▲top
その他・読み解きメモ/個人への教え/逆説的道徳観について

 

はじめに
・ゝ◯の神の薬のやり方、悪の神の毒のやり方となるぞ。(雨の巻 第9帖)
 ゝ◯の神の薬とは神の智、悪の神の薬とは人間の学問や知見のこと。
 格好の例が健康常識。2010年以降、医学界が「体に悪い」「毒にしかならない」と言ってきたことが本当は健康に良くて、医学界が広めた健康常識の方がむしろ大勢の人を病気にしてきた例が次々と見つかってる。
  ・塩分は高血圧を招くと減塩を奨めてきたが、減塩するとガンになりやすいことがわかった。
  ・高血圧は万病の元と言って血圧を下げる薬を出したが、血圧を下げると脳に血が回らなくなって痴呆症を招くことがわかった。

 

善悪・道理について
・善いこと言えば善くなるし悪きこと思えば悪くなる道理わからんか。(下つ巻 第17帖)
・まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ。(地つ巻 第17帖)
 本当の善悪は結果で決まる。耳に心地よいだけの偽善に注意。当然、善意を悪く言うプロパガンダにも注意。
 マスコミや欧米の言説への注意喚起。
・何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、方便と申すものは神の国には無いのだぞ。(地つ巻 第10帖)
 世渡りには「嘘も方便」と教えられるが、それが利かない世の中がやってくる。
 2010年以降、この傾向が強くなっている。
・日の光ある時はいくら曇っても闇ではないぞ、いくら明かり点けても夜は夜ぞ。(地つ巻 第18帖)
 報道に関する逆説。善悪より情報の価値で動くため、良い時代に悪く言って、悪い時代に良く言うメディアの性質への逆説。
 インターネットの普及で、その化けの皮がはがれつつある。
泥棒(どろぼう)が多くなれば泥棒が正しいということになるぞ。(富士の巻 第18帖)
 多数意見こそが正しいという考え方への逆説。
 日本では当たり前になっている「連帯責任」という人権侵害が良い例。銀行などの保証人制度も、日本以外では悪質とされる考え。
 悪質でも日本社会にいると「正しい」「そういうもの」「イヤなら利用するな」となってしまう。
 似たところでは利子も同じ。
・神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方が違うのだぞ。
 神の教えが一等良いと申しても、そのままでは外国には通らんぞ。(天つ巻 第15帖)
 道理や善悪が人類共通という思い込みへの逆説。主にアメリカ式のグローバル思想への逆説。
 文化、風土が違えば考え方も違うのは当たり前。だが、国家、宗教を否定する多国籍企業にとっては、むしろ認めたくない考え方。
・清い水に住めん魚はまことの魚ではないのじゃぞ。(梅の巻 第14帖)
 ことわざにある「清き流れに魚住まず」の逆説。
 濁った水に気づかない者はそれが当然と思っているから、よい社会を作るために一番の障害になる。理想論ではないとしている。
・悪を殺せば善ばかり、輝く御代(みよ)が来るという、これが悪魔の御教えぞ(中略)
 悪を殺して人類の平和を求め願いしも、それははかなき水の泡
 悪殺しても殺しても焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々増えるのみ。(海の巻 第5帖)
 悪をなくせば世の中が良くなると思っている常識への逆説。
「悪をなくす」という行為自体が、相手から見たら「悪魔の所業」である。それゆえに悪はなくなるどころか増えてしまう。
 このことを3千年前からずっと続けていて、どうして気づかないのかと。
・公平という声に騙されるなよ、数で決めるなと申してあろうがな。(黄金の巻 第56帖)
 戦後民主主義への警鐘。群集心理は邪霊に支配されるから、マスメディアに扇動された民意は常に間違う。
 そして選ばれた政治家が腐り、下への示しがつかない。まさにイワシは頭から腐る。
・五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ(中略)六六六では動き無いぞ。(碧玉之巻 第15帖)
 これも公平という言葉への注意喚起。
 みんなが「同じ」「平等」では動きがない。それでは世の中は栄えない。しごく当たり前のことを言っている。
・わからん者いくら集めてもわからん道理。二は二、三は三であるぞ。一を二つ集めても二にはならんぞ。(扶桑之巻 第2帖)
(めくら)の人民がいくら集まって相談すればとて、すればするほどヤミとなるのじゃ(中略)
 すべてを数だけで決め様とするから悪平等となるのじゃ
(碧玉之巻 第16帖)
 ことわざにある「三人寄れば文殊の知恵」の逆説。
 英語のできない人を何十人集めても通訳できない。あまりにも当たり前なのに、ことわざのせいで答えが出ると信じてる悪い思い込みがある。
(おのれ)殺して他人(ひと)助けることは、この上もない天の一番の教えといたしていたが、それは悪の天の教えであるぞ。
 (おのれ)()かして他人(ひと)()かすのが天の道だぞ。(夜明けの巻 第1帖)
 自己犠牲を美化する風潮への逆説。これまでの宗教は、この教えに割く比重が高かった。
 だが、自分も他人も活かす道を探るのが天の道と正している。
 ワガママもダメ、自己犠牲もダメ。

 

戦争について
生命(いのち)殺すような(いくさ)は外道。〜正道の(いくさ)は人を生かす(いくさ)(春の巻 第42帖)
 人間の言う戦=戦争は、殺し合いの意味しかない。だが、人を生かして天国へ至る戦争もあるという教え。
 これですぐに思い浮かぶのが、日本から世界へ発信される文化輸出。これが欧米人、特にキリスト教徒にとって危険で不気味なものに映るらしい。
 欧米発の文化発信は、常に政治的な力関係や経済力などの押しつけで行われてきた。それだけに相手国からの反発も強い。
 一方で日本初の文化の多くは、押しつけではなく自分たちが好んで取り込むもの。それは心地よく反発もない。
 日本文化は俗にコタツ文化ともいわれ、入ってみると心地よくて抜け出せなくなるものらしい。それが侵蝕してくる様子がキリスト教文化圏の人たちには、眠らされて心地よい夢を見せられているうちに殺される恐怖を感じるらしい。そのため激しい拒絶感を持つ人もいる。

 

働き方について
・一本足の案山子(かかし)さん、今さらどうにもなるまいが、
 一本足では立てないということ、早速(さっそく)わかったら、神が与えた二本足、日本のお土に立って見よ。(天つ巻 第7帖)
 この道一筋という考え方を否定しているのか?
 今の時代を考えると、この道一筋では多くの人が行き詰まって路頭に迷っている。
 就職事情にしても多くの企業が副業禁止を掲げて従業員を縛りながら、一方的にリストラして多くの人たちを路頭に迷わせている。
 二足のわらじこそ正しい働き方なのだろうか。
 単に日本を二本に引っ掛けて、近代化以降の小賢い生き方を皮肉っているだけかもしれないが。
・清貧は負け惜しみ、清富になれ。(月光の巻 第23帖)
 清貧は負け惜しみであり、成功した人へのルサンチマンにすぎない。これを正論のように言う主張には要注意。鵜呑みにすると心を歪める。
 区別と順序さえ間違えなければ、何を拝んでもいい。お金を拝んでも間違ってない。
 そもそもマコトの働き方であれば人を集め、十分に稼ぐことができる。まさに清富。
 ゆえに清貧思想は負け惜しみ。清く富むことが繁栄の道。
・与えよ、与えよ、与えよ。与える政治と申してあろうが。〜自分から湧き出ねば自分のもので無いぞ。(春の巻 第43帖)
「働かざる者、食うべからず」の逆説。ベーシックインカムの提言か。
 今の時代、仕事がないために働きたくても働けない人は多い。働くより生活保護を受けた方が収入が多いため、働かない人が出てくるほど。
 最低限の衣食住が足りれば、新しい事業に挑戦する人も出てくる。
 残念ながら平成時代に入ると世間が失敗に冷たくなったため、起業する人が極端に落ち込んでいる。欧米では起業から5年以内に黒字を出すと、それはお金を有効活用してないからと無能経営者のレッテルを貼られる。だが、日本の銀行は逆で、初年度から黒字を出さないと貸し剥がしていた。それがリーマン・ショック以降、1か月目の最初から黒字になってないと貸し剥がすため、2か月目での倒産が相次いだ。
 こういう事態は統計の上でも1990年代半ば以降、今も経営に携わる創業者の年齢別比率が毎年1歳ずつ上にズレていることで物語っている。
 これでは起業しても定着できるはずがない。

 

行動原理について
・考えていては何もできないぞ、考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷いだぞ。(地つ巻 第23帖)
 何かを始める時、「やる前にしっかり考えろ(調べろ)」と教えられる。
 ブルース・リーの「考えるな。感じろ」も、名言だが思考停止した迷言とも言われている。
 だが、考えれば考えるほどループし、なかなか踏み出せないのも道理。考えすぎて確実に失敗するのも道理。
「才能のある人は考えなくてもできる。才能のない人は必死に考えた結果、確実に間違う」ことを言ってるのだろう。
 
 作家としての経験則だが、思うように創作していた時は波に乗るが、担当編集者やプロデューサーから「(もっと売れ筋を狙った設定や展開を)考えてくれ」と言われた途端にスランプになる例が多い。
 企業側の論理は儲けを狙った下心のあるアヤワの仕組みであるから、ダメになるのも道理。そもそも後追いの時点で、状況を粗製乱造にするのであるから、市場を食い散らかして長期的には衰退させるもの。企業側はそうなった失敗の責任をすべてクリエーターの能力不足のせいにして、いっさい反省しないために常態化している。
 
 また健康問題でも同じ。健康のために食事に気を使ったり、運動をする人たちが意外と短命に終わる現象も、この原理からだろう。
 もちろん、間違った健康情報に飛びついて体を壊すケースも多い。

 

宗教・信仰・神道について
・人間の言う神がかりとは幽界の神がかりじゃ。(白銀の巻 第6帖)
 人の目で「神がかり」と見えるのは、邪神による演出。だまされてはいけない。
 本当の神がかりは、自然すぎて誰にもわからない。それでいてすごいことをする。
・学も神力ぞ、神だぞ。学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになるぞ。(日月の巻 第11帖)
 直接的な批判ではないが、多くの宗教が「神を深く学ぶには俗世の知識や知恵が邪魔になる」と教えていることを否定している。
 実際、無知がおかしな解釈をして神の教えを歪めることを心配している。たとえば科学的な解釈とか……。