この事件、マスコミがまったく取り扱わなかったため被害者の自治体も売った会社名も伏せたままにしておくが、もしかして念入りにネット検索したら出てくるかもしれない。(そこまで確認してないが)
-
- ホント、世の中はあくどいことをする人ほど儲かるようにできているらしい。
- △記事を隠す
- 平成不況で起きたこと
- 最初にも書いたが、勤めていた会社は戦前は国策会社だった。その関係で戦後も長く高級官僚の天下り先になっていた。
- バブル崩壊後、最初の赤字を出した時は、旧大蔵省からの天下り社長だった。当然、経営のノウハウもないため、一社員の目からも「何やってんだ、あの無能社長!」という経営をやらかして3億円もの赤字を出した。これが騒動の引き金になる。
- 金融系企業からの大量出向受け入れ
- 赤字を出したあと、無能社長がやらかしたのは、金融系企業からの出向者の受け入れだった。それも大量に……。
- ▽記事を読む
- 金融系企業からの大量出向受け入れ
- 赤字を出したあと、無能社長がやらかしたのは、金融系企業からの出向者の受け入れだった。それも大量に……。
- この当時、バブル経済崩壊で金融系企業は大打撃を受け、経営立て直しのために社員を大量に切り捨てることが急務だった。
- 会社経営の赤字転落から、融資や株式の取り扱いを口実にされたのだろう。メインバンクのS銀行と、N証券から大勢の出向者がやってきた。
- 第1陣は全員本社営業の配属だったため現場の混乱はなかったが……。(1993年夏)
- 第2陣はある日、突然多くの管理職が会社からいなくなり(関連会社へ出向)、代わりに金融機関からの出向社員たちが新しい管理職として現場に配属されてきた。(1994年春)
- 幸い、私直属の上司は出向にならなかったが、金融系企業で働いていた時と同じ給与待遇とするために技術のイロハも知らない出向者たち全員が多くの部署で管理職として居座るとんでもない事態となった。
- 技術者2人に管理職7人という異常事態で、「1時間に2万5千円稼ぐものを開発しろ」と何度も言われるゆがんだ時代だった。
- なお、会社の工場は全国にあったが、品川に置かれた本社からは常に事後報告という形だった。
- そのため社員にとってこういう人事は、常にいきなり聞かされる不透明な状態だった。
- △記事を隠す
- 社長が逃げた
- この事態を作った社長が、1億5千万円もの退職金を持って逃げてしまった。(1994年6月頃?)
- ▽記事を読む
- 社長が逃げた
- この事態を作った社長が、1億5千万円もの退職金を持って逃げてしまった。他にも何千万円の役員報酬も満額受け取っている。(1994年6月頃?)
- このことも社員には知らされず、かなり経ってから事後報告として聞かされた。ただちに労働組合が背任行為として退職金と役員報酬の返金を求める裁判を起こしたらしいが、結果は音沙汰なしである。
- この直後、たしか会社の赤字は5億6千万円にまで膨らんでいる。(まだ社員1人あたりにすると10万円程度の赤字だが……)
- △記事を隠す
- 技術者の考え方と、金融系社員の考え方の違い?
- 金融系出向社員たちがじわじわと会社の要職を独占するようになり、暴走が激しくなってきた。
- ▽記事を読む
- 技術者の考え方と、金融系社員の考え方の違い?
- おそらく上記から半年以上、社長不在ではなかったか。本社からの人事情報が伝わらないため、このあたりの記憶はハッキリしない。
- その中、金融系出向社員たちがじわじわと会社の要職を独占するようになり、暴走が激しくなってきた。
- 一番の問題は、製品テストを「無駄なこと」と考える出向社員たちの態度。
- 技術者は「人がやることなので間違いはある」と考えて念入りに製品テストをする。だが、彼らは「自分たちに間違いはない」「間違いを認めたら負け」という考え方に固執していた。そのためN証券から出向してきた部長の「テストが必要なものを作るんじゃねえ」の一言で、強引に出荷が決まってしまった。それを許可したのはS銀行から出向してきた工場長だ。
- 1995年3月上旬に出荷が強行され、1週間後には大量の不具合が発生して大損害が発生。結果、私のいた事業部は解体されることになった。
- △記事を隠す
- 能力主義の導入
- 新しい社長が最初に手掛けたのは能力主義の導入。管理職のほとんどが金融機関からの出向社員という異常事態を見て、すぐさま社員全員を対象にした昇進候補者のピックアップと、能力試験の実施が検討される。
- ▽記事を読む
- 能力主義の導入
- 金融系の出向社員たちが暴走して会社に大きな損害を出す直前、ようやく後任の社長が決まった。
- 大手電機メーカーの社長経験のある人だったらしいが、どこだったかは完全に忘れている。
- この社長が最初に手掛けたのは能力主義の導入。管理職のほとんどが金融機関からの出向社員という異常事態を見て、すぐさま社員全員を対象にした昇進候補者のピックアップと、能力試験の実施が検討される。
- 私が候補者に選ばれたと聞いたのは前項トラブルの起きる直前。おそらく2月中ではなかったかと思う。
- この試験は3か月以上続く長丁場となり、最後の面接試験の日は雨だった記憶があるので梅雨に入ってたのか。合格発表は夏。そして9月頃に合格者20数人を集めた最初の管理職研修が開かれ、そこで20代は私を含めて3人だけと知った。
-
- 余談であるが、まさにこれと同じ時、小説家デビュー作となる応募作品を書いている時だった。通常の仕事以外に応募作の執筆、昇進試験、そして事業部のトラブル対応という4つを並行して、よく乗り切れたと思う。
- △記事を隠す
- 昇進までの3年間は、まるで傭兵部隊
- 会社には管理職になる前に3年間の研修期間を設ける規定があった……らしい。
- ▽記事を読む
- 昇進までの3年間は、まるで傭兵部隊
- 会社には管理職になる前に3年間の研修期間を設ける規定があった……らしい。それでは会社組織をスムーズに変えられないと、能力主義を取り入れようとした社長がかなりお怒りだったそうだ。
- 今となっては本当にそんな規定があったのかどうかは疑わしい。管理職の入れ替えを先延ばしにする出向社員たちの作った口実の可能性は高そうだ。社長がなんとか変えさせようとしたが、ついに果たせなかった。
- その間私は所属していた事業部が消えたため、いつまでも所属が確定しない傭兵状態。そのため、この期間に鉄道部門で自動改札、自動券売機の開発を手伝ったり、産業部門で新聞用の大型輪転機の開発を手伝うなど、社内を動きまわっていた。
- これが技術者時代の体験談をする時、「お前、何の会社にいたの?」になる原因でもある。
- △記事を隠す
- いよいよ昇進? ところが……
- 昇進試験の合格発表から3年経った1998年の8月頃から、順次、管理職に昇進することになっていた。
- ▽記事を読む
- いよいよ昇進? ところが……
- 勤めていた会社では11月15日が創業記念日のため、そこから3か月ごとの11月、2月、5月、8月の15日を辞令公布の日と位置づけている。そこで昇進試験の合格発表から3年経った1998年の8月頃から、順次、管理職に昇進することになっていた。
- もっとも、最初の人事発表の8月15日は週末でお盆であったこともあり、週明けて1日置いた18日に新人事が伝えられた。
- 私は昇進ではなく、まず人事異動。所属のない傭兵部隊状態が終わり、鉄道事業部駅務開発部に配置転換。駅務は自動改札や自動券売機などで手伝った経験のある部署だった。
-
- ところが、この時はまだ知らされてなかったが、能力主義を決めた社長が突然辞めさせられていた。あとから来たのは、またもや官僚出身の天下り社長だったらしい。たしか旧通産省出身だったか……。
- △記事を隠す
- 仕掛けられたワナ〜理不尽なリストラ
- 着任して最初に与えられた仕事は自動券売機の刷新。どこかの新路線で使うという話だった。
- ところが……。
- ▽記事を読む
- 仕掛けられたワナ〜理不尽なリストラ
- 前の仕事の残務があったため、最初の2週間は席替えもなく。月末にようやく異動した。
- 上司はS銀行出身の課長と、N証券出身の部長。このうち課長が私の作家デビューをどこからか聞きつけ、やたらとからんできた。
-
- 着任して最初に与えられた仕事は自動券売機の刷新。どこかの新路線で使うという話だった。
- ところが、いつまで経っても仕様がまとまらない。顧客と打ち合わせるというS銀行出身の課長に同行させてもらうように頼むが、必要ないと突っぱねられ、顧客がどこかすらわからない。
- それでも自動券売機としての制御プログラム等は組み、仕様が出てきたところで細かいところを詰める予定だったが……。
-
- 1998年10月1日木曜日の夕方。出てきた仕様書は自動券売機ではなかった。
- 顧客はJRから独立する西日本の第三セクターで、自動券売機はしばらくJR時代のものを使うことになったらしい。
- 代わりにWindows上で動く経理プログラムの制作に話がすり替わっていた。しかも週を明けた5日月曜日に西日本から顧客が来て、テストに立ち会うと……。
- つまり週末を含め、たった3日でプログラムを完成させなくてはならない。ところが設備機器の開発会社であるからWindowsプログラムを作る開発環境自体が存在しない。これは本来、関連会社に発注する事案だ。
- それに加えて仕様書のいい加減さ。何を計算するどころか入力するファイルフォーマットの仕様すらない。事実上、これで開発など不可能だが、S銀行出身課長は「技術者なら自分で調べろ」の一点張りで埒が明かなかった。
-
- この状況を説明するのに、私はよくテレビをたとえにする。
- テレビ受像機の開発を頼まれる。ところが納期直前になって、テレビは今あるものを使うから番組を作れと言われたようなもの……と。それも放送時間帯も番組の長さも、まったく決まってないものを……。
- それほど有り得ない契約の変更だ。
-
- 結果、関連会社に出向させられた技術職の先輩を頼りに頼み込んで開発環境だけは構築したものの、入出力画面などをWindowsに表示させることもできないまま月曜を迎え、何も知らない顧客に平謝りさせられることとなった。その席上、S銀行出身の課長が鬼の首を取ったように私を罵ってくれた。その異常なパワハラには顧客企業の担当者も目に見えて引き攣っていたのがわかるのが嫌な思い出。
- 翌日から2日間、精神的におかしくなって無断欠勤。ようやく戻ったらN証券出身の部長から解雇を言い渡された。
- その時に「書け」と言われた離職届には、すでにボールペンで『会社都合』ではなく『自己都合』の方に丸が書かれていた。それにムッとした私は退職理由に大きく「リストラ」と書いたところ、S銀行出身の課長が横から手を出して書類をビリビリに引き千切ってくれた。
- △記事を隠す
- 労働組合の対応
- この問題を労働組合に相談したら、けんもほろろに相手にされなかった。
- ▽記事を読む
- 労働組合の対応
- この問題を労働組合に相談したら、けんもほろろに相手にされなかった。
- 私の訴えが通ったら、その時は課長になって組合員でなくなる。それはおかしいだろうと……。
-
- この裏には組合と会社で、新給与体系の話し合いがまとまってない事情があった。
- 旧態然とした年功序列を前提とした古い給与体系では、課長には40台前半でなることを前提としている。その給与体系のまま課長へ昇進されると、月給が16万円以上跳ね上がったそうだ。会社としては、それを払いたくなかったらしい。
- 当然、このリストラには組合も一枚からんでいたのだから、おかしな物言いになったのだろう。
- △記事を隠す
- 年金未払い
- おそらく8月の時点でリストラを決め、そこから国へ納める年金も止めていたようだ。
- ▽記事を読む
- 年金未払い
- リストラされてすぐ、市役所へ行って健康保険などの手続きをした。
- その時、会社が8月分からの基礎年金を支払ってないということで、3か月分さかのぼった年金額が請求された。
- おそらく8月の時点でリストラを決め、そこから国へ納める年金も止めていたようだ。
- いろいろと腐った話である。
- △記事を隠す
- 逆恨み、その1
- N証券出身の部長はトラブルの責任を問われ、創業80数年で初めての制裁的降格人事で管理職から一般社員まで格下げさせられたらしい。
- その時に大声で「すべては清水が悪い」と何度も叫んで暴れていたそうだ。
- ▽記事を読む
- 逆恨み、その1
- リストラから半年近く経った1999年3月、会社から1本の電話があった。相手はN証券出身の部長。内容は私の担当した製品でディスコン(部品の仕様変更で、旧製品がなくなる)が発生したので、作った者の責任で直しに来いと。当然、無視した。
- この電話は5月までに計4回もかかってきている。
-
- で、ここから先は会社に残った学生時代の先輩から聞いた話である。
- 誰も直せなかった結果、関西にある某私鉄から出入り禁止を喰らう大事件に発展したそうだ。
- それで責任を取らされたN証券出身の部長は、創業80数年で初めての制裁的降格人事で管理職から一般社員まで格下げさせられたらしい。
- その時に大声で「すべては清水が悪い」と何度も叫んで暴れていたそうだ。
- これまでは降格人事を言い渡される前に『辞表』を出したり、辞めないまでも『進退伺い』『降格願い』を出して自分の管理責任を認めるのが通例であった。その元部長には、そういう責任意識がまったくなかったようだ。
- なお、このあとその先輩は関連会社へ出向させられたため、話はここで終わっている。
- △記事を隠す
- 逆恨み、その2
- これは事件から10年近く経ったあとの話である。
- おそらくは私がいなくなったあと、S銀行出身の課長が触れまわったのだろう。「小説が売れたから辞めた」を信じて、いつまでも怒りが収まらなかった人もいたようだ。
- ▽記事を読む
- 逆恨み、その2
- これは事件から10年近く経ったあとの話である。
- おそらくは私がいなくなったあと、S銀行出身の課長が触れまわったのだろう。「小説が売れたから辞めた」を信じて、いつまでも怒りが収まらなかった人もいたようだ。
- 私が抜けた結果、かなり忙しくなって怒りのぶつけ先になったのだろう。
- この話を教えてくれたのも、前項と同じ学生時代の先輩。関連会社に出向させられていたが、鉄道関連の技術者兼部長としてほぼ10年ぶりに会社に戻ってきた時に遭遇した話だそうだ。
- その時に先輩が怒りを持ち続けていた人に事実を教え、それでピタッと怒りは収まったらしい。
-
- その時、S銀行出身の課長はどうなっていただろうか。
- 私がリストラされた時、まだ相模工場だけで2000人いる会社だった。だが、2010年には会社全体で600人を切っている。
- ちなみに相模工場は売られて宅地造成され、今はGoogle Mapで見ると200軒以上の住宅が建っている。
- △記事を隠す
- 余談:同じ被害に遭った友人の話
- 最後に自分の話ではないが、この機会に友人だったSくんのことも書いておきたい。
- その彼も20代で昇進試験に受かったうちの1人だった。
- ▽記事を読む
- 余談:同じ被害に遭った友人の話
- 最後に自分の話ではないが、この機会に友人だったSくんのことも書いておきたい。
- 彼とは学生時代からの顔見知りではあったが、同じ会社に中途で入ってきたことで友人となった。お互いクラシック音楽好きなのも気の合う理由だった。
-
- その彼も20代で昇進試験に受かったうちの1人だった。
- 彼は私より2か月遅れての中途採用だったため、課長昇進予定は私の次のタイミングである翌年2月だった。
- その彼の訃報を、2月に入ってすぐ聞かされた。睡眠薬をお酒で飲んだ末の事故死という話だった。
- これを聞いて、すぐに彼にも理不尽なリストラがあったと悟った。時期が私と同じ課長昇進直前。しかも、私に睡眠薬をお酒で飲むと危ないと教えてくれたのは彼自身だから、知らずに事故死というのは考えられない。
- 彼のことだから、おそらく、朝、無事に目が覚めたら、気持ちを切り替えて頑張ろうと賭けに出て負けたのだろう。そのため遺書は残されてない。だからか、会社はこれ幸いと社内にはリストラの話があったことは伏せていた。警察も遺書がないという理由だけで事故死扱いにした。前年の1998年に日本の総自殺者数が3万人を超えたため、カウントしないようにしたのだろう。
-
- ちなみに彼は昔ひし形だった電車のパンタグラフを、現在のシングルアームに変えた優秀な技術者だった。
- (シングルアーム自体は1960年代から鉄道総研が研究してるという人はいるだろうが、彼が手を出すまで実用化できなかったのも事実だ)
- 彼はもっと先の形を構想していた。大学で学んだ航空力学を活かした新しい形のパンタグラフを「空力パンタ」と呼んでいた。だが、彼の死でその技術は日の目を見ていない。20年間、パンタグラフはマイナーチェンジはあるもののシングルアームのままだ。今、「空力パンタ」でネット検索しても、出てくるのはシングルアームである。
- それに彼がシングルアームの実用化に成功しなかったら、世の中のパンタグラフはドイツ式のT字パンタに変わっていただろう。ドイツも彼の技術を超える製品を、いまだ作り出せていない。
- 世の中の片隅で、こんな話があったことを知ってもらいたい。
- △記事を隠す
- 余談:日本人の文化由来精神病が原因かも
- 金融業界から出向してきた人たちの不可解な行動の裏には、日本人にのみ見られる文化由来精神病が原因かもしれない。
- 高学歴な人たちほど起こしやすい精神的な病理──裏切り者的破壊行動だ。
- ▽記事を読む
- 余談:日本人の文化由来精神病が原因かも
- 金融業界から出向してきた人たちの不可解な行動の裏には、日本人にのみ見られる文化由来精神病が原因かもしれない。
- 高学歴な人たちほど起こしやすい精神的な病理──裏切り者的破壊行動だ。
-
- 日本人は『内罰性向』の人が多いため、うまくいかないことがあると「自分や組織に問題がある」と考える傾向がある。
- ところがプライドが高い人は同じように『内罰性向』を見せながら、それを「世の中が悪い」「組織のあり方が悪い」と問題をすり替え、度を超えると「だったら壊してしまえ」という裏切り者的破壊行動を起こすことがある。その最たるものが反日日本人や左翼活動家だそうだ。
- 金融業界から出向されて工場で働かされることになった社員たちは、給与額に見合った管理職や経営幹部を任されることになる。ところが本人たちにとっては思い通りにならなかった人生への恨みから破壊行動に出た結果が、傍目にバカとしか思えない不可解な行動につながったのかもしれない。
- 製品テストが始まったばかりなのに、強引に出荷させて会社に大損害を与えた工場長や技術部長
- 新社長が導入した能力主義による会社立て直しに抵抗した人たち
- 能力主義で管理職に着任予定の人たちを、いっせいにリストラした理不尽な発想
- これらが、すべて文化由来精神病から所属コミュニティに損害を与えようとする『裏切り者的破壊行動』である可能性がありそうだ。
- そのため冷静な思考力を失っているために、自分が破壊的な決断をしたのに、責任を感じない(だから責任も取らない)という無責任な態度につながるのだろう。
- △記事を隠す
- 相次ぐ出版トラブル
- どれも情報が足りなくて、どういう原因で問題が起きたのかわからないものが多い。
- もしかしたら神様から出版界の一部に見られる悪質な体質を世間に暴露する役目が与えられているのではないかと感じてしまう。
- できごとをほぼ時系列に並べる。
- 新人賞受賞作からの盗用事件
- あるアニメ化されたシリーズ作品の最新巻で、受賞作の第2章の後半が丸々使われていた。それもアイデアやエピソードだけでなく細かなセリフまわしや地の文の言いまわしまで、400字詰め原稿用紙で20枚近い量の書き写しだ。これは文庫本の1割近い分量である。(1996年11月)
- ▽記事を読む
- 新人賞受賞作からの盗用事件
- 作家デビューは最初からトラブル続きだった。
- ただし最初の3つは、当初はトラブルではなく、作家という世界での耐えるべき「壁」や「巡り合わせ」のようなものと考えていた。
- ただ、あとから振り返ってみて、魂の課題について考えた時に加えた方が良いと思ったので書き加える。
-
- まず新人賞受賞。すでにここで受賞作「気象精霊記」の最初のトラブルが始まっていた。(1996年10月)
- 授賞式の2次会で、何人もの編集者たちから苦言をぶつけられる。それがあまりにも言ってることがバラバラなので、まるで「受賞されたのが迷惑」とでも言われたような気分になった。
- だが何を言われたかを整理すると、「作品そのものがダメ」と言う人と、「第二章はダメだから丸々書き直せ」と言う人の2派に分かれていた。
-
- この理由は授賞式から1か月と経たずに気づくことになった。(1996年11月)
- あるアニメ化されたシリーズ作品の最新巻で、受賞作の第2章の後半が丸々使われていた。それもアイデアやエピソードだけでなく細かなセリフまわしや地の文の言いまわしまで、400字詰め原稿用紙で20枚近い量の書き写しだ。ページ数にしたら十数ページ。これは少し薄めの文庫本なら1割近い分量である。違うとしたら登場人物の口調など、作品の設定に合わせて微調整されていたぐらいだ。
- とても偶然とは思えないため、当時の担当編集に問い合わせてみたが、その件についての回答はなかった。ただ後日、
- 「未発表作品に著作権はない」「先に発表した方が勝ち」
- という考え方を教えられた。もちろん著作権法ではどちらの考え方も一面では正しいグレー解釈だが、それを故意にやったらアウトだ。
- おそらく編集者の中に、応募作品の中に面白いエピソードがあったら、それを締め切りに間に合いそうにない作家に提供して間に合わせるような行為をしていたのだろう。そうやってエピソードを盗み取った元作品が受賞してしまって、事件が発覚する前に先手を打ったつもりだったのだと思う。
- こういう行為は現在も週刊誌やテレビ番組でもあり、出版前の本の原稿などを何らかの手段で手に入れ、著者の了解もなく自分の考えとして使ってしまう例がある。2018年に発覚して問題になったものだと、某ニュース解説家の番組とか……。
-
- この受賞作「気象精霊記」であるが、F編集部の中に出版を反対する声があったらしい。それがかなり強かったのか同期受賞者の作品が出版されても、なかなか出版の準備が始まらない状態だった。受賞作を書き直して出すのか、それとも別作品でデビューさせるのか……。
- それがようやく動き始めたのは、年を明けた1997年1月だった。
-
- 出版方針は、ただ1つ。問題の箇所を跡形もなく完全に消し去ること。これが受賞作でデビューするための絶対条件だった。
- この時に言われたのが、まさに出版社の著作権に関する考え方だ。
- この書き直しは3か月ほどで終わり、同年7月に出版されて作家デビューとなった。
- △記事を隠す
- 2作目が出版されない〜だが、そのあとの好調ぶり
- デビュー作のあと、約2年間、新作の発表がなかった。
- だが第2回龍皇杯で最多票を獲得し、半年間の連載が決まった。(1999年8月)
- ▽記事を読む
- 2作目が出版されない〜だが、そのあとの好調ぶり
- デビュー作のあと、約2年間、新作の発表がなかった。
- 何度も書き直させることで文章力を鍛えさせられているのかと思ったが、実際には担当編集者が仕事に迷っていたせいだった。
- ようやく出版予定に名前が載ったのが1998年6月のラインナップだが、その作業に入る前に担当がF編集部からいなくなってしまった。
- そのため担当がいないまま、私の扱いが宙に浮いてしまった。その影響は、さっそく第1回龍皇杯の連絡が来ないという形で現れる。この龍皇杯は新人作家に雑誌の連載権を競わせるものだが、思い出したように話が来たのは企画が締め切られたあとだった。
- 編集者の中に受賞作の使いまわしにからんだ身勝手な逆恨みから、私を追い出したい勢力がいたのか。
- また同年10月には会社をリストラされている。
- 出版の予定が立たないため、取り敢えず、出版予定だった作品をまるまる見直して書き直すことにした。今から思えば、この時の書き直しは大成功だったと思う。
-
- ようやく新しい担当編集が決まるのは1999年4月だった。人事異動でF編集部に入ってきた新しい編集者だったため、他の編集者たちとは違って、受賞作に関するわだかまりはない。そのおかげか止まっていたデビュー作の続編「気象精霊記2」の出版が決まった。
- 更なる続編については諸事情から予定が立たないため、新たなシリーズ(海洋モノ)を立ち上げる企画が決まった。(1999年5月)
- その月の終わり、半年前に行った龍皇杯が好評だったため、急遽第2回が開催されることに決まる。そこへ短編を1つ出すことになった。そこから、それまでの不運を取り返すように運勢が一転した。
- 気象精霊記2が出され、売り上げ好調だった。(1999年6月)
- 第2回龍皇杯で最多票を獲得し、半年間の連載が決まった。なお、第3話までの読者アンケートで上位3位の得票があれば連載継続となる。(1999年8月)
- 書きかけの海洋モノの新シリーズを止め、龍皇杯作品(あんてぃ〜く)の長編を書くことになる。(1999年9月)
- 気象精霊記3を出すことが決まり、増刊号への読み切り掲載も決まった。(1999年10月)
- あんてぃ〜くは6回で連載終了。当時、アニメ化作品4本が1度も休載しなかったため、その牙城は崩せなかった。(1999年12月)
- あんてぃ〜くの長編出版。(2000年1月)
- あんてぃ〜くの売り上げが好調なため、増刊号への一時復活が決まる。(2000年9月)
- あんてぃ〜く。連載復活。(2001年5月)
- 気象精霊記5〜第1部完。(2001年9月)
- 気象精霊記の第1部完結により、急にアニメ化の話が出てきた。
- 売り上げの高いあんてぃ〜くの連載を続けるか、アニメ化に合わせて連載を気象に切り替えるかの問題が出てくる。(2001年秋)
- ここで制作会社から気象ドラマCDの話が出てきて、一気に気象へ切り替える方針が固まる。
- もっとも、そのあとにあんてぃ〜くもCDドラマ化する企画が立ち上がり、こちらの方が先に世に出てしまった。
- 翌2002年は気象精霊記のアニメ化に向けて、すべてが動いていた。
- 気象精霊記のドラマCDも売り上げ好調で何度も追加プレスされ、初回プレスの3倍近くが出まわった。ここまでの運勢は絶好調だった。
- △記事を隠す
- アニメ化準備から一転の飼い殺し〜売れてもらっては困る
- 2002年9月。予想外の事件が起こる。
- 書籍の週間売り上げランキングを集計する某大手取次店が、気象精霊記を間違えてコミックとして集計していた。
- コミックの週間第5位にランクインしていた。それが小説の売り上げランキングには入ってないということで、いつの間にかアニメ化の話が立ち消えていた。完全なもらい事故である。
- ▽記事を読む
- アニメ化準備から一転の飼い殺し〜売れてもらっては困る
- 2002年9月。予想外の事件が起こる。
- 書籍の週間売り上げランキングを集計する某大手取次店が、気象精霊記を間違えてコミックとして集計していた。
- 同じ週には週刊サンデーの「名探偵コナン」「犬夜叉」等の新刊があったが、それらと並んでコミック5位にランクインしていた。その取次店以外のランキングではほとんどが小説の週間トップにランキングされていたので、集計の間違いの件にはまったく問題と感じなかった。この時は……。
- ところが小説の売り上げランキングには入ってないということで、いつの間にかアニメ化の話が立ち消えていた。完全なもらい事故である。まさにこれは神の試練だ。
- 2003年に入ると、原稿を書き上げても、なかなか出版作業が始まらない事態が生じる。それまでは、
- 「可能なら隔月で出せ」「理想は3か月間隔で出せ」「どんなにかかっても4か月は死守しろ。それ以上伸びると売り上げが落ちる」
- と耳にタコができるほど聞かされていたのだが、出版間隔が4か月になり、やがて5か月へと引き伸ばされていく。
- この理由をイラストレーターが忙しいためと説明されていたが、それはあとからまったくのウソとわかった。それどころかこの時にイラストレーターに対してもウソを吹き込んでいたため、このあとのトラブルへと発展していく。だが、この時はまだ、そういう裏事情など知らないでいた。
- あまりにも出版間隔が延びてきたため、余力で新シリーズの立ち上げをしたいと何度も求めたが断られた。そこである月の打ち合わせの際に、筋を通す意味で他社に営業をかける件を担当編集に持ちかけたところ、(2004年9月か10月)
- 「こっち(編集部)にも都合がある。売る順番はこちら(営業で?)決めてるんだ。今、おまえ(作者)に人気が出て売れでもしたら(予定が狂うから)困るんだ。(よそを含めて)新作を書かれるのも迷惑だから(今は)やるな」
- という暴言が返ってきた。気象精霊記をアニメ化の「隠し玉」として温存し、それまでの間に売り上げが急に伸びて市場から飽きられたら予定が狂うという狙いらしい。
- この直後の急な連載休載は「勝手なことをしたら干すぞ」という無言の圧力だと受け取った。(2004年11月、休載は2005年1月末発売号)
-
- ここからの1年間は、完全な飼い殺しである。その前もあるから、飼い殺し期間は3年間にも及んだ。
- この期間は、まさに「売れてもらっては困る」を、システム的にやっている時代だった。
- まず出版間隔の5か月は、売り上げが落ちると言っていた長さである。まさに売り上げが伸びないように工作していたわけだ。
- また当時某大手取次店の発表するランキング(誤集計したところと同じ)〜上位20位に入らないように初版部数を少なく抑える情報工作もしていた。それで1か月以内に第2刷で足りない部数を少なめに積み足し、2か月ぐらいあとに第3刷で不足分を調整するという出し方をしていた。一見すると重版が多いため錯覚するが、あまり健全な売り方ではない。
- この頃のK書店には「市場の売り上げは自分たちでコントロールできる」という思い上がりがあったように思う。このあと出てくるS編集部でも、それで金の卵を産むニワトリを殺す愚を犯している。
- △記事を隠す
- アニメ化目前の騒動 その2
- ネットでも有名になった気象精霊記トラブルが始まる。始めは小さな連絡ミスだった。(2005年秋)
- ▽記事を読む
- アニメ化目前の騒動 その2
- 2005年夏。突然、編集部の態度が変わった。
- 気象精霊記のアニメ化の企画が動きだし、増刊号に繰り返し中編を載せることになった。
- 気象本編に関してはイラストレーターの手が遅いということで、これまで止められていた新シリーズの執筆にも許可が出た。ただし、何度も動いては止まっている海洋モノに関しては、この頃になると「船が出てくる作品は売れない」というジンクスが根強く、却下されてしまう。そこで夜見る夢をテーマにした新作の企画も動くことになった。
-
- ところが、ここでネットでも有名になった気象精霊記トラブルが始まる。始めは小さな連絡ミスだった。(2005年秋)
- F編集部では編集者を細かく分業していた。というよりクリエーターとの窓口を集約してたという感じだろう。作家ごとに担当は付くのだが、作家担当はイラストまでは担当してなかった。イラストはイラストレーター専門窓口として別の編集者が担当していた。こういう事実があることにすら気づいてなかった。メディアミックスが始まるとコミック担当、ドラマCD担当と関係する編集者が増えていったのだから、そこで気づいても良かったかもしれない。だが、これを知るのはトラブルから3年以上経ったあとだ。
- この時に作家担当の編集者が替わるので、それを機会にタイトルと舞台設定を少しマイナーチェンジするというだけの話だった。
- だから連載終了ではない。だが、それをイラスト担当の編集者が勘違いして、イラストレーターに「終了」と伝えてしまったらしい。
-
- ネットに流れる情報では、イラストレーターにも人格的に問題があるという話もある。だが、ここではイラスト担当編集からウソを吹き込まれていた可能性もあるので、いいように躍らされたと見て深く考えないでおく。
-
- それと余談ながら私生活でも2005年5〜7月は、道路拡張工事でアパートから急な立ち退きを求められる、引っ越した1週間後に父の急な病死、それにともなって実家のお家騒動(別ページ)に巻き込まれる等の事態を続いた。
- △記事を隠す
- イラスト担当は社内では優秀な社員?
- なぜ、ここまでこじれたのか。もしかしたら、すごく単純な理由かもしれない。
- ▽記事を読む
- イラスト担当は社内では優秀な社員?
- なぜ、ここまでこじれたのか。もしかしたら、すごく単純な理由かもしれない。
- イラスト担当は、とにかくしたたかな人物だったようだ。クリエーターの立場からすると、あとから出てくる話とは違う説明ばかりしていた。ウソの塊だ。もしかしたら「連載終了」と間違えて伝えたことをプライドから訂正せず、「やっぱりやると言い出した」とか言ったのかもしれない。そうやって問題をすべてクリエーターに押しつけ、社内でどんどん出世したのだろう。気づいたのは2014年だが、この頃からアニメなどでそれなりの地位で名前が載ってるのを見ている。おそらく今は部長以上になってるのではないかと……。
- こういう人物だから、とにかくプライドを守るために関係者を亡き者にしたいのかも……。
-
- だが、本人が動いてるとは限らない。彼のしたたかさを考えると、彼の撒き散らしたウソを信じて、義憤で私を潰そうと動いていた人がいたかもしれない。
- 過去のパターンから、そういう人が10年ぐらい逆恨みで動いていた可能性も考えられる。
- その中には元イラストレーターも含まれていたのかも……。
-
- 追記1:2019年7月
- ツイッターのTLに流れてきた会話情報なので真偽は確認できてないが、この人の黒い実績が流れてきた。あの作品も、このアニメも……。
- 社内の主導権争いに巻き込まれて潰された作品もいくつかあるって……。
- さて、被害はどのくらいあるのか。それが表沙汰になって、有志によってアーカイブされる時代になってきたらしい。
- 後日談
- この情報はいつの間にか削除され、確認できなくなっていた。
しかもアニメ等でテロップ表示される時、彼の下に更に数人の名前が加わるようになった。
- 彼はこの逆風をうまく乗り切り、それどころか焼け太りして出世したのだろうか。
-
- 追記2:2021年5月
- K社の新役員人事が発表され、これまアニメ等ででテロップ表示される時、彼の上下に名前の載る2人が執行役員として発表された。
- 一方で彼の名前は役員の他、関連子会社の社長役員の中にも見当たらない。
- さて、彼の周りで何が起きたのか……。
- △記事を隠す
- トラブルから編集部を追い出されるまで
- 編集部上層部との話し合いで、作品はその後も継続できることになった。2006年4月末日だ。だが、実際には継続できてない。
- 偽ハガキ、電話の着信拒否、等のイヤガラセでF編集部が追い出しにかかってると思い知らされることになる。
- ▽記事を読む
- トラブルから編集部を追い出されるまで
- トラブルが起きた当初、編集部上層部はまったく動こうとしないまま3か月もトラブルを放置していた。当時は編集部上層部の無能ぶりを不満に思ったが、今から思うとイラスト担当のウソにみごとに丸め込まれていたのだろう。(2006年1〜3月)
- おそらくイラスト担当は、社内的には優秀な社員だったのだろう。だからこそ編集部上層部はすべてを彼に任せたのだと思われる。
- その間、彼がやっていたのはトラブルのもみ消しだ。ウソ、矛盾だらけの説明を繰り返すから、こちらはどんどん信用できなくなっていく。当然、こちらへの説明と社内への説明、更にはイラストレーターへの説明はどれも大きく食い違っていただろうことは容易に想像できる。
- だから編集部上層部は連載の継続が止まったことで、やっと事態の深刻さに気づいたのだろう。
-
- その編集部上層部との話し合いで、作品はその後も継続できることになった。2006年4月末日だ。だが、実際には継続できてない。
- この時のトラブルで担当編集が一時的にいなくなった。その間の連絡の窓口は編集長になった。また6月末に別作品のコミック化作品が出ているが、こちらの窓口はコミック担当だ。
- その少しあと、2006年8月1日付けで編集長交代という連絡が来た。ハガキで『編集長交替のあいさつ』という形での連絡だ。それに伴い、窓口も新しい編集長になると言ってメアドが添えてあった。なお先に書いておくが、これは私文書偽造の偽ハガキだった。実際にはこの時期、編集長交代という人事異動は存在しない。律儀にあいさつされたことで、まったく疑いもしなかった。おそらくメアドもダミーだ。あとから考えれば他の編集者の持つメールアドレスの命名ルールとは少し違っていた。管理人の名前で例を示せば、本来の命名ルールでは「fumika_shimizu@〜」だが、そこに使われていたのは「f_shimizu@〜」という名前がイニシャルだった。しかし、その時は「社内に同姓同名がいるからかも」と、まったく不審にすら思わなかった。
- なお、この時はまだF編集部での仕事は再開していない。トラブルを最終的に4か月も放置されたのだから、当然、他社に仕事を取りに行く。だから編集部が求めようが、優先度は後まわしになってすぐには動けない。
- 8月末か9月に入ってか、ようやく区切りがついて再開すると連絡した。だが、音沙汰がない。
- しばらくして「Fで再開はない」という匿名の怪文書が届いた。
- 何度メールしても返事がなく、直接電話を掛けたら着信拒否になっていた。「お客様の都合によりおつなぎできません」という機械的なアナウンスを人生で初めて聞かされた。
- その直後の新人賞受賞式も、年末の謝恩忘年会も案内はなく、それどころか例年より日にちも会場も変えられていた。私が乗り込んでくるのを警戒したのだろう。
-
- 偽ハガキや偽メールはともかく、電話の着信拒否、ダミーのメアド、イベント等の日時と会場の移動、いずれも編集部上層部がかかわってないとできないイヤガラセだ。そこでF編集部が追い出しにかかってると悟らされることになる。
- もしかしたらその中にデビュー作のエピソードを使いまわした編集当事者がいて、この機会に……と仕掛けてきた可能性は考えられる。
-
- また、このあと編集部では一斉にメールアドレスの変更が行われたようだ。そのためウソに気づいて元の担当に確認メールを送っても、旧アドレスへのメールはサーバーが存在しないアドレスへのメールとして突き返してきている。これも一種の着信拒否の手法だろう。
-
- 偽ハガキ、偽メールに関すること
- 偽ハガキ、偽メールによる編集長や担当など窓口交替のあいさつを装ったイヤガラセ。これはけっこう悪質な行為だ。
- 私がトラブルに巻き込まれた当時、話を聞いただけで私以外に4人が被害に遭っている。いずれも10冊以上を世に出している顔ぶれだ。となると耳に入らなかっただけで被害に遭った駆け出しの作家たちは、もっといただろう。悪質な作家潰しである。
- なお、その4人の中で1人だけ、何年もあとに同じレーベルから新作を出した人がいる。私がトラブルに遭う前に、この手のイヤガラセを受けて編集部との連絡を絶たれた人だ。担当編集が長らく連絡がなかったため、様子伺いをして何者かによるイヤガラセが発覚したようである。
- さて、このイヤガラセを仕掛けたのは誰で、その人は今ごろ何をしてるのだろうか。
-
- 作家潰しの風潮
- 「3人潰せば一人前になれる」「大物を潰せば箔がつく」
- これは2007年あたりから出版界や芸能界で吹き荒れた、おかしな風潮だ。元は、
- 「3人が夢やぶれて去っていくのを見送った頃には、一人前になっている」
- という言葉だった。第一線で活躍する人たちと仕事を続ければ、アラフォーの一人前になった頃には3人の引退を見送った経験を持っているだろうと……。
- ところが1999年に労働基準法が変わり、ここから雇用の不安定な非正規労働者が急速に増えた。その一方で雇用の安定した正社員は非正規社員を監督するのが仕事となり、そこからネットでもネタになった「仕事を覚えたら負け」「働いたら使われる側になる」と言って仕事を覚えない人が増え始めたようだ。そして正社員が貴族化して、自分の権勢を振るうように傲慢な態度の貴族風を吹かせる行為が日本中で目立ち始める。
- その結果として出てきたのが、最初の言葉で表された風潮だ。仕事を覚えない人たちが、手っ取り早く一人前扱いしてもらおうとして始まったのだろう。それで生まれた異常な空気が目立ったのは芸能界だ。テレビの人気番組のレギュラー出演者や、人気作品でメインの役を務める俳優や声優たちが、病気でもないのに交替させられるケースが増えた。出版界では編集者による新人潰しが横行した。それをやっていたのが30歳前後の人たちだ。
-
- この風潮と入れ替わるように世の中から平成文学という言葉が消えたのが、この出版界での状況を皮肉っているのだろう。
- △記事を隠す
- S編集部のワナ
- 気象精霊記の受け入れ先を求めて、いくつかの編集部に声を掛ける。それに快く引き受けたのはS編集部だった。(2007年1月)
- だが、これが頭から私を陥れるワナだった。おそらくクリエーターへの制裁気取りのイヤガラセだろう。
- ▽記事を読む
- S編集部のワナ
- 気象精霊記の受け入れ先を求めて、いくつかの編集部に声を掛ける。それに快く引き受けたのはS編集部だった。(2007年1月)
- だが、これが頭から私を陥れるワナだった。おそらくクリエーターへの制裁気取りのイヤガラセだろう。
- 気象を受け入れる前に、別作品を出して一定以上の成果を上げることが条件と言われた。
- そこで別作品の企画を起ち上げ、最初の原稿を仕上げるのだが……。それを「時代設定を大正時代に変えろ」と言ってきた。(2007年6月)
- 近未来でバイオテクノロジーを使ったSF系の作品だが、それを大正時代に変えることで設定がグチャグチャになった。
- それでも近未来の科学などを陸軍やオカルトを出すことで置き換えた。そこには難癖はなかった。だが、郊外の山で起こる事件で「山が大正っぽくない」という意味不明な指摘で、更に改稿に手間取らされる。(2007年9月頃)
-
- そこへきて1巻目を書き上げたら、3巻まで書いて一気に市場投入と言い出してきた。時間稼ぎだ。(2007年11月)
- その直後の12月、あるアニメ制作会社から問い合わせが来た。気象精霊記のアニメ化の話が止まってるが、どうなってるのかと……。
- 実はトラブルが起こる前、すでにアニメ化の準備が始まっていた。その連絡が私まで届いてなかった。
- そしてK書店グループはアニメ制作会社にも何も連絡せず、完全に放置していた。というより、私に責任を押しつけていたのか?
- このことをS編集部に問い合わせたら、アニメ化の話も何もかも知ってて、イヤガラセをしてたことを白状してきた。とにかく時間を潰して、世間から私を過去の人にするための時間稼ぎだと言った。もちろん、気象の受け入れもウソ。その前に別作品を出す話もウソ。これを笑いながら楽しそうに?明かしてくるのだから、編集者の人格がわかるというものだ。
- こう書くと『わざわざ貴重な時間を使ってまでイヤガラセをする暇人はいない』と正論ぶって否定する人がいるが、むしろ貴重な時間を使ってまで作家を潰そうとする異常さにこそ気づいて欲しい。この頃のK書店グループは「作家を3人潰すと一人前になれる」という言葉が流れる異常な空気に満ちていた。
- これはK書店グループだけではない。リーマンショック前後の日本社会には、出版、芸能、テレビ、等々のコンテンツ業界全般で、ある程度の名前の通ったプレイヤー(作家、芸人、文化人など)を無名編集やプロデューサーが潰して権勢を振るう理不尽がまかり通っていた。YouTubeなどで芸人が消えた理由をまことしやかに騙っているものが多いが、自分が受けた経験から、その中には理不尽を仕掛けた本人が、自己正当化するために広めたウソが数多く混じってるのだろうと思う。
- ◆追記
- リーマンショック前後に日本に吹き荒れた理不尽な他人潰しの風潮はコンテンツ業界に限らず、各分野のコンサルタント業界でも起きていたようだ。
- それもコンサルタントなら顧客を成功させてナンボのはずだが、潰して資産を横取りし、「弱小業者を減らしただけ」とうそぶく人が多かった。
- もっとも典型的なのが年商10兆円あったSANYO電機を、数年で潰したコンサルタントたちだ。彼らは「自分たちがおかしい」とは思わず、それを武勇伝のように吹聴しているそうだ。
-
- この話はmixiを通じて、すべて同業者に暴露した。
- それから少し時を置いたある日、S編集部から脅迫状が送られてきた。(2008年3月)
- 文章は丁寧語ではあるが、中身は「事実を暴露したことは重大な守秘義務であって許されない。これからあらゆる手段を使って制裁を加えてやるから覚悟しろ。出版界にいられなくしてやる」という内容であった。
- 実際問題、これが単なる脅しではなく、現実にこのあとの状況がおかしくなっていくのだから、洒落になってない。
- △記事を隠す
- 神奈川県警の職務放棄
- 脅迫状と私文書偽造の『編集長交替のあいさつ』を持って地元の警察署に持ち込んだ。だが、被害届の受け取りを拒否された。(2008年4月)
- ▽記事を読む
- 神奈川県警の職務放棄
- 脅迫状はK書店グループが悪事を働いている立派な証拠だと思った。
- この話をmixiに書き込んだところ、その頃になってようやく編集長の交代はなかったと教えられた。ここで『編集長交替のあいさつ』は私文書偽造だと発覚する。
- そこで、この2つを持って地元の警察署に持ち込んだ。だが、被害届の受け取りを拒否された。(2008年4月)
- その時の窓口の警官?の言い分は、「仕事上のことだから民事だ。自分で裁判を起こせ。警察には関係ない」と。みごとな職務放棄だった。
- 渋々裁判所に持ち込むと、そこの無料相談窓口で「これは立派な刑事事件だ」と言われる。民事で訴えることもできるが、警察が刑事事件として動かないと裁判で勝つ見込みはないとも言われて断念した。
-
- ちなみにこの神奈川県警の体質が変わるのは2015年になってから。新聞に「川崎警察署1つだけで2014年11月のたった1か月間に35件もの窃盗や障害などの被害届を、難癖をつけて受け取らなかった」ことがすっぱ抜かれてからだ。
- 以降は各警察署がすべての被害届をホームページに載せ、同じものを毎月新聞の折り込み広告として配ることで市民の目が届くように体制が変わっている。
- そのおかげで市内──それもかなり近所でコートを羽織った下半身丸出し男が、股間を懐中電灯で照らしながら女性を追いまわすワイセツ事件が頻繁に起きていることなど情報が……。(爆)
- △記事を隠す
- 言葉が通じない
- 気象精霊記の移籍先を探してる頃、ある出版社から声をかけられた。気象の受け入れは考えてないが、新シリーズを起ち上げて欲しいという誘いだった。(2008年8月頃)
- だが、ここの担当とは、まったく言葉が通じなかった。
- ▽記事を読む
- 言葉が通じない
- 気象精霊記の移籍先を探してる頃、ある出版社から声をかけられた。気象の受け入れは考えてないが、新シリーズを起ち上げて欲しいという誘いだった。(2008年8月頃)
- そこは企画書(プロット)をA4用紙3〜5枚にまとめる定式化して、フォーマットに合わせて提出することを求めてきた。
- それをそのまま企画会議にかけるという話だったのだが……。
-
- 担当とは、まったく言葉が通じなかった。「ライトノベルに物語は要らない。ドラマがあればいい」という感じの、キャッチフレーズっぽい言いまわしの好きな人だった、
- 何より困ったのは、どこにも書いてないエピソードを指摘してダメ出ししてくるところだった。
- 幼稚園児向け童話のような幼稚な展開?
- 某作品の展開をそのまま真似てる?
- 最初は「その編集者は大勢の作家を抱えてるから、誰かのプロットと混同してる」と思って、ほとんどそのまま再提出していた。
- ただし丸々同じだと露骨なので、わざわざ全面的に言葉を言い換えて、見かけの上では大きく直したように……。
- だが、3か月も状況が変わらないと、これは何かおかしいと感じるようになる。
- そこで基本設定はそのままに、ファンタジーの魔法を近未来の空想科学に置き換えたプロットを提出してみた。(2008年12月)
- この内容は正しく伝わっていた。初回なので問題はないものの「これをブラッシュアップして」と、ようやく動き始めたと思ったが……。
-
- このあと編集部に呼ばれ、編集長から「なんでファンタジーをやめたのか?」という説明を求められた。(2009年1月)
- その席で、どこにも書いてないエピソードが指摘され、困っていたことを伝えた。おそらくこれが担当編集のプライドを傷つけたのだろう。後日、担当編集から長文の罵倒メールが送りつけられ、この編集部との関係はいきなり切れた。
-
- この担当編集は、今は別の出版社へ移っている。この編集者は今もおかしなキャッチフレーズを生み出し、それを同業者がリツイートするため、イヤでも今の様子を知ることになる。
- で、この人「あるベテラン」と言ってツイートしてるエピソードって、かなり脚色はされてるけど内容から私のことを語ってないだろうか?
- もし私だったら「いつまで根に持ってるのか?」ということになるし、別の人なら「何人の作家とやらかしてるんだ?」になるが……。
-
- 補足:言葉が通じないのは、超ゆとり世代のせい?
- 超ゆとり教育と言われるが、私は教育方針そのものは何も間違ってないと思っている。
- このシステムを上手く使った人たちは、スポーツ選手にしろ、芸能人にしろ、若い学者にしろ、前の世代では考えられないほど世界で活躍している。しかも少子化で絶対数は減っているのに、活躍する人数は劇的に増えているのだ。この部分を見れば、間違いなく成功した教育方針だと感じる。
- だが、この世代を駄目にしたのは受験教育だと思う。そのためエリート層ほどダメになってると感じる。だからこそ「ゆとり教育は失敗だった」という評価になるのだろう。
-
- では、どこで失敗したのか。それは大学や受験産業のゆとり化だ。教える内容を減らした分、それで質の高い応用問題が作られれば何も問題は起きなかった。だが、試験問題を作る人たちは安易に問題文を長くすることで、見せかけの難易度だけを上げてしまった。
- 詰め込み世代の設問に対して、ゆとり世代の設問は平均で5倍の長さになった。長文問題は3倍だ。詰め込み世代の時には簡潔に出された設問が、ゆとり世代ではまわりくどく5倍もの長さで書かれている。これを一々読んでいたら試験時間が足りなくなる。新聞に載る各種受験問題を見ると、問題文の長さを見ただけで「これを読まされるのか?」と嫌気が差すだろう。しかも悪文だらけだ。となれば、ゆとり世代は問題内容を早く読み取れるように、自然と単語を拾って、これまで勉強してきた問題と照らし合わせながら読むように訓練されてきたのではないかと思う。
- それが仕事で出てしまったのが、まさに「どこにも書いてないエピソード」だ。たった4〜5枚のプロットなのに、彼はすべてを読んで文章通りに理解しようとはしなかった。拾った単語を頭の中でつなげて、過去に読んできた作品の知識から「こういう話だろう」と想像したのだろう。つまり彼の想像できない展開や発想の出てくる作品は、彼の読み方では想像の限界を超えて理解できないことになる。
- 具体的には内容は同じなのに、ある時は「稚拙な童話になってる」と言い、ある時は「ゼロの使い魔のパクリ」と言い、ある時は「しょぼい魔法戦争モノ」と言ってくれた。ちなみにこの時に見せた作品企画は、のちにSDから出した「どらごん・はんたぁ」の第1巻だ。これを読まれた方には、どれほど内容が食い違っているかわかるだろう。
- だからこそファンタジーをやめて近未来物に改変した途端、ようやく彼の想像できる範囲に収まった。そのおかげで、ほぼ文章通りに伝わったのだと思う。
- このあたり、ネットで速読自慢をしてる人の怪しい感想を見れば、わかってもらえるだろう。これは個人がプライベートで起こしてるのだから問題はないが、仕事で起こっているとなると業界的に問題は大きくなる。
-
- 現在、出版界で似たような作品ばかり出てくるのは、編集者の多くが高学歴の超ゆとり世代となったため、彼らの理解できる作品だけが残った結果かもしれない。
- まあ、元々学力の高い人たちだから、落ち着いて一度ゆっくり文章を読んでくれさえすれば、この問題はかなり緩和されると思うのだが……。たぶん、それは彼らのプライドが許さない……。
- △記事を隠す
- 同業者潰し
- ある程度成功した「くじびき勇者さま」だが、11巻で急遽打ち切りになった。
- この理由は、同業者からのタレコミ。そのウソを信じ、編集長が激怒したことが発端だった。これで作家生命が終わったと思った。
- ▽記事を読む
- 同業者潰し
- ある程度成功した「くじびき勇者さま」だが、11巻で急遽打ち切りになった。大阪屋ランキング、全書籍中50位以内での打ち切りだ。
- この理由は同業者からのタレコミ。そのウソを信じ、編集長が激怒したことが発端だった。幸い、書きかけの11巻は出してもらえることにはなった。とはいえ、すでに半分以上書き上がっていた時点なので、後半、駆け足で一気に物語をたたんでいる。これで作家生命が終わったと思った。
- だが、そのあとでウソが発覚したのか、その後も作品を出せたが……。いろいろケチがついて思うように企画が通らず、以降は売れる作品を出せなくなった。気象の時と同じ。時代の流れもあって雨降って地固まるどころか、そこから泥沼の深みにハマったみたいに……。
-
- ここで誰のどんなウソを信じたのか、まったく明かされてない。
- その数年後、ある同業者が2年間も薬禍事故で寝たきりになった話を聞く。それを聞いた時、もしかしたら犯人はその人で、神様から罰を与えられたのかと思った。
- ちなみに精神を病んで病院を訪れたのだが、医者は彼が作家であることを信じず、鬱ではなく妄想癖だと思って別の薬を処方したのが薬禍事故の原因だった。そこから彼は2年間も寝たきりになったそうだ。
- とはいえ、本当のタレコミの犯人は編集部が答えようとしないので、今もまったくわかってない。あくまで状況から「そうかも」と思っている程度……。別人だったら失礼。
- ダウジングにより、真犯人は別人だったらしい。(2021.3.11)
-
- 追記:小説家になろうで、また……(2018年10月24日追記)
- 「小説家になろう」というサイトがある。ここに作家登録したものの、ながらく使わないまま放置していた。
- そこへ2018年10月22日の夜、思いつきで気象精霊記の一部を無料公開するつもりで投稿したところ……。
- 翌日の午後、運営から「利用者からの通報で重大な規約違反をしてるので公開を中止せよ。場合によってはアカウント停止も有り得る」との強い警告が来た。
- 即座に規約確認の問い合わせを行ったところ、利用規約には何も抵触していないとのこと。対応した運営職員が、タレコミを事実確認しないまま警告したもので、私の利用に問題はないとの言質をいただいた。
- それにしても投稿公開からタレコミまでの時間の早いこと。何者かによるイヤガラセは、今も続いているのだろうか。それとも相手は不特定多数で、神さまが私を狙うように仕向けているのか……。
- △記事を隠す
- 電子書籍の扱い拒否〜K書店のイヤガラセ
- 電子書籍の取り扱いを拒否されたとかで、他の作品への影響が出るので私の作品は扱えないというケースが出てきた。脅迫状に書かれた内容そのものが実行された形だ。
- ▽記事を読む
- 電子書籍の扱い拒否〜K書店のイヤガラセ
- 以前は電子書籍がなかなか普及しなかった。理由は各社が自社のサーバーで売ってるから、ユーザーにとって使い勝手が悪かったからだ。
- しかも出版社が潰れると、買った本も読めなくなる問題もあった。
- それが急速に集約され始めた。その集約されたものの一つがK書店グループが運営するものだった。
- その頃から出版直前、電子書籍の取り扱いを拒否されたとかで、他の作品への影響が出るので私の作品は扱えないというケースが出てきた。脅迫状に書かれた内容そのものが実行された形だ。
- だとしたら立派な独占禁止法違反行為だが、この件で公正取引委員会は動いてくれてない。
- S社から出した作品は、K書店が扱う電子書籍サービスから問題なく出ている。だが、その後も、同じことを言って断られるケースが出てきた。
- おそらくは露骨にやってるのではなく、ほのめかして忖度させているのだろう。S社は大きな出版社なので、無視できるだけの力があったか、そもそもほのめかすこともしなかったか……。
- △記事を隠す
- 「売りたくない(担当したくない)」「売り方がわからない」〜営業独裁
- 2012年には「その話は営業では売らない」という言葉が出てきて、もう編集が言いなりになってるとしか見えない状態だった。
- ▽記事を読む
- 「売りたくない(担当したくない)」「売り方がわからない」〜営業独裁
- 長引く不況の中、2004〜5年あたりから「営業がお金を持ってくる」という理由で、販売部門が社内ヒエラルキーの頂点に立つ会社や業界が増えたという話を聞くようになった。もちろん販売は物を生み出さないため、ここでできる経営方針はコストカットと他社の成功を真似ることだけである。経済活動としてはデフレや陳腐化を加速させるだけの、非常に不健全な風潮だ。
- その現象が出版界でもリーマン・ショック直前の2008年頃から起き始めた。中小の出版社では営業部門は正社員だけど書籍編集部は編集プロダクションに委託するところが増えてきたため、結果的に営業の立場が強くなったという流れもあるだろう。
- 話の展開に営業サイドから要望が出てきたり、一度編集部の企画会議を通って書き上げた作品が、営業サイドからの意見で改変や最悪出版停止に追い込まれるような事態まで起きてきた。
-
- 2012年には「そういうコンセプトの話は営業では売らない」という言葉が出てきて、もう編集が言いなりになってるとしか見えない状態だった。
- あまりにも営業が横柄になって、ついには「売りたくない(担当したくない)」「売り方がわからない」「(そういう話は)売れてもらっちゃ困る」などと言い出したため、ついに「あんたらが欲しい企画は、こういう作品だろ」をやってしまった。
- ちなみに作家暮らしが長いと、イヤでも編集や営業が何を求めてるかわかるようになる。だが、それが自分の作風でやると世間受けしないと感じている作家も多いと思う。マンガでたとえたら、北斗の拳の絵柄でラブコメをやるような……。(ネタ程度で済ませるなら面白い企画だが)
- それでも書き続けるために、そういう作品を書いて『プロOK』の小説賞に次々と応募する人がいる。優秀な人はそれで複数受賞するが、決まって売れないために『賞金稼ぎ』と嫌われる行為だ。原因は作家ではなく出版社の側にあるのだが……。
- で、書き上げた作品は思惑通り営業が乗り気になるものだったようだ。だが、それが恐ろしい状態を招いた。当初予定されてた初版部数に対して営業が「売れる売れる」と言い出して部数が積み上がり、最終的に6割以上も多く刷られてしまった。とはいえ、この積み上がり方があまりにも細かい数字だったため、部数の読みにかなりの自信があるのかと思った。なんせ1000部単位ではなく最後には20部ずつ刻んで微調整してきたからだ。
- ところがフタを開けると、この作品は発売直後、過去作品とはあまりに違いすぎるためにファンが様子見に走ってしまった。カバーに書かれた「あらすじ」もあざとすぎた。だから、初動が非常に悪かった。今はほとんど初動だけで作品を評価するため、その意味では大失敗だ。私としては思った通り売れなかった。それでも感想が出そろったところでファンが手を出してくれたおかげで、最終的にはいつも通りの売り上げに収まった。
- ところが64%も多く刷った分だけ会社に損害を与えたと言われ、出版社から追い出されることになった。その部数を決めたのは誰でしたっけ?
-
- とはいえ残った作家たちのSNSへの書き込みを見てると、あれ以降営業が無茶を言わなくなったように思える。
- あの一件でようやく自分たちに市場を見る目がないと理解したのか、すぐネットで企画の公開コンペティションを開催するおかしなことを始めた。コンペに残った企画をシリーズとして市場投入するというやり方だ。
- だが、コンペに残った作品は売れなかったようだ。
ネットで公開コンペなんかやったら、その過程で作品の物語やオチまで公開済みになる。多くの人はそこで満足して、わざわざお金を払ってまで読まないのがわからなかったのだろうか。たとえ作家に文章を読ませる力があったとしても、その前の手に取る段階で「ああ、出たのね」でスルーされそうだ。
-
- その後はネット投稿サイトで人気のある作品を書籍化してるようだが、こちらもあまりうまくいかなかったようだ。タダで読める作品でなら人気は出るけど、それをお金を払ってまで読むかというと、そう思わせるほどの作品は少ない。それをやりすぎると、お金を払っても良い作品のハードルが高くなる。これこそがゼロ円経済に手を出した結果である。
-
- そして2018年夏。エコノミストたちがようやく「営業が声の大きい会社は潰れる!」と声を上げて言うようになった。
- これで、ようやくおかしな時代は完全に終わったのだろうか?
-
- 一方で私はKindleで、細々と自費出版する形で活動を続けている。
- △記事を隠す
- 補足:営業との悶着には遠因があった
- 拙著「くじびき勇者さま」は11巻まで出たが、各巻の刷り部数に疑問があり、営業には何度も調整を申し入れていた。
- その疑問とは、第3巻の累計刷り部数が一番少ないという謎だ。最終11巻の初版部数よりも少ない。
- ▽記事を読む
- 補足:営業との悶着には遠因があった
- 拙著「くじびき勇者さま」は11巻まで出たが、各巻の刷り部数に疑問があり、営業には何度も調整を申し入れていた。
- その疑問とは、第3巻の累計刷り部数が一番少ないという謎だ。最終11巻の初版部数よりも少ない。
- 本来、シリーズ物は第1巻の売り上げがもっとも多く、以降は徐々に減っていく傾向にある。そのため途中の刷り部数が少なければ、以降の巻が動かなくなる。
- ところが「くじびき勇者さま」は1巻の刷り部数がもっとも多い点は何も疑問はないが、2番目に刷り部数が多いのが第6巻という謎の刷られ方をしていた。
- イメージとしては以下の通り。
- 第1巻 ■■//■■■■■■■■■■■■■■■■■
- 第2巻 ■■//■■■■■■・・・・□
- 第3巻 ■■//■■・・・・・・・□ ←シリーズ最少(初期の巻は前巻より3割ずつ減る傾向にある)
- 第4巻 ■■//■■■■・・・・□ この間の刷り部数が極端に低い
- 第5巻 ■■//■■■・・・・□
- 第6巻 ■■//■■■■■■■ ←1巻を除くと最大(3巻の総部数より初版だけで3割多い)
- 第7巻〜 ■■//■■■■■■ ←2巻と同じ累積刷り部数
- 第9巻〜 ■■//■■■■■
- 最終巻 ■■//■■■ ←ある事情で緊急打ち切りなのに3巻の総部数より多い!
- 典型的な売れ方は「□」で示したように、巻を進めるごとに徐々に売れる数は減っていくというもの。そのため刷り部数も基本的に前の巻を超えることはない。
- もちろん、ある巻の刷り部数が、例外的に営業戦略で前の巻より多くなることはある。出版社の方針でそのシリーズを売り込むと決めた場合の最新巻だ。拙著「気象精霊記」でも、本編第6巻がそういう戦略で前の巻の累計部数よりも多く刷られ、売り上げランキングを上げようとした。もっとも、あの時は取次店の手違いで小説ではなくコミックとして集計され、コミックの週間第5位の売り上げだけど小説ではランクインしてないという変な実績を付けられてしまったが……。
- ただし、そういう戦略を何巻も続けることはない。効果があれば前の巻が刷り増しされるし、効果がなければ後の巻の部数が減らされる。そのため長い目で見ると、自然と巻数が進むごとに減る形に収まるようになる。
- だが、「くじびき勇者さま」はそのどちらでもなく、最後まで第3巻が最少部数のままシリーズが終わってしまった。
- この件に関して営業からの回答は「不思議な売れ方をしてるだけ」「前の巻が欲しかったら古本屋で買うでしょ」というもの。在庫恐怖症だけでは説明のできない、謎の刷り方が最後まで続いてしまった。場合によっては実は刷ってたけど差分の印税を作家に払ってないという不正経理の疑いもあるのだから、きちんとした説明が欲しいところだ。まさか本当に不正経理をやってるとしたら、他の作家にもやってる可能性が……。
- 作者としては、これは売り時を逃してるとしか思えなくて、何とかして欲しかった。とはいえ第7巻以降のどこかで第3巻以下の刷り部数になっていたら、私も状況に納得して何も言わなかったのだが……。
-
- そして、他作家の過去作品が次々と電子書籍化される中、この作品がいつまでも電子書籍化されない背景にも、何らかの裏事情があるのではないかと勘ぐってしまう。
- 営業がプライドから、間違いを認めたくない、結果が出ることは避けたい……とか。
- △記事を隠す
- 追記:元絵師のこと
- この半生の棚卸しにあたり、無意識のうちに存在を忘れていたのか、封印してたのか、触れてなかったので、最後にまとめて追記する。
- ▽記事を読む
- 追記:元絵師のこと
- この半生の棚卸しにあたり、無意識のうちに存在を忘れていたのか、封印してたのか、触れてなかったので、最後にまとめて追記する。
-
- 出版トラブルについて、同じクリエーターの側なので被害者仲間として見ていたが、はたしてどうなのだろうか。
- トラブルの前も最中もかなり攻撃的な人だったので、間に入った編集者からあることないこと吹き込まれていたのだろうと思っていた。
- 事後は武士の情け気持ちから、あまり詮索してこなかったが……。改めてネットを調べると、この人は人格的にどうなのだろう?
- 「小説家は、絵の描けない人が流れ着くポジション」と放言。
- 気象精霊記の権利は自分にあると、類似作品のマンガ企画を出版社に持ち込む。
- 私が他社で作品を書くと、その挿絵担当者にリプしまくり?
- 人気作品に次々と飛びついて同人イラストを描きまくり?
- 版画商法、色紙商法、コミケ出禁?
- 私の人生の傾向として、トラブルのあと義憤で10年間私を逆恨みし続ける人が出てくるけど、この人はそのパターンとは違うような……。
- 日月神示を読み始めたおかげで思うのは、神様がこの人の魂を鍛えて強い自己中と自己愛を改心させるキッカケとして、私を使ったのではないかと……。
- でも、改心はしてないまでも、反省や自己認識ぐらいはしてるの……かな?
- △記事を隠す
- もしかして前世の記憶? 〜少しずつ思い出してくる有り得ない記憶
- 中国の故事に「邯鄲一炊の夢」というものがある。夢の中でほぼ一生をたどるものだ。
- 管理人はこれを2007年7月16日の夜に見ている。夕食後に急に具合が悪くなり、横になった夜の8時前から、目の覚めた10時過ぎまでの間に見た夢だ。横なってからも長い時間、気分の悪さにうなされていたので、実際には1時間半ほどではないかと思う。
- 夢について興味があるため記録していたが、夢を見てから10年以上経っているのに、その時の記憶は薄れるどころか逆に鮮明になってたり増えたりしてることに気づいた。夢で見たのは、この1回だけのはずなのだが……。
- これがニセの記憶か、それとも前世の記憶を少しずつ思い出したものか、今は判断に迷っている。
- ダウジングにより、ニセの記憶と確定。(2021.2.18)
- 夢の大ざっぱな内容
- 地球よりはるかに高い科学技術を持つ文明だが、自然が豊かで平和な惑星で暮らしていた。そこは辺境の植民惑星だった。
- 夢は大学を卒業して、社会へ出るあたりから始まる。私はある出版社に勤め、科学ジャーナリストとして活躍していた。
- 社会人になって何年目かの夏、学生時代の友人に誘われて合コンに出る。そこで出会った女性と結婚して、一男一女のいる家庭を築いた。
- 時の流れは早く、あっという間に出世して出版社の役員になっていた。その頃には子供たちも成長して、独立して暮らし始めている。
- 夢で見た文明には定年はない。だが2人の子供が独立したので、そろそろとリタイヤを考え始めていた。
- そんなある日、気の合う仲間たちと大きな湖のある高原の観光地へ出かける。休日を過ごすためだ。
- だが、そこで異変が起きた。昼になっても空は雲一つないのに薄暗いままだった。
- 休暇旅行中だが科学ジャーナリストの性分で、その原因を探ろうとする。
- しかし、理由が何一つわからないまま、周りにいる人たちがバタバタと倒れていく。
- 咄嗟に火山を疑い、有毒ガスを吸わないように口をハンカチで覆うが、そのあたりに火山など存在しない。
- 結局、私も何もわからないまま意識が遠のいて、そこでの人生の終わりを迎える。
- 最期の場所は湖畔を見下ろす斜面にできた草原。湖畔と草原の間を舗装された道路が通っていて、そこにウィンナー型のバスを見たのが最期の光景。
- 夢で見た世界
- あちらの世界では科学ジャーナリストであったためか、科学技術についてはかなり具体的に記憶している。
- 夢世界の文明
- 科学技術は地球よりはるかに進んでいる。文明は宇宙開発が進み、いくつもの恒星系に植民していた。
- 私が生まれ育ったのは、そういう植民惑星の一つ。
- 恒星系を離れて数光年離れた星とも行き来している。
- ワープ技術の有無は不明。ただし数光年離れた系外惑星へ出張した同僚が、往復したのに1か月ほどで戻ってきている。このことから、おそらく超光速は実現している。
- 現在の太陽系と違って恒星の密集した場所にあるのか、空には明るい星が多く輝いている。
- 地球から半径10光年以内には太陽系を含め恒星系は8つしかないが、同じ範囲に何百個もありそうな明るさ。
- 惑星環境
- 自然が豊かで、街の外は緑に覆われていた。
- 空は時間や天候によって7色に変わった。ただし夕焼けや真昼の青空は地球と変わりない。
- 惑星には2つの月があった。赤い月と青い月だが、名前と周期は記憶にない。
- 同じ恒星系には、他にも人の住む植民惑星(衛星?)がある。ただし私は生涯、一度も惑星から出る機会がなかった。
- 街並みについて
- 日本にとっては20世紀頭の都会の街並みが近い。(大正ロマンより、ちょっとアメリカン?)
- 建築基準で高さ制限があるのか、高い建物はまったくない。そのため空は広く見渡せる。
- レンガ造りの外観が流行りなのか、そういう建物が多い。ただし、あくまで外観であって本物のレンガ造りはない。
- 合コン会場も外観がレンガ造りのレストラン。会場となる2階のお店へは外の階段を登って直接入った。
- 階段のところの壁に派手な電飾看板があった。そこに使われている文字はアルファベット風。
- 電柱は存在しない。ケーブル類はすべて地中の共同溝を通っている。
- 交通インフラ
- 自動車、鉄道、航空機、船舶とも免許の扱いは同じ。免許を持つと、年間2週間の研修が義務になる。
- また講習を受けたルートの運行しか認められないため、個人所有はほとんどないに等しい。
- そのため市民は鉄道、バス、航空機、船などの公共機関を利用している。
- 鉄道に電車は存在しない。当然、架線もない。すべて機関車が引っ張っている。
- バスは地球のような箱型ではなくウィンナー型。というか紡錘形?
- なお、私の暮らした街にはバスは走ってない。そのため観光地を走るバスが、物珍しさから印象が強いのか。
- エネルギーインフラ
- 発電方法に関しては記憶にない。
- 送電はすべて直流で超電導によって送られるため、送電ロスはほとんど発生しない。
- 送電網の多くは鉄道会社の路線に沿っている。そのため主要な送電会社は、同時に鉄道会社である。
- 政治について
- 独裁でも王政でもない。民主主義らしいが選挙の記憶はない。
- 国際法で徴兵が禁じられている。すべて職業軍人であるため、基本的に世界は平和である。
- ときたま軍人を喰わせるために、戦争を起こす困った国はあった。ただし同じ惑星ではなかったもよう。
- 仕事について
- 科学ジャーナリストとして、ずっと1つの科学誌の執筆編集に携わってきた。
- 職場は出版社の2階か3階──おそらくは3階にある。社屋はけっこう老朽化していた。
- 文字が大きく映るモニターで編集。電子書籍で出していたかは記憶にないが、紙の本で出していた記憶はある。
- 記事の多くはAIによって自動作成されている。それを見ながら微調整したり、レイアウトをいじってたような……。
- 役員会議は1つ上の階にある会議室を使っていた。
- 建物が古いためか壁や床の防音効果が薄く、議論がヒートアップすると下の編集部に声が筒抜け。(苦笑)
- 家庭について
- 自分の名前を含め、家族の名前はまったく記憶にない。
- 妻は優しい女性。常に家族思い。専業主婦だったか、在宅勤務だったかは不明。
- 子供は2人。兄は子供の頃はヤンチャだったが、成長して立派になったあとの記憶が薄い。早く独立したため?
- 妹は母に似て思いやりのある優しい子だった。
- 自宅の場所等の記憶はない。だが、屋内のキッチンやリビングは断片的に記憶に出てくる。
- リビングから見えた外の自然豊かな光景の記憶から、おそらくは郊外にある一軒家暮らしではないかと思う。
- その他
- 言語については不明。
- 文字はアルファベットっぽい雰囲気だが、明らかにアルファベットとは別物。
- かなり進んだコンピューター社会だが、AIに仕事を取られるようなことは起きてない。
- あの世界ではお出かけする時、夫婦が常に一緒でバラバラに出かけることはあまりなかった。
- ただし外出先でも常に一緒ではなく、行った先で別行動になるのが暗黙の了解のようだった。
- 最後になった観光地での話
- ここだけ思い出せる範囲で詳細に記述する。
- 休暇旅行の計画
- 気の合う仲間たちと、湖のある高原へ旅行することになった。
- 山頂に雪のある険しい山脈に囲まれた、大きな湖のある涼しい高原だ。
- 移動は山岳鉄道。滞在先のホテルに数日逗留し、日々のんびり過ごす保養の旅だ。
- 旅行のメンバーは6人。お出かけは夫婦ペアが暗黙の了解なので、3組での旅行だ。
- だが、行った先では男女別行動。妻たちは温泉地巡り、夫たちは湖周辺で山登り(地質調査?)だった。
- なお温泉は火山性ではなく、近くまで山脈が迫っているため、山の高低差で生じた地熱によるものだ。
- 最期の日の行動
- その日は朝から暗かった。空は曇ってないのに、昼になっても薄暗い。
- 太陽の光が弱く、空にはたくさんの星が輝いていた。空はピンクから赤黒い色をしている。
- 科学ジャーナリストの血が騒ぎ、この空の原因を探りたくなった。
- 滞在するホテルは湖に面していて、陸側の出入り口から建物を出て左へ道なりに歩いていく。
- 観光地は中世ヨーロッパ風の街並み? 道をまっすぐ進み、その先にある丘に登る。
- 高原のためか斜面に木はほとんど生えてない。背の低い高原植物に覆われている。
- 丘に登ったのは私一人。妻や仲間たちは歳なのか、下の道で待ってると言う。
- 丘を300mほど登って振り返ると、不思議な色の空が湖面に映っている。
- 左側にホテルのある観光地の街。妻や仲間たちは丘の下。それでも緩やかな坂を少しだけ登っていた。
- そこでホテルのある左の方から、人がバタバタと倒れ始めたのを見た。
- すぐに妻たちに、丘を駆け登るように言うが、離れてるせいか声が届かない。やがて妻たちも倒れた。
- 観光地の街の方から、銀色のウィンナー型のバスが走ってくる。おそらく逃げようとしてる人たちだ。
- 火山性の有毒ガスを考え、口にハンカチを当てて倒れた妻たちのところへ駆け寄ろうとする。
- だが、ほとんど坂を降りないまま、自分も倒れてしまった。
- 意識が遠のくまでの間、私は何が起きたのか考えようとしてたが、何もわからないまま人生が終わった。
- 何が起きていたのか?
- 記憶では火山を考えていたが、観光地の近くに火山はなかった。湖も内陸の造山運動でできたもので火山は無関係。
- 地球でいえばスイスのアルプス山脈とレマン湖の関係のようなもの。
- 空の異変は、おそらく宇宙空間で何かが起きていたのだろう。
- 今の知識で考えるとおそらく赤い空だったところからガンマ線バーストの直撃を受けていたのかもしれない。
- ガンマ線で上空の大気が電離して、低緯度オーロラのように空が赤く染まっていたと考えられる。
- また空が暗いのは中心太陽もガンマ線バーストの直撃で、一時的に輝きを失っていた可能性はないだろうか。
- 死ぬ時の様子も、それなりにガンマ線バーストの可能性を物語っている。
- 惑星の自転でガンマ線源が山の稜線から昇り、直撃を受けたのだろう。山の影だから、左側が西だろうか。
- 私は丘の北側斜面から湖を見下ろしていた。たまたま山の影の関係で、丘の下にいる仲間から亡くなったと考えられる。
- となると観光していた場所は南半球?
- 実際にガンマ線バーストだったとしたら植民惑星が一つ滅ぶほどの大事件だ。
- その他
- 惑星には2つの月があるが、亡くなった時、空にはそのどちらもなかった。
- 天変地異が起きた時、地球よりはるかに科学技術の進んだ文明ならホテルでニュースを聞いても良さそうに思うが……。ガンマ線バーストの直撃だったら通信は海底1万m、地下なら数千mにあるケーブルでないと被害を受けてどこにも届かなかっただろう。まして無線ならなおさらだ。
- 科学ジャーナリストの血が騒いで原因を探ろうと思ったのも、まったくニュースが入ってこないせいだったのかもしれない。
- この夢が、実は前世の記憶だった可能性はあるのか?
- スピリチュアルでは前世が異星人だった人のことを「スターピープル」というらしい。
- 管理人がその一人である可能性はあるか、ちょっと考えてみる。→詳細(前世が宇宙人〜スターピープルの考察)
- 科学・特に地学系への興味は前世の影響?
- 科学ジャーナリストだったとはいえ、学生時代の専攻は不明。得意分野も不明。
- 最期となった原因が、特に地学系に興味を持たせる原因となったのだろうか?
- 省エネや車を所有しない生活は前世の影響?
- 管理人は子供の頃から、歩いていける距離なら時間がかかっても徒歩で移動しようとする性格だった。
- N町の中学生時代、スクールバスを使わないで片道7km弱を歩いて通学してた時期がある。
- まあ、これには町のスクールバスが部活の朝練を前提に朝の7時前に最寄りのバス停を通過する事情があった。
- 吹奏楽部に強制的に入れられた反発もあるが、学校の始業は8時50分なので家を7時20分頃に出れば間に合う。朝の30分は貴重だ。
- こういう選択をしてしまうのも、前世の影響があるのだろうか?
- 今でも3〜4kmぐらいなら何も考えずに歩こうとして、同行者に「バス(や電車)があるから」と言われることが多い。
- あちらの世界は高い科学文明でありながら自然が豊かなのは、持続可能な自然との共生社会が実現していたからか。
- その影響で現世でも、移動は基本は歩くという生き方になっているのだろうか。
- 鉄道や船舶に興味がある反面、自動車と飛行機にはあまり興味が向かない
- 前者と後者の違いは、エネルギーの圧倒的な環境負荷の差だ。これも前世の影響だろうか。
- 預かり知らぬところで濡れ衣、顔見知り程度の人から恨まれる
- 上の方で「人生で繰り返されるトラブル」の一つとして書いたが、これはスピリチュアルによると前世が異星人だった人がよく巻き込まれる典型的なできごとだそうだ。
- お金に執着しない
- 商才がないのも、地球でのお金文化に慣れてないから……らしい。(爆)
- フリーランスとしても仕事を勝ち取れないのだから、今の生き方は向いてないはずだが……。
- 独特な世界観を持っている、クリエーターになりやすい
- 自分ではサラリーマン的な生き方を望んでいたのに、気がつくとリストラされて作家になっていた。
- そして世の中は一度作家になると雇いたがらないので、余計に……。(苦笑)
- その他、前世が異星人だった人の特徴との比較
- スピリチュアルにある特徴と比較してみる。
- 集団行動が苦手、なかなか周囲に溶け込めない
- たしかに集団に溶け込むのは苦手だが、集団行動自体をを苦に思ったことはない。
- これは知らないうちにリーダーや役員等に祭り上げられた経験が多いからか?
- ただ、このあとウソのウワサを立てられ、徐々にグループからはずされていくことは感じている。
- 争いを好まない、ただし反発する時は強く出る
- これはよく言われる。親や親戚にも言われた。温厚な人ほど怒らせると怖いの典型らしい。
- 物事をレッテルで見ない
- 悪いウワサはあっても、時に手を出すことはある。
- で、やはりウワサは正しかったと学習することが……。(汗)
- ビッグバン宇宙論や邪馬台国畿内説も、メディア報道や本の多さに左右されずに自分の頭で信用しなくなってる。
- 一度下した評価はなかなか変えない
- 一度でも裏切ったら、よほどの事情がない限り、その相手は信用しない。
- それが社員個人の暴走でやらかしたことでも、仕事上でやったことなら会社そのものを信用しないし利用しなくなる。
- こういうことは無意識のうちにやってるが、けっこう多いかも。
- 高校時代のパソコンメーカー2社。悪質なリストラにからんだ社員を出向させた某証券会社と銀行。等々……。
- 困った時に救いを受けることが多い
- たしかに救いを受けることが多い。
- 作家活動だけでも、過去、4回廃業を覚悟してハロワへ行くが、会社へ履歴書を送る前に状況が好転している。
- 正直、これは神の救いか悪魔のささやきか、いつも判断に困る。
- そもそも商才があれば、事業を起こしてるんだけどねぇ。すぐゼロ円に仕事を取られて……。
- 体温が低い
- 子供の頃から今も平熱は35度2分。おかげで電子体温計で計れた試しがない。
- ちなみ水銀体温計による口中計測では36度4分が平熱。
- 胃腸が弱くてお腹を壊しがちなのも、この低体温が原因ではないかと思ってる。
- 高身長で食は細いが、体型は……(汗)
- レコーディングダイエットで1日の摂取カロリーを記録したら約1400kcalだった。
- この摂取量は10年以上変わってないが、歳を取るとこれでも体重が10kg以上増える。(泣)
- ・食物、今の半分で足りると申してあろうが。(冬の巻 補帖)
- もしかして、コレ???