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その他・読み解きメモ/日月神示の概要
 
日月神示の目的について
内容の解釈について
知らせ方について
役員について
日月神示の対象者?

 

はじめに
・少し遅れると人民は、神示(ふで)は嘘じゃと申すが、百年も続けて嘘は言えんぞ。(黄金の巻 第59帖)
 多くの予言がそうであるように、日月神示に出てくる予言はすべて100年以内である。

 

日月神示の目的について
・何もかもはっきり助けて、(しち)難しい御苦労の無い代(世)が来るから、()(たま)()(だん)に磨いて、一筋のまことを通してくれよ。(上つ巻 第1帖)
 日月神示の目的は、極端にいえば人類の悪神からの救済である。
 悪神とはキリスト教の神のこと。正しくいえば神の啓示を受けたイエスを殺し、真のキリスト教を乗っ取った悪神のことである。
 同じ系列であるが、ユダヤ教とイスラム教は悪神には乗っ取られていない。ただし原理主義という乗っ取りが始まっているが……。
 この悪神によって今の地球人類はずっと苦しまされ続けてきた。近代民主主義も人権思想も悪神の語る綺麗ごとであるから、立派なようで世の中を悪くする原因になっている。
神示(ふで)は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民(しんみん)に読めるようにしたものは印刷結構ぞ。(天つ巻 第30帖)
 自動書記されたものは、そのまま印刷してはいけない。みだりに役員以外の者に見せてはいけない。
 これは都合よく改変する者が出てくるからか。それともイメージだけで悪く言う者が出てくるからか。
 ただし見せるのは臣民が読めるように翻訳した「ひふみ神示」にせよとしている。それを印刷して世に広めるように求めている。
 この翻訳は自動書記を直訳したものだけでなく、日本だけでなく世界にも広めよというのだから、時代に合わせた現代語訳だろう。
・みな取り違い申して済むまいが、神示(ふで)良く読めと、裏の裏まで読めと申してあろうが。(夜明けの巻 第1帖)
・この十二の巻、よく腹(肚)に入れておけば何でもわかるぞ。(夜明けの巻 第13帖)
 日月神示の内容は、主に最初の基本12巻にすべて書かれている。ここを曇りない目でしっかり読めば何でも理解できるらしい。

 

内容の解釈について
・言ってやりたいなれど、今言っては仕組み成就せんから、邪魔入るから、()(たま)掃除すればわかるから。(上つ巻 第26帖)
・この神示(ふで)()(たま)によりどんなにでも、取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ。(上つ巻 第27帖)
・この仕組み知らせねばならず、知らせてならんし神も中々に苦しいぞ。(下つ巻 第4帖)
・岩戸開く仕組み知らせてやりたいなれど、この仕組み言ってはならず、言わねば臣民(しんみん)にはわからんぞ、神苦しいぞ。(下つの巻 第22帖)
「この神示について具体的に教えたい。だが、それをやると内容を知った邪神・悪神からの妨害に遭って弥勒の時代(あるべき世界)を実現できないため核心は教えられない。そのため神示に書くことは具体性を欠くことになり、知識のない人が読むと内容はどのようにでも読み取れてしまう。だからこそ取り違いはしないで欲しい」と何度も念を押している。
 内容をどのように受け取るかは、すべて読む人の()(たま)次第。誰もが自分の信じたいように読むと思った方がいいとしている。
 もちろん良識派ぶって「具体性に欠けるのなら後知恵でどのようにも解釈できる。それは、そこらの怪しい予言と同じだから信用できない」と思考停止するのも、その人個人の勝手なので、他人がどうこういう問題ではない。無理に考えを押しつけるものではない。
 
 この神示に限らず、どんな文章や演説でも間に入って切り取る人次第で、どんな内容にでも拡大解釈することはできる。このあたりはマスメディアによる偏向報道や、SNSの歪んだ解釈や解説を見て誰にも経験はあると思う。
 もちろん、このサイトに書かれている解釈についても同じ。その時々の管理人の理解度にすぎないので、間違ったものも多いはず。
 最終的にどのように受け取るかは、すべて読む人の()(たま)次第となる。(冷たく言うと、どの解釈を信じるかはすべて自己責任)
・この神示(ふで)八通りに読めるのじゃ、七通りまでは今の人民でも何とかわかるなれど、八通り目はなかなかぞ。(海の巻 第15帖)
 これを「どのようにでも読める」と解釈すると、まったく意味を為さなくなってしまう。
 真実は1つでも、何事であれ見る角度によって解釈は変わってくる。1つの事件でも、被害者、加害者、目撃者、処理する役人の立場、報道する人、報道で聴いた第三者などで見方は変わってくる。
(1) 被害者の見方
 あくまで被害者視点。原因がわからない場合、加害者への怒りが入りやすい。
(2) 加害者の見方
 加害者の視点には責任を小さくしたいフィルターがかかる。
──────ここまでが当事者の視点────────
(3) 目撃者の見方
 目撃者は事実を見ているが部分しか見ていない。
(4) 処理担当者の見方(警察、消防署、医者、弁護士など)
 問題を処理する仕事の人にとっては数多くの事件の1つ。
 頭の中に専門家としてのパターンができてるため、その思い込みから真実の取り違えを生みやすい。
(5) 研究者の見方
 情報を集めて事実を見ようとする研究者。
 深く読み込んで、当事者でさえ見落としている真実を暴くこともある。
──────ここまでが関係者の視点(一次資料になる文献)────────
(6) 伝達者・野次馬の見方
 ここは真実を伝えるより、情報の価値というフィルターがかかる。
 報道機関にしろウワサにしろ、ここで面白おかしく脚色されることもある。もちろんウソも入り込む。
──────事件直後の報道は一次資料になるが、意見が入ったり時間を置くと二次資料になる─────
(7) 第三者の見方
 伝聞に触れた第三者となると、もう他人事。一人一人の知識や経験の違いで、見え方も変わってくる。
 一見すると情報の触れ方は研究者と同じだが、加工された情報を読み解くための知識が圧倒的に欠けている。
 記者が取材もせずに書いた記事は第三者と変わりない。それだけに無責任に尾ひれを付けやすい。
 このように1つの事件でも、これだけ多様な見方ができる例である。
 ただし、事実が1つだけであることに変わりはない。解釈が矛盾していたら、一方、ないし双方の読み方が間違っていることを示している。
 
 なお、神示に書かれた「八通り」は具体的な数ではなく、たぶん四方八方からの視点の意味で「八通り」としてるのだと思う。だからこそ七通りは読めるが、「このつもりで書いた」という八通り目(真実)にはなかなか至らないという意味だろう。
 国語の試験問題によくある「作者は、この文章で何を伝えたいか」という出題に、実際の著者が「そんなこと考えてねーっ」と言うのと同じだろう。
 もちろん神の世界は八次元(立立体:碧玉之巻 第1帖)で、三次元に住む我々からは想像できないと解釈することもできる。
・この神示(ふで)は心通りに映るのだぞ、思い違うといくら神示(ふで)読んでも違うことになるぞ。(キの巻 第5帖)
 神示に限らず、どんな文章でもその時の気持ちや知識量でまったく違う意味に読み取ることがある。
 それをそのまま「こう書いてある」と決めつけるのは問題だが、思い違いもまたその時の心の鏡。
 記録として残していれば、あとから振り返った時に魂の磨き具合を知る指標になるかもしれない。
・この神示よく読んでくれよ、読めば読むほど何もかもわかって来るぞ。(上つ巻 第14帖)
神示(ふで)良く読めと、裏の裏まで読めと申してあろうが。(夜明けの巻 第1帖)
 結局は、とにかく読み込んで、一つの結論に達してほしいということか。
 言ってることに矛盾を感じたら、それは解釈の方が間違っていると……。
 ただし繰り返し読んでいると、それに関係した情報を本やネットで拾うようになる。理解度に応じて、必要な知識が集まってくるのだろうか。
 それである日、いきなり書かれてあることが一つのつながりになることがある。まさに読めば読むほどわかってくる。
・この神示読ますようにするのが役員の務めでないか。役員さえ読んでいないではないか。(地つ巻 第31帖)
 自分で読み解きを始めると、世に出ている解釈本や読み解きサイトの多くが、実は部分だけを見て適当に書かれてると気づかされる。
 まさに役員(世に広めようとしてる人)自身が神示をろくに読んでないと……。
 
 ただし、この言葉自体は1944年10月の時点での話。だから真意は「当時、解読が進んでなくて役員すら内容がわかってない」ことへのボヤキではないかと思う。10月から国内が厳しくなるから注意してるのに、神示が世に出まわるようになったのは1990年以降。そりゃあ、神さまもボヤきたくなるだろう。
 とはいえ、ようやく出まわり始めた神示の解釈ですら……。
・学も神力ぞ、神だぞ。学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになるぞ。(日月の巻 第11帖)
 学識はすべて人間の浅知恵とは限らず、中には立派な神の力となる真理もある。それを一緒くたに「人間の知恵=真理の邪魔」と決めつけると、とんでもないことになる。
 そもそも学識こそが神を知る重要な土台である。その中に人間の浅知恵がまぎれているので、それに気をつけろと言っているだけだ。
 わかりやすく科学理論でたとえるが、その中には科学的に確定した究極の真理もあれば、ある条件の中でのみ成り立つ経験則もあり、まだ仮定の上に仮定を積み重ねただけの仮説もある。
 ところが「人間の知恵が悪い」と言われたら、それを「すべて人間の知恵が悪い」と決めつけて排除しようとするのは、過去、多くの宗教が通ってきた間違いだ。同じようにオカルト論者の中にも、既存の知識や学識に難癖をつけて悦に入ってる人がいる。
 実際、宗教やオカルトにハマる人たちの中には既成概念という言い方で既存の考え方、物の見方を否定的に見る人が多い。これは学力への劣等感からだろう。それでおかしな理屈をこねるのだから、世間から胡散臭く見られるのも当然である。
 一般人に真理を見抜く目を持てというのは無茶な要求だが、少なくとも異論があれば耳を傾けて、何が正しいのかを感じるぐらいの審神者(さにわ)ができるぐらいにはなりたいものである。
・神の申したこと違わんぞ。(上つ巻 第11帖)
・神の申すこと違わんぞよ。(上つ巻 第14帖)
・神の申すこと、少しも違わんぞ。(上つ巻 第18帖)
加実(かみ)の申すこと(せん)に一つも違わんぞ。(上つ巻 第20帖)
・神の申すこと一分一厘違わんぞ。(下つ巻 第24帖)
・神の申すこと、ちっとも違わんぞ。(下つ巻 第25帖)
・神の申すこと一分一厘違わんぞ。(天つ巻 第3帖)
・神の一度申したことは一分も違わんぞ。(天つ巻 第15帖)
・この神示(ふで)一分一厘違わんのだぞ。(天つ巻 第28帖)
・神の申したこと一分一厘違わんのだぞ。(地つ巻 第16帖)
・神の申したこと一厘も違わんぞ。(地つ巻 第27帖)
・この神示(ふで)、針の穴ほども違わん。(黄金の巻 第4帖)
神示(ふで)はちっとも違わん。(黄金の巻 第13帖)
・この世を創った太神の神示(ふで)ぞ、一分一厘違わんことばかり。(星座之巻 第7帖)
・神の申すことは一分一厘違わんのであるぞ。(至恩之巻 第15帖)
 繰り返し出てくるフレーズの一つ。
 もしも間違ってると思ったら、それは解釈が間違ってるから。
 心理学ではウソを言う人ほど「ウソじゃない」と言うという補完心理を指摘するが、全体の文量からすれば念を押す数は少ない。
 比較:神示の肝である「岩戸開き」は25回、「改心」に至っては193回。それに比べたら15回は少ないだろう。

 

知らせ方について
・この神示読んでうれしかったら人に知らせてやれよ、しかし無理には引っ張ってくれるなよ。
 この神は信者集めて喜ぶ様な神でないぞ、教会のようなことするなと申すのぞ。(下つ巻 第7帖)
 布教や宗教法人化の禁止。
 
 この神示と同じことは、鎌倉時代中期の日蓮に起きていた。
 元寇が起こる前に末法の世として天啓を受ける。その預言を信者たちは天台宗を土台に法華経を広めつつも、鎌倉時代から江戸時代を終えるまで宗派化はしていない。
 だが、明治5年に日蓮宗ができて、今では幸福の科学や創価学会が……。
・このことはこの方信じる人でないと誤るから知らせるではないぞ。(日の出の巻 第15帖)
 この方は意富加牟豆美(オオカムツミ)(ノカミ)。地上に病や災難が無くなるように、大難を小難にするようにしてくれる神様のこと。
 だが、そのせっかくの警告も、道理がわかってないと意味を取り違えて世間に害悪を触れまわることになりかねない。
 誰にでも教えるのは避けた方が良いかもしれない。その悪弊が次……。
・夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題に混ぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。(星座之巻 第18帖)
 今がまさにその状態。ネットやYouTubeなどで日月神示と言うと、日本や世界の滅亡を予言した恐ろしい奇書として紹介されている。
 だが、ちゃんと日月神示を読んだ人にとっては、それが真逆の内容になっていると早々に気づくだろうと思う。
 日月神示には「今の文明は終わらせない」「可能な限り戦争は起こさせない」などと書いている。日月神示に書かれているのは、アメリカの悪意によって乱された政治、経済、文化などを終わらせて、地球を日本を中心とした松の代──大繁栄時代へ導くという道筋だ。
 
 狂言の典型例が「富士山の噴火」に関する予言。実は日月神示全39巻を読み込んでも、「富士山が噴火する」という予言はただの一言も出てこない。せいぜい「神を怒らせたら火を噴くかもしれんぞ」と脅してる程度だ。
 敢えて言えば1度だけ噴火について言及しているが、それも予言ではない。太平洋戦争末期、アメリカは人種差別的に『日本殲滅(ダウンフォール)作戦』を計画し、1946年3月から相模湾や九十九里が浜から上陸して大量の毒ガス──サリンやマスタードガスなどの化学兵器をバラマキ、東京を挟み撃ちにして3000万人を無差別に殺し、将来農業ができないように大地も汚してしまおうという恐ろしい作戦を準備していた。それが現実のものとなって上陸作戦が始まったら、神は富士山を噴火させてでも止めてみせると語っただけだ。
 実際には、そのはるか前に戦争が終わったので、噴火の必要はなくなった。
 そもそも富士山の地下には、まだ1707年の宝永噴火で撒き散らされた火山灰の3〜4割ほどの溶岩しか溜まってない。
 それに歴史上、富士山の噴火で亡くなった人は、ただの1人も記録されてない。
 ウソのネット情報に惑わされないように、そういう事実は知っておくべきだろう。

 

役員について
・ここの役員は皆因縁ミタマばかり、苦労しただけお蔭あるぞ。(松の巻 第9帖)
 役員になる人に、初めから神様に選ばれた臣民や宗教活動家はいないということか。
 何らかのカルマやメグリを持ち、それを乗り越えてきた人が日月神示を知って役員となる流れなのだろう。
 
 だからこそ地つ巻 第31帖にあるような「役員すら読んでおらんではないか」という問題が起こるのだろう。
 この場合の役員は、日月神示を読み解いて役員気取りになったお調子者のこと?

 

日月神示の対象者?
 日月神示の中に直接的な言及はないが、対象は人口の2割を占める神性を持った魂の人に限定されていると思われる。
 現在8割を占める「獣の魂」の人は対象外と思われる。
 
 なお、もっとも伝えたいのは「因縁ミタマ」以上。そして役員になろうとする人たちだろう。