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予言読み解き/戦時中〜占領期の予言   

戦中〜GHQ占領期に関した予言の概要
 一部、お筆先当時の日本が()(あく)してなかった時事報告も含まれる。

 

戦争の行方(ゆくえ)について
臣民(しんみん)はすぐにも(いくさ)済んで良き世が来るように思っているが、中々そうはならんぞ。(下つ巻 第34帖)
 1944年8月3日に記された預言。
 いつの時代にも現実を見ていない甘い人たちがいる。
 預言のあった頃は6月にマリアナ海戦で大負けし、和平工作を模索する動きが始まっていた頃。
 誰もが平和を願ってるのは事実。だからと言って、それが「戦争が起きない」理由にはならないし、誰かが「戦争をやめよう」と言っても一度始まった戦争は簡単には終わらない。
 これは今のお花畑活動家たちにも言える、世の中の現実を見てない人たちへの忠告。
 実際にはそういう論調が出て和平工作に動き始めていても、戦争は終わらない。戦力が残ってるから終わらないのだと、10月のレイテ沖海戦で海軍の在庫一掃セールが行われ、その後も大和の水上特攻なども行われるが思うように戦争は終わらず、日本はこの日こから1年以上も戦争を続けることになる。
・今度の世界中の(いくさ)は世界の借銭無しぞ、世界の大祓(おおはら)いぞ。(中略)
 悪や学に(だま)されて肝心の祝詞(のりと)まで骨抜きにしているでないか。これでは世界清まらんぞ。(地つ巻 第8帖)
 1944年9月19日の預言。
 第2次世界大戦は、第1次世界大戦で種を撒かれた西欧列強の身勝手による(ゆが)みを正すために起こった。
 だが、戦後も中東やアフリカの国境線などが歪みが正されないまま残されたため、冷戦後のテロの時代を招くこととなっている。
 
 なお、この大祓いだが、2016年にアメリカの地政学研究グループが発表したifの歴史に、もしも日本とドイツがきちんと連携(れんけい)して中東の石油を取りに行っていたら、その時は第2次世界大戦の結果が変わっただろうというものがあった。
 これは戦争において占領された土地の市民はレジスタンス活動によって占領軍と戦うのが通例だが、東南アジアやインドでは占領した日本に抵抗するのではなく、一緒に欧米と戦う道を選んだ市民が多いという部分だった。そのため戦後、東南アジアやインドは戻ってきた旧宗主国と戦って独立を勝ち取っている。これがもし中東やアフリカまで及んだ場合、欧米は石油資源を失って一気に戦争が継続できなくなり、敗戦に追い込まれるというものだ。
 当時の日本軍やドイツ軍は、そこまで戦線を拡大する資源がないと思って実行をしなかったが、研究グループによれば、けっして無謀な作戦ではなかったらしい。それをすればドイツは黒海、地中海東部を内海にしてスエズ運河経由でインド洋へも出られるし、日本も中東までを抑えれば連合軍の援蒋ルートを絶って中国での戦いをもっと楽に進められた可能性がある。
 歴史の後知恵ではあるが、まさに「悪や学に騙されて肝心の作戦(祝詞)が骨抜き」かもしれない。

 

都市空襲が始まる
・外国の飛行機が来ると騒いでいるが、まだまだ花道ぞ。九、十となったらボツボツはっきりするぞ。(上つ巻 第6帖)
 1944年6月17日に記された本土爆撃の預言。9、10月とあるが、これは旧暦。
 初の本土無差別空襲となる11月24日は、旧暦では10月9日。
・てん四様を都に移さねばならん時来たぞ。江戸には人住めんような時が一度は来るのぞ。(下つ巻 第16帖)
 1944年7月21日に記された預言。
 マリアナ沖の海戦でサイパンが奪われ、東京が空襲に()うのも時間の問題となった。そのため預言のあったまさにその日、日光の御用邸へ天皇や皇族が疎開する予定で準備が進められていた。
 だが、実際に疎開されたのは先に日光の御用邸へ行った明仁親王(現上皇〜7月10日より)など一部の皇族のみであり、昭和天皇や皇后は終戦まで皇居に、他の皇族も現在の小金井公園にあった御用邸などに残って空襲があれば防空壕へ避難していた。
・この節分からいよいよ神の規則通りになるのだから気をつけろ。容赦は無いのだぞ。(日の出の巻 第16帖)
 1944年12月19日に記された預言。
 翌年の節分以降、硫黄島戦、東京大空襲、沖縄戦、……と、大きな戦闘が続いて坂道を転がり落ちるように敗戦に向かっていく。
 予言通り、ほんの半年で日本は焼け野原となった。
・一日に十万、人が死に出したら、神の世がいよいよ近づくぞ。(上つ巻 第25帖)
 1944年6月30日に記された預言。
 1日に10万人死ぬのは東京大空襲を初めとする都市の無差別爆撃や上陸戦。
 この預言があった頃までの日本の戦争犠牲者は100万人ほど。このあとの1年間で、その倍の200万人が犠牲になる。
・江戸が火となるぞ。(上つ巻 第35帖)
 1944年7月7日に記された預言。
 予言通り東京は何度も空襲にあって火の海となった。
・今のような都会みなエドであるぞ。江戸はどうしても火の海ぞ。(富士の巻 第27帖)
 1944年8月30日に記された預言。
 太平洋戦争末期、日本の多くの都市部は米軍の無差別爆撃の被害に遭った。
・地震、雷、火の雨降らせて大洗濯するぞ。〜神界ではもう(いくさ)の見通しついてるぞ。(上つ巻 第39帖)
 1944年7月9日に記された預言。
 地震は昭和南海地震(1944年12月7日)だろう。
 雷は台風(低気圧番号4、1944年10月上旬)の災害か、B-29によって日本周辺海域に機雷をばらまいた飢餓作戦(1945年3月)のいずれかかはわからない。
 火の雨は無差別爆撃だろう。
 1944年はアメリカが工業力を活かして物量作戦による反撃を始めた年。日本は2月までに戦前の勢力圏外に作られた軍事拠点が潰され、6月までに保有戦力が逆転。直後のマリアナ沖海戦で大敗してマリアナ諸島を失う。
 このマリアナ諸島を失ったことで、日本の負けは確定的となった。マリアナ諸島を拠点にB-29で周辺の島を爆撃できるようになったためだ。あとは近くの島を順次爆撃して奪い取り、そこを更に新たな拠点として次の島を爆撃していく。
 アメリカはこのやり方で預言の日までに、戦前のアメリカ領であったサイパン、グァム等の島を取り返している。
・日本の国は一度(つぶ)れた様になるのだぞ。(上つ巻 第9帖)
・いずこも土に返ると申してあろうが、東京も元の土に一時(いっとき)は返るから……(上つ巻 第11帖)
 1944年6月17日に記された預言。第9帖〜第13帖まで。
 東京も土に帰る。
 最後の方は戦後の混乱の予言。多くの人が着の身着のままで逃げ惑い、生きるのもやっとの時代を予言している。

 

戦時中の食糧難
・物足らぬ物足らぬと臣民(しんみん)泣いているが、足らぬのでないぞ、足らぬと思っているが、余っているのではないか、
 (かみ)の役人殿、まず神祀れ、神祀って神心となって神の政治せよ。(富士の巻 第8帖)
 1944年8月17日に記された預言。
 役人的な発想では、足りなくなったら何とか役人が統制して平等に行き渡らせようという考えになる。だが配給制度は机上の空論だ。
 人によって必要な量が違うのに一律に配ろうとすると、多く必要とする人に行き渡らせるために全体では倍の量が必要になってしまう。
 しかも配るのはお役所仕事であるから、十分な量があっても隅々まで行き渡らせるのに時間がかかる。
 結果、余ってるのに現場では足りないという事態が発生する。
 まさに役人は権威を振りかざさず、「マトモな政治をしろ」となる。
・今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ。保食(うけもち)の神様お怒りだから、
 九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。(富士の巻 第20帖)
 1944年8月27日に記された預言。
 火薬と化学肥料は同じ原料である。戦時中であるために火薬の生産が優先され、1943年は肥料不足で大凶作となった。
 預言のあった1944年は、それを超える凶作となり、文字通り穀物生産量は平年の5割程度になった。

 

戦時中の災害
 時事報告1を参照のこと。
   ・昭和東南海地震(地つ巻 第21帖)
   ・1944年10月台風(地つ巻 第29帖)

 

大本営発表
息吹(いぶ)き払って論なくするぞ。糊塗(こと)なくするぞ、物言われん時来るぞ。(地つ巻 第33帖)
 1944年10月8日に記された預言。
 エリート官僚やマスメディアが言い続けたウソが明るみになり、言い訳が通用しなくなる。
 
 なお、戦後教育等で誤魔化されてきたが、一般にイメージされている大本営発表というものは存在しない
 冒頭に「大本営発表」と銘打ってはいるが、すべては軍部の発表(ここが本当の大本営発表)を誇大に歪めて伝えた、朝日新聞と日本放送協会(現NHK)による捏造報道である。それに本当の大本営が訂正しようとすると、「下方修正だ」「弱腰だ」「無能だ」と言って、言えない空気を作ったのも朝日新聞や日本放送協会の記者たちだ。それによって訂正させようとする声すら黙らせたのである。
 その結果、日本のエリートですら横のつながりが薄いために真実を知らず、エリートを含めた国全体が騙され続けることになった。それが戦後になって捏造報道を流した方も、それに騙されて信じてしまったエリートたちも、その事実を認めたくないためにスケープゴートとして作り上げたのが、現在イメージされる「大本営発表」だろう。
 ちなみにあの当時、朝日グループの論調に引かれて勇ましく書かないと売り上げが落ちる状況であったが、それでも国の一大事なので正確な報道に努めていた報道機関が多かったらしい。中でも毎日グループは採算度外視で事実を伝えることに努めた記事が多かったとは、今から思うと意外だが……。

 

戦争は止められない
・この仕組み成就するまでは神が(いくさ)は止めさせんから。(中略)
 早く(いくさ)済ませてくれと申しているが、今 夜明けたら、臣民(しんみん)九分通りなくなるのだぞ。(地つ巻 第22帖)
 1944年9月26日に記された預言。
 預言のあった時、すでに日本はマリアナ沖海戦に負けて島伝いに空爆が可能になっていた。すなわち敗戦が確定していた。
 だが、この時点で降伏したら、白人に逆らった見せしめで、日本人の9割は殺されてしまうと警告している。
 そのせいか日本はなかなか講和に持ち込めず、ずるずると戦争を続ける事態へ追い込まれていく。
 
 その中でも象徴的なのが、1945年8月14日のポツダム宣言受け入れ。日本は翌日15日の正午をもって降伏・戦闘終了とする。
 ところが直後に開かれるはずの終戦協定会議が、いつまで経っても開かれなかった。
 その理由は会議を任されたマッカーサー元帥が臆病風に吹かれたため。どうにか沖縄までは来たものの、そこから8月30日に厚木飛行場へ降り立つまで2週間も引きこもってしまった。それどころか終戦協定の下準備に乗り込んできた部下たちですら、ようやく日本にやってきたのは8月23日である。
 マッカーサーがどれほどの臆病風に吹かれたかというと、8月30日に厚木飛行場に降り立つ時に失禁してしまったほど。出まわってる映像の多くは失禁して濡れたズボンを修正処理を済ませたものだが、YouTubeで探すと、修正漏れの失禁映像が……。
 マッカーサーがこれほど怯えるほど、1944年秋以降の徹底抗戦がすさまじかったのだろう。それがあったからこそアメリカは日本人の虐殺ができなくなっていた。
 とはいえ戦場を知らない連邦議会は、日本降伏後にGHQに対して「白人に逆らった見せしめに9割を(だい)(ぎゃく)(さつ)」するように指示したり、「飢餓(きが)作戦を実行して日本人1000万人を餓死(がし)」させるように指示を出している。GHQはその命令を無視して大量の食料を持ち込んだため、日本は大勢の餓死者を出さずに済んだ。
 
 終戦協定の話に戻すが、部下が来て会議の準備を始めてからも、大きな台風が来て終戦協定会議が開かれなかった。その台風に襲われてアメリカ艦隊に被害が出て、終戦協定の準備どころではなくなったためだ。そのため日本では8月15日を終戦としているが、日本以外ではやっと終戦協定が結ばれた9月2日を終戦の日としている。
 最後に延ばされた1週間は、神にどんな意図があったのかは不明。まだ読み取れてない。
 なおソ連は8月18日未明に千島列島の侵略に着手し、最初の終戦協定の予定日には最初の占守(しむしゅ)島しか占領してなかった。だが、その後も南侵を進め、終戦協定が結ばれた9月2日に国後(くなしり)島占領(実際は上陸しただけ)。歯舞(はぼまい)色丹(しこたん)は協定後の占領である。
 のちに旧ソ連から2島返還論が出たのは、この歴史的経緯が元になっている。もっとも、この返還はアメリカの横槍が入って実現していない。
 
 
 比較のためにドイツの降伏についても触れておく。
 ドイツでは降伏を受け入れる前にヒトラーが4月30日に自決し、あとを託されたゲッペルスも翌日に自決したために指揮系統が混乱した。
 最終的に海軍元帥のゲーニッツが敗戦処理政府の臨時大統領となり、5月7日に無条件降伏を受け入れ、その日のうちに終戦協定会議が開かれている。
 ただし、国によっては政治的な思惑から代表政府を認めず、部隊や自治体単位でバラバラに降伏調印を求めている。そのためドイツの降伏日は国によって違っている。
 またドイツにも連邦議会から懲罰的なモーゲンソー・プランの実施が命じられ、降伏後の2年間でドイツ市民900万人が餓死させられている。
・八と十八と五月と九月と十月に気付けてくれよ。(富士の巻 第27帖)
・日本の臣民(しんみん)これで(いくさ)済むように申しているが、(いくさ)はこれからぞ。
 九、十月八日、十八日はいくらでもあるのだぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日だぞ。(日月の巻 第10帖)
 1944年8月30日と1944年10月25日に記された預言。
 旧暦1944年9月8日(新暦10月24日)は神示の前日。レイテ海戦で帝国海軍が壊滅した日。神風特別攻撃隊が初出撃した日。
 旧暦1944年10月8日(新暦11月23日未明、旧暦は日の出で日付が変わる)は初の東京大空爆があった日(B-29、80機)。
 旧暦1944年10月18日(新暦12月3日)も東京に2回目の大規模空襲があった日(B-29、76機)。
 旧暦1945年3月3日(新暦4月14日)頃=ルーズベルトの急逝(4月12日)。
   第2次世界大戦へのアメリカ参戦を画策し、戦前から日独に対して各種裏工作を行っていた大統領の死という意味では良き日。
   だが、ルーズベルト以上の人種差別主義者のトルーマンが大統領になったため、日本にフィナーレ攻勢を招いた意味では恐い日。
 旧暦1945年5月5日(新暦6月14日)頃=フランク・レポート(6月11日)
   5月の暫定(ざんてい)委員会で日本に無警告で原爆を落とす方針が決まったが、それは国際法違反なので事前警告を勧める報告書が出た日。
   警告する意味では良き日だが、恐ろしい日。

 

勝ち馬に乗る〜多くの国が日本の敵になる
・メリカ、キリスは花道で、味方と思った国々も、一つになって攻め寄せる。(富士の巻 第16帖)
 1944年8月24日に記された預言。
 この預言の翌日、枢軸国から最初に連合国へ寝返ったルーマニアがドイツに宣戦布告する。ただし、すでに降伏したイタリアは1943年10月13日にドイツに宣戦布告しているが、これは自発的な宣戦布告とは違うのでルーマニアと同列には語れない。
 
 この預言のあった時は、アメリカとイギリスが中心となって、戦後体制を模索するダンバートン・オークス会議(8月21日〜29日、参加39国)が開かれていた。ここでアメリカとイギリスを中核とした国際連合設立が同意された。まさにアメリカとイギリスにとっての花道。
 このあとマルタ会談ののちソ連が加わったヤルタ会談が開かれ、そこから多くの国が勝ち馬に乗るように枢軸国へ宣戦布告を始めた。
 枢軸国からはドイツ敗戦から独立した直後のデンマークが1945年5月23日に、三国同盟国だったイタリアも7月15日に日本へ宣戦布告している。
 なお枢軸国から連合国へ寝返ったルーマニアとフィンランドは、ドイツに対してのみ宣戦布告している。
・世界は一つになったぞ。一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。(富士の巻 第23帖)
 1944年8月30日に記された預言。
 この預言のあった数時間前に戦後体制を模索するダンバートン・オークス会議(現地時間8月21日〜29日)が終わり、反日本で動き始めている。

 

この戦いの行方
・富士(二二)を目指して攻め寄せる。大船小船あめの船。赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ(あっ)()を先陣に、
 寄せ来る敵は空(おお)い、海を埋めてたちまちに、天日(てんじつ)暗くなりにけり。
 折りしもあれや日の国に、一つの光 現れぬ。これこそ救いの大神と、救い求める人々の、目に映れるは何事ぞ。
 攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨降らす。火の雨なんぞたまるべき、まことの神はなきものか。
 これは(たま)らぬ兎も角も、生命(いのち)あっての物種と、
 (かぶと)を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ。(以下略)
 御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、(以下略)(富士の巻 第24帖)
 1944年8月30日に記された預言。戦争末期から占領時代の状態を描写的に(うた)っている。
 海を覆うアメリカの大艦隊。空を覆う大編隊。大きい光の火の雨は原爆か。
 兜を脱ぐのは、大戦末期になりふり構わぬ和平工作で、ますます日本を窮地に陥れていく保身政治家たち。
 戦後となるとアメリカかぶれ、白人かぶれが増えてしまい、岩戸開きを中断せざるを得なくなると予言している。
()の歳真ん中にして前後十年が正念場。世の建て替えは水と火とだぞ。
 ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。(磐戸の巻 第16帖)
 1945年1月14日に記された預言。日月神示でもっとも有名なフレーズ。
 すべて未来の予言ではなく、預言した時点ではすでに過去になった出来事を含めた言及ではないだろうか。
 
 子の歳を預言前の1936年に置くと、始まりの1926年は軍事政権である国民党が中華民国の実権を握った年になる。ここから日本は大きな戦争へと巻き込まれていく意味で、まさに正念場。そして終わりは太平洋戦争終戦の翌年である1946年となる。
 仮に前後十年を子の日を含めた1927年〜1945年とすれば、国民党軍の北伐開始から太平洋戦争終了の戦乱の期間と重なる。
 日月神示単体で考えると奇妙な予言となるが、前身の大本教からの流れと考えれば不自然さはなくなるだろう。
 
 この場合、ひつじの3月3日は、1945年の3月3日であろう。この日は辛未(かのとひつじ)の日であり、米軍はこの日まで硫黄島の激しい戦いのために飛行場の整備が終わらず、ここからB-29が飛び立つことがない意味ではけっこうな日だろう。この間に大勢の子供たちが田舎へ疎開している。
 もっとも翌4日にようやく飛行場が完成して最初のB-29が着陸し、10日未明にはここから飛び立ったB-29の大編隊によって東京大空襲が行われている。ただ残念なことにこの日は春休みで疎開先から戻った人も多かったため、犠牲者は大きくなってしまった。
 5月5日にはひつじはかからないだろう。この5月5日はドイツに敗戦処理政府が作られ、海軍に停戦命令が出された日だ。
 4月30日にヒトラーが自決、翌日には遺言で首相を任されたゲッペルスも自殺している。このためドイツは降伏する中央政府を失ってしまった。
 そこで海軍元帥のデーニッツが臨時の大統領となり、各国に無条件降伏を打診した。5月7日には改めて降伏勧告が出され、ドイツが受け入れたことで最初の停戦協定が日付をまたがないうちに行われている。ここで「最初の」と書いたのは、国によってはこの臨時政府をドイツの代表とは認めなかったためだ。そこで8日以降、各部隊や自治体ごとに、個別に降伏調印するという手間がかかっている。
 これも一つの戦争が終わった意味で、けっこうな日だ。
 
 あと「世の建て替えは水と火」についてだが、水は預言の前の1944年12月7日に起きた昭和東南海地震の津波災害、火は都市空爆や原爆を言ってるのかもしれない。
 または、このあと語るフィナーレ爆撃の可能性もある。まずは水際で動けなくなった軍艦や漁船、漁村を激しく襲撃し、そのあとで原爆など内陸を爆撃している。
 

 

レイテ沖海戦
・仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになって来るぞ。(地つ巻 第28帖)
 1944年10月6日に記された預言。
 フィリピンは宗主国がアメリカながら、戦時中は日本に占領されたため両国の窓口になっていた。だが、アメリカが9月15日にフィリピン奪還作戦を始めたことで、まだ日本占領下ながら9月23日に日本へ宣戦布告することになる。もう一つの窓口であるソ連はウソだらけであるから、これで日本は完全に外交の窓口を失うことになった。
 船は日本という意味だが、同時にレイテ沖海戦へ出撃する艦船の意味もあるだろう。すでに10月2日からレイテ沖海戦の準備で出撃予定の港への移動が始まっている。
 そんな中、10月12日から日本軍は台湾沖航空戦に貴重な艦載機を大量に出してしまい、300機以上失う大失態。空母に載せる艦載機をほとんど失ってしまった。それでも(おとり)として出ていくのだから、まさに後へ引けない苦しい状況だ。
 まあ、そのおかげで艦載機のなくなった(じゅん)(よう)(りゅう)(ほう)、ならび練度不足の(うん)(りゅう)(あま)()の4空母の出撃が取りやめられ、温存されることになるが……。

 

フィナーレ爆撃
・悪は霊力が利かんようになったから最後のあがきしているのだぞ。(松の巻 第20帖)
 1945年7月5日に記された預言。
 将来の大峠について語っている可能性もあるが、時期的に行われている米軍によるフィナーレ爆撃に関する言及の可能性もある。
 日本が一方的に爆撃を受けているように解釈されるが、実はペリリュー島や硫黄島の戦いによる経験から、米軍は日本が怖くて上陸できず、ずっと爆撃を続けて反撃が止むのを待っている状況だった。
 それどころかポツダム宣言を受けて降伏、武装解除までしたのに、降伏調印の責任者を任されたマッカーサーは沖縄に引きこもって2週間以上にわたって日本本土に降り立とうともしなかった。これはまさに虚勢=霊力であり、尻込んで悪あがきしてただけの証左かもしれない。

 

上陸戦は起きない
・本土上陸というキは悪魔だぞ。キを大きく持って下されよ。(キの巻 第6帖)
 1945年5月2日に記された預言。
 沖縄戦に続いて本土上陸があるというウワサを否定するもの。

 

原爆が使われる
・行けども行けども白骨と申したが、白骨さえ無くなる所あるぞ。(夜明けの巻 第7帖)
 1945年8月1日に記された預言。
 核爆発による高熱で、爆心地では骨すら残らないことを予言していたのか。
 
 ちなみにアメリカではビキニ環礁での水爆実験事故が起こるまで一部の学者や医療関係者以外は、核兵器で放射能汚染が起こることを知らないでいた。これはすべての核物質が爆発に使われているという思い込みがあったからで、実際には1%も使われず残りは核反応を起こす前に爆発で撒き散らされていた。
 ビキニ環礁実験では計算の10倍以上の核物質が反応して爆発に使われ、威力も予想を一桁超えていた。それでも多くの核物質が燃え残り、広い範囲に撒き散らされて放射線被害を起こす結果になった。
 これによって、ようやく核兵器は爆発が怖いんじゃなく、そのあとの放射能汚染が怖いのだと認識されるようになった。

 

ソ連が不可侵条約をやぶって攻めてくる
・ロシアの悪神が神の国に攻めてくる〜悪神は揺さぶって倒すから安心せよ。(日の出の巻 第7帖)
 1944年12月6日に記された預言。
 ソ連が日ソ不可侵条約を破り、それどころか国際協定を無視して侵攻を続け、終戦協定から3週間も()った9月20日に北方4島の国有化を宣言する。
 その後も東京裁判で関東以北の分割統治を提案して領有権を主張するが、これは却下される。これを防いだのが神の力だろうか。
 この頃からサンフランシスコ講和条約のあった1952年までは、ソ連はアメリカに追いつくほど共産主義を繁栄させていた。
 だが、そのあとの地球寒冷化によって農業生産が落ち込み、やがて寒冷期の終了(1993年)まで持ちこたえられずソ連崩壊へと至っている。これも神の力による揺さぶりだろうか。
 
 なお、この一説を将来の予言として扱うことが多いが、それは違うだろう。
 たしかに現在に至るもフランスからミストラル級強襲揚陸艦を4隻買ってすべて極東配備する予定だったが、ウクライナ問題で引き渡しが延期され、日本にとっての脅威が拡大しない結果に至っている事実もあるが……。

 

八月八日の御用
・八月八日から始めてくれよ。火と水に気をつけよ。(松の巻 第29帖)
 1945年7月19日に記された預言。火は原爆、水は台風を意味する。
 8月8日の御用そのものは食べ物に困らないように保食(うけもち)の神さまにお祈りする儀式にすぎないと思う。
 
 なお、8月8日はソ連が日本に宣戦布告した日。モスクワにある日本大使館に通告するが、これは6日、広島に原爆が落とされたニュースを確認した上での参戦だった。宣戦布告にあたってスターリンは日本大使館につながる通信回線をすべて切り、更に軍隊で包囲して外と連絡が取れないようにしている。その包囲から命がけで脱出した駐在武官が日本にソ連の宣戦布告を伝えたのは8月20日になってのことだった。
 日本は8月14日にポツダム宣言を受け入れ、翌15日の正午をもって戦闘中止とする。ドイツの場合は、ポツダム宣言の受け入れから日付が変わる前に最初の降伏調印が行われたが、日本の場合は臆病風に吹かれたマッカーサーが2週間にわたって沖縄に引きこもったために調印が延び延びとなった。その間に部下たちが日本本土に乗り込んで安全を確かめて、ようやく厚木飛行場にやってきたのだが……。その調印の準備も台風に襲われて米艦隊に被害が出て調印式どころではなくなった。
 結局、このせいで更に調印式が遅れ、ようやく9月2日に降伏調印式が行われた時には、ソ連は国後島にまで上陸していた。
 これが戦後続く日ソ〜日ロのわだかまりの原因となっている。すぐに調印ができていれば、日本は千島列島どころか樺太島も領有権が主張できる。調印式のあった時点では国後島に上陸はしたが占領はできていない。まして歯舞色丹は調印式が終わった翌日以降の占領である。

 

GHQ
・お宮まで外国の悪に壊される。(上つ巻 第37帖)
 1944年7月9日に記された預言。
 壊されるお宮とは、GHQが破壊命令を出した国家神道のことか。それとも進駐軍が米軍施設を作るために壊した明治神宮の森のことか。
 
 GHQは神道を軍国主義の元凶として検討され、神社ごとに宗教法人化して、国からの財政援助を完全に禁じることにされた。
 そのおかげで1949年に予定されていた伊勢神宮の式年遷宮が財政不足でできなくなり、独立を回復した1953年にようやく実施される。
 また宗教法人化にともなって神社の土地も国有地から切り離され、各神社の土地となった。この影響で富士山の山頂に県境が設定できないなどの事態も起きている。
 
 一方、明治神宮の森はGHQに接収され、木を倒されて進駐軍の住宅や繁華街として使われる。
 神宮の森が返還されるのは日本が自治権を回復したよりもずっとあと。東京オリンピックが決まり、それで競技場施設を建てる土地として戻ってきた。
 まさにお宮まで外国の悪に壊されていた。
・偉い人いよいよとんでもないことになるぞ。捕らわれるぞ。痛い目にあわされるぞ。
 今に目覚めるなれどその時では遅い遅い。()(かみ)も一時は無くなるのぞ。(キの巻 第13帖)
 1945年3月16日に記された預言。
 敗戦で為政者たちのメッキが()がれ、一時的に無政府状態になる。
 それまで大言壮語して威張っていた役人や憲兵たちは、市民からしっぺ返しを食らうことにもなる。
・悪の総大将よ、早う改心なされよ。(中略)いくら焦ってあがいても、神国の仕組みはわかりはせんぞ。
 悪とは申せ大将になる()(たま)、改心すれば今度はいつまでも結構になるのぞ。
 日本の臣民(しんみん)人民皆思いが違うと、くどう知らせてあろうが。(松の巻 第14帖)
 1945年6月29日に記された預言。
 ここでいう悪の総大将とは陸軍元帥マッカーサーのことと思われる。
 彼は1942年にフィリピンが攻め込まれた時、部下を置いて逃げてしまった。これがプライドの高い彼の経歴に汚点を付けたため、それ以降、冷静な判断を失ったような行動が目立つようになる。
  ・被害を最小限に抑えるために、米海軍は太平洋を中央突破して、日本を直接攻め込もうとしていた。
     だが、それを否定して島伝いに進軍する蛙跳び作戦を強行。結果、日米どころかフィリピンにまで多くの犠牲者を出すことになった。
  ・日本は降伏したが、そこで臆病風に吹かれて2週間も沖縄に引きこもった。その間にソ連が北から攻め込んできている。
  ・GHQの総司令となると、国際法を無視して日本を武装放棄させたり憲法を押しつけたりするような悪行を幾つも行う。
  ・朝鮮戦争で、ようやく本当の敵は日本ではなく共産主義と気づくが、時すでに手遅れ。
     朝鮮戦争でも臆病風に吹かれたのか、現場指揮を部下に任せて逃走。その部下は退却中に交通事故死する事態に。
     それでも現場に行かないため、ついに解任される。その時マッカーサーは日本に来た上院議員と呑気に会食中だった。
  ・退任後、共産主義の危険を訴えるが、トルーマン、アイゼンハワー大統領共にマッカーサーを冷遇して聞く耳を持たなかった。
     それどころかスターリンと何度も首脳会談を繰り返して、世界統治の協調路線を進めようとする。
     アメリカがその間違いに気づくのは、もう少し先。そこからマッカーシズムなどの激しい赤狩りと冷戦時代が始まることになる。
     この頃には完全に改心し、「燃料と食料を奪われたら、私も戦争するしかない」と、太平洋戦争がルーズベルトの陰謀だと訴えた。

 

天変地異
・天の異変気づけと申してあろうが。冬の次が春とは限らんと申してあろうが。
 天にも地にも、訳の判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのだから。(夜明けの巻 第3帖)
 1945年7月24日に記された預言。
 1945年は異常気象で気温が乱高下したことはわかっている。だが、戦後の混乱のためか記録が途切れ途切れで、夏に雪が降ったかを確認できない。本当に起きてないのか。ただ記録に残ってないだけなのか……。
 ないものを探すのは悪魔の証明になるが、現象としては実在する。最近の例では2016年のオーストラリア南部で、まさにそういう現象が起きた。11月18日に40度を超える猛暑を記録したのに、そのわずか1週間後の24日には気温が急降下し、雪が降って一面雪化粧になる光景が記録に残されている。南半球であるから日本にとっては5月〜初夏ではあるが、夏の雪は実際に起きている。
 同じ現象は2020年にも米国で起きた。9月6日、中南部州を異常熱波が襲い、ロサンゼルスで観測史上最高温の49.4度が記録される。コロラド州デンバーでも38.3度が記録されたが、そこから24時間で31度も気温が下がり、夜には氷点下となって雪まで降った。
 
 訳の判らん虫と病気は、GHQによって持ち込まれた災厄だろう。
 まず救援物資にまぎれて大量のアメリカシロヒトリが日本に入り込んでしまった。それが日本の木々を食い荒らし、災厄は今も続いている。
 また農業政策で稲を食い荒らすスズメを殺させたため、そのスズメが食べてくれていたウンカなどの稲作害虫を大量発生させる事態も招いている。
 病気の方は言うまでもなく放射線障害である原爆病はあるだろう。また殺虫剤として大量に持ち込まれたDDTによる薬害も大きい。このDDTであるが、太平洋戦争で日本から除虫菊の輸入が止まったために使われ始めたものである。初めは工業化の勝利として誇らしく使っていたのだが、それが環境問題になるのであるから皮肉である。

 

九月八日の仕組み(1945年10月13日前後)
・九月八日は結構な日だがこわい日だと申して知らせてあったこと少しはわかったか。(日月の巻 第10帖)
・九月八日の仕組み近くなったぞ。(キの巻 第14帖)
・旧九月八日から(中略)いよいよ神は神、(けもの)は獣となるぞ(中略)金馬鹿にしてはならんぞ。(水の巻 第9帖)
・旧九月八日までに綺麗に掃除しておけよ。残る心、(けだもの)ぞ。(松の巻 第3帖)
・旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。(夜明けの巻 第3帖)
 1944年10月25日〜1945年7月24日に記された預言。
 旧九月八日は戦前の重陽の節句──収穫祭前日の意味。いわば最後の審判までに準備ができてないと、すべての努力が水の泡になる。だから準備ができている人には「結構な日」だが、間に合わない人には「恐い日」だ。
 ここでいう九月八日は本来は「岩戸開き」であったが、すでに失敗が確定しているため「戦後秩序」「戦後体制」の意味に変わっている。
 日本に対する戦後体制は、国際法を無視したGHQの占領政策( WGIP (War Guild Infomation Program)=洗脳政策)によって悪い形になった。水の巻にある「金馬鹿」は、その結果として金に振り回される世の中を暗示している。
 松の巻で警告しているが、残念ながら日本人は心を失って感情任せでしか語らない平和ボケや言論人の反日日本人を多く生み、ゆがんだ世の中になっていく。
・旧九月八日で一切りじゃ。これで(はじめ)の御用は済みたぞ。八分通りは落第じゃぞ。(祭りの巻 第8帖)
・九月八日の仕組み近づいたぞ(中略)薬飲んで毒死せんように気付けよ。(青葉の巻 第20帖)
 1946年8月15日と1947年8月10日に記された預言。
 岩戸開きは8割方達成できず、GHQの占領政策によって長い目で見ると世の中がどんどん悪くなる仕組みができたと嘆いている。
 祭りの巻の時は、まだ改憲などでハーグ条約を無視したマッカーサー案の押しつけに抵抗できなくなった頃。すでにこの頃には財閥解体、農地解放、天皇人間宣言、言葉狩り、アメリカ史観による戦争解釈の押しつけなどが行われている。また米軍は極東軍事裁判が始まる前に私的にマニラ裁判を開き、私怨でマトモな裁判をせずに処罰(=私刑)を始めていた。もちろん、これもハーグ条約違反である。
 青葉の巻の時はアメリカがようやく日本が抑えていた共産主義の問題に気づいた時。ついでに中国5億人の市場に目がくらんで中華民国=国民党政府を支援していたが、国共内戦で国民党政府が劣勢に変わった頃。
 このあと本当の南京大虐殺事件が1949年4月に起こり、国際連合の常任理事国に戦勝国である国民党ではなく、人民解放軍=中共が居座ることになる。これが九月八日の仕組み──戦後レジュームの完成だろう。
 ここから戦後冷戦時代へ突入していく。毒は共産主義か、中国との付き合いか。それとも憲法第9条の英文にある「侵略のための戦力」を、訳す過程で単純に「戦力」としてしまったことか……。

 

配給で餓死者が出る
臣民(しんみん)の食い物、足りるように作らせてあるのに足らぬと申しているが、足らぬことないぞ。
 足らぬのは、やり方悪いのだぞ。食って生きるべきもので人殺すとは何事ぞ。(富士の巻 第18帖)
 1944年8月25日に記された預言。
 1945年10月に亀尾英四郎ドイツ文学教授、1947年10月に山口良忠東京地裁判事が闇市場での買い出しを拒否して栄養失調で亡くなった。
 この原因を作ったのは1945年──敗戦の年の凶作。政府は米の取れ高だけを見て「このままでは1000万人が餓死する」と配給制度を強めたとされる。だが、この1000万人という数字は、米国政府からGHQに出された「そのまま餓死させて1000万人の人減らしをしろ」という人種差別的な指示の数値と一致している。
 しかし、日本は空爆によって都市部が破壊されて貧しくなったように見えるが、実際には農村部は無事だし、山間部にあるダムも攻撃されなかったため、敗戦時点でも同時期のイギリスに相当する水力発電量を誇っていた。そこにブラジル等からの食料支援物資が入って来ているし、アメリカ商人たちも政府方針に反して余った大量の小麦や脱脂粉乳を日本に売りつけ、それをGHQも本国の指示に逆らって黙認したため、むしろ余っていたと思われる。(この部分も、いつの間にかマッカーサーが支援した話にすり替わってるが)
 となれば市場経済に任せれば末端まで食料は行き渡るはず……なのだが、足りないと思い込んだ政府が配給統制してしまったために、そのせいで余計にお役所仕事による供給量の激減や遅配を招く事態を起こしてしまった。
 
 今は終戦直後の貧しかったイメージで「終戦直後は餓死者が多かった」とは語られているが、具体的な記録は出てこない。毎日5〜6人と言われるが、これは統計の残る1950年以降の栄養失調を含めた餓死者の人数──年間2500人前後と大差ない。おそらくは晩秋から増え始めた凍死者を、餓死者のように記憶がすり替わったのだろう。
 余談ながら餓死者のうち貧困から来る餓死は年間10人も出ていない。餓死は引きこもりを含む病気、過度なダイエット、間違った健康志向、極端な偏食が主な原因である。

 

東京裁判
・人の上の人、みな臭い飯食うことできるから、今から知らせておくから気をつけてくれよ。(上つ巻 第37帖)
・偉い人皆(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。(松の巻 第7帖)
 1944年7月9日と1945年7月31日に記された預言。
 東京裁判におけるA級戦犯に関する言及。
 A級戦犯は当時の国際法に存在しない罪(平和への罪)をでっち上げたもの。しかし、1990年代以降の情報開示で、むしろルーズベルトやスターリン、チャーチルらの方が戦争を起こすべく画策していたことが表面化してきている。
・今度捕えられる人民たくさんにあるが、今度こそはひどいのだぞ。
 牢獄(ろうや)で自殺する者もできて来るぞ。(中略)
 九分通りは一度出て来るぞ、それまでに一度盛り返すぞ、
(岩の巻 第9帖)
 1946年2月16日に記された預言。
 逮捕者指名は1945年中に終わっているはずだが、軍事裁判なのに軍人ではない民間人まで数多く無実の罪をでっち上げて追加で逮捕し始める予言。降伏調印を任された重光(しげみつ)(まもる)が追加で逮捕されるのは1946年4月29日。他にも軍とは無関係な政治家や実業家が逮捕されるなど、たしかにやり方がひどい。
 この極悪な茶番は九分通り連合国の思惑通り進んだが、アメリカ人弁護人のブレークニーや、インド人のパール判事の意見陳述で一気に形成が逆転し、アメリカ側の悪事が露見しそうになった。

 

占領統治
・富士を境に真っ二つ、先ず切り取って残るもの七つに切り裂く仕組みなり。
 されど日本は神の国、最後の仕組み神力に、寄せ来る敵は魂まで、一人残らず(のう)にする。(松の巻 第27帖)
 1945年7月14日に記された預言。
 連合国が日本を裂いて分割統治しようとする画策が話し合われる。だが、これは神の力で実現させなかったという話か。

 

財閥解体・農地解放・預金封鎖・等
・神の()(がい)に叶わん人民は地の下になるのだぞ。(松の巻 第4帖)
 1945年6月20日に記された預言。
 次の第5帖がやたらと金の話になるので、ここで言う「神の気概に叶わん人民」というのは、戦前、金に物を言わせてきた人たちだろう。
 戦前、日本の上位1%の人たちが全体の24%の富を持っていた。これは日本に限らず、多くの国も同じ状況だ。
 ところが敗戦によってGHQが財閥解体や農地解放、預金封鎖など行ったため、上位1%の持つ富は一気に奪われて4%にまで減らされた。中でも大農家は小作人に貸していた生産性の良い土地をすべて取り上げられ、山奥の痩せた土地を開墾しなくてはならない事態に追い込まれた。それどころか農地以外にも貸していた土地や建物を奪われて、一気に貧困化した地主たちも多い。
 ちなみに戦後は貧困化した地主たちから山を買い上げて、大型リゾート地をたくさん作った国土西武グループなどの新しい財閥を生み出すことになる。
 
 この中でも問題の大きかった農地解放を語っていく。
 大農家の中には立場を悪用して、暴利を貪っていた者たちもいただろう。だが本来、大農家=土地の名士は地方の神社を守り、神様からのおかげを受け取り、それを地域に流して土地を豊かにする役割を担っていた。その仕組みが壊されたために地方が一気に疲弊し、過疎化を招いたとも考えられる。