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その他・読み解きメモ/社会への教え/宗教観について
- 現行神道の問題
- ・今までのシメ(注連縄)はこの方等しめて悪の自由にする逆のシメだ。七五三は逆だぞ。三五七だぞ。(夜明けの巻 第10帖)
- 古くからある神社には鳥居も注連縄もない。これは背後にいる神を祀っているためで、神社はその目印にすぎないためである。
- その一方で災厄をもたらした存在を封印して、神として祀る神社もある。これならば悪神を閉じ込める意味での鳥居や注連縄という結界の張り方は正しい。
- だが近年ではその意味を忘れて本当の神様まで同じようにシメで囲って封印しているため、世の中に悪が自由に跋扈する事態を招いている。
- このように形骸化した鳥居や注連縄の扱いは七五三(注連)ではなく、意味が逆さまの三五七だと揶揄している。
- だから下つ巻第15帖などで日月神示の神様を祀る時には注連縄は要らないと念を押している。
- 現行宗教の問題
- ・死後のみ説く宗教はゼロの宗教じゃ。迷うでないぞ。(黒鉄の巻 第21帖)
- 肉体も心も、この世でもあの世でもヨロコビを得るのが真の宗教。
- 真の信仰について
- ・お土拝めよ、お土から何もかも生まれるのぞ(日月の巻 第12帖)
- ・今までは天の神ばかり尊んで上ばかり見ていた(中略)、天の神は地ではお手伝いだ。(青葉の巻 第19帖)
- 天の神様は理念だけで地に足がついていない。だが、この世は地上にあるのだから、ちゃんと地に足をつけて暮らせ。
- 同様に人の社会で暮らすのだから、神様だけでなく人も拝め。国で暮らすのだから、偉い人たちも拝め。
- 昨今のルサンチマン丸出しの政治家や役人、企業のスキャンダル報道は、日本社会をどんどん壊していく。
- ・この方一柱であるが無限柱ぞ。すべてが神であるぞ。一神じゃ、多神ぢゃ、汎神じゃ、すべてが神じゃ。(春の巻 第21帖)
- ・一神説いて多神説かんのも片輪、多神説いて一神説かんのも片輪。(夏の巻 第15帖)
- 神を語るのに一神教も多神教もない。すべて同じ。いかにも日本神道的な思想。
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- ・早く掃除して神の申すこと真っ直ぐに肚に入れてくれよ、斜めや横から戴くと光だけ影が射すのだぞ。(日の出の巻 第13帖)
- 神の光は必ず真下で受けること。斜めや横にいても光は受けられるが、それでは影ができてしまう。
- 信仰の闇をうまく表現している。
- 輪廻転生について
- ・獣となって這い回る人と空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かれて来るぞ。(富士の巻 第19帖)
- 大峠のあとの魂の行き先。人への転生とは限らず、獣や鳥になる人もいる?
- そのため肉を食べるのは、魂的には共食いになる。
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- ・今度は神の道もさっぱりと作り変えるのだぞ、臣民の道はもとより獣の道も作り変えぞ。(松の巻 第8帖)
- 魂の輪廻転生は人の中だけでなく獣との間でも入れ替わる。人間やペット・家畜類が増えれば、その分の魂が足りず自然界の獣が減っていく。
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- キリスト教について
- ・キリスト信者よ改心致されよ。キリストを十字架に釘付けにしたのは、そなたたちであるぞ。懺悔せよ。(雨の巻 第2帖)
- キリスト教には大きな問題がある。
- 近年の歴史の研究から、イエスの腹心はユダとマグダラのマリアだったらしいことが確定的となっている。現在の聖書に載せられた記録にも、イエスが磔刑になった時、今でいう12使徒はどこかへ逃げてしまい、最後まで立ち会って復活を見届けたのはマグダラのマリアだったこともハッキリ書かれている。またイエスに替わって磔刑を受けたのはユダだったという説もある。
- ところが現在の聖書では、ユダは裏切り者であり、マグダラのマリアは娼婦としている。
- それどころかイエス自身の記したものは、福音書も書簡も黙示録も、すべて現在の聖書には収録されてない。それも外典や偽典にも含めない異常ぶりだ。
- そのイエスの語録は間接的に記されているが、本人によるものが1つも収録されてない時点で、はたしてどこまで正しいか……。
- 当然ながらユダとマグダラのマリアの残した福音書も、近年発見、公開されるまで長らく存在が隠されて、世間には知られてなかった。
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- これらの事実より、今のキリスト教は腹心2人を追放し、イエス自身の書き記した文献まで破棄した上に成り立っている。
- このあたりの真実を語っているだろうか。
- ・人間は罪の子でないぞ、喜びの子ぞ、神の子ぞ。(黒鉄の巻 第11帖)
- ・人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。嬉し嬉しの道あるのに、なぜ歩まんのじゃ。(春の巻 第5帖)
- 人間の原罪を解くキリスト教に対する否定か。
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- 仏教について
- キリスト教と同じで、仏教や儒教も本来の教えを歪めて権威主義になった問題がある。たぶん言及した部分があると思うが、現在調査中。
- イスラム教について
- 現在のイスラム教は一神教だが、本来のイスラム教は日本神道と同じ多神教で、内容もかなり類似しているのではないかと思われる。
- 始まりの時期がキリスト教と仏教が堕落した6世紀の直後であるだけに、神様が本来の宗教思想を教え直した結果だろう。
- 天の神を一人とした一方、地上にはたくさんの国津神としての天使やジンがいて、それらが人の暮らしを見守っているという考え方だ。
- だが、キリスト教の十字軍遠征と、18世紀の植民地主義に対抗する形で、主にアラブ社会でイスラム教原理主義が戒律を強めて今の形にし、イスラム教徒を団結させようとしてる。
- ただし、当時すでに大国だったイランとトルコは原理主義化を拒み、本来のイスラム教の形(俗に言われる『世俗イスラム』)を残している。
- そのためイスラム教への言及は、次に触れる宗教原理主義への苦言という形で触れていると見做せるだろう。
- 宗教原理主義について
- ・他の神を拝してはならんと言う、そなたの信仰はそれだけのもの。
- 他の宗教に走ってはならんと言う宗教も、それだけのもの。(月光の巻 第22帖)
- 原理主義への批判。
- 盲目的な信仰に注意。奇跡に騙されるな、正論に騙されるな。それが心を歪める。
- ・戒律を作ってはならん。戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。(扶桑之巻 第2帖)
- 宗教的なタブーや戒律への批判。
- 信者の忠誠心を試す神にろくな奴はいないということか。
- ブラック企業ほど理不尽な規則が多いのと同じ理屈?
- ・学も神力ぞ、神だぞ。学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになるぞ。(日月の巻 第11帖)
- 直接的な批判ではないが、多くの宗教が「神を深く学ぶには俗世の知識や知恵が邪魔になる」と教えていることを否定している。
- このあたりはキリスト教の悪魔・堕天使を見ると、神学と宗教学以外の学者がすべて悪魔の側にいることからも物語っている。
- このため無知がおかしな解釈をして、神の教えを歪めることを心配している。たとえば科学的な解釈とか……。
- ・どこの教会も元は良いのであるが、取次ぎ役員がワヤにしているのぞ。(日の出の巻 第20帖)
- 仏教やキリスト教も、初めのうちは良いが、やがて教えが歪んで駄目になっていく。