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その他・読み解きメモ/世界観について/
仕組みと御用について
仕組みと御用
日月神示では、仕組みと御用を以下のように定義している。
仕組み
この世の仕組み。
時代や物事の変化が起きる原理。
神様が用意した、何かを起こす時の「型」「設計図」。
御用
仕組みを実践すること。
時代や物事の変化に備えること。
なお仕組みが動き出した以降は何もできず、ただ身を任せるしかないものには御用は存在しない。
仕組み
:
富士の仕組み
、
鳴門の仕組み
、
諏訪の仕組み
、
麻賀多の仕組み
、
江戸の仕組み
、
尾張の仕組み
渦海の仕組み
、
アイウ(縦)の仕組み・アヤワ(横)の仕組み
、
弥勒の仕組み
(旧)三月三日の仕組み
、
(旧)五月五日の仕組み
、
(旧)九月八日の仕組み
、
一厘の仕組み
御用
:
富士の御用
、
カイの御用
、
キの御用
、
榛名の御用
、
渦海の御用
、
江戸の御用
、
尾張の御用
一
(
はじめ
)
の御用・
二
(
つぎ
)
の御用
、
御代出づの御用
その他・役員限定等の御用
:
八月八日の御用
、
仕組み
富士の仕組み
・富士とは火の仕組みぞ、
(天つ巻 第30帖)
・12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのじゃ、
012345678910が『マコト』と申してあろうがな。裏表で二十二じゃ。
(至恩之巻 第15帖)
・マコトとは
0
(
マ
)
12345678
9
(
コ
)
10
(
ト
)
のことと申してあろう。
(月光の巻 第45帖)
・空白とは九八九であるぞ。八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことじゃ。
(扶桑之巻 第4帖)
物事の達成度を表したもの。1〜10の段階で示すが、実はその前に神様が用意してくれた0が存在する。
人は神様が用意してくれた最初の0の上で努力する。ただし、人の努力で到達できるのは8の段階まで。
人間には何もできず、神様にお任せする部分をマコト(0・9・10)という。
8の段階まで到達すると、人の力だけではそれ以上は進めない。9に至らない空白(989)の期間となる。
この空白の期間は神様が完成に手を貸そうと準備している時間でもある。
そして神様による仕上げが成って、完成した10に到達できる。だが、これだけでは自己満足の世界。(当人にとっての表)
周囲から努力が認められるのが裏の達成度。世間から一定以上の評価、認知度が与えられる。
この表と裏の段階を合わせて全部で22=富士がこの名前の語源であり、努力して日本一の高みを目指す含みもある。
なお、神の手による9の段階は、次に説明する
鳴門の仕組み
である。
富士の仕組みのイメージ
段階
内容
関連する仕組み
備考
0
神様による下準備
0は何をやっても0のまま
それを1にできるのは神ないし神懸かった人のみ
1〜8
人が努力して高める段階
空白
神様の準備期間
九月八日の仕組み
神様が総仕上げの準備に取りかかる段階
単にコトの開始日を決めるだけの場合もある
9
神様による総仕上げ
ナルトの仕組み
10
達成
鳴門の仕組み
・七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み、なりなりあまるナルトの仕組み。
(至恩之巻 第16帖)
・
鳴
(
なる
)
門
(
と
)
の渦巻きを渡る時は
舵
(
かじ
)
を放して、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、
舵
(
かじ
)
を取ると同じ処をグルグルじゃ。
舵
(
かじ
)
を放せる人民少ないのう。
何でもかんでも
舵
(
かじ
)
を取って自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起こるのじゃ、
渦に
任
(
まか
)
せる時は任せなければならんぞ。
(五葉之巻 第2帖)
神様による総仕上げの大混乱。これが始まったら、もう神様にも結果はわからない。10に至る意味で「成る十」が語源。
この期間にまでに準備を済ませるのが
九月八日の仕組み
。準備や心構えができていれば苦労せず乗り切れるが、多くの人はここで
足掻
(
あが
)
いて泥沼へと沈んでいく。神様による手助けが入ることもあるが、それで達成する保証はない。
世界的な混乱では、第二次世界大戦、第一次石油ショック、新型コロナウィルス(COVID-19)騒動など。
渦海の仕組み
下つ巻 第27帖
と
日月の巻 第12帖
の2か所に出てくるが、日月神示内に仕組みの詳細は書かれてない。
鳴門の仕組み、諏訪の仕組み、マアカタの仕組みの3つをまとめた呼び方にすぎないかもしれない。
諏訪の仕組み
松の巻 第14帖
にのみ出てくる単語のため、日月神示内に説明はない。
鳴門と並ぶ渦海の一つであるので、厳冬期の御神渡りから、もっとも厳しい時のメッセージを意味するのかもしれない。
また諏訪大社には日本古来の古代神が祀られているので、そこにもヒントがあると思われる。
マアカタの仕組み
これも
松の巻 第14帖
にのみ出てくる単語のため、日月神示内に説明はない。
マアカタ(麻賀多)は印旛沼のこと。そして、ここには古代、現在の霞ヶ浦とつながる琵琶湖よりも大きな湖──香取の海があった。
ここも鳴門、諏訪と並ぶ渦海の一つであるので、時代が移り変わる時の何かを意味してると思われる。
江戸の仕組み
地球文明を自然と共存する持続可能なものへ作り変えること。
ただし
下つ巻 第16帖
、
日月の巻 第23帖
では西洋化した都市が、空襲で破壊される意味で使っている。
現代文明の主流である西洋&イスラム型文明は人からも自然からも搾取する文明である。
搾取する文明の特徴は農業によくあらわれる。原始的な焼畑農法も、近代的なプランテーション式農法も、単一作物(単一品種)を育てて土地から養分を吸い尽くすやり方をしている。そのため土地の植生が貧しくなり、連作障害や土砂の流出を起こして大地を殺していく。その結果、古くから文明のあったところほど砂漠化している。現代はそれを機械と化学肥料を使って大々的に行ってるため、大地の負荷は桁違いに大きくなっている。
北中国──黄河文明もその傾向が強く、今の中国はその黄河文明が中心となって国際的な力をつけてきた。そのため地球の環境破壊に拍車をかける結果となっている。
一方で古来より自然と共存する文明がある。日本、南中国〜東南アジア、マヤ・アステカなどで見られる古代社会だ。
ここでは何をするにも自然を育てながら行っている。農業も単一作物に偏らず、相性の良い作物による混作をすることが多い。代表的なのが日本のコメと大豆(水田の畦で大豆を育てる)、中米のトウモロコシとインゲン豆(トウモロコシにインゲン豆の蔓が巻き付く)。
混作によって連作障害や作物の病虫害が減るし、作れば作るほど土壌が豊かになるため、人の手が入らなくなるとそこが森へと変わっていく。
尾張の仕組み
オワリは「尾張=名古屋」と「積み重ねたウソを終わりにする」を掛けたものだろう。
積み重ねたウソとは、衆愚政治や虚業経済に加え、近年悪化してきたメディアの流す偏向報道や捏造報道などあらゆる面に及ぶだろう。
それに加えて名前を使われた名古屋の地域性を考えると、より健全な経済を意味すると感じられる。
この名古屋は東京圏や大阪圏より本社や金融業が少ないために、見かけ上の経済力は3番手と影が薄い。更に戦後経済では地域の拠点として経済成長してきた札幌や福岡と比べて、交通網の高速化でますます存在感が薄くなっている。
だが、存在感に反して実体経済のみでの経済力は、日本で一番高いことを忘れてはならない。つまり地に足の着いた経済だ。
それに名古屋にはどこか成金趣味なイメージが強いが、そこは価値観の問題。儲けを独占して貯め込む東京や大阪とは違い、「お金は貯め込まず、適度に使わないと経済は回らないぞ」という当たり前のことを実践している土地柄が、まさにオワリの仕組みという名前を暗示しているのだろう。
ちなみに2017年、緊縮財政によって急速に経済力を落とした大阪を抜き、愛知県は都道府県の総生産(GDP)で第2位の座についた。
アイウ(縦・|)の仕組み、アヤワ(横・─)の仕組み
アイウの仕組みは物事の上下関係。天地人、神と人の関係など。ただし支配関係ではなく、それぞれの場所での協力を意味する。
アヤワの仕組みは物事の水平関係。違う者同士が得意分野を発揮して協力すること。その間に優劣や上下関係を作るのは間違い。
弥勒の仕組み・五六七の仕組み
魂を選別して、神の器と獣の人民をハッキリと分ける仕組み。
(富士の巻 第4帖)
日月神示の文言だけで考えると、来世も人間に生まれてこられる魂と、来世以降はもう人間になれず獣に戻される魂に選抜されたとも読み取れる。
だが、神の器と獣の人民は、どうやら地球の神様が管理できる正規の魂か、地球へ勝手に生まれてきて十分に把握できてない魂かという違いのようだ。スピリチュアル系では、そういう魂をワンダラー(不法移民)やライトワーカー(運命のない人たち)と呼んでいる。
それをアセンション(地球の次元上昇/最後の審判)によって魂の選り分けを確定させ、ワンダラーの多くは本来の惑星へ強制送還させる(実際には勝手に地球を離れていく)そうだ。
詳細は
輪廻転生について
を参照のこと。
(旧)三月三日の仕組み
日月神示内には三月三日とだけ出てくる単語。戦前は上巳の節句として、外の厄払いをする日。
また、この日までに苗代を作っておかないと秋の収穫に影響が出る目安でもある。
ここから準備を済ませるリミットという意味。
これは当日券なしの公演を観ようとした場合、事前にチケットを買っておかないと入場できないのと同じだろう。
準備を済ませた人には良い日だが、し忘れた人にはやる前から対象外にされる怖い仕組み。
(旧)五月五日の仕組み
日月神示内には五月五日とだけ出てくる単語。戦前は端午の節句として、体内から邪気を追い払うをする日。
また、この日までに田植えを済ませてないと秋の収穫に影響が出る目安でもある。
ここから満足な結果を得るためには、行動を起こすリミットがあるという意味。
これは家を何時までに出ないと、学校や会社に遅刻するようなものだろう。たとえ走って時間には間に合ったとしても、しばらくの間は呼吸が乱れて満足な状態になってないし、焦って行動すれば注意力が散漫になって事故にも遭いやすくなる。
ちゃんと行動を始めた人には落ち着いて目的地へ迎える良い日、そうでない人は焦って途中で失敗を起こしかねない怖い日。
(旧)九月八日の仕組み
何度も出てくる単語だが、日月神示内に説明はない。前身の大本教から受け継いだ言葉の一つだろう。
戦前の節句でもっとも重要なのが旧暦9月9日の重陽。これは収穫祭であり、天皇家を象徴する菊のお祭りでもある。
その日に合わせて、約10日前から神様がHDDのデフラグのように魂の中にある意識の入れ替え作業を始めている。
同じ魂でも世界線ごとに微妙に努力や選択が違っている。神様がそれを年一回見直して、それぞれの意識をふさわしい未来へつながる世界線へ入れ替える作業だ。
一厘の仕組み
・一厘の仕組みとは ◯に神の国のゝを入れることぞ。
(下つ巻 第21帖)
人が物事をコツコツと積み上げて形を完成させ、そこに神様が総仕上げとして最後の魂を加えること。「天才は99%の努力と、1%の才能」という言葉に似ている。
一部で「新しい時代に変わる時、一厘を残して他は壊される」という『創造的破壊』の意味に受け取っている人たちがいる。
そこから「最終的に勝つために負ける戦争を仕掛ける」「もっと良いものを作るために今あるものを敢えて壊す」という『宗教原理主義』的破壊衝動が起こされているが、それとはまったく意味が違う。
御用
富士の御用
日々の研鑽、努力のこと。
霊格の低い人にとっては生活のためだけの仕事でも、マジメに働けばそれだけで十分に御用は成り立つ。
しかし霊格が高い人には、ただお金を稼ぐだけ、出世を目差すだけの仕事は御用にならず、それだけではむしろ霊格を落とす結果になる。いわゆる間違った努力、怠惰なマジメ。
理想としては常に新しいことをする人、他人とは違う生き方をする人、何かを生み出す人を目差すのが御用。
そして、それを極めていくことが一番の御用。
その結果として、地域や特定分野、そして日本で第一人者になっていくのが富士の御用になる。
カイの御用
家の中をキチンとして日々の食事を大切にすること。家庭と食の安全を意識すること。
(雨の巻 第12帖、
梅の巻 第18帖)
「カ=力強く、イ=生きる」の古代日本語の語義にも合っている。
ちゃんとした住まいと食事を得るためにも、自然を破壊する都市化から自然との共存を進める
江戸の御用
に続くという意味にも合っているだろう。
キの御用
・カイの御用はキの御用ぞ。
(風の巻 第14帖)
カイの御用
は行動に関するものだが、そこに気持ちを加える意味もある。
また家の風通しの意味でも、人間関係の風通しの意味でも、良いキの流れを得た暮らし方を意識するようにという意味もある。
榛名の御用
・人民はその心通りに写るから、小さく取るから物事わからんのだぞ。
(雨の巻 第12帖)
ネット上でよくある光景。問題を当事者をバカにするように矮小化して、無能呼ばわりしたり上から目線で意見したりすることと同じ。
心無い解釈や、相手を格下に見るような不愉快な受け取り方は、どれもその人の器の大きさを表しているだけ。
器の小さい人だから、物事を小さく下らないような解釈でしか見られないという意味。
渦海の御用
・
海の御用とは
海の
鳴
(
なる
)
門
(
と
)
と
海の
諏訪
(
すわ
)
と
海のマアカタと三所へ
祀
(
まつ
)
りくれよ。
その前の御用、言葉で知らせたこと済んだぞ、
海マアカタとは
印
(
いん
)
旛
(
ば
)
ぞ。
十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒れの神、岩の神であるぞ。
辛
(
かのと
)
酉
(
とり
)
の日に
祀
(
まつ
)
りてくれよ。
(日の出の巻 第18帖)
辛酉の日に鳴門、諏訪、麻賀多の3か所の神社で十柱の神を祀ること。
3つの海はフォッサマグナ〜中央構造線の重要な場所にある。日本の大地を鎮める意味があるのだろうか。
江戸の御用
自然を破壊する西洋型の都市化を改め、自然と共存する文明に作り変えること。
ちゃんとした住まいと食事を得るためにも、自然を破壊する都市化から自然との共存を進める
江戸の御用
に続くという意味にも合っているだろう。
尾張の御用
虚業、利息経済を廃止して、実体経済を大切にすること。
「カ=力強く、イ=生きる」の古代日本語の語義にも合っている。
ちゃんとした住まいと食事を得るためにも、自然を破壊する都市化から自然との共存を進める
江戸の御用
に続くという意味にも合っているだろう。
一
(
はじめ
)
の御用・
二
(
つぎ
)
の御用
日月神示が訴える最大のもの──岩戸開き。本来は第二次世界大戦が世界最終戦争となり、これによって岩戸開きを完成させる予定だった。
「カ=力強く、イ=生きる」の古代日本語の語義にも合っている。
ちゃんとした住まいと食事を得るためにも、自然を破壊する都市化から自然との共存を進める
江戸の御用
に続くという意味にも合っているだろう。
御代出づの御用・三四五の御用
・
三四五
(
みよいづ
)
の御用はでき上がってしまわんと、御用している
臣民
(
しんみん
)
にはさっぱりわからんのであるぞ。
使われているからわからんのであるぞ。
(雨の巻 第7帖)
世の中を作り変える時の御用。
大掃除となる
鳴門の仕組み
の中でも努力することだろう。
その他、役員限定の御用
八月八日の御用
・八月八日から始めてくれよ。火と水に気をつけよ。
(松の巻 第29帖)
1945年7月19日の預言。
終戦直後の食糧難を乗り切れるように、
保食
(
うけもち
)
の神様にお願いする儀式のこと。
ドイツでは懲罰的占領政策のモーゲンソー・プランが実行され、全土で900万人もの餓死者を出した。
日本にも1000万人を餓死させる飢餓プランが計画されていたが、この御用のおかげかマッカーサーの心変わりで実行されずに済んだ。そのためドイツとは対象的に、世界中からたくさんの食料品が持ち込まれた。